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音を知らない鈴

布袋アオイ

#58 生きるんだよ

 「すずちゃん…すずちゃん…!」

 (夜姫さんの声がする……)

 「すずちゃん………すずちゃん………!」

 (どうしてだろう…体が重い)

 「起きて……すずちゃん……!」

 (夜姫……さん……、どうして………)
 
 「明日……10時に…待ってるから………」

 (え…………)

 「明日……10時に…神社で……」

 (神社………?明日……………) 

 「うん…!すずちゃん………会おう………」

 (会え……る……夜姫さんに……会え……る)

 「……………………」

 



 「はっ!?!?」





 (ゆめ…………)

 窓の外からスズメの囀りが聞こえる。いつもより明るい朝だ。

 「わたし……寝てたのか………」

 昨日何をしていたのか全く思い出せないが、なんだか体中が痛い。

 「痛ててて……」

 特に首に激痛が走る。

 寝違えてしまったのだろうか。全身がだるい。

 「……」

 灰色がかっていた朝も、もうすっかり夏らしくなってしまった。

 蒸し暑さが日に日に増し、夜が寝辛くなってきた。

 (そういえば……)

 なにか大切な事を忘れているような感覚に陥った。

 「あれ……なんだっけ……」

 痛めた首を擦りながら、思い出せない記憶を頭の隅まで落ちていないか探した。

 自然と枕に目がいき、焦らずゆっくり記憶を辿る。

 「10時………明日…10時…………」

 (あれ…なんだっけ……)

 「……………あ!!!!」

 夢だ!夢で、夜姫さ……

 「夜姫さん………?」

 私はどうして片岡さんのことを夜姫さんと呼んだのだろう。

 それに、この響きが妙にしっくりくる。

 ずっと口にしていたかのように、違和感なく私の口から言葉になった。

 「や…ひ…………さ」

 うん、何故だろう。聞き覚えがある音だ。

 懐かしさまで感じる。

 偶にあるのだ。子供の時の感情が忘れた頃にひょんな事でフッと湧きあがり、悲しみや苦しみに襲われる瞬間が。

 その感覚が出ると一瞬子供の頃の自分に戻ったかのようで、成長した自分とは別の自分が姿を現す。

 心の奥に隠れていた幼い私が、急に今の私の心をぎゅっと掴んでくるかのように心臓が止まるような、ヒヤリとした気分になる。

 まさに今その感覚がした。

 私の場合、懐かしさが怖いのだ。

 何かが湧き出そうで、蘇りそうで、悲しみに引きずり込まれそうで。

 高校生の私を誰も助けてくれないような気がして。

 いや、実際子供の時ですら救われなかった。その思いが大きくなった現在にもトラウマのような薄暗い闇で残っている。

 ここに光を当てる訳にはいかない。

 その闇に包み込まれているものは、曖昧ながらも検討はつく。

 抑え込んで抑え込んで、もう一生見たくない。

 「待てよ…明日って……」

 心に多少乱れを感じつつも、頭は冷静だった。
 
 夢の中の明日。昨日の夜の明日…。

 つまり、明日は

 「今日だ!!」

 慌てて時計を見ると午前9時40分。

 今から15分で準備して、自転車を全力で漕げば、何とか間に合う。

 急いで飛び起き、適当な服に着替えた。

 ギリギリの目覚めのせいで、夢で呼ばれただけなのに、あたかも口約束をしたかのような気持ちで焦った。

 「遅れちゃう……!」

 確実な約束ではない、夢の中の話なのに、疑う事を忘れ必死で準備を済ませた。

 「よし!!!」

 予定より2分速く準備が済んだ。

 「行ってきまーす!」

 普段は出ないような声量で玄関を飛び出し、自転車にまたがった。

 慌てていたせいで、荷物ひとつ持たず、手ぶらのまま神社へと向かった。

 「ハァ…ハァッ…ハァ」

 行きは下り坂が多くて本当に助かった。

 一気に軽くなるペダルから足を離し、ちらっとスマホを見ると、時計は9時58分。

 (間に合う!!!)

