ニートは死んでも治らないっ!

史季

私を守護霊だと思ってくれませんか?

 もちろんOKはしなかった。
 確かにいくらか気を許してはいたが、「幽霊を雇う」という言葉には怪しげな雰囲気がある。
 ただ単に「幽霊に取り憑かれる」「呪われる」を言い換えたような感じだ。
 もっと言い換えると「幽霊として職につけないので、人間についてしまえ」という感じだ。言い換えれば言い換えるほど怪しくなっていく。


 そのことを彼女に言うと「誰が取り憑くですって?! むしろいいことするのに~~~」と腹を立てた。
 まったく……良いことってなんだ?
 ニートだとか死とかについて教えるのはいいことじゃないぞ……


 よし、とりあえず無視だ。鰯の頭も信心からというように、信じてしまうと価値のないものでも良く見えてしまう。
 僕は「次の授業は何だっけな」と考えながら、校舎へ入るドアを開けようとした。


 ……あれっ?
 ……どうしたんだろう、開かない。
 確かにこのドアは多少錆ついてはいるし、普段開けられることも少ないけど、来た時は片手で開いたはず。


 まさか鍵をかけたのか?
 先生が?
 それとも誰かがイタズラで?


 ……いや、違う。この流れから考えると、原因はひとつしかないよな。
 僕はさっきまであの幽霊がいた方向を見る。
 だが、抜けるような青空をバックに変な自説を展開していた抜けている少女の幽霊は、すでにそこにはいない。
 柵の上は虚空だ。
 どこからか透明な風が吹きつけているような感覚がする。


 まさか、さっきのは夢?
 それとも幻?
 確かに僕は、あの幽霊と出会ったはず……なんだけど……。


 ……と、異世界気分に潜り込んでいた意識は、あっさり現実に戻される。
 僕の目に、両目を閉じてドアを懸命に抑える幽霊が映ったからだ。 


「ってお前か!!」
「え、嘘っ?! 何で見えてるの?!」


 なぜか幽霊は、信じられないと言うような目で驚いている。
 いや、そう言われても、丸見えだよ……。
 すると、さっきまでは頑固だった扉がすっと開いた。
 驚いて、抑える力が抜けたのだろう。


「じゃ、僕はこれで」


 これ以上怪しげなことに巻き込まれるのはゴメンだ。
 それに、早くしないと次の授業が始まるし。


「待って、待ってぇ~~」


 すると、突然後ろから大きな衝撃。
 よろめいて踊り場の壁にぶつかりそうになるのを、何とか手をついて回避する。


「ちょっと、危ないじゃないか」


 彼女は、後ろから両腕を回して抱きついてきたのだ。
 体が密着しててかなり恥ずかしい。


「だってぇ、まだ雇ってもらってないんだもん!! 雇うまでは帰さないわ~~」
「誰が何と言おうを雇わない! 早くはなれてくれっ!」
「え~?! 雇ってよ~、お願いお願いおねがい~~っ!」


 僕が断ると、彼女は不満そうな声をあげ、ますます体をくっつけてくる。
 胸は高校生とは思えないほど平らだけど、それを補うだけの腕の柔らかな感触が、僕の鼓動を加速させる。
 このままだと僕のほうが持ちそうにない。
 ここは少し譲歩しておくべきなのだろうか。


 そう考えていると、体に押し付けられた感触が、ふっと離れた。
 彼女は伏し目がちになると、すねた声で言った。


「グスンっ。ならもういいわ、教室に帰っても」


 よし、ようやく解放された。これでやっと教室に帰れる。
 譲歩? 何それ?


 彼女への警戒をといた僕は、軽快な足取りで教室へ向かう。
 もう、次の授業が抜き打ちテストでも許せる気がする。
 それぐらい心が穏やかだった。


「ちょ、どうしてついてくるのさ」
「あなたの行動が気になるの」


 何を言ってるんだこの幽霊は。
 いや、こんなかわいい娘に「あなたが気になる」と言われるとまんざらでもないけど。


「ねぇ、幽霊につけられると気味が悪いんだけど」
「だ・か・ら! 私は幽霊じゃなくて『守護霊』だってば!
 守護霊がついてないと、あなたは大変なことになっちゃうのよ?!」
「守護霊?」


 初耳だ。
 幽霊とは何か違うのか?


「守護霊ってのは、人を厄災から守る霊のことよ。たった今思い出したわ。
 私があなたの不幸を全て取り払ってあげる」
「すでにいくらか不幸なんだけど」
「それは、まだ雇われてないからよ。
 雇ってくれないと、私の力を100%出しきれないの」


 何だその悪徳商法みたいな設定は。


「いや、そもそも君が守護霊かどうかがわからないから無理だよ。何か証明する方法があればいいけど」


 そう言うと、彼女はぺたんこの胸をそらして偉そうに言った。


「それなら任せて! これからあなたのことを、死ぬまで面倒みるわ!」


 ……あれ?
 これって無限ループ?


