病と恋愛事情

遠藤良二

第34話 悪戯な笑顔

俺と麻沙美は俺の車で総合病院に来た。いまの時刻は朝9時30分過ぎ。麻沙美の家からは約10分で着く。受付に来て保険証を出した。麻沙美は初めてかかるらしい。なので、問診票をクリップボードに挟んだものを受付の女性に渡された。名前や住所、電話番号や何科にかかるか、どういう症状なのか等を書きこんで再度受付に行き、問診票を返した。

周りを見ると、老若男女問わず、患者で溢れている。院内はクリーム色の壁で覆われている。

麻沙美の様子を窺っていると、
「婦人科どこだろう……」
言いながらキョロキョロ辺りを見渡している。俺も一緒になって探した。
「あっ、あった!」
廊下の奥の方に婦人科・産婦人科と書かれたプレートが天井から吊り下がっていた。右へ、という意味で赤い矢印も表示されている。麻沙美は俺のことを気にせずさっさとひとりで行ってしまった。俺は慌てて後を追った。

プレート通りに俺は歩き、右に曲がった。女性しかいない。特に若い女性。俺はその場に行きづらくなって引き返した。そして、麻沙美にLINEを送った。

[俺、女ばかりのところは苦手だから、受付の所の待合室で待ってるから]

これを読んで麻沙美はなんて思うだろう。なさけないとでも思うかな。それならそれで仕方ない。苦手なものは苦手なのだ。ひとりの女を相手にするならまだしも、あれだけいたら無理だ。ざっと数えて20人近くはいるだろう。

1時間は待っただろうか。まだか? と思い、麻沙美にLINEを送った。でも返信がきたのも30分くらいあとだった。気付いていなかったのか、診察を受けていた際中だったのか、俺は少しイライラしている。LINEの内容は

[検査結果待ちだよ。待たせてごめん]

検査してたのか、それなら仕方ない。そう思ったら少し気持ちが落ち着いた。悪い病気じゃなければいいけれど……。少し心配になってきた。

ピロンと通知の音が鳴った。LINEだ。

[終わったからいまいくね]

検査結果を訊かないと。心配だ。
少しして左肩を叩かれた。後ろに麻沙美が立っていた。相変わらず顔色は良くない。
「おまたせ」
「検査してみてどうだった?」
彼女は顔色は良くないけれど、少し安心したような表情だ。
「病気ではないみたい。最近の生活を話したの。そしたら過激なダイエットが原因かもしれないって」
その話を聞いて、とりあえずは病気じゃなくてよかったと思い、安堵した。
「でも、最近、食べないのが普通になっちゃって食べたくないんだよね」
俺は考えた。そして、
「少しでもいいから食え。栄養失調になるぞ」
「それも医者に話したら、一度、精神科にかかった方がいいかもしれないって言われた」
「そうなのか。精神科なら俺がかかってるとこでいいだろ」
麻沙美は黙ってしまった。何故だ。
「もしかして精神科に受診するのが嫌なのか?」
彼女はかぶりをふった。まだ黙ったままだ。あまりせかして訊いてもかわいそうだ。少しの間、沈黙が訪れた。それから、
「こわいの……」
俺は話しの続きが聞きたくて麻沙美の顔を見つめている。
「周りの患者さんが」
それを聞いて俺はようやく話しだした。
「まあ、確かにそういう患者もなかにはいるわな」
「奇声をあげたり、騒いだりする姿を見たくないの」
そういう患者もいないわけではない。
「でも、必ずいるわけではないぞ」
麻沙美は微笑みだした。どうしたのだ、何を笑っているのだ。彼女の気持ちが読めない。
「そりゃ、そうかもしれないけどさ」
俺は考えた後に、
「いまの医者に精神科にかかった方がいい、と言われても必ずそうしないと駄目ってわけじゃないからどうするかは麻沙美次第だ」
彼女はうなずいている。
「少し考えてみる」
「その方がいいな」

