音を知らない鈴

布袋アオイ

#48 ひとりでに鳴る鈴

 「お父さんが帰ってきた時、何だか様子がおかしかったの。すずと何話したのって聞いたら、思い出話だって」

 確かに思い出話ではあった。それのどこがおかしいのだろうか。

 「すず、あまりお父さんを信用してはいけない。あの人にもほんの少し霊力があるの」

 霊力……なぜそれが信用してはならない事に結びつくのだろうか。

 「あの人、平気で嘘をついているから」

 嘘………とは……誰しもつくであろう軽々しいものではないだろうか…?

 「お父さんの嘘には霊力が備わっている。だから、嘘が真実になるように相手の記憶を操作できるのよ」

 「そんな……」

 実の娘にそんな事するであろうか…。ましてや操作する理由が分からない。

 「どういうこと?」

 「なんかおかしいと思ったの。前にお父さんがリビングでおじいちゃんと律子さんの話をしたでしょ?その時のすずの反応がどうも気になっていたの」

 「あぁ……」

 思い出したくないが、あの時絶対に聞いてはならないと思った。どこかの私が例え正体を知られてもそれを阻止しようと、お腹の底から力が湧き上がったのだ。

 「お母さんはすずが気になっていたであろう事だったから、あんなふうに聞きたがらないのが不思議だったの。それで、考えているうちにお父さんの話を全く覚えていないことに気がついた」

 「え…覚えていない…?」

 「そう、石国律子さんは確かに覚えているし、仁さんの事も覚えている…。だから最初は違和感なく聞いていたんだけど、すずがお父さんが話すのを止める瞬間を見て、ふと我にかえったの。そうしたら、そんな事あったっけって考えてしまって。考えれば考えるほど頭は空っぽになるし、覚えていたはずの記憶が遠くに霞んでいくのよね」

 「……」

 「でも一つだけ思い出せた事があるの」

 母はマグカップを両手で持ちマグカップいっぱいの紅茶を見てため息混じりに言った。

 「すずを律子さんに引き渡そうとしたのはお父さんだって…」

 「…!?」

 心臓がドクンと完全に文字として成り立つほど、ハッキリと鳴った。

 この感情は分かる……

 憎しみだ。

 きっと私は知っていたのだ。どこかで父を見下し、嫌っていた。けれど、それは私の勝手過ぎる感情だと声には出さず心の内で嫌っていた。父はいい人だと信じ続けていた。

 それも今日で終わりだ。知ってしまったのだから。もうどうしようもできない。

 「お父さんが、私を律子さんに」

 それ以上は言いたくなかった。

 言葉にしなかったせいか、外は更に暗くなり、私の悲しい言葉にならない叫びを雨が地面に打ちつける音に変えていってくれているようだった。

 悲しい…憎い……でも言えない…

 父との思い出が次々と溢れ出てくる。

 外で遊んだ時、厳しく怒られた時、満面の笑みで褒めてくれた時…

 どこまでが本当の父の姿だったのだろうか…

 「こんな話をしてごめんね。でも、すずも知りたいんだろうなって思った。すず、お母さんも本当の事を思い出したい。力を貸してくれないかな」

 私は母が大好きだ。いつも腕を伸ばさないと届かないような距離にいる母が、今は少し近く感じる。父の本性に悲しくなったが、涙がでるような気持ちにはならなかった。どことなく腑に落ちたような、寧ろ矛盾がなくなり安心したような。しかし、母が近くにいる事を感じた事に涙が出そうだった。

