音を知らない鈴
#52 月のない夜に涙は光らない
「直彦!!お前何をしているんだ!!」
「おとうさん……」
「おい!大丈夫か!目を覚ませ!!」
親父はまるで俺が大罪を犯したかのような厳しい目つきで俺を見た。
「何をしたか分かっているのか!!」
初めて、親父の怒声を聞いた。
だが、俺は自分が何をしてしまったのか全く分からず、何も言葉が出なかった。
俺の足元で倒れているおふくろを見ても、何も感じなかった。あの時は何故倒れているかも最初は分からず、状況が把握できなかった。
親父はおふくろを起こそうと肩を揺すったり、軽く頬を叩いたりしている。
「だからお前を修行させると言ったんだ!!最初からこうなると思っていたんだよ…!」
「…………」
「いいか!よく聞けよ直彦!」
親父は歯を食いしばりながら、こぼれ落ちそうな涙を必死に堪え、俺から目を離さずにこう言った。
「お前の力は記憶をかき消してしまうことだ!今お前がお母さんにやったのは、記憶を消してしまおうとしていたんだぞ!」
「……」
おかあさんがそれを望んでいた…では許されないのか。
「俺がお前を修行させたかったのは、お前を苦しませる為なんかじゃない!!!お前が力をコントロールして、人を傷つけさせない為だ!!!あれ程言ったのに…何で今まで使えなかった力を…ここで使ってしまうんだ!」
「ぼくのために…」
「そうだ!!どちらにせよ早めに自覚させておくべきだった…」
「ぼく……ぼく……」
「この際だから言っておくが人の力は霊力だけでは無い!そして一番最強であるのも決して霊力を持っている人間ではないんだ!力を自覚していなかったお前が、力に目覚めたのは計り知れない程の感情だ!」
「かんじょう…」
「感情は姿形がなくいくらでも存在する!自分ひとりでは計り知れない程の力が感情から生み出されてしまうんだぞ!それをお前はコントロールできると思っているのか!?」
計り知れない程の感情、俺はあの瞬間、芽生えたことがない感情に身を任せ、コントロールができないまま力を使ってしまった…ということか…
「見てみろ!!お母さんが……」
一筋の涙はどこかに消え、苦しみ一つ感じさせない穏やかな顔で目を閉じていた。
「お前はどこまでの記憶を消してしまったんだ…!」
「記憶を消す…」
おかあさんは、何もかも忘れたいと言っていた。それが悔しくて…腹が立って…俺は…俺は………
さすがに分かった、俺がおふくろの記憶から家族を消してしまったことに。
俺じゃないような体が次第に俺の体であることを自覚しだした。
掌が熱く血の流れを指先まで感じた。
一度も持ったことがないが、まるで人を突き刺した後の刃物を握りしめているかのように、俺の手から罪深き現実が感覚として蘇ってきた。
「ぼくは…」
やっと俺はおふくろを傷つけたことに気がついた。目を瞑るおふくろに、もう俺たちはいない。おふくろと過ごしたかけがえのない、戻りもしない時間や思い出を、俺は消してしまったんだ!
おふくろの優しく、温かい笑顔が頭を過ぎる。それと同時に、俺のことを忘れてしまったおふくろの顔も浮かび上がる。
小学生の小さな体では抱えきれない現実が騒がしい音で波のように襲いかかってくる。
「いやだ……」
「直彦……」
「いやだ…いやだいやだいやだ!!!」
現実の荒波は例え子供だろうと容赦はしなかった。
「おかあさん!起きてよ!!!」
「やめろ…直彦」
俺は涙を流しながらおふくろの肩を何度も何度も揺らした。
「目を開けてー!!おかあさん!!!忘れないで!!!ぼくのこと忘れないで!!!」
「やめなさい!直彦!」
「いやだ!!ごめんなさい!!!おかあさん!!!ごめんなさい!!目を開けて!!!いやだ…いやだーー!!!」
「直彦!!!!」
「ウゥッ……おかあさんっ!なんで…」
「もうだめだ…暫く眠るだろう。またいつか目を覚ます。その時謝ろう…な、直彦」
謝りたかった…全部無かったことにしたかった。時間が巻き戻れば良かった。夢であってほしかった。俺の力は、最悪な力だった。無いほうが良かった。
泣き崩れる俺の肩を親父は優しく、強く抱えてくれた。どれだけ泣いただろうか。ただ俺はこの時、最低な人間であることを知ったんだ。
俺は、最低だよ。
あれから数日、おふくろは安らかな顔で眠り続けた。飲まず食わずで次第に細く、顔色も悪くなっていった。親父はいつか必ず目を覚ます、だから心配するなと俺を励ましてくれた。
本来記憶をかき消そうとすると、人は新しい情報を得ないために眠ってしまうらしい。しかし、記憶が整理された時必ず目を覚まし、何事も無かったかのように新しい日々を過ごしていくのだ。
