ニートは死んでも治らないっ!

史季

憑依霊と守護霊、存在の哲学的問題

 家に帰ると、部屋に戻って、いつも通りベッドに座る。


 一方、ユキはベッドの上に半身を投げ出してだらけている。そのせいで、見えちゃいけない部分の肌が若干見えそうになっていた。


 まずは、ユキが憑依霊か守護霊なのかをはっきりさせよう。


 もし憑依霊なら、幽霊に『自分は死んでいる』ということをわからせて、存在を消す。守護霊なら、彼女の願い(僕とももかが付き合う)を叶えたら成仏するはずだ。
 以上のことを、僕はユキのお腹を見ながら考えた。


「霊になる前のことを知りたいけど、何か覚えてない?」
「え、霊になる前? 何も覚えてないわよ」


 僕の手間と反比例するかのように、あっさりとユキが答える。少しでも手がかりが欲しいのに、肝心な部分が手に入らないのがもどかしい。
 そう思っていると、ユキが次の言葉を繋げた。


「けど、時々、懐かしいなぁって感じることはあるの。レイくんと一緒に屋上で話してたときとか、恋愛相談にのってるときとかね。多分、生きてたときはそういうことをしてたんだと思うわ」
「そうなんだ。他には何かある? 気になってることとか」
「……そういえば私、あの学校で道に迷ったことがないわね。レイくんの運命の人探ししてたときとか、ももかちゃんと幽霊探検したときとか」


 重要な手がかりだ。ユキはこの学校の生徒だったのかもしれない。やはり、制服が同じなのは偶然じゃないのか。


「ところでさ、幽霊って飛んだりすりぬけたりできないものなの?」
「うーん。私以外の霊を見たことはあるけど、飛んでたわね」
「それって、霊界を抜け出したことと関係ある?」


 少し気になってたことだが、ユキは「わからないわ」と答えた。
 ユキは普通の幽霊とは違う。普通の除霊方法じゃ効果がなかったし。


 霊になる前のことを忘れてるってことは、死んでいることを認識できてないってことだ。でも、その瞬間をユキに思い出させていいのだろうか。
 死の瞬間は、そうとうに辛いだろう。


 誰にだって、思い出したくないことはある。それを無理強いする権利が、僕にあるのだろうか?
 逃げている人間が「逃げるな」なんて言えるのか?


「ユキはさ、霊になる前のことを思い出したい?」


 でも、いずれにせよユキの意志を大切にしたい。そう思って聞いてみる。
 ユキは少し考えた後「思い出したい」と言った。


「多分、私にとっては嫌なことだと思うわ。本当に嫌なことって、うまく思い出せないものだから。
 でもね、本当に大切なことも、うまく思い出せないのよ。それは思い出してみるまでわからないんだわ。だから私は、思い出したいの」


 ユキが僕の目を見ながら答える。そのまま、僕の心まで入っていきそうな目だ。


「レイくんは、どうしたいの? もし私が過去を思い出して、守護霊じゃなかったとしたら、いなくなって欲しいの?」


 長い間考え込んでいたのだろう。気がつくと、起き上がったユキの顔がすぐ隣にあった。まつげの本数も数えられそうな距離。制服の胸元から、下着が覗きそうで覗かない、もどかしい時間。


 僕はユキをどうしたいんだろう? もしユキが幽霊として、学校で騒ぎになっている存在だとしたら、僕に守っていけるのか? 幽霊として……そして、一人の女の子として。
 答えは、出なかった。


「……哲学的問題が生じた」
「そうやってはぐらかさないの! 別に問題なんて起きてないわ」
「いや、いなくなるためには、存在とはどういうことかがわかってないといけないんだ。でも、哲学者が長年議論し続けても未だに答えがわからないんだ」


 僕は困った時、哲学の問題に持ち込む。哲学はこの世にないものを考える。つまり、実際の問題からは目を逸らせる。
 こうやって距離をとれば、どんな問題にも巻き込まれないで済むというわけだ。


 でも、僕が離れようとすると、ユキは隙間を埋めようとする。僕が頭の距離をとれば、ユキは心の距離を縮める。
 僕は、人との距離のつかみ方がどんどんわからなくなっていった。