 ずっと、ずっと遠くにいるように感じていたのだから。

 「分かった、何とかする」

 「お母さんも色々考えてみる。一緒に解決していこ」

 「うん」

 私の空白…いや塗り替えられた過去を元に戻す為に問い詰めるべき人間は分かった。あとはその方法だ。

 どうやら私は戦わなくてはならないらしい。
 
 「は!!」

 「ん?どうしたの?」

 決心したタイミングで片岡さんの言葉を二つ思い出した。

 一つはお父様に操作されています、という言葉。

 二つ目は私達は戦わなくてはならないという言葉。

 聞いた時は暗号のようで頭に入ってこなかったが、心とはやはり優秀だな。ちゃんと覚えている。そして、ここだというタイミングで蘇らせてくれる。

 思考では合わせられない現実の流れと、私自身が生まれ変わる為のタイミングをピタリと合わせてくれるのだ。

 まるで、シナリオ通りの余裕をかまして。

 神様から言われているかのようだった。

 目的と対象が目に見えた私には、それまで左右の目で違う場所を見ていたかのようにボヤケていた視界が、捕らえるべき獲物にピタリと焦点が定まった。

 「なるほど…いいように操作していたんだ…」

 今までこの憎しみはわがままがだと思っていたのに、何て勿体ないことをしていたのだ。私が私に常に教えようとしてくれていたんだ。憎しみの感情が湧き上がっていたのに、それを必死でとめようとしていたなんて…

 「……フフ」

 思わず笑ってしまった。

 ようやく長年の抱え続けてきた問題が解決できそうな予感がしたから笑ったのかな。

 「鈴音……?」

 「んな訳ねぇな……」

 自分はこんな性格だったのだろうかと一瞬驚いたが、何故かワクワクがおさまらなかった。今の私が不気味に笑みを浮かべているのが、例え鏡がなかろうと分かった。

 サナギから蝶になる瞬間…と言うのだろうか…

 ドキドキがとまらない。胸が高鳴ってしょうがない…!食す事よりも、そいつに深い傷を負わせ、足腰たてずに苦しみ…それでも逃げようとするか弱きあいつが足元にいる事の方が興奮する。

 生死を彷徨う姿を見たいか…

 必死に抵抗する無様な姿を見たいか…

 私に神のようなすがり方をするあいつが見たいか………

 答えは一つ。

 「どれもだよ………」

 どうしよう…このまま快感を覚えてクセになってしまったら…

 しかし、これこそしょうがない。

 私をか弱き者に仕立た奴らが悪いのだ。

 世の中には狩られるものと狩るものがいる。どちらもいて成り立つのだ。

 だが、それを逆に捉えていた両者がいつか目を覚まし、本来の姿に戻る時…私は単純に力や能力が元のレベルに戻るとは思えない。

 なぜなら、そこには歴史や経験…そして感情がプラスされているからだ。それが幸せという記憶のページにある訳がないだろう。他人に…自分より弱いはずの奴らに弱いと言われていたのだから。どれだけそれに寄せる為に自らを殺してきたか…

 その苦しみを知らずにのうのうと生きている弱い奴らを狩るチャンスが目の前にあるのに…

 まだ爪を隠すなんて事はしない。

 あらゆる物がわざわざ不幸へと成り代わってきたのだ。この怨みは本来の力を底上げするにはもってこいのスパイスであると思わないか?

 怨みを持った元強者は立ち上がった時どれ程恐ろしい力の持ち主であろうか。反対に強者だと勘違いしていた弱者は、自分の能力の無さ…つまり持っていたと思っていた剣がいきなり消えてしまった時、どうなるのだろうか。

 可哀想に…元弱者が強者として生きていた間、糧になるような経験を何もせずに生きてきたのだから。剣が無くなってしまった以上、人を守るどころか自分ひとりすら守れないのだ。あぁ……可哀想に…。

 ただ明らかに持っていたのは、力ではなく強者と言う言葉の鎧のみ。言葉とは偉大だが、形ではない。手も足も出ない奴らをじっくり殺していこうではないか。

 「お母さん、私に任せて」

 さっきまでの指先の違和感なんて諸共しないほど、掌全体が熱い。早くこの手で、あいつらを…

 狩るべき相手の顔が次々と浮かぶ。自分を信じ感情の赴くままに引き裂いてやろう。

 チリリリーン

 神社に落ちた鈴がひとりでに鳴った。
 

 

 

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