音を知らない鈴

布袋アオイ

#55 出会えた

  キーンコーンカーンコーン…

 今日の授業が全て終わった。

 案の定、返されたテストの点数といえば酷いものだ。

 どうしてこんなにろくでなしなんだろう。

 もう今は昔のような演技での馬鹿ではなくなってしまった。

 本当に馬鹿なんだ。

 というより、私は心のどこかで自分は馬鹿ではないと思っていたのかもしれない。

 本当は賢いんだって。

 でないと、今のギャップがこんなに辛いはずがない。

 理想通りと受け入れられるはずなのに。

 馬鹿を演じなくても…私は…

「楠木、ちょっと神社寄らないか?」

 今思いっきり落ち込もうとしていたところに金木君の声が入ってきた。

 閉じこもってシャットアウトしたかったのに…

 「え?何て?」

 「久しぶりにゆっくり話したい。あの神社で」

 「え?」

 「無理なのか?」

 どうせまた神社に行こうと誘ってくるのだ。金木君は、どうせ。

 断ったとしても、私の気持ちなんてまるで察しないから。

 なら、今日済ませておこう。

 こんなことで悩んでられないんだから。

 「……分かった」

 なつは今日から部活が再開。心細かったが、私は金木君と二人きりで帰った。

 久しぶりの空気。午後に帰り道を自転車で通るのは久しぶりだった。

 夏とあってか日は落ちず、神社は清々しい空気を帯びていた。

 日が落ちるのが早ければ、もう少し早く解散できただろうに。

 どうしてわざわざ神社に来る必要があるのか、さっぱり分からなかった。
 
 この場所であることに何か意味が?

 しかし、二人でここで話した事なんかあっただろうか。どこまで記憶を遡ってもここで過ごした記憶に金木君はいなかった。

 「なんか久しぶりに来たなぁ」

 「……」

 ゆっくり石段を登り神様がいる場所へと歩いた。

 やはり、金木君にとってもここは馴染みの場所なのだろうか。

 神社は好きだが、人と来ると妙に落ち着かない。一人でいる時はここほど落ち着く場所を知らないが、側に誰かがいると無言になってしまう。

 あまりはっきりとした感情は分からないが、気持ちとしては心を抑えているようだった。

 どうも自分をさらけ出すことができない。

 そう、緊張感が漂うのだ。

 「お前はよく来るのか?」

 「ん、ううん。あんまり」

 ここに来ることがバレてしまうと、一人でいられる空間が消えてしまうかもしれない。私にとって大切な時間は、家の中ではない。ここなのだから。

 「そっか…とりあえず、お参りするか」

 「そうだね…」

 お互い財布から何円出すか相談しあい、十五円に決めた。特に語呂はかかっておらず、一枚だけでは音が鳴らない為、なんとなく十五円になった。意味を持たないお金たちは放物線とまではいかない曲線を描いて、底の見えない箱へと転がっていった。

