音を知らない鈴
#49 壊れた父のマグカップ
私が倒すべき人は、私の事をずっと見下してきた人。まずは…父だ。
階段の音が聞こえた。
「どうかしたのか」
頭をかきながら父がリビングに降りてきた。どうやら二階の寝室で寝ていたらしい。
今まで以上に父が弱く見える。情けない。こんな奴に騙されていたのか…
「お父さん…」
母はもしや聞かれたのではないかと父の様子を伺うように声をかけた。
「寝てたの?」
「あぁ…少しな」
私と母は父を見て分かった。これは聞かれていた。
母と目があい決心した。二人とも胸のうちは同じ。真相を今こそ聞きだすべきだと。
「お父さん、紅茶いれるから座って」
そう言って母が話し合いの場を作った。
「あぁ…ありがとう」
間抜けな返事をして椅子に座った。気のせいだろうか。物凄く弱々しく見える。父が自分より弱者だと気づいたからだろうか。それとも寝起きだからだろうか。
「はい」
父の前に一杯の紅茶が入ったマグカップが置かれた。並々に注がれた私の紅茶が普段の量ほどに減っていた。
そして、父のマグカップに注がれた紅茶と同じくらいの量になっていた。
「お父さん、聞きたい事がある」
私から声をかけた。獲物が座って紅茶を飲む絶好のチャンスに、我慢ができずに僅かに爪を伸ばした。
「私達に…」
「待ってくれ」
なんと、私の話を妨げた。
「は?」
「俺の話をまず聞いてくれ」
「……」
父から醸し出される弱々しいオーラのせいで、部屋が心なしか暗くなった。
「俺は人としてとても弱い」
「なにっ!?」
まさか……
ここに来て……降伏してきたのか……?
「お前に父親として何もしてやれなかった。本当にすまない…!」
「…!?」
父はそう言って下を向いたかと思うと、ポツリと涙を垂らした。
「……」
私が生きてきたこれまで、父はこんな風に頭を下げて泣く事なんてなかった。
いつだって胸を張り、堂々と生意気ヅラを全面にだしていた。
それが…それが嫌で鼻についていたのに…
自分は何もかも正しいと誰の意見にも従わないプライドの塊のような奴だったのに。
そいつをこの手で狩りたかったのに……
なんで……弱いフリをするっ!!!!
立てないような奴を狩ってもなんの意味もないんだよ!
立てよ……いつもみたいに…
「何座ってんだよ!!!!」
苛立ちは言葉として表にでた。
「今まで何してきたか分かってんのか!どれだけ私達を苦しめてきたのかっ!なんでそれを聞く前に謝って逃げようとするんだよ!まず説明するのが先だろうがぁ!」
荒ぶる言葉遣いに驚いていたのは母だけだった。
「私達、何にも思い出せないんだよ!?そうさせたのはアンタなんでしょ!?」
まだ下を見ている父にとうとう手を出し、思いっきり胸倉を掴んだ。
「ッチ!」
父は掴まれた胸倉を見て眉を上げて舌打ちをした。
「離せオラ!!」
ダン!!!
「鈴音!!!」
痛い……脳みそが揺れるほど衝撃を受けた。頬の辺りがジンジンする。
「………え?」
弱者である父がいきなり豹変した。
「そんなに知りたいんなら教えてやるよ。何が聞きたい」
床に倒れ込んだ私の襟を思いっきり引っ張って、無理矢理立たせようとした。
「…痛いっ!!」
「座れ!!!」
何なんだ……こいつ……!!!
