ニートは死んでも治らないっ!

史季

私を雇ってくれませんか?

 夏。
 照りつける太陽がコンクリートに反射して、空と地面の両方から僕を射抜く。
 相変わらず今日も暑い。いわゆる真夏日だ。


 こういう日は、冷房の利いた室内で昼寝をするのが正しい過ごし方だと思うし、実際そうしたかった。
 しかし、何故か僕は、昨日に引き続いて今日も屋上に来ている。


「早速、昨日の復習よ。NEETとは何だったかしら」


 この、いきなり頭が可哀想な質問をしているのは、幽霊の少女だ。
 顔立ちは整っていて、どちらかといえば美少女に入るんだと思う。
 雪のように白い肌に、腰まで流れる透き通った黒髪。まんまるの瞳を縁どる睫毛は長くて薄く、夏の日差しに融けてしまいそうな雰囲気を漂わせている。


 しかし、そんな見た目とは対照的に、彼女はよく喋った。健啖家という言葉が浮かんだが、あれは大食漢という意味である。
 性格もあけっぴろで、初対面の僕にも遠慮なく失礼な発言をした。本当に記憶喪失なのか疑いたくなるレベルだった。
 どちらかといえばおとなしく、窓際で静かに本を読んでいそうなタイプだと思っていたし、僕としてはそういう女の子の方が好みだった。


 そして今日も、会うや否や問題を出し、好き放題に話し始めている。


「よしよし、ちゃんと覚えたようね」
 昨日の話は『NEETのNは、natureのNでもあるのよ。だからNEETになるのは自然なの』という内容だった。
 そして今日、いきなり抜き打ちテストをしている。
 講義(?)はほとんど無視していたのだが、不思議と覚えているもので、難なく答えられた。要は、雇用されず、雇用される意志もないとニートらしい。


 彼女は僕の答えに満足したようで、柵の上から伸ばした脚を機嫌良くバタつかせている。動かす度に、制服のスカートの奥が見えそうになる。僕は少し恥ずかしくなって、辺りに目をそらす。
 ここは特別棟で、音楽や美術などの移動教室にしか使わないし、ましてや屋上だ。柵の向こうは旧体育館で、今はほとんど使われていない。
 だから、人なんて来ないはずなのだが、何故か周りの視線が気になった。


「こんなこと覚えて、将来何の役に立つの?」
「世の中の仕組みを知るためよ。正確には『運命』と呼ぶべきかしらね」
「……みんなニートになる運命だっていうの?」


 僕の発言を受けると、彼女は目を輝かせ、饒舌に語りだした。
 どうやらいけないスイッチを押してしまったらしい。


「そうよ。人間、就職活動続けていると、一周回ってやっぱりニートに帰ってくるの。
 もちろん、数々の難しいステップをこなしてからの原点回帰よ。
 自宅警備員からはじまり、徐々に難しくして、近所の人への挨拶も出来るようになって……、でも再びニートに戻る。
 ニートは深いわっ! みんなわかってないと思うけど、ニートになる原因の多くは、若者を育てる力を喪失した、日本社会にあるのよ!
 寛容さや余裕を失い、人を「勝ち組」「負け組」に峻別し、働く人への尊厳を忘れてしまった社会に!
 そんな慈悲のない社会と繋がるより、ニートになる方が人間性を大切にしてるといえるのよ!
 知識よりも人間性を求める社会の行きつく末は、ニートなの!!」


 夏の嵐のように一気に捲し立てると、彼女は真っ白い両手の指を合わせて、うんうんと頷いた。
 いや、僕は全然納得してないんだけどなぁ……。
 まぁ、僕が解る解らないに関係なく、彼女は上機嫌そうだから、どちらでもいいのだけど。機嫌よくないと、いつまでもわめき続けるからな。


 でも、何もやりたくないって気持ちはなんとなくわかる。
 僕はこの学校に入る時、勉強したいとか、部活を頑張りたいとか、恋愛したいとかの模範的欲求を抱くことはなかった。ただ単に自宅から一番近いから楽だなと思っていた。そのせいで周りの人間に引け目を感じていた。


 今後、やりたいことが見つからなかったら、僕も彼女の言うニートになってしまうのかもしれない。僕は自分が大人になった時、どんな仕事をやっているのかまるで思い浮かばなかった。そんな人間に仕事ができるのだろうか。
 それに、何もやりたくないと言う気持ちは誰にもわかってもらえない。
 周りから異端者扱いされた僕は、きっとこの社会での居場所をなくし、自宅から出られなくなってしまうかもしれない。


 そんな気持ちが自分のせいではなく社会のせいだとしたら、まぁ少しは救われるかもしれない。が、いずれにしろ、そんな人生を僕の責任において歩まないといけないのは事実だった。




 ◇◆◇◆




 僕は昨日の昼休みに、この幽霊に会って、謎の講義を受ける羽目になってしまった。
 昼休みはいつも、教室で弁当を食べていたけど、その日はちょっと教室から離れたくなって、屋上へ出ていた。
 屋上は何年か前まで立ち入り禁止だったそうだが、今では開放されてすっかり無法地帯となっている。お菓子の欠片や隅に転がっていたり、携帯用の枕が給水塔の下から覗いていたりしている。
 マンガの世界じゃなくても屋上は開いてるんだなぁと思いつつ弁当を食べていると、この女の子がやって来た。彼女は僕を見て逡巡すると「あなた、ニートでしょう?」と、そっ気なく言った。