親父は全てを話そうとはしなかったから、これは俺の憶測だが、家族という深い関わりを持った人間を消してしまう霊力をかけられたおふくろは、数多くの思い出から俺たちを消す為にこれだけ長い時間眠っているのだろうと思った。
一刻も早く目を覚まして、ご飯をたくさん食べて欲しい。そして、謝らせて欲しい。
「直彦、明日知り合いの医者にお母さんを診てもらうよ。栄養を送り込んでもらう。大丈夫、きっと目を覚ますよ」
「うん…」
若干の緊張が解け、いつか絶対に謝る。そう決心して深い夜を迎えた。
新月の夜、辺りは一番の光を失い寂しい夜を迎えた。
俺はおふくろの側でおふくろの手を握りしめながら夢を見た。
おふくろが目を覚まし、俺を不思議そうに見ていた。夢だからだろうか、俺はおふくろと眠っている俺を見ていた。
すると、おふくろは俺の頭をさすり小さな声でこう言った。
「ごめんなさい、お邪魔してたのね」
家族にかける言葉でないことに俺は全てを察した。
静かに俺を起こさないように立ち上がるおふくろ。
「帰らなくては、ありがとう」
一体どこへ…ここが家であるというのに…
「お邪魔しました…」
そう頭を下げ、優しい存在は暗闇の中へと消えてしまった。
悲しい夢から目を覚ました俺の手のひらは空っぽで、寂しそうに開いていた。
温もりを感じない手。
もう…二度と…会えない…
「うっ…うわぁぁーーーーー!!!!!」
「どうした!?直彦!!」
俺は……俺は何も救えなかった…!
もうあの人は戻ってこない!!なんてことをしたんだ!!
記憶を失った優しいおふくろは、俺たちにお世話になっていると感じ出ていったんだ。
おふくろの居場所は記憶の中でしか分かることができなかったのに…俺は…俺はそれごとっ!!!
どれだけ泣き叫んでも、暴れ回っても、おふくろは駆けつけてはくれない。
ごめんなさい……ごめんなさいっ…
「おとうさん……」
「おい!大丈夫か!目を覚ませ!!」
親父はまるで俺が大罪を犯したかのような厳しい目つきで俺を見た。
「何をしたか分かっているのか!!」
初めて、親父の怒声を聞いた。
だが、俺は自分が何をしてしまったのか全く分からず、何も言葉が出なかった。
俺の足元で倒れているおふくろを見ても、何も感じなかった。あの時は何故倒れているかも最初は分からず、状況が把握できなかった。
親父はおふくろを起こそうと肩を揺すったり、軽く頬を叩いたりしている。
「だからお前を修行させると言ったんだ!!最初からこうなると思っていたんだよ…!」
「…………」
「いいか!よく聞けよ直彦!」
親父は歯を食いしばりながら、こぼれ落ちそうな涙を必死に堪え、俺から目を離さずにこう言った。
「お前の力は記憶をかき消してしまうことだ!今お前がお母さんにやったのは、記憶を消してしまおうとしていたんだぞ!」
「……」
おかあさんがそれを望んでいた…では許されないのか。
「俺がお前を修行させたかったのは、お前を苦しませる為なんかじゃない!!!お前が力をコントロールして、人を傷つけさせない為だ!!!あれ程言ったのに…何で今まで使えなかった力を…ここで使ってしまうんだ!」
「ぼくのために…」
「そうだ!!どちらにせよ早めに自覚させておくべきだった…」
「ぼく……ぼく……」
「この際だから言っておくが人の力は霊力だけでは無い!そして一番最強であるのも決して霊力を持っている人間ではないんだ!力を自覚していなかったお前が、力に目覚めたのは計り知れない程の感情だ!」
「かんじょう…」
「感情は姿形がなくいくらでも存在する!自分ひとりでは計り知れない程の力が感情から生み出されてしまうんだぞ!それをお前はコントロールできると思っているのか!?」
計り知れない程の感情、俺はあの瞬間、芽生えたことがない感情に身を任せ、コントロールができないまま力を使ってしまった…ということか…
「見てみろ!!お母さんが……」
一筋の涙はどこかに消え、苦しみ一つ感じさせない穏やかな顔で目を閉じていた。
「お前はどこまでの記憶を消してしまったんだ…!」
「記憶を消す…」
おかあさんは、何もかも忘れたいと言っていた。それが悔しくて…腹が立って…俺は…俺は………
さすがに分かった、俺がおふくろの記憶から家族を消してしまったことに。
俺じゃないような体が次第に俺の体であることを自覚しだした。
掌が熱く血の流れを指先まで感じた。
一度も持ったことがないが、まるで人を突き刺した後の刃物を握りしめているかのように、俺の手から罪深き現実が感覚として蘇ってきた。
「ぼくは…」
やっと俺はおふくろを傷つけたことに気がついた。目を瞑るおふくろに、もう俺たちはいない。おふくろと過ごしたかけがえのない、戻りもしない時間や思い出を、俺は消してしまったんだ!
