忠犬コタ公物語

小鳥 薊

第7話 キャミソール

僕には、犬の本能ともいえる、収集癖があった。
それは僕が人間の姿になってからも、密やかに、カヨちゃんに軽蔑されない程度で継続された。

食べかけのキャベツの芯、近所の少年たちが拾い損じたソフトボール、それから、こっそりカヨちゃんの匂いの染みついたキャミソールなんかを、引き出しや段ボール箱の中、物置小屋の一角なんかに保管しておくんだけど、結構な頻度で隠したことを忘れてしまって、キャベツの芯が腐った臭いでせっかくのキャミソールを捨てる破目になってカヨちゃんに怒られたり、思いがけないタイミングで見つけてほっこりすることもあった。

その度に、僕って本当、単細胞だなあ、と思う。
それでも、僕は自分の大好きなものを収集する癖を、ぱたりと止めることはできない。

僕はいつか死ぬとき、それらと一緒に土に埋まっていたいって思う。
そうして、その他の、僕がいくつも仕掛けた地雷みたいな僕の宝物は、僕の代わりに生き続ける。

僕がどうしてこのような話題から話を切り出したかというと、カヨちゃんのキャミソール、これは元々、僕のコレクションの一つではなかった。
もちろん、カヨちゃんの持ち物っていうだけで僕にとっては大切なものだけれど、だいたい、キャミソールなんて名前も、どういうものかも知らなかった。

僕は、物干し竿に掛かった、風にはためくカヨちゃんのキャミソール、もしくはカヨちゃんの部屋に無造作に置かれた脱ぎたてのカヨちゃんのキャミソールを見ると、身体がうずうずして堪らなくなる。
あの肩紐に、噛みつきたい。僕は、僕が噛みついたキャミソールを着たカヨちゃんを想像した。
カヨちゃんの白くて骨張った肩のラインを想像する。そこにはカヨちゃんの麗しき生命が瞬いている。その、細いライン。
僕は、カヨちゃんのキャミソールが、キャミソールの紐が、愛おしい。


僕にとってカヨちゃんのキャミソールが特別なものになったきっかけがあった。
僕等は、最近、互いを必要以上に意識するようになっていた。
何がきっかけだったのか、最近、カヨちゃんが僕とは違う性質を持った存在であるということを強く感じるのだ。
カヨちゃんの体つきが、どんどん僕とかけ離れていくのを、時間の流れとともに感じ、その興味が湧き水のように止まらない、僕は、正真正銘の雄であったのだ。
カヨちゃんに強い口調で何か言われると怯んでしまうのは今もそうだが、僕はときどきこの衝動を抑えられない。
カヨちゃんという肌に、触りたい。触れて、確かめたい。
何をかは、具体的には分からない、けれども触れれば分かる気がした。

僕の中の何か熱いものを、どうにかして放り出したいのだ。
僕にはその方法が、何となく分かっている。誰かに教えられたわけではない。けれども、僕は分かる。

「待った!」

それを言われると僕は刷り込まれた反射で動けない。
僕は、犬のように、うう、と唸り、カヨちゃんににじり寄る。

「カヨちゃん、僕等、恋人なんだよね」
「うん」
「僕さ、カヨちゃんにもっと触りたいんだ」
「触って、どうするのよ」
「確かめたいんだ」
「何を、よ」
「どうして僕は今、こんなに苦しいのか」
「苦しいの?」
「うん」
「どこが、苦しいの?」
「どこがって…」
僕は、この衝動の在り処を探した。
そしたらある一点に目線が留まり、それを見てカヨちゃんが言った。

「スケベ」

「スケベって何? 変な響きだね、なんて言われてもいいや。代わりに、僕のことも触っていいよ」

「……なんでだろう」

「え?」

「どうして、人間ってこのまま、少年少女のままでいられないんだろう」
カヨちゃんが呟いた。
「カヨちゃんは、この先を、知りたくない? 僕等が今、踏み込もうとしているものの、さ」

「できれば、知りたくないよ」

僕は、鼻先をカヨちゃんの鼻先へ近付け、カヨちゃんの唇をぺろりと舐めた。
僕らは今、ある神聖な、未知なる世界の扉の前に立っている。

「だけど、体が、熱いの」

「真夏のせいだ。僕はもう、我慢できない。」


するとカヨちゃんはキャミソールの肩紐を、片方だけ自分で下ろした。
僕は、それでもう、許されたのだと思って、もう片方をカヨちゃんがやったように、下ろすため、カヨちゃんの首筋から鎖骨にかけて、指の腹でその感触を確かめながら、カヨちゃんの滑らかな肌の上に僕の指を着陸させた。

僕の指先が、カヨちゃんの素肌を泳ぐたびに、カヨちゃんは溜息を洩らした。
僕はその声を聞くとますます、胸の辺りかお腹の辺りか、よく分からない場所がどくどくと脈打つのを痛い位に感じていた。