時刻は11時過ぎ――
「また、行かないといけないのか? 婦人科に」
「いや、過度なダイエットをやめて生理がくるようになれば、行かなくていいと思う」
「そうか」

いまは、麻沙美の家にいる。特に薬はもらっていないようだ。でも、彼女の表情は診てもらって婦人科の病気ではないことがわかって安心したように見える。あとはご飯が食べられるようになれば大丈夫だ。少しくらい脂肪がついている方が女性らしいと俺は思うから。本人に、痩せているぞ、と言っても「いや、太ってる」と言ってきかない。

もしかしたら、医者はそこが気になって精神科にも行った方がいい、と言ったのか。俺はあまりくわしくないけれど、食べられなくなる病気があるらしい。確か、なんとか障害、ネットで調べた方が早い。

俺は検索して見つけたのが、摂食障害というやつ。原因も書いてあり、食べなさ過ぎてそうなるケースがあるらしい。体重のことを気にして極端なダイエットをした場合とか。

どうにかして食べてもらわないと。体重も何キロあるのかは訊いてないけど、もしかしたら40キロをきっているかもしれない。聞いたことがある程度だが、成人した人が30キロ代になると生命の危機になるらしい。そう思ったら、心配になってきた。一気に食べられるようにはならないと思うから、徐々に。でも、食べたら太る、と思っているようで、負の連鎖のような気がしてならない。やはり、精神科にかからないとだめなのか。本人は行きたくないと言っていたし。説得するか。

「麻沙美」
彼女は絨毯の上に横になっていたが、呼びかけに対してこちらに顔を向けた。
「なあに?」
なんとも甘い声だ。
「一度、俺も行くから精神科かからないか?」
「なんで?」
調べた病名が言いにくくて言うのを躊躇った。
「……さっき、ネットで調べてみたんだけど、麻沙美……摂食障害かもしれないぞ」
「えっ! うん……。あたしもそうかもって思ってた。調べたからね、一応」
「……病院、行きたくないだろうけど、行ってみないか?」
「うん……。仕方ないね。でも、さっき言ったような患者、嫌だなぁ……」
「毎回はいないよ」
わかった、と渋々了解したようだ。
「いつ行くの?」
麻沙美の表情からは笑顔が消えてしまった。
「俺の主治医が良いと思うから行くなら金曜日がいいな」
「わかった」
と、言い彼女はカレンダーを見た。惑星が載ったもの。神秘的だと思った。金曜日は明後日だ、と独り言を言っている。続けて麻沙美はしゃべった。
「金曜日は仕事だよね?」
「ああ。有休をとるから」
「ごめんね、あたしのために」
「なに言ってるんだよ。だいじな俺の女だから当然だ」
麻沙美は嬉しそうに笑顔をみせた。かわいいなと思った。中年の天使とでも言うべきか。最近、彼女を抱いていない。欲求不満だ。ひとりで処理しても罪悪感があるからしないことにしている。だから、ひとりの夜がふえているから寂しい。そのことは伝えていないけれど。こういうことは伝えたほうがいいのだろうか。でも、いい年したおっさんが、寂しいだなんて笑われそうだ。これじゃあ、まるでダメ男、のようだ。不意に麻沙美は俺の顔を覗き込み、
どうしたの? なに考えているの? と声をかえられた。
「いや、なんでもないよ」
そう答えた。すると、
「ふーん。隠し事するんだ、このあたしに」
俺は表情を歪め、
「そういうわけじゃないけど」
と、言った。
「じゃあ、どういうわけ?」
まるで、小悪魔のような悪戯な笑顔を浮かべてこちらを見ている。
「からかってるのか?」
「そんなことないよ。晃と居ると落ち着くなぁ、と思って」
俺はそんなこと誰にも言われたことなかったので嬉しかった。
「サンキュ」
先程考えていた内容を話して聞かせた。
「中年の天使って。欲求不満なんだ。じゃあ、今から抱けばいいじゃない」
「おう、じゃあ頂くわ」
そうして久しぶりの情事を始めた。

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