音を知らない鈴

布袋アオイ

#51 僕はおかあさんを救えると思った

 あれは俺が小学三年生の時だった。
 
 俺は、自分には特別な力があることを知ったのだ。

 「あなた!もういい加減にして」

 「何がだ」

 「何度も言ってるでしょ!?直彦に修行なんてさせないで!」

 「あいつには力があるんだ…見過ごす方があいつの為にならん」

 「それであの子が苦しんだらどうするの!?責任とれるの!?」

 「……あいつなら大丈夫だ…」

 「何の根拠もないのにそんなこと言わないで!あの子はあなたが思っているより強くないんだから!!」

 親父とおふくろはいつだって喧嘩をしていた。

 その内容は毎回俺の事…。

 親父は昔から霊力があると言っていた。

 小学生の俺にはサッパリ分からず、いつも聞き流していたが、小学生三年生になった年、親父は俺に改めて修行するように言ってきた。

 修行…聞いただけでも厳しそうで、遊び盛りの俺は絶対にやりたくなかった。

 ある日、しつこく修行をさせようとする親父が怖くなり、おふくろに相談した。

 普段俺にはおしとやかで怒ったところなんて見たこともなかったおふくろが、俺の話を聞いた途端、血相が変わった。

 「なんですって……」

 「お父さんが修行しろって…」

 「本当に!?本当にお父さんがそう言ったのね!?」

 両肩をガッシリと捕まれ、目を見開き、気が狂ったように瞳孔が揺れていた。

 いまでもあの顔は忘れられない。

 おふくろのことを嫌なように言いたくないが、まるで妖怪だった。

 「う、うん……でもお母さんにはないしょって…」

 「そう……直彦、お父さんはどこ」

 「拝殿のほう…」

 「分かったわ、あなたはここにいなさい。いいわね」

 「え…」

 「お父さんと二人で話したいから」

 そう言っておふくろはエプロンをはずし、足早に拝殿へと歩いていった。

 閉められず、開ききったドアが風で微かに動いている。

 キーキー

 きしむ音が寂しそうに鳴いている。

 一人ぼっちになった俺。

 ドアの音が次第に不気味に聞こえだし、耐えきれずにおふくろ達がいる方へこっそり向かった。

 拝殿まで気づかれないように走り、二人を探したが姿が見えなかった。

 一人ぼっちの空間が余計に広くなり、泣いてしまいそうだった。

 「おかあさん……」

 立ち尽くしどうしていいか分からずにいた。一人っ子の俺は一人が一番苦手だったんだ。

 足元のスズメは木の実を咥えて飛び回っている。俺はそれをじっと見ていた。

 それから1分程ぼーっとしていた。

 すると柔らかい風が吹いたんだ。春の優しい暖かさを連れて。

 そして風がスズメ達にとって飛立つ合図だったかのように、一斉に羽ばたいた。

 空に向かって飛んでいくスズメを見て、涙もスッと引っ込んだ時だった…

 扉が開いたかのように、さっきまで聞こえなかったおふくろの声が聞こえた。

 やっと見つけられることに安心し、またもや涙が出そうだったが、今度は違う意味で引っ込んだ。

 「怒ってる…」

 おふくろの声は真夜中の狐のような声をしていた。

 「あれ程直彦には修行させるなって言ったのにどうして約束を破るの!?」

 「……」
 
 「直彦には普通の人生を歩んで欲しいの!!何も優れる必要なんてない!!!」

 「だがな…!あれを放っておく訳にはいかないだろ…分かってくれ、頼むから…!」

 「分かりません!!あなたは直彦が苦しんでもいいというの!?」

 「そうとは言っていない!だが、少しの犠牲は人生誰にでもあるものだ…」

 「そんな……そんな事ない!!私達の代で終わらせるの!そう決めたでしょ!?」

 「お前も目を覚ませ!あいつには、あいつにしかできない力があるんだ!それも特別な力だ。それを蔑ろにすることの方がよっぽどあいつを苦しめる」

 「…いいわ…苦しむなら苦しめばいい!」