父から目を離さず、睨みつけて椅子に座った。
父は今度はいつもの様にふんぞり返っていた。足を大きく広げて、やや前のめりになってこちらを見てきた。
「何が聞きたい」
こいつは本当におかしい…まるで二重人格だ。
「何か隠してんでしょ…」
あくまで冷静さを失わずに言った。
「例えば?何だ」
ヤクザの様に聞き取れるか聞き取れないかくらいに言葉を崩してきていることに、心の底から腹が立つ。
「何だじゃない。こっちは思い出せないって言ってんだよ。過去の記憶をアンタがすり替えてんだろうが」
「父親に向かってその口のきき方はなんだ。ナメてんのか」
「は?父親は娘の記憶をすり替えていいのか?ナメんな」
「なんだとこの野郎!!」
「何苛立ってんだよ!教えてやるってカッコつけて言っただろうが!!」
「二人とも!落ち着いて」
また立ちかけた二人を母が止める。
「はぁ…俺はな?いつだってこの家を支えてきた。ずっと頑張ってきたんだよ!この苦労を誰一人分かっちゃくれねぇ…もうウンザリだ」
「ック!お前が支えてきただ?よくそんな事いえんな!私を人に引き渡そうとしといて!どこにも親としての責任なんか持ってねぇだろうが!!!初めての娘を……他人に渡すことを平気でやっておいて…何が父親だ!!!」
私は恨んでいる。父が…親であるアンタが!私を人に、物のように捨てようとした事を。
「しょうがないだろ!!」
「しょうがない…!?どこがだよ!!」
「俺の親父は俺の事ひとつも見てくれはしなかった…それなのに…お前の事は…凄い子だ凄い子だって。まだ歩くことも話すことも出来ないお前ばかりを褒めてっ…!」
「……」
言葉が出なかった。呆れ返ってしまった。
「そんな事で……」
私が言いたかったことを母が変わりに言った。
「そんな事!?お前らには分からねぇんだよ!俺の気持ちが!!生まれた時から能無しと言われる気持ちがっ!!」
コイツは…何を言っているのだ…
「分かんないわけないでしょ……」
「はぁ?」
やさぐれた目が母から私に若干遠回りをしてこちらに向いた。
「自覚ないの……アンタ、私に全く同じ事してるの」
「何がだ…」
「アンタも私に能無しって言い続けてたの、自覚ないのかって言ってんだよ!!嘘だろ……」
「それも、仕方がないことだ!」
「なに!!!」
「俺はそうやって育てられてきた!だからそれ以外の育て方なんて知らねぇんだから!これは俺のせいか?」
「コイツっ………!!!」
人を…子供を苦しめていた事になんの罪悪感もないのか……!
「許さないっ!!」
コイツが父親であることが許せない!!!
腹わたが煮えくり返り、椅子を投げたおす勢いで立ち上がった。
「大っ嫌い……」
「なんだと………」
「大っ嫌い!!心の底から嫌い!!!今までいい子ちゃんでいなきゃって黙ってきたけど、いくら何でも酷すぎる!!最低だ!!」
「鈴音!止めなさいっ」
「あんたは本当に馬鹿だな!大人でありながら親でありながら…頭で何にも考えてこなかったんだな!!」
「あ?」
「あんたの親は正しかったんだよ!」
「チッ!お前……!」
「尊敬の欠片もない!一度でいいからお父さん見たいになりたいとか思ってみたかったわ!!!」
「親なんかな、あてにすんじゃねぇ」
「はぁーー!!!?それを本人が言うな!!何最初っから親でいる事を諦めてんだよ!」
「生まれた時から俺より強かったんだ。親なんていらねぇだろ。実力はどうであれ周りはそう言って俺を蔑んでたんだ」
実力はどうであれ…?