 小銭の行く末を暫く見ていたら、頭の上から大きな音がした。

 驚きのあまり背中がビクリと動いた。普段は鳴らさないせいで鈴を鳴らすことをすっかり忘れてたいた。

 金木君の性格からして別に変わったことをしたわけではないのだが、あまりにも大胆な鈴の音にドン引きしてしまった。

 「うぉ…」

 「どした?鳴らせよ」

 「…」

 こんなに紐が太かったことに驚いた。そして、紐を揺らし鈴を鳴らそうとするが、僅かに紐を引っ張るだけでは全く音は響かなかった。

 「え?」

 「鳴らない…」

 「下手だな、お前は」

 「はぁ」

 「こうやって振らないと鳴らないぞ」

 金木君は私の手の上で紐を持ち、大きく引っ張った。

 私に似合わない大きな音に何故か恥ずかしくなった。そんなに存在を明らかにしようとしないでくれ…

 分かっている。本来なら手が触れてしまうことにドキドキするんでしょ。でもそんなことより今は神様に謝りたくて仕方がない。

 寝ているかどうかなんて分からないが、仮にこの音で起こしたのなら申し訳ない。

 私の青春はこんな風に、知らない間に通り過ぎてしまうのだろうな。恋なんて、分からない。男の子と二人っきりであろうと、気怠い気分になっていく。

 恋は甘酸っぱいレモンの味って、それを知っている人は、なんて素敵な心を持っているのだろうか。

 参拝を済ませ、大きな音をたてたことを軽く謝り、すぐに顔を上げた。隣を見ると、金木君は意外にもまだ目を閉じて拝んでいた。

 普段の私も人より少し長めに拝む。色んなものを感じるために。それも、一人の時は。

 人がいると、どうしても恥ずかしくて顔を誰よりも早く上げてしまう。

 金木君の堂々と長い参拝をするところに、一欠片の感動と尊敬、そして懸念を感じた。

 そして彼は深い深呼吸をし目を開いた。

 「お願いしちゃったな」

 「え…」

 通りで長いと思った。相当なお願いだろうなと思ったが、聞きはしなかった。

 「座ろうぜ」

 「うん」

 そう言って拝殿の階段横の陰に腰掛けた。

 いつも私が座る場所。町が一望できる場所。秘密のお気に入り場所を知られてしまったみたいで、どこか悲しかった。

 「あのさ、お前ここ昔っから好きなの?」

 「え?」

 「お前がここに来てるの何回か見たことあるんだ。それも一人で」

 どうやらバレていたらしい。ここは私が唯一自分でいられる場所。それを知っているということは他人には見せられない私を知っているのではないだろうか。

 「わたし…」

 ここで一体どんな私を見たのだろうか。聞きたいが怖くて聞けない。それに私の記憶は曖昧に仕立てられ、幾つもの嘘でできている。

 これは、絶対に嫌だが、私の知らない私をもし知っているとしたら。

 私のこと何も知らないでいて欲しい。知ろうとしないで欲しい。

 私は彼に気付かないように着々と見えない壁を作った。これは本能的な防衛心。私は金木君に心を開くつもりなんてさらさらない。

 「あのさ…」

 「なに…」

 「前に初恋の話しただろ?」

 「あ、うん」

 「あの話聞いてなんか思わなかったか…」

 「え?別に…」

 「はぁ、何でかなぁ」

 「…」

 呆れた声で金木君は頭を傾げた。

 「あの話、お前のことだよ」

 「え…」

 「そんな覚えてないの?俺には結構一大事に見えたぞ」

 「ごめん…覚えてない」

 「本当かよ…」

 「うん」

 なんせ記憶を操られてしまっているのだから!なんて言えやしない。

 「俺、あの時お前を助けられなかった。見ていないふりしちゃったから、今更だけど助けてあげられないかなって…思ったんだけどな…忘れてんだもんな」

 「うん。だからいいよ、気にしなくて」

 「でもな…」

 「私が覚えて無いんだもん。だから大したことなかったんじゃない?そもそも人違いかもしれないし」

 「いや、確かにあれはお前だったんだよ。他にいねぇよ。神社に通う小学生なんて」

 「そうかなぁ」

 「なぁ、隠してるのか?」

 「ううん、全然。思い出せないだけ。いいよ私のことは」

 「だってあんなに泣いてたし、俺に出来ることがあれば…」

 「いい…本当に」

 「俺はあんなに泣いてたお前を忘れられないんだよ!なんで泣いてたんだよ…俺には言えないのか?」

 段々と金木君の声が大きくなりだした。何に必死なのか全く分からない。それに…ムカつく。

 「お前本当に思い出せないのかよ…あの木の下で蹲って泣いてたんだぞ!?」

 「あの木の下…」

 この神社で一番大きな松の木だった。