 あの2分が効いた。これなら丁度10時に着きそうだ。

 「はっ…………」

 一安心し背筋を伸ばして軽くハンドルを握る。

 殆ど力を使わず、もう触れているだけのようなものだった。

 風が夏らしく気持ち良かった。

 田んぼの稲は青く、光沢のある葉は光を走らせる。

 私と同じように生きるエネルギーを皆で共有していた。

 そうこうしているうちに神社を囲む木々が見えた。

 木々も稲に負けず光を受けている。それはそれは美しかった。

 美しかったんだ。

 



 ガチャン!

 自転車に鍵をかけ、ゆっくりと鳥居をくぐった。

 やはり、時空が歪んでいるかのような不思議な空気の変化を鳥居を境に感じた。

 そして、拝殿へと向かう石の階段を登るにつれ、その不思議な空気は更に増し、別の世界に入り込んだかのように違和感が強くなる。

 ここまで来てようやくあの約束が夢の中であることに気がついた。

 なんて馬鹿なんだ。冷静になれば夢の中が現実に起こるなんてあり得ない。

 焦って準備する必要なんてなかった。

 きっといないだろう。そう思っていた。

 「…………!」

 「おはよ、すずちゃん」

 こんなことが起こるなんて。

 私はまだ夢の中にいるのではないかと思った。

 石段を最後まで上りきったとき、目の前にいたのは、女神のような
 
 「片岡さん…………」

 うん。にこりと前のような素敵な笑顔で頷いた。

 風になびく髪は前よりも長く細い。

 この人は、人間なのか…。疑いたくなるほど綺麗だった。美し過ぎた。

 自然と同等、いやそれに勝るほどの儚い美しさだった。

 この世で一番美しいものは自然だと思ってきた私にとって、片岡さんはそれをゆうに覆した。

 人はもしかすると美しいのかもしれない。

 「会えたね、すずちゃん」

 もう会えないと思った。この人も私を置いていくんだと思った。

 あの人のように…私を…ここに一人にするんだと……

 けれど…会えた…。

 会いたかった…。

 会えなかった…。

 でも…でも会えた…。

 「会えた…………」

 「うん、会えた」

 「会いたかった…」

 「私も」

 「どうして今まで…」

 「まだだめだと思ったから」

 「だめ………?」

 「うん」

 「寂しかった…」

 「ごめんね、すずちゃん」

 「……」

 「さ、何から聞きたい?」

 なんとなく、楽しそうな様子だった。

 どんなことでも知っている、そんな自信を感じた。

 「………」

 「何でもいいよ」

 「………」

 「じゃあ…」

 怖い…でも…伝えないと。もう分からないで終わらせたくないんだ。

 「あなたは…誰……」

 「フフッ」

 肩をすくめ、可愛らしく彼女は笑った。

 「さすがすずちゃん、堅実な責め方だね」

 「……」

 「……………」

 二人の間に風が吹く。

 「私とあなたは同じ、ここで修行をした身。まだ忘れているの?すずちゃん。あなたの名前は楠木鈴音、楠木仁の孫よ」

 「………」

 「そして私の名前は片岡夜姫。分かるでしょ」

 「片岡…夜姫…」

 「そう、夜姫…」

 「や………ひ……」

 「仁さんの姉弟子…いや、私達に姉も妹もないわね」

 肩で呼吸をし、顔を上げ、風がぐるりと神社を一周した。

 ザワザワ…! 

 踊るような木の葉の音、迸る光の矢。

 まただ、この人はいつも映画のような鮮やかな世界を作る。

 そして胸をはって溢れかえる自信とともに言った。

 「私はあなたを守る為にいる!すずちゃん!私があなたを守ってみせる!!この神社に誓って!だから、安心して!!」

 神様………これは一体何なのですか………?

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