「……なら確かめてみる…」
父の片眉がピクリと上がった。
「実力で勝負する?」
自分が優れているとは思っていない。
だが、こいつには勝てる気しかしなかった。
「は…はあ!?馬鹿にしてんのか!お前!!」
「何焦ってんの?勝負しようよ」
父が急に慌てだした。
「私より強いんでしょ?周りが分かってないんでしょ?」
「うるさい!!もういいんだよ!」
「いいこと無いだろ!こんだけ馬鹿にされて、証明しないとこっちの気が収まらない!早く!!」
「うるさい!!!!黙れ!!」
机を大きな音で叩き立ち上がった父は、空になったマグカップを手に持った。
「お父さん!!!!」
母も声を上げ立ち上がる。
ここまで全てスローモーションのように世界はゆっくりと動いていった。
マグカップを振り上げる父を見てあ然とした。この人は本当に話が出来ない人だと。
父の目は怒り狂い充血していた。
無理矢理こじ開けられた鉄扉に成す術なく、その扉を開けた私を恨んでいる。
怒り…悲しみ…怨み…
黒い光を初めて見た気がした。ある意味輝いている。この光こそ、父を作り上げている根源なのかもしれない。
父の目を見ているとこれ以上言葉では通じないと悟った。
そして父の手からマグカップが離れ、一直線に私に向かってきた。
この景色…前にもどこかで……
マグカップが顔の前で大きくなり、腕で顔を覆った時だった。
当然のように真っ暗な視界に、どこも照らす事が出来ない光が見えた。光らない光…
何故それを光だと思ったのか、しかし言葉にするならそれは紛れもない光だった。
もしかすると、微かな音が聞こえたのかもしれない。モスキートのような音を聞いて電波を感じたり、雷を音だけで映像的に把握出来たり、聴覚が脳にそう伝達したのだろう。
「すずちゃん………」
聞き覚えのある声が聞こえた。
「この声は……」
暗闇に架かる見えない光が、光へと変わりだす。
「やっぱり…あそこには明かりがあったんだ…」
空気に散らばる分子が蛍のように発光しだした。徐々に遠くが明るくなっていく。
太陽からではない光源によって薄く照らされた場所に人影が、一人……二人……
暗くてあまりハッキリとは見えなかったが、多分背中がこちらを向いている。
私にはその二人がかなり遠くを眺めているように見えた。
「すずちゃん………私達ってどうやって生きていくんだろうね」
「……」
すずちゃん………
「夜姫さん……帰りたい…」
「お家に?」
「ううん、お家はいやだ。またお父さんに殴られるから…」
「すずちゃん…」
「私がダメなのはわかってる…」
お父さんに…殴られ……
(ハッ!!!)
私の暗闇に見た事もないほどの眩しい光が下からマグマのような勢いで吹き荒れた。
(もしかして………)
「私ができない子だから……」
「そんな事ないよ!」
「ううん、そんな事ある…でも私の帰る場所、あそこじゃない気がする…」
「………」
「家族が、家族じゃないような…」
「どういう事?」
「仁さんが言ってたように、この時代を生きるのは難しい…私に出来る気がしない」
「……」
「死にたいって言ったらすぐに死ねそうなの…それって…」
「……」
「生きることを諦めるのもいいってことだよね?」
「すずちゃん!!」
「だって、死にたいのに死ねない人がいるのに私は許されてるんだよ…死ぬことを望んでいる人がなかなか死ねず、神様は試練を与える。それはその人がまだやらなきゃいけない事があるからだと思う。神様は分かってるんだよ、その人が死ぬべき人じゃないって事。でも私はいつでも叶えてあげるよってここに来るたびに言われている気がするの。」
「……」
川のせせらぎのように流暢な音色で本音が流れていく。
「神様は私にもういいよって言ってるよ」
「………」
心が温かくて、痛い…。
「夜姫さん…許して……」
遠くの少女の言葉に涙がこぼれ落ちる。この子の言葉が何故か私の心に強く響く。共鳴する。
「すずちゃん!ダメだよ!!」
「私……ダメな子だった」
真っ黒な影が笑顔で泣いている。見えないのに…見えないのに…!
「ダメな子なんかじゃない…」
もう一人の女性が真っ直ぐな声で言った。
「すずちゃんは…ダメな子なんかじゃ…」
この声は……!!!
「ない!!!!!!」
あの人の顔が浮かび上がる!
勇ましく凛々しい目が…この目は……
七色の光で輝く…この目は…
この声は……!
強い風がこちらに向かって来るように迫り
、女性の顔が白い塊に変わった。
見覚えのあるこの物体は!
パシン!ドン!
ガチャン!!!