「だいたい、君が僕についてくること自体、許可しないから」
「いや、その……お試し期間ってことで」


 ループから抜け出すことに成功したらしく、彼女はたじろいでいる。
 僕は、この機会を活かしてさらに畳み掛けた。


「お試し期間もクーポン券もいらないよ。
 とにかく、幽霊に憑かれるなんてまっぴらごめんだ」
「……そうね、なら仕方がないわ」


 よしっ!
 やっと諦めてくれたか。


「黙ってついていくことにするわ」


 ずるうっ。
 僕は思いっきりすべる。どうすればいいんだろうか。


 ……仕方ない、暫くほうっておくことにしよう。
 こんなドジっぽい幽霊なんかに、人を呪ったりは出来ないだろうし。
 諦めにも近い感情で彼女を一瞥すると、僕は力なく教室へ戻った。
 周りから見たら、本当に呪われているように見えるかもしれない、と思いながら。




 ◇◆◇◆




「えー、それでは抜き打ちテストを始める!!」


 教室にどよめきが走る。
 5時間目の英語で、抜き打ちテストが宣告された。
 僕もあんまり勉強してないので、正直ヤバイ。
 そんな緊張をよそに、テスト用紙は否応なく配られ、あっという間に試験が始まった。


 ……どうしよう。さっぱりわからない。
 テストの内容は、英語の長文を読んで、単語の意味や文章の意味を答える問題だった。
 教科書に載っている文章ならわかるが、この教師は教科書にのってない問題をテストに出すことが多い。そのせいで、この教師は学校中の生徒に恐れられている。


 ……まてよ?
 僕は危険な案を思い浮かべた。拾ったデスノートに興味本位で名前を書くような大胆さだが、今の僕にはこれが必要な気がした。
 僕は後ろについている(はず)の幽霊に向かって念じた。


「あのさ、この問題わかる?」


 彼女は僕の机の隣に現れると、肘をつき、中腰になった。


「教えたら、雇ってくれるの?」


 やはり交換条件を出したか。
 けど、対策はすでに練ってある。


「いや、お試し期間」
「私はドモホルンリンクルじゃないわ」
「助けてくれたら、そばにいても文句言わないから」
「えっ……」


 僕の提案に心が動いたのか、急に声をつまらせる。よし、これはいける。
 どうせ文句言おうが言わまいが結局ついてくるんだから、この約束には全く意味はないのだけど、彼女は気づいていない。


「だからさ、お願いだよ」


 そして最後のひと押し。


「それならOKよ! 任せて! 100点どころか120点取らせてあげるわ! 幽霊だけに、幽霊船に乗ったつもりでいてね」
「いや、このテスト10点満点だからさ」


 結果、幽霊船に乗る作戦は成功した。彼女は答えを全て教えてくれた。
 屋上では会話した時には頭が良さそうだとは思えなかったのに、幽霊はみかけによらないものだ。
 解説を求めると「自分で考えたことだけが意味をもつのよ」と、相変わらず意味不明な言葉であしらわれたが、なんとか助かった。


 なんにせよ、これはすごい。
 彼女さえいれば、勉強の面で苦労することはなくなるかもしれない。これが厄災をとりのぞくってことなのかな?


 ……あ、今気付いたけど僕ら、念じただけで会話が出来る関係になってない?
 大丈夫だよな? お試し期間だよな?
 チャイムの音を遠くに感じながら、そう自分に言い聞かせた。




 ◇◆◇◆




 今日最後の授業が終わり、放課後のチャイムが鳴った。
 僕は授業そっちのけで、この幽霊を今後どうするのかについて考えていた。
「変な自説を聞かされる・プライバシーがない」などのデメリットはあるが、テストの時は助かるからな。
 雇ってみる(?)のも悪くないかもしれない。


 こんな思考をしてしまう自分が若干怖くもあった。普通なら幽霊なんて怪しげな物、即座にお断りだろう。
 だが、僕はかなり鈍感な人間で、そんな細かいことまでは気にならないのだ。


 少しぐらいは気にすべきだろうか。生前はどうだったとか、どうやって幽霊になったとか。
 「死は永遠に人を救うものだと思うの」と彼女は言っていたが、本当に救われたのだろうか?