おふくろの優しく、温かい笑顔が頭を過ぎる。それと同時に、俺のことを忘れてしまったおふくろの顔も浮かび上がる。
小学生の小さな体では抱えきれない現実が騒がしい音で波のように襲いかかってくる。
「いやだ……」
「直彦……」
「いやだ…いやだいやだいやだ!!!」
現実の荒波は例え子供だろうと容赦はしなかった。
「おかあさん!起きてよ!!!」
「やめろ…直彦」
俺は涙を流しながらおふくろの肩を何度も何度も揺らした。
「目を開けてー!!おかあさん!!!忘れないで!!!ぼくのこと忘れないで!!!」
「やめなさい!直彦!」
「いやだ!!ごめんなさい!!!おかあさん!!!ごめんなさい!!目を開けて!!!いやだ…いやだーー!!!」
「直彦!!!!」
「ウゥッ……おかあさんっ!なんで…」
「もうだめだ…暫く眠るだろう。またいつか目を覚ます。その時謝ろう…な、直彦」
謝りたかった…全部無かったことにしたかった。時間が巻き戻れば良かった。夢であってほしかった。俺の力は、最悪な力だった。無いほうが良かった。
泣き崩れる俺の肩を親父は優しく、強く抱えてくれた。どれだけ泣いただろうか。ただ俺はこの時、最低な人間であることを知ったんだ。
俺は、最低だよ。
あれから数日、おふくろは安らかな顔で眠り続けた。飲まず食わずで次第に細く、顔色も悪くなっていった。親父はいつか必ず目を覚ます、だから心配するなと俺を励ましてくれた。
本来記憶をかき消そうとすると、人は新しい情報を得ないために眠ってしまうらしい。しかし、記憶が整理された時必ず目を覚まし、何事も無かったかのように新しい日々を過ごしていくのだ。
親父は全てを話そうとはしなかったから、これは俺の憶測だが、家族という深い関わりを持った人間を消してしまう霊力をかけられたおふくろは、数多くの思い出から俺たちを消す為にこれだけ長い時間眠っているのだろうと思った。
一刻も早く目を覚まして、ご飯をたくさん食べて欲しい。そして、謝らせて欲しい。
「直彦、明日知り合いの医者にお母さんを診てもらうよ。栄養を送り込んでもらう。大丈夫、きっと目を覚ますよ」
「うん…」
若干の緊張が解け、いつか絶対に謝る。そう決心して深い夜を迎えた。
新月の夜、辺りは一番の光を失い寂しい夜を迎えた。
俺はおふくろの側でおふくろの手を握りしめながら夢を見た。
おふくろが目を覚まし、俺を不思議そうに見ていた。夢だからだろうか、俺はおふくろと眠っている俺を見ていた。
すると、おふくろは俺の頭をさすり小さな声でこう言った。
「ごめんなさい、お邪魔してたのね」
家族にかける言葉でないことに俺は全てを察した。
静かに俺を起こさないように立ち上がるおふくろ。
「帰らなくては、ありがとう」
一体どこへ…ここが家であるというのに…
「お邪魔しました…」
そう頭を下げ、優しい存在は暗闇の中へと消えてしまった。
悲しい夢から目を覚ました俺の手のひらは空っぽで、寂しそうに開いていた。
温もりを感じない手。
もう…二度と…会えない…
「うっ…うわぁぁーーーーー!!!!!」
「どうした!?直彦!!」
俺は……俺は何も救えなかった…!
もうあの人は戻ってこない!!なんてことをしたんだ!!
記憶を失った優しいおふくろは、俺たちにお世話になっていると感じ出ていったんだ。
おふくろの居場所は記憶の中でしか分かることができなかったのに…俺は…俺はそれごとっ!!!
どれだけ泣き叫んでも、暴れ回っても、おふくろは駆けつけてはくれない。
ごめんなさい……ごめんなさいっ…
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