「は!!!!」
明るい世界の私の足元に白い塊が叩きつけられ、沢山の破片を散らばせた。
物が壊れる音に父と母は目を丸くした。
当の私は声を出さず、寧ろ力が抜けて当然の光景を受け入れた。
マグカップが落ちた場所から垂直、いや若干鋭角気味の壁に穴があいていた。
これくらいの情報、すぐに整理できる。
そして、何より手が痛い。
「今やったこと忘れるな」
父もようやく目を覚ましたかのようにマグカップから私に目を移した。
薄く涙を浮かべている父に対し、私はすっきりした。光を見たのだから。
「……」
「…謝らないのか」
大人になることが出来ていない赤ちゃんの様な父にもう何の感情も沸かなかった。
「実力勝負がしたいならいつでも来い。納得いくまで相手になってやる」
そう吐き捨て、散らばっだ破片を片付けることをせず、私は二階の部屋に向かった。
階段の音が聞こえた。
「どうかしたのか」
頭をかきながら父がリビングに降りてきた。どうやら二階の寝室で寝ていたらしい。
今まで以上に父が弱く見える。情けない。こんな奴に騙されていたのか…
「お父さん…」
母はもしや聞かれたのではないかと父の様子を伺うように声をかけた。
「寝てたの?」
「あぁ…少しな」
私と母は父を見て分かった。これは聞かれていた。
母と目があい決心した。二人とも胸のうちは同じ。真相を今こそ聞きだすべきだと。
「お父さん、紅茶いれるから座って」
そう言って母が話し合いの場を作った。
「あぁ…ありがとう」
間抜けな返事をして椅子に座った。気のせいだろうか。物凄く弱々しく見える。父が自分より弱者だと気づいたからだろうか。それとも寝起きだからだろうか。
「はい」
父の前に一杯の紅茶が入ったマグカップが置かれた。並々に注がれた私の紅茶が普段の量ほどに減っていた。
そして、父のマグカップに注がれた紅茶と同じくらいの量になっていた。
「お父さん、聞きたい事がある」
私から声をかけた。獲物が座って紅茶を飲む絶好のチャンスに、我慢ができずに僅かに爪を伸ばした。
「私達に…」
「待ってくれ」
なんと、私の話を妨げた。
「は?」
「俺の話をまず聞いてくれ」
「……」
父から醸し出される弱々しいオーラのせいで、部屋が心なしか暗くなった。
「俺は人としてとても弱い」
「なにっ!?」
まさか……
ここに来て……降伏してきたのか……?
「お前に父親として何もしてやれなかった。本当にすまない…!」
「…!?」
父はそう言って下を向いたかと思うと、ポツリと涙を垂らした。
「……」
私が生きてきたこれまで、父はこんな風に頭を下げて泣く事なんてなかった。
いつだって胸を張り、堂々と生意気ヅラを全面にだしていた。
それが…それが嫌で鼻についていたのに…
自分は何もかも正しいと誰の意見にも従わないプライドの塊のような奴だったのに。
そいつをこの手で狩りたかったのに……
なんで……弱いフリをするっ!!!!
立てないような奴を狩ってもなんの意味もないんだよ!
立てよ……いつもみたいに…
「何座ってんだよ!!!!」
苛立ちは言葉として表にでた。
「今まで何してきたか分かってんのか!どれだけ私達を苦しめてきたのかっ!なんでそれを聞く前に謝って逃げようとするんだよ!まず説明するのが先だろうがぁ!」
荒ぶる言葉遣いに驚いていたのは母だけだった。
「私達、何にも思い出せないんだよ!?そうさせたのはアンタなんでしょ!?」
まだ下を見ている父にとうとう手を出し、思いっきり胸倉を掴んだ。
「ッチ!」
父は掴まれた胸倉を見て眉を上げて舌打ちをした。
「離せオラ!!」
ダン!!!
「鈴音!!!」
痛い……脳みそが揺れるほど衝撃を受けた。頬の辺りがジンジンする。
「………え?」
弱者である父がいきなり豹変した。
「そんなに知りたいんなら教えてやるよ。何が聞きたい」
床に倒れ込んだ私の襟を思いっきり引っ張って、無理矢理立たせようとした。
「…痛いっ!!」
「座れ!!!」
何なんだ……こいつ……!!!