 千聖さんは、守護霊か憑依霊かは僕の行いも関係してると言っていた。だとしたら、ユキは多分憑依霊だろう。僕は人に褒められるようなことはしてないし、どちらかと言えば悪く思われてる。
 そんな風な僕には、憑依霊の方が似合っているのかもしれない。




 ◇◆◇◆




「ねえ、私なんかより、レイくんのほうが深刻そうに見えるけど。考え込んでることが多いし、何より……うまく心を開けてない感じがするの。レイくんと一緒に話してると、通じ会えたと思っても、ふとどこか別のところへ行ってるような気がするし」
「別に普通だよ。典型的な現代人の振る舞いだよ」
「そうかしら。私、一週間くらい一緒にいるけど、話しかけてる人が全然いないじゃない。休み時間も昼休みも放課後も、何だか周りを避けてるみたいだったし」
「下らない噂話にかかわりたくないだけだよ」


 僕はそう答えながらも、少しずつ気持ちが沈んでいく。
 噂話は聞いているだけで肯定したことになるし、否定すると仲間はずれにされるから嫌いだ。
 そういう考えをしていると、その考えを生み出した自分自身をも嫌いになってくる。


「ユキもさ、霊界に戻ってきちんとしたほうがいいんじゃないか。このまま空も飛べない不完全な形で、いつまでも保つとは思えないよ。
 霊界の人は罪を悔い改めるようにキツく言ってたんだろう? だったら、そのうち何か罰を与えにくる。きっと何か良くないことが起こる」


 自分の傷に触れられたせいか、少しきついことを言ってしまう。
 言い過ぎたかなと思ったときには、すでにユキの瞳の奥行きは霞んでいた。「本当に……そう思う?」と弱々しく答えてくる。
 何か取り繕う言葉を探していると、先にユキの言葉が出てきた。


「あの時、私も記憶が曖昧で、どう判断していいかわからなかったけど、はっきりと感じることは『これは正しくないことだ』ってことだった。だから舟から飛び降りたの。
 川の底へ泳いでる間『逃げるな』って声が聞こえた。何度も何度も耳に響いて、体が固まりかけて……それでも体を必死に動かして、気を失って……気がついたら元の世界にいたの。
 最初は不安だったわ。私は取り返しのつかないことをしたんじゃないかって。私は、本来あるべき道から外れてしまって、もう二度と元に戻れないかもしれない。
 でも、レイくんと出会ってからは、ちゃんとやれてる感じがしてるの」


 ユキは笑った。こんなに辛い話をしているのに。


「過去の失敗も、本当に失敗なのか疑問に思えてくる。確かに霊界のルールを破ってるのかもしれないけど、本当に必要なルールだったのかって。
『逃げるな』って言うけど、逃げずに死んじゃうより良いって」


 その言葉は、何気ない言葉だったけど、少しだけ僕の心を揺り動かした。そうだ。思い出した。夜の校舎で聞いたあの声を。あの声は、『逃げるな』といっていたんだ。それも、僕自信の声だ。
 けど、僕は結局逃げてしまった。そして、何が正しくて、何が正しくないのかが全くわからなくなってしまった。


 それから僕は、客観的に正しいものを求めて、哲学に通暁するようになった。けど、哲学でも本当の正しさは解明できていなかった。
 わかったのは、人間は解決できない問題を本質的だと思い込むということだった。やはり僕は逃げ続けるしかないのだ。
 そんな考えに囚われてしまい、僕はほとんどの時間を考えることに使うようになった。


 ベルクソンは「本当の時間は時計では測れない」と言ったが、本当の時間が何だったのか、客観的な証明はできなかった。
 カントは「物体より認識が大事」と言ったが、認識は人によってバラバラだ。


 客観的な認識は、この世に存在するのだろうか。




 ◇◆◇◆




「僕、思い出したことがあるんだ」


 ユキの話を聞いて浮かんだこと。僕は小学校の頃、図書室によく行っていた。
 外でボール遊びや縄跳びに加わるより気が楽だったから。何より図書室にある未知の本たちは、探究心を掻き立ててくれた。そこで、いつもと違う本棚を覗きに行ったとき、本棚の前で手を伸ばして固まってる女の子に出会った。女の子は、本が支えて取れずに困っていた。


