言いたいことが言えない

おかゆ

倍速で動画を見る

新現代人は、倍速で動画を見るのが常らしい。
かくゆう私も動画を見る時は倍速にしてしまっている。
そうなった原因の一つは動画で勉強する機会が増えたから。

覚えるべきことをさっさと覚えて、早く好きなことに時間を割きたいのだ。
私はいつも、1日はたったの16時間(睡眠8時間ほどを差し引いた)しかない、
と思って焦っている。
だから時間を無駄にしてしまったと思うと、ひどく嫌な気持ちになる。

人生は有限なのだから、効率よくやるべきことは終わらせたい。
できれば、自分が愛せないものはさっさと終わらせたい。
ニーチェ のいうように、私の根本は「愛せなければ通過せよ」なのだ。
やりたくないけど、やらなければいけないことは山ほどある。
そういう類いのものは、必要最低限の時間と労力で済ませたい。
そんな風な考えが広まってきたのは、自己啓発のせいなのかしら。

でも、事実でもある。時間はあっという間に過ぎていく。
ハタチを過ぎた頃には、たしかに毎年、正月になると
もう一年が過ぎ去ったのかと驚く。

今年はなにをしただろう。
思い返すと色々なことがあったけれど、特別なにか大きなことがあったのか
というとそうでもない気がする。でも、人生はそんなことの繰り返しである
こともわかっている。

毎日、エベレストから落っこちそうになっただとか、
九死に一生を得る、というような経験をしていたら身がもたない。

第一そんな大それた日常を送りたいとも思わない。
平穏な日常、を人は幸せの象徴としてよく語るじゃないか。

だけど、なにもないと思うと、それはそれで焦りが生まれたり、
または、退屈だと考えてしまう。

どうすれば、満足するのだろうか?
たとえ満足するような生活を送れたとしても、きっとその生活に慣れてくる
ころには、なにかしらの不満を抱いていることだろう。そう思うと
足るを知る、ということの難しさ、釈迦が説いた執着を捨てること
の難しさをひしひしと感じる。


なにかしらの形で自分の精神を満足させるために、
人は何かにハマるけれど、
スマホで映画でもドラマでもなんでも観れてしまうこの時代に
ひたすらエンタメを消費していくこの時間に

私はそれ自体に飽きてきている。

そんなに情報を蓄えて、一体なにがしたいのだろうか。
目的があるのであればいいのだけど
大抵は暇つぶしで観ているものが多い。

なんでもできる、となると、余計になにをするかが大事になってくる。

私たちはこの選択を上手にする方法を習っていない。
この時代に、どう生きるかは、自分で手探りで選び取って行かなければならない。
倍速で動画を見る、ということもある種、この時代だからこその現象だと思う。

選択肢が増えるということは、=その中から自分で取捨選択していくということ
その取捨選択に、それぞれの個性が出るので、今までよりも
より自分らしい人生のカスタマイズができるような世界になるということ
かもしれない。

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