父から目を離さず、睨みつけて椅子に座った。
父は今度はいつもの様にふんぞり返っていた。足を大きく広げて、やや前のめりになってこちらを見てきた。
「何が聞きたい」
こいつは本当におかしい…まるで二重人格だ。
「何か隠してんでしょ…」
あくまで冷静さを失わずに言った。
「例えば?何だ」
ヤクザの様に聞き取れるか聞き取れないかくらいに言葉を崩してきていることに、心の底から腹が立つ。
「何だじゃない。こっちは思い出せないって言ってんだよ。過去の記憶をアンタがすり替えてんだろうが」
「父親に向かってその口のきき方はなんだ。ナメてんのか」
「は?父親は娘の記憶をすり替えていいのか?ナメんな」
「なんだとこの野郎!!」
「何苛立ってんだよ!教えてやるってカッコつけて言っただろうが!!」
「二人とも!落ち着いて」
また立ちかけた二人を母が止める。
「はぁ…俺はな?いつだってこの家を支えてきた。ずっと頑張ってきたんだよ!この苦労を誰一人分かっちゃくれねぇ…もうウンザリだ」
「ック!お前が支えてきただ?よくそんな事いえんな!私を人に引き渡そうとしといて!どこにも親としての責任なんか持ってねぇだろうが!!!初めての娘を……他人に渡すことを平気でやっておいて…何が父親だ!!!」
私は恨んでいる。父が…親であるアンタが!私を人に、物のように捨てようとした事を。
「しょうがないだろ!!」
「しょうがない…!?どこがだよ!!」
「俺の親父は俺の事ひとつも見てくれはしなかった…それなのに…お前の事は…凄い子だ凄い子だって。まだ歩くことも話すことも出来ないお前ばかりを褒めてっ…!」
「……」
言葉が出なかった。呆れ返ってしまった。
「そんな事で……」
私が言いたかったことを母が変わりに言った。
「そんな事!?お前らには分からねぇんだよ!俺の気持ちが!!生まれた時から能無しと言われる気持ちがっ!!」
コイツは…何を言っているのだ…
「分かんないわけないでしょ……」
「はぁ?」
やさぐれた目が母から私に若干遠回りをしてこちらに向いた。
「自覚ないの……アンタ、私に全く同じ事してるの」
「何がだ…」
「アンタも私に能無しって言い続けてたの、自覚ないのかって言ってんだよ!!嘘だろ……」
「それも、仕方がないことだ!」
「なに!!!」
「俺はそうやって育てられてきた!だからそれ以外の育て方なんて知らねぇんだから!これは俺のせいか?」
「コイツっ………!!!」
人を…子供を苦しめていた事になんの罪悪感もないのか……!
「許さないっ!!」
コイツが父親であることが許せない!!!
腹わたが煮えくり返り、椅子を投げたおす勢いで立ち上がった。
「大っ嫌い……」
「なんだと………」
「大っ嫌い!!心の底から嫌い!!!今までいい子ちゃんでいなきゃって黙ってきたけど、いくら何でも酷すぎる!!最低だ!!」
「鈴音!止めなさいっ」
「あんたは本当に馬鹿だな!大人でありながら親でありながら…頭で何にも考えてこなかったんだな!!」
「あ?」
「あんたの親は正しかったんだよ!」
「チッ!お前……!」
「尊敬の欠片もない!一度でいいからお父さん見たいになりたいとか思ってみたかったわ!!!」
「親なんかな、あてにすんじゃねぇ」
「はぁーー!!!?それを本人が言うな!!何最初っから親でいる事を諦めてんだよ!」
「生まれた時から俺より強かったんだ。親なんていらねぇだろ。実力はどうであれ周りはそう言って俺を蔑んでたんだ」
実力はどうであれ…?
「……なら確かめてみる…」
父の片眉がピクリと上がった。
「実力で勝負する?」
自分が優れているとは思っていない。
だが、こいつには勝てる気しかしなかった。
「は…はあ!?馬鹿にしてんのか!お前!!」
「何焦ってんの?勝負しようよ」
父が急に慌てだした。
「私より強いんでしょ?周りが分かってないんでしょ?」
「うるさい!!もういいんだよ!」
「いいこと無いだろ!こんだけ馬鹿にされて、証明しないとこっちの気が収まらない!早く!!」
「うるさい!!!!黙れ!!」
机を大きな音で叩き立ち上がった父は、空になったマグカップを手に持った。
「お父さん!!!!」
母も声を上げ立ち上がる。
ここまで全てスローモーションのように世界はゆっくりと動いていった。
マグカップを振り上げる父を見てあ然とした。この人は本当に話が出来ない人だと。
父の目は怒り狂い充血していた。
無理矢理こじ開けられた鉄扉に成す術なく、その扉を開けた私を恨んでいる。
怒り…悲しみ…怨み…
