音を知らない鈴

布袋アオイ

#15 時空を歪ませる結界

 辺りは次第に明るくなっていった。

 目が覚めてどれくらい経っただろうか。窓の近くで鳥が囀っている。

 鳥よりも早く目覚めていた事に今になって自覚した。室温も上がってきた。

 部屋の壁を見て朝日が昇った事を伺えた。

 スマホで時計を見ると7時前。

 このまま横になっていてもおかしな事を考えるだけだ。

 布団を剥ぎ取ってリビングに向かった。

 土曜日、誰も起きていない。

 コップに水を注いで、椅子に座った。

 自分の部屋よりも大きな窓から風一つたっていない外を見てスーっと息を吐いた。

 夢の中で相当焦ったのか喉が渇いた。

 ゴクゴクと体に水を送り込む。

 血液にじゅわっと水が広がるのが分かった。

 朝にも関わらず、体は疲弊しきっている。

 『鈴音…』

 あの人の声が妙に耳に残る。

 (何であんな夢見たんだろう)

 リアルな世界で何か印象的な事が有りそれが夢に反映されたのかと推理した。

 けれど、推理を裏付ける確証、証拠が無い。

 いや、格好良く言ってみただけで心当たりがない。

 「行くか…」

 悩んで答えが出ず煮詰まると決まってあそこに行く。

 まあ、今日ばかりは昨日から行こうと決めていた。

 言ったでしょ?おいでって声がしたって。

 そう、私が行くのは神社。

 直感的に行かなくてはっていう日が不定期に来る。

 行って何か起こる訳ではないけど、何も起こらない事を求めているのだ。

 皆が起きてくる前にと仕度をした。

 田舎の朝は平和だ。鍵を開けてそのまま家を出た。

 昨日乗ったばかりの自転車で神社へと向かう。

 週末二日自転車を漕がないだけで、月曜日のペダルは重く感じるが一日も空けずに漕ぐと何の変化も感じない。

 薄っすら感じる平日の日常を頭から振り払って坂を下った。

 髪の間をひんやりとした風が通る。

 「おはよう」

 今日という日に挨拶をした。

 空が随分近く思える。

 雲と空の境目がハッキリとした色彩で別れていた。

 誰もいない朝とあってか物凄く落ち着く。

 人生のほんの一瞬に世界で私一人しかいないのではないだろうかと錯覚させてくれる僅かな時間。

 そして、僅かだからこそ落ち着く。

 さっきまでの恐怖を忘れて今はこの時間に高揚した。

 

 そうこうしているうちに神社に着いた。

 とても小さな神社だが、外から見ると周りの木々がまるで結界のようにこの場所と周りを分けている。

 時の流れが違うかのような異場所感が漂っていた。

 まだ過去を生きているようなそんな雰囲気がしている。

 鳥居の側に自転車を停め、ガチャンと鍵をかけた。

 こんな早朝に来たのは初めてで少し緊張した。

 だが、鳥居の奥を見てそんな緊張がさっと消えた。

 「よく来たね」

 そんな風に言ってくれている気がしたからだ。

 鳥居の前でお辞儀をして静かに拝殿へと歩いた。

 鳥居をくぐるとそれはもう守られている気分だ。

 境内をぐるっと見渡していつもと変わらない空気感を肺いっぱいに吸い込んだ。

 お財布から11円取り出してお賽銭箱にそっと入れる。

 そして相変わらず鈴は鳴らさず小さな音で手を叩いた。

 「お邪魔します」

 いいよ、という返事の間を取り目を開けた。

 息を吸いながら背筋を伸ばして神様が奉られている社の中へと視線を上げた。

 見えるようで見えない神様。

 ペコリと頭を下げて、拝殿を降りた。

 挨拶もしてさぁこの空間に思いっ切り浸ろうと大きな深呼吸をした。

 私の呼吸に合わせて葉が揺れる音がする。

 ここの結界の力は信頼出来ると思った。

 体が自然体になっていくのが分かる。

 獣が生き抜くために人間界で人間に化けて過ごし、森の中に帰って本来の姿に戻る時の気持ち。

 こんな複雑な気持ちが、今は手に取るように分かる。

 私ももしかすると人間界でしか生き抜く方法が無くなってしまった獣ではないのか。

 獣であった事を今忘れてしまっているのではないか。

 もしそうだとすると…馬鹿だな。

 元の姿を忘れた者が今の姿に違和感を感じる。

 だけれど忘れてしまっては答えなんて出やしない。

 例え忘れてしまっている姿が本来の姿だったとしても、今の姿しか知らないのであれば本人であろうが、そちらしか信用出来ないだろう。

 可哀想な結末だ。

 もし私がその立場だったらまるで生きている感じがしないだろうな。

 そしてこう思うはずだ。

 何をしに生まれてきたのかって。

 生き物の形からでもどういう運命を辿るかは、ある程度絞られる。

 それが、本来の姿を忘れてしまうという事は本当の自分を見失うという事。

 つまり自分が狩りに向いているのか、商売に向いているのか知らず、見た目からのアイデンティティのみで判断して生きていかなくてはならないのだ。

 まぁここまで他人事のような言い方だが、
人間である自覚がありながら私は今を生きている心地がしない。

 ただ私の場合はそういう化けギツネのような御伽話ではなく、無能な人間の末路。

 結論だ。

 風が吹き枝先の葉だけがゆらゆら揺れた。

 何を考えているの?

 と問いかけてきたようだ。

 そこでようやく自分の頭が働いていた事に気付いた。

 馬鹿げた発想をしていた事に笑い、泣きそうになった。 







 あと何時間、自然体でいられるだろうか。

 拝殿の脇のに腰をかけ、足をブラブラさせて遠くを見た。

 中から見る外は不思議と時の流れの変化を感じない。

 感じないのが当たり前で同じ時間をこの植物達も生きているのだが、神社の中と外で色が変わるかのように、景色が違って見える。

 しかし、そんな事は現実に起きない。

 場所によって時の流れが遅くなったり速くなったりする事など有り得ない。

 分かっている。

 だから私はここでしか言わない。

 他の誰にもこんな事言わない。

 この感覚を不思議と捉えるのではなくて、私がおかしいと捉えて、何処か隅に置いた。

 そう感じただけだ。

 色々考えていた頭を休めようと自分の世界に入り込んだ。

 小高い場所から見える町。

 神様もここで皆を見守ってくださっているのだろう。

 町がよく見える。

 時間と共に増えだした人と車を見て戻らなければならない気持ちがジワジワ込み上げてきた。

 けれどもこの癒やしの時間を直ぐには手放せなかった。

 もう少し、もう少し…

 そうやって町はすっかり明るくなっていた。



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