 でも、それを聞くのは怖かった。
 何となくだが、僕はこの幽霊との関係を、悪くはないと思い始めていたのだ。
 いつまでも、とはいかないけれど、もう少しだけこのままでいたい……。


「ねぇ、そういえばさぁ……どうして屋上に来たの?」


 ふと、彼女が口に出す。


「ええと、それは……」


 僕は答えを出そうとする。けど、口の中にじんわりと苦味が広がって言葉にならない。誤魔化そうとして無理やり飲み込むと、それは全身に行き渡ってしまった。
 身体の中で声が反響する。どれだけ意識をそらしても、声は消えず、出口のない体の中を彷徨う。いっそ、このまま体を突き破って欲しかった。そうすればきっと、楽になれるはずだと思う。


「隠さなくてもいいわ。私は幽霊だからなんでも透け通しよ!
 好きな子に告白してフラれたんでしょ?」


「ええっ?! いや、違うよ!!」


 なぜなら、僕はまだ誰にも「好きだ」と言った事はないからだ。だから振られもしない。……ちょっと悲しい理屈だった。あと、透け通しって何?


「どうしてよ。フラれたんなら、相談にのってあげられるのに。なんなら、次の作戦も練ってあげるわ」
「どうしてお前の都合でフラれなきゃいけないんだ。それに、もしそうなったとしても相談なんかしない」


 間髪いれずに断ると、彼女は困ったように眉をよせた。


「ちょっと! 少しは考えてよ! それに、お前だなんてひどい! 私にはちゃんと名前が――あれ、何だっけ?」


 まるで電池が切れたかのように喋りが止まった。急に訪れた沈黙に、なんとなく居心地が悪くなる。
 彼女は額に手を当てると、頭の奥から記憶を引き出そうとするかのように指を動かした。しかし、いつまで経っても彼女の口からそれ以上の言葉は語られなかった。


「ひょっとして、覚えてないの?」
「うぅ……せっかく名前で呼んで欲しかったのに……おかしいわね……なんで思いだせないのかしら」


 しょんぼりと肩を落とす。そんな仕草を見ていると、なんだか名前がないのが可哀想に思えてくる。それに、名前がないと、どんなものも存在することができない。
 だからだろうか。僕は、彼女に存在を与えたくなった。まるで天地創造みたいだ。


「――ユキ」


 その言葉を徐々に体に染み込ませるように、ユキはゆっくりと顔を上げた。


「私の名前……ユキ?」
「そう。雪のように白いって意味だよ。似合ってると思うけど」


 すると、彼女の顔にぱっと大きな花が咲いた。幽霊だからユウってのは安易だし、レイコだと僕と名前がかぶるから、消去法で仕方なく残った名前だけど。


「わかってるじゃない!! もうこれは相思相愛ねっ、間違いなし!! やっぱり取り憑く相手はレイくんで正解!!」


 いや――早いとこ諦めて、他の人に取り憑いてくれないかな……。それに、僕、名前教えてないけど……あ、テストのとき見たのか?
 無駄に親しくなってしまったせいで出たため息と同時に、愚痴がこぼれてしまう。


「取り憑かなくていいよ。それに、恋愛なんて無理だよ。ユキは見るからに頼りなさそうだし」


 そう言うと、彼女は眉を吊り上げ抗議した。


「よく考えなさいよ。私は幽霊なのよ。他人の家覗き放題なのよ?
 だから、フラれた女の好みのタイプとか、悩みとか、いつもつけてる下着の色とか、なんでも教えてあげるのになぁ……」


 下着の色?! 確かにそれは興味があるな。
 クラスの委員長とか、保健の先生とか。
 ABC48みたいなアイドルなんかも……さらに言えば、アニメキャラの下着も見れるんじゃ?
 ユキの手にかかれば、二次元の世界に入るのだって朝飯前だろうし……。


「もしもーし? 顔が崩れてるよー」
「えっ……いやいや、何でもないよ」


 いけないいけない。つい怪しげな妄想のテントが膨らんでしまった。


「まっ、これで私のすごさがわかったと思うわ。どう? 私に任せる気になった?」


 ……どうしようか。
 僕は別に、告白してフラれたわけじゃない。でも、告白してフラれたくない人はいた。僕は今でも、その人のことで頭がいっぱいになることがある。温かさと同時に、胸をギリギリと締め付けるような感覚が蘇ることが。
 と、気がつくと彼女の顔が目の前にあった。


「ふふ……やっぱり気になる人がいるのね」
「え……ち、違うよ。これは……その……」
「隠さなくてもいいわ。
 私に任せておけば、若者が探している恋の秘密はすべて筒抜け。新しい恋に新しい風を。
 膨大な秘密を、ディレクターズカット版でわかりやすくお届けするわ」
「は……はぁ」


 何かシュールな言葉のせいでよくわからなかったけど、どうやらユキから逃れるすべはないらしいことはわかった。
 どうやら僕の高校生活の恋愛は、とんでもない形で始まってしまったようだ。



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