音を知らない鈴

布袋アオイ

#70 愚かな者よ

 風を切ったかのような感触。

 スカッとした心。

 この余韻ったら、何とも言えない程快感で、新鮮な血が頭から指先や足先、そして髪の毛までにも巡ったのではないかというくらい、一瞬の最も長い時間を手に入れたかのようだった。

 当の父親は、膝から崩れ落ち、バタンと倒れた。

 (情けない…)

 階段を全てすっ飛ばして降りたようで、不揃いに開いた足を閉じ、父親を見下ろした。

 開きっぱなしのドアの向こうから下弦の月が見えた。

 (今日も綺麗だ。)

 どうしてだろう、倒れた父親を見ても何にも思わない。

 月に目がいく余裕もあるし、美しいとも思える。

 世の中とは分からぬものよ。

 この出来事は私にとって必要な事なのであろうか。

 足元には転がる父親。

 このまま踏みつけてやりたい。

 こんなに憎いのは何故なんだろうか。

 どうしてこんなにこいつが憎いんだろうか。

 あぁっ!!この………ッこいつのッ……!!!

 「お姉ちゃん!!!!!」

 「アッ……」

 龍也が私の腕を掴んでいた。

 龍也の目も、母の目も見れない。

 絶対見られてはならない私を見せてしまった気がした。

 二人にどう見えていたのか分からないが、二人とも何も言わない。

 ただ握られた手は、思いっきり拳を握りしめていた。

 骨や血管が見える自分の手を見て、ゆっくり力を抜いた。

 手のひらには爪の跡ができたであろう感触。

 あぁ、どうすればいいんだろう。

 私も二人の記憶を操作出来れば…。

 (ッチ!!!こいつみたいな事考えるな!!)

 「お姉ちゃん!!!」
 
 龍也は私の僅かな力の入れ具合に反応し、握っていた腕をさらに強く握った。

 「………これは……」

 どう説明すればいいのか分からない。

 っていうか、この状況なに…?

 なんで倒れてんの?この人、起きろよ。

 あれ?私何かしたっけ…。

 

 

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