 どうしてこの記憶までも消えているのだろう。

 「お前が何かを持って泣いてたんだ。嫌だって…捨てるって…」

 捨てる…………

 あの松の木の下に…捨てる…何を…

 チリリーン

 また鈴の音…

 気のせいだろうか、松の木に光の柱のようなものが見える。

 「はっ………」

 目に飛び込んできた風景は確かに女の子が蹲っている。柔らかな光に映りきらない程、透明な女の子。

 体を震わせて何かを握りしめている。

 「これは…」

 「楠木?」

 チリリーン

 二度目の鈴。

 「うぅっ…ヒクッ…うぅっ…」

 今度は泣いている声が聞こえる。

 「ごめんなさい…ごめんなさい……」

 女の子は小さな声で謝っている。胸に握りしめている何かを当て、ずっと泣きながら謝っている。

 その様子に心臓が反応した。

 分かっている。透き通るような彼女を現実のものだと思ってはいない。

 今私が見ているのは幻想。早く現実に戻りたかったが、どうしてもその子から目が離せない。

 少しでも目を逸らせば、跡形もなく消えてしまいそうだった。

 「おとうさん、おかあさん、たつや、ごめんなさいっ!」

 なるほど…この名を言う、つまり…私なのね。

 最初から気付いていた。昔の私だ。そうにしか見えない。この子は…わたし…なのね…。神様…

 一人の時に見せてくれれば良かったのに…

 「なんで…いま…」

 こんなの見せられたら泣くに決まっている。押し込めていた思い出がリアルに蘇る。読めなかった字がどんどん読めてきて、理解できていなかった本が初めて意味を理解した時のように、今映っている物語は辛く悲しい。

 思い出すべきではないページだった。決して読み返してはならないページだったのだ。あえての表現がこんな感じで伝わってくるなんて。

 もう、涙は何にも逆らうことなく流れていく。

 次々とめくられるページは思考を働かせずとも理解できてしまうのだ。

 「わたし…ここで泣いてたんだ…」

 「思い出した…のか?」

 「ここで、ここに捨てたんだ…」

 「え?何を」

 「私の鈴」

 「鈴?」

 「聞きたくなかった」

 「……」

 「そう…だったんだ…」

 拝殿を降り松の木へと慎重に歩みを進めた。この際折角見えているページなのだ。先に進めてしまおう。心が壊れそうだとしても、今なら大事なことを思い出せるかもしれない。

 「すず…」

 「お、おい!」

 彼女が、消えてしまわないように静かに静かに進んだ。

 「すず…すず…!」

 「どうしたんだ!?」

 届く!!思い出をめくれる!!

 彼女に手を伸ばし触れられそうになった。

 チリリーン

 「はっ!?」

 鈴の音!?

 目の前で蹲っていた可愛そうな少女が鈴の音と共に消えた。

 「嘘でしょ……」

 「楠木!!どうしたんだ!急に」

 「思い出したかもしれない…私ここで」

 「おい…泣いてんのか…?」

 「私…私ここに埋めた!!」

 「えぇ!?何を??」

 「鈴」

 「ん?」

 「私埋めたの!ここに大切な鈴を!!」

 私は私に栞を置いてくれていた。頭の中に鈴を埋めた記憶を添えてくれたのだ。

 さっきまでいた彼女の辺りをじっくり見渡し、鈴を探した。

 小学生の私が深く掘るとは思えないし、忘れ去ってしまうのは怖かったはずだ。分かりやすいように、いつでもまた手に取れるようにしている気がする。

 地面の草花を掻き分け鈴を探した。

 「楠木!!」

 「あ…!?」

 雑草の隙間から光の粒が私を呼んだ。

 それに気づくと草花は体を倒し、見つけられたねと笑いながら、もう隠す必要がなくなったことに安堵していた。
 
 土の中から緩やかなカーブをした煌めく色の塊が見えた。

 土を除け、掘り進める。

 チリリーン

 産声をあげるように顔を出した鈴が、新品のように輝きを放った。

 「あった…」

 「すず…?」

 「うん」

 この手に収まる感覚。私はこれをずっと持っていたんだ。埋めていた理由までは分からないが、この鈴からはとんでもないほど安心が流れ込む。

 劣化していない鈴に更に記憶を蘇らせれるだろう期待とこの神社の本来の力を手から感じた。
 
 「良かった…良かった…」

 いつだったか昔の私もこうして気持ちを落ち着かせていたのだろう。

 出会えた一つの音色を握りしめ、胸にあてて言った。

 「ごめんね…」

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