 「おかあさん………」

 俺が苦しめばいい…

 「でも絶対に直彦までお父さんのような同じ道を歩ませないッ!」 

 「それは俺が守る…」

 「無理よ、あなたには。お父さんすら守れなかったのに…」

 「……」 

 「……ごめんなさい…でも、もしあなたがそんな考えなら私は出ていく」

 そんな……

 「いやだ……」

 「普通じゃない直彦なんていらない!!!!」

 パキン

 「ハッ!?」

 「直彦……」

 「ぼくは…いらない…」

 「直彦!!」

 「おかあさん……ぼく…いらない…」

 「違う…違うわ!」

 「ぼくが普通じゃないから…」

 俺は頭が真っ白だった。おふくろの顔なんて見えないほど。ただ親父が頭を抱えていたのはなんとなく覚えている。

 「ごめん…直彦!ごめんね!!今のは違うの…!訳があって」

 「そうだ、直彦。これは俺が悪いんだ。お母さんは悪くない」

 いらないと言っておいて、吐き捨てておいて…悪くないのか…

 その時俺は自分の中にもう一人の自分が見えた。前髪で顔を隠し、俯いている俺。何も見ないように、気付かないように目を隠している自分。

 誰も信頼していないかのように黙って、聞く耳もたてない。

 そんな俺に俺自身が手を差し伸べ、触れようとした…

 体を前のめりにしてまで伸ばした手が、もう一人の俺に届こうという紙一枚程の距離で…

 俺は消えた。

 気づけば俺の視界は真っ暗だった。

 ここにずっといた俺と、さっきまで寂しくて泣いていた俺が入れ替わったかのように、見える景色が違っていった。

 冷たい海の底のように音もなく、寂しい空間が地球の果てまで続いているかのようにそれまで見えていた日常は跡形もなく消え、俺は何一つ希望が見えなくなった。

 肩に若干の衝撃。おふくろが俺の肩を揺さぶり涙を流していた。

 「直彦!!直彦!!」

 俺の名前を呼ぶおふくろ。しかし、一番聞いているはずのその名前は他人事と化して俺の耳まで届くことはなかった。

 俺自身を表す言葉なはずなのに、別人を指しているみたいだった。

 遠くを見る俺におふくろはショックを受けて、俺の肩から手を降ろした。

 「はぁ……こんなことになるなら、子供なんて産むんじゃなかった……」

 顔を覆って泣くおふくろ。その言葉、どういうつもりで言っているのだろうか。

 俺は愛されていなかった。

 周りの闇は更に濃くなり、一点の穴をあけた。そこをなんとも言えない感情が流れる。

 そしてその奥に一つだけハッキリとした感情があった。

 絶望だった。

 俺は、生まれてくるんじゃなかったんだ。

 「忘れたい……今までのこと全部忘れたいっ!」

 おふくろが泣きながら叫んだその言葉を俺はどうしてか希望と捉えた。

 おふくろを救えると思った。

 どれだけ目の前で悲しい言葉を言われたって、例えそれが親であったって…

 自分の力が人の為になるという希望には劣るのだと知った。

 俺はその時初めて自分の使命を知り、力を使った。

 そして、おふくろを救ったんだ。

 何も見えなかった視界におふくろだけが蘇った。

 俺は、この人を助けられる。

 おふくろの沈みきった肩に手をあて、小さな声でスズメのように言ったんだ。

 「忘れな…………」

 それからどうなったかはあまり覚えていないが、一瞬の事だったのだろう。

 おふくろは俺の目を見ながら倒れ、静かに目を閉じ眠った。

 時間がスローモーションのように、おふくろは長い髪をなびかせて、ゆっくりと倒れた。

 一筋の涙が境内のたった一つの石に落ちた時、時間は元通りに過ぎ、スズメの囀りや親父の声が聞こえだした。

 唯一聞くことが出来なかったのは、おふくろの俺を呼ぶ声だった。 

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