 今思うと、学生服を着ている人間がニートであるはずがなく、もしかしたらあれは僕以外の誰かに言っていたのかもしれない。
 なるべく目を合わさないように頑張っていたがそれも虚しく、彼女はニートの説明をし始めた。時々適当に相槌をうっていると「わたしの言っていることがわかるのね?」と目を輝かせた。
 そして「私は幽霊なの。今日はあなたに伝えたい大事なことがあるわ」と口火を切った途端、一気呵成に捲し立て始めたというわけだ。


 あの子は一体誰なのか。幽霊とは何なのか。
 一人で何をしていたのか、どうしてあんなことを言ったのか。
 何よりも、儚げな外見と、どこか異世界に足を踏み入れたような感覚が身体に残っていた。
 その不思議な感覚の答えが知りたいと思ってしまった。


「じゃあ、今日は、死を体験してもらおうかな」
「……は?」
「だから、まずは頭の中の妖精を呼び出してみよーう!」


 そう言うと、いつの間にか手に持っていた小型ハンマーで、僕の頭を殴った。


「いってえ!!」


 まさか本気で殴るとは思っていなかったから、僕は何の防御もしなかった。しかし、そのまさかが起こってしまった。


「……あれぇ、おかしいなぁ。そろそろこの辺に白いモヤモヤが」
「出るわけないだろ! アニメや漫画の見過ぎだ!」
「うーん、魂が分離した方が好都合なんだけどなぁ……」
「無茶言うな。魂や霊魂は、マンガや宗教にしかないよ」


 ハンマーの素材は金属ではないらしく、勢いの割りに痛みは少ない。けど、粉落としや湯気通しをしたラーメンよりは明らかに硬い。
 そんな物でこれ以上殴られたらたまったもんじゃない。僕は、少ない知識を総動員させて、魂の存在を全力で否定した。
 しかし、僕が説得し終えると、彼女は、焦点の合わない目をした。


 ふと風が吹き、地面に落ちていたパンの袋が転がった。
 それとは対照的に、彼女の長い髪やひだ付きのスカートは、まるで動くことを忘れたかのように止まっていた。
 先程まで僕らを射していた太陽光も、いつのまにかすっかり隠れている。
 影に覆われた屋上は、どこか不気味だ。
 そして、彼女は小さく紡いでいた口を開いた。


「……じゃあさ、君は、人が死んだらどうなると思う?」


 今までと違う、ゆっくりとした口調で語られたのは、これまでとは違う真面目な話だった。
 いや、正確には「真面目な話に感じられるようになった」だろう。
 さっきまで下らない話をしていて、しかも急に難しい質問をされたからか、頭が真っ白になった。
 風の音がやけに遠くなる。


「ふふ……いきなり難しかったかな?」


 春先のタンポポみたいな笑顔で、それでいて、小さな子供をあやすような口調で言った。


「考えたことなかったからね」


 どういうべきか迷ったが、思ったままを口に出した。
 思ったことが正しいとは限らないし、とんでもない間違いになることだってある。
 特に、今の状況は、ほんの小さな刺激さえ危険な気がした。それでも、何か言わないと落ち着かなかった。
 僕のそんな不安をよそに、彼女は話し始めた(いつものことだが)。


「私は、死は永遠に人を救うものだと思うの。
 例えば、難病に罹って、寝ても覚めても、一日中苦しみ続ける人に安息を与えるような」
「その難病の例は、ただの殺人だと思うけど」
「そんなことないわ。
 人間には死を選ぶ権利があるし、だれかから死を貰う権利だってあるわ。
 死んではいけないというのは、生き残った人間の勝手な都合よ」
「そうかな……」


 僕は彼女の言葉をどう受け止めたらいいのかわからなかった。
 自分の中にある純粋な炎のようなものが、天から降った水にさらされたような気がした。儚く上がってくる煙をうまく吐き出せず、ただわだかまりが残った。


「人は、死によって救われるの」


 そこで、僕はふと疑問に思った。
 そういえば、彼女自身はどうなんだろう。幽霊ってのは、成仏出来てない霊魂のことだったような。
 ということは、彼女は死んだのに救われてないってことなんじゃ……。


「えっと……それはつまり……」


 言いかけて口籠る。あまり良くない想像が頭を走り回る。抑えようにも、とめどなく加速し、増長していく。
 僕は無理矢理別のことを考えようと、下に落ちていた視線を上げた。すると、彼女の笑顔が見えて、ますます混乱した。


 こうなってくると、もう悪いほうにしか考えられなくなる。僕の悪い癖だ。
 僕はただ、彼女の口が開くのを待った。綿のように柔らかく、ゆったりと空気に満たされることを願った。


「どうかな、もうそろそろ洗脳されちゃいそう?」


 いや、救われない人間がこんな嬉々としてるわけがない。
 というかこいつ、僕を洗脳する気だったのか? ニートや死についての考えを植え付けて、駄目な人間にするつもりだったのか?