黒い光を初めて見た気がした。ある意味輝いている。この光こそ、父を作り上げている根源なのかもしれない。
父の目を見ているとこれ以上言葉では通じないと悟った。
そして父の手からマグカップが離れ、一直線に私に向かってきた。
この景色…前にもどこかで……
マグカップが顔の前で大きくなり、腕で顔を覆った時だった。
当然のように真っ暗な視界に、どこも照らす事が出来ない光が見えた。光らない光…
何故それを光だと思ったのか、しかし言葉にするならそれは紛れもない光だった。
もしかすると、微かな音が聞こえたのかもしれない。モスキートのような音を聞いて電波を感じたり、雷を音だけで映像的に把握出来たり、聴覚が脳にそう伝達したのだろう。
「すずちゃん………」
聞き覚えのある声が聞こえた。
「この声は……」
暗闇に架かる見えない光が、光へと変わりだす。
「やっぱり…あそこには明かりがあったんだ…」
空気に散らばる分子が蛍のように発光しだした。徐々に遠くが明るくなっていく。
太陽からではない光源によって薄く照らされた場所に人影が、一人……二人……
暗くてあまりハッキリとは見えなかったが、多分背中がこちらを向いている。
私にはその二人がかなり遠くを眺めているように見えた。
「すずちゃん………私達ってどうやって生きていくんだろうね」
「……」
すずちゃん………
「夜姫さん……帰りたい…」
「お家に?」
「ううん、お家はいやだ。またお父さんに殴られるから…」
「すずちゃん…」
「私がダメなのはわかってる…」
お父さんに…殴られ……
(ハッ!!!)
私の暗闇に見た事もないほどの眩しい光が下からマグマのような勢いで吹き荒れた。
(もしかして………)
「私ができない子だから……」
「そんな事ないよ!」
「ううん、そんな事ある…でも私の帰る場所、あそこじゃない気がする…」
「………」
「家族が、家族じゃないような…」
「どういう事?」
「仁さんが言ってたように、この時代を生きるのは難しい…私に出来る気がしない」
「……」
「死にたいって言ったらすぐに死ねそうなの…それって…」
「……」
「生きることを諦めるのもいいってことだよね?」
「すずちゃん!!」
「だって、死にたいのに死ねない人がいるのに私は許されてるんだよ…死ぬことを望んでいる人がなかなか死ねず、神様は試練を与える。それはその人がまだやらなきゃいけない事があるからだと思う。神様は分かってるんだよ、その人が死ぬべき人じゃないって事。でも私はいつでも叶えてあげるよってここに来るたびに言われている気がするの。」
「……」
川のせせらぎのように流暢な音色で本音が流れていく。
「神様は私にもういいよって言ってるよ」
「………」
心が温かくて、痛い…。
「夜姫さん…許して……」
遠くの少女の言葉に涙がこぼれ落ちる。この子の言葉が何故か私の心に強く響く。共鳴する。
「すずちゃん!ダメだよ!!」
「私……ダメな子だった」
真っ黒な影が笑顔で泣いている。見えないのに…見えないのに…!
「ダメな子なんかじゃない…」
もう一人の女性が真っ直ぐな声で言った。
「すずちゃんは…ダメな子なんかじゃ…」
この声は……!!!
「ない!!!!!!」
あの人の顔が浮かび上がる!
勇ましく凛々しい目が…この目は……
七色の光で輝く…この目は…
この声は……!
強い風がこちらに向かって来るように迫り
、女性の顔が白い塊に変わった。
見覚えのあるこの物体は!
パシン!ドン!
ガチャン!!!
「は!!!!」
明るい世界の私の足元に白い塊が叩きつけられ、沢山の破片を散らばせた。
物が壊れる音に父と母は目を丸くした。
当の私は声を出さず、寧ろ力が抜けて当然の光景を受け入れた。
マグカップが落ちた場所から垂直、いや若干鋭角気味の壁に穴があいていた。
これくらいの情報、すぐに整理できる。
そして、何より手が痛い。
「今やったこと忘れるな」
父もようやく目を覚ましたかのようにマグカップから私に目を移した。
薄く涙を浮かべている父に対し、私はすっきりした。光を見たのだから。
「……」
「…謝らないのか」
大人になることが出来ていない赤ちゃんの様な父にもう何の感情も沸かなかった。
「実力勝負がしたいならいつでも来い。納得いくまで相手になってやる」
そう吐き捨て、散らばっだ破片を片付けることをせず、私は二階の部屋に向かった。
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