音を知らない鈴

布袋アオイ

#47 振り出し

 体をふらつかせながら家へと歩き出した。

 一度に受けた衝撃が多すぎて何も思い出せない。
 
 何を思い出せばいいのか分からない。

 こう言っては壮大だが、まるで宇宙の誕生、ビックバンが自分の中で起きたかのようだった。

 知りもしなかった世界が一瞬にして作り上げられ、今は無数の光で浮かび上がったと思えた真実は光の海へと沈んでしまった。

 強すぎる光は希望とはならない。
 
 今日私は救われたのだろうか、それともこの光は地獄の入口なのだろうか。

 脳みそは情報を整理し目にしたもの全てを
結びつける事に必死なせいで、歩く司令は微々たる信号しか送れなかった。

 靴までも重く、アスファルトを擦ってしまう最小限の高さしか上げることが出来なかった。

 きっと、今の自分は幽霊と区別がつけられないほど気力を失っているだろう。

 ほのかに香る田んぼのにおい。

 しかしそれは晴れたときの澄み切った水面の爽やかな香りではなく、底に沈む泥のにおいがした。

 重たい空気に心がグッと沈んでいく。

 「なにかにすがりたい…」

 気づけば膝と手のひらは地面をついていた。

 開けた道の真ん中で私はしゃがみ込み子供のように泣いた。

 誰もいないから声がだせた。

 誰もいないから助けてと言った。

 誰もいないから、私は泣いた。

 もう、前に進むなんて出来っこない。

 雨が降るにおいがした。

 数分後、アスファルトはグラデーションを創るように灰色と黒が混じり合っていく。

 ぼんやりそれを眺めていたのも束の間、空から降り注ぐ無数の水滴に隙間という隙間が埋められ、一瞬で真っ黒に染まりきった。

 体の外側は冷たく、内側さ熱い。

 アスファルトを打つ雨と共に区別のつかない滴を落とした。

 小刻みに吸い込む空気は案外肺の形を型どった。

 だが、そこまでだった。

 雨が本気を出すまでそこに居続けた。




 「すず!!!」

 「……」

 頭の先から靴までずぶ濡れになった私を見て母は驚いていた。
  
 「何してたの!」

 「ごめん…お風呂入ってくる」

 家を出た時よりも重たい服を今すぐ脱ぎさらいたかった。

 この服には沢山の情緒が吸収されているかのようで耐えられたもんじゃない。

 「お風呂から上がったらリビングに来なさい」

 「分かった」

 母に素っ気ない態度をとってしまった事をよそに、いつもより熱いシャワーで全てを流しきった。

 乾いた服を着て、服は温かいことに気づいた。

 脱ぎ捨てた制服の袖の端を人差し指の先で軽く触れた。


 リーン


 小さな音にのせてさっきまでの記憶が音となって聞こえてきた。

 固く細い音に相反する量の感情が指先から濁流のように流れてきた。

 「…ッ」

 気持ちが悪くなり、手を洗った。

 「はぁ!忘れろ!忘れろ!!」

 どうやら私にとって思い出したくない思いでが顔をだしてしまったらしい。

 シャワーよりも強めの水圧で指に付着した記憶を集中的にかき消そうとした。

 それでもへばりづくような違和感は流れてくれることはなかった。

 私にはこれでも理性がある。

 水道代の存在を忘れなんてしない。

 ある程度のところで諦めて、あとは私次第だとちゃんと分かっている。

 蛇口を締め、苦い顔をして待っているだろう母のもとへと行った。



 リビングに行くと母が温かい紅茶をいれてくれていた。

 「冷えたでしょ、お茶にしよ」

 「うん…」

 いつものマグカップに若干多めの紅茶が注がれた。

 「はぁ…何があったの」

 「神社に行ってきた」

 「それは知ってる。お父さんと帰ってこなかったのはどうして?」

 「一人になりたかったから」

 「心配したのよ?」

 「ありがとう…」

 「お父さんになんて言われたの?」

 「………」

 「………」

 全てを言うつもりはなかった。

 「中学になるまで神社に行ってた事」

 「うん」

 「律子って人におじいちゃんが私を渡そうとしたこと」

「……」

 「私は何一つ覚えていない。だからこの話を辛い過去と捉えればいいのか、知らないうちに過ぎ去った過去と捉えればいいのか分からない。結局記憶としては空白なの。私を作り上げているものってなに?どんな経験が本物で今の私があるの?なんでこんな苦しみ方しなきゃならないの!!ただ、名付け親が厄介な人だったっていうだけでいいじゃん!ただおじいちゃんの教育の仕方に度が過ぎてたってだけでいいじゃん!!ただ親から引き剥がされそうになってならずに済んだってだけでいいじゃん!!!!なんでそれに加えて神社とか結界とか霊力とかこの世で片付けられそうじゃない問題まで付け足されてんの!? 一筋縄では解決できない事ばっかり私に起きてんの!?」

 先程の理性はどこへいってしまったのか。

 どうやら大分限界だったらしい。

 心なしか制服に触れた指先がまた冷たくなりだした。

 「鈴音……」

 「もう嫌だ!!みんな惑わせてくるの!遊んでんの!?私で!文句言わないからって全部私に投げてくんの!?信じられない!!!!」

 「そうよね…今の今まで黙ってたお母さんも悪かったわ」

 「もういいよ…ッ!!」

 「でもね、言い訳をするみたいで申し訳ないんだけど」
 
 この時点で察した。

 どうやら私の知らない自分物語はまだ複雑だったらしい。

 「お父さんの話、嘘よ」

 はい……振り出しです








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