 確かに、クラスにもそういうやつがいる。どうしようもない馬鹿で、周りの人間にまで馬鹿なことを話している奴。
 そして迷惑なことに、そいつの話を聞いている奴までも馬鹿になってしまうのだ。


「うーん……。その様子だと、まだみたいね。難しいわね」


 手を口元につけて、目を閉じてうーーんと唸っている。
 僕の心配をよそに、彼女は自分の世界に入り込んでいった。


「一説によると、悪いところを3つあげられなかったら、洗脳の可能性が高いらしいわ。きみ、私の悪いところ、3つあげられる?」
「わがまま、嘘つき、幼児体型」
「うっ……、間髪いれずに3つも言うなんていくらなんでもあんまりだわ! しかもよりによって私が一番気にしていることを……」
「人の話を聞かない、空気読めない、頭がかわいそう……」
「ああっもう!! わかったからそのへんでやめなさい!!」




◇◆◇◆




「で、結局、きみの目的は何?」
「私の目的は就職することよ」


 お前がニートだったのか。いや、ニートは就職しようとはしないんだっけか。確か昨日そんなことを教えられた気がする。


「幽霊が就職するってどういうこと? 神社とかで働くわけ?」
「あのねぇ――神社で働けるのはもうエリート中のエリートなのよ?
 彼らはみんな、霊になる前から神社への就職が決まってるの。だって、人間に対して最も影響力のある場所でエネルギーを使うんだもの。半端者がなったら人間社会は滅茶苦茶よ」


 僕の質問に、彼女は溜め息まじりに答えた。
 就職と言う表現があっているのかは謎だが、彼女の言うことには同意できた。
 僕だって、お賽銭をあげた神様が実は落ちこぼれだったりしたら嫌だ。お賽銭でパチンコとかやるかもしれないし。


「じゃ、就職って何?」
「とにかく、どこかに所属すればいいのよ。高校生だって、部活に入ってない人はニートって呼ばれるでしょ? 幽霊も同じなの」


 そうだったのか。部活やってないだけでニートとは、世の中も随分厳しくなったもんだ。最初に会った時に「あなたニートでしょう?」って聞いてきたのは、僕が部活やってないからか?


「で、所属先っていうのは、神社とかの場所でもいいけど、人でもいいのよ。守護霊って聞いたことあるでしょ?」
「うん、聞いたことはあるね」


 オカルト系のテレビ番組で、だけど。
 僕はその番組を見ながら、うさんくさいと思いつつも、どこがうさんくさいのかがよくわからなかった。「霊なんて存在しない」と思いつつも、具体的な反論が思いつかなかった。
 霊が存在する証拠は今の所ないが、科学的分析の精度が上がれば霊が見えるかもしれないからだ。素粒子と同じだ。だから、僕はうさんくささを感じつつも、最後まで見てしまっていた。
 その番組では、人間には必ず守護霊ってのがついていて、良いことをすると守護霊の恩恵を受けて人生が晴れ、悪いことをすると守護霊の導きが聞こえなくなると言っていた。


「守護霊になるには難しい試験も資格もいらないの。とにかく、憑く人との相性がよければOKなわけね。
『守護霊は先祖じゃなきゃダメ』って人もいるけど、血縁関係なんて元を正せば赤の他人だった男女が結婚して作るものなんだから、実は関係がないの」
「まあ、そうだね」


 僕はまたうなづく。何度もうなづいていると、自分の頭なのに自分の頭でないように感じてくる。
 実は腑に落ちない点がいくつかあったのだが、彼女のペースに合わせて相槌を打っているうち、どこが疑問なのかわからなくなってきたのだ。


「でね、ついさっき、良い就職先を見つけたの。
 やっぱりこういうのは悩んでたら駄目ね。スパっと決断しないと」


 話の行き先がつかめない僕に対して、彼女は上機嫌に話し続ける。
 このまま彼女に喋らせるのは良くない気がした。何せ急に殴るし、洗脳とか言い出すし、しまいには世界征服とか異世界ハーレムとか言いかねない。
 僕はこれ以上巻き込まれないために、反論を思いついた。


 しかし、口に出そうとしたその時、急に一陣の風が吹き抜けていった。
 風は、屋上の生暖かい夏の空気を僕の言葉と一緒に洗い流し、他の音をかき消した。僕は砂埃を恐れて目を瞑った。
 風の音が消えて目を開けると、やわらかな笑みを浮かべた彼女がいた。まるで風がくるのをわかっていたみたいに落ち着いていた。


 そんな圧倒的な雰囲気に圧されてしまったのか、僕は自然とこんな言葉を口に出していた。


「良い就職先って、どこ?」


 そう聞くと彼女は、スローモーションのような動きで右手をあげ、僕を指差した。
 雲の隙間から太陽が零れて、淡い光の粒が彼女を彩る。
 そして、幽霊少女の言葉が一つ。


「私を雇ってくれませんか?」



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