 僕は何も言わず、その本をとってあげた。けど、女の子は本を受け取ろうとせず、ぎこちない時間が流れ、不安の渦となって僕を飲み込んだ。
 女の子は、俯いたまま絞り出すようにお礼の言葉をくれたあと、本を受け取ってそのまま行ってしまった。


 今思うと、あの不安は悪い未来の予感だったのかもしれない。
 図書室好きな生徒は、僕と女の子しかおらず、僕たちは少しずつ距離を縮めた。二人で共有する記憶や感情が積み重なっていった。
 彼女は体が弱く、みんなが運動にあてていた時間を読書に使っていた。僕も彼女に影響されて、さらに熱心に本を読む機会を増やした。


 そんな時、体育の授業中に、教室で盗難事件があった。
 真っ先に疑われたのは、授業に出ずに図書室に居た女の子だった。
 他のみんなは授業を受けていたし、学校の中で自由に動けたのは女の子だけだった。僕は「教室のドアには先生が鍵をかけていた」ことを指摘したが、窓から入ったんだと言われた。


 その後の学級会は、女の子の生活態度を責める時間になった。
 話しかけたのに無視されたとか、係の仕事をやってくれなかったとか、誰も見ていないと思ってフリをつけて歌ってたら思いっきり見られて恥ずかしかったとか、些末なコトだ。僕は何も言えなかった。止める言葉が見つからなかった。窓が閉まっていたことを証明できればいいのに。
 けど、そんなことを確認しているはずがないのだ。


「次の日から、その子は学校に来なくなったよ」


 前の日の騒ぎは何もかも消えていた。ぽつんと空いた机だけが教室に残っていた。僕も、できる限りあの子のことを忘れようとした。
 あの子と、あの子にくっついていた様々な感情も、全部ね。


 図書室で本を読むのはなぜか続けていた。
 多分、読んでいる間は余計なことを考えずに済むからだと思う。けど……本を読み終わって、顔を上げて隣を見た時に、気づいてしまうんだ……。もうあの子はいないって。僕のせいだって。


 ……僕があの時、あの子の味方になってあげなかったから。僕は逃げたんだ。あの子みたいに皆からいじめられるのが怖かったんだ。


「僕はももかに対して、また同じことを繰り返しているのかもしれない。ももかが疑われても、結局何もしてあげられない」


 幽霊のしわざなんて言っても、誰も信じてくれないだろう。けど、それ以外にどんな理由があるのだろう。
 そう思っていると、手の上に、暖かい感触が降った。ユキの手だった。


「私は……ここにいるわ。レイくんがそう思ってくれる限り、ずっといるわ」


 ユキが、子供をあやすような口調でゆっくりと言う。でも、僕の不安はまだ他にもある。
 ユキが僕と一緒にいるのは、ただ単に、僕の守護霊にならないと大変なことになるからかもしれない。例えば、もしユキが生前の時に出会っていたら、ユキは僕には見向きもしないと思う。


 ――ってなんだこれは。まるで僕がユキに片思いしてるみたいじゃないか。


「最初の時は私も混乱していたの。わけもわからず幽霊になって、記憶もなくなってて。でも今は、なんとなく確信があるの。今は大丈夫だって。私はちゃんとした霊になれてるって」
「ちゃんとした霊?」
「守護霊としての責務っていうのかしら? それができてる感じがするわ。そりゃ、あちこちで遊んで回れないってのは痛手だけど、レイくんに憑けたのは大正解。だって高校生といえば恋愛だもの。人の恋の手助けをするのって、すごく楽しいの。自分の好きなことができる上に守護霊として就職できるなんて、最高ね」


 ユキは深刻な表情から一転、氷砂糖が摩擦で発光するかのように明るくなる。


「……ちょっと難しい話になったわね。でも、要はももかちゃんと付き合えばいいんだわ。それで万事解決」
「いやいや。一言もそんな話してないでしょ」
「したわよ。私は守護霊として、レイくんの恋を成就させないと、自分の過去を思い出せないんだから」


 どうやったらそういう結論になるんだろう。相変わらず無茶苦茶だけど、ユキのその脈絡のない前向きさが、今はありがたかった。


「そのためには、まず幽霊部の問題を解決ね。幽霊部を認めてもらう方法を考えようよ」



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