カヨちゃんの肩紐は、いとも容易くするりと肩から落ちた。
僕は、その落ちてしまった肩紐の匂いをくんくんと嗅いだ。

カヨちゃんの匂いが一番染みついている。

そのままま胸の膨らみまで鼻で弄ると、カヨちゃんに頭の天辺と小突かれた。


僕は、僕の知っている中で、最もカヨちゃんの匂いの染み込んだ物を発見した。
全く馬鹿みたいな発見だけど、カヨちゃんがもしも不在でも、カヨちゃんを感じられるところを、僕は見つけたのだ。


それがカヨちゃんのキャミソール。
正確に言うと、カヨちゃんのキャミソールの肩紐に、カヨちゃんの分身が在るということを、僕はこのとき知ったのだ。


それから先のこと、先の行為の意味を僕はまだ知らない。
どうして、こういうことをするのか分からない。
ただ、気持ちが良いから、とか、二人だけの世界というものを共有する手段、愛情を確かめるためにするんだと、一般的に返ってきそうな回答を並べることだけなら、僕らにもできるだろう。

カヨちゃんはもうすぐ十七歳。僕もだいたい人間の年齢でそれくらいだろう。
僕等はこのとき、年齢も身体も合致していた。
肌を重ねてしまったその先、僕等はどうなっていくのか。
ずっと、重なり合ったままなのか、それとも離れていってしまうのか。
けれども、僕はそういう不安を前にしても、その先を知りたいと思ってしまうのだ。
僕の、この衝動の意味が分かった。けれども、この行為の意味は一向に分からない。
大義名分は、もちろん、遺伝子に組み込まれた本能的な、繁殖行動。子孫繁栄のためだよね。
だからこんなに衝動的に興奮するんだ。
子孫繁栄。
今、僕はとても滑稽な単語を言ったな。僕にとってという意味だけれど。
だって、そもそも僕って、人間の子種を持っているのかな。
もしも、そういう行為をして、カヨちゃんの卵に僕の種が宿って子どもが出来たとしたら、それは人間の形をしているんだろうか。

想像してみる。

外側だけは人間で、犬の習性をもった子なんだろうか、それとも、人間の言葉を話す犬なんだろうか。
もしかすると、人間と犬の特徴を上手い具合に半々に併せ持つ見事な姿形のハーフなんだろうか。
僕は、そうして生まれた人間と犬のハーフを一生懸命想像してみた。
笑えた。
とんだミュータントだ。
フリークスだ。

どうして不完全なものや、余分なものは、美しくみえないのだろう。
普通と違うということが駄目なんだと、誰が決めたの。

話の趣旨が、逸れてしまったな。
僕等は完全じゃない。
とにかく、僕は今、決して繁殖を目的として行為に及んでいるわけではない。その矛盾を、知りたいのだ。
僕の身体を使って確かめたいのだ。


「コタ、待って!」
「また、待って? もう待てないよ」
僕は、カヨちゃんに言った。
僕が押せば、カヨちゃんが引くことがあるということを、僕はこの時初めて知った。
そういうことを、しても許されるということを、僕は今まで考えてもみなかった。

「カヨちゃん、お願い」

「…う…ん」

身体は蒸発しそうなくらいに熱くて、心臓も破裂しそうなくらい脈打っているのに、僕の脳は意外にも冷静で、僕は、ずっといろんなことを考えていた。
ある意味ではすごく集中していて、また別の意味では散漫だった。

どうしてかな、二人だけの世界ってもっと違う場所にあるような気がするんだ。
僕等にとって、僕等だけの世界とは……僕は考えてみた。
この快楽の海だろうか。
僕は悩む。
目を閉じて脳を探ると僕は、カヨちゃんとよく遊んだ原っぱとか、よく駆けた浜辺とか、そういうものを、思い出した。
あのとき、僕等は完全に二人だけだった。

思えばあの時が僕等の完全形だったのではないだろうか。
今は、どこにいても何をしていても何だか不完全な気がしてならないのだ。
近くにいてもどこか満たされなくて、だからこそ、こうやって体を重ねて確かめたくなるのだろうか。
そうすれば僕等はまた完全になれる。前みたいに完全形になれる、と。

カヨちゃんの肉体は、海に広がる白い砂浜のようだった。
風で研磨された、撫でらかに隆起した輪郭は、まさしく真夏の砂浜だった。
僕にとって、官能的とか、そういう感情って正直よく分からなくって、カヨちゃんを抱いているときはずっと、真夏の砂浜に寝転んだり思い切り駆けている気分だった。
そのことに気付いた時、この滑稽な行為の意義を僕は深い部分で理解したような気がした。
僕は、カヨちゃんと僕等だけの原っぱや砂浜に行きたいのだ。例え、歳をとってもそうなのだ。

「カヨちゃん、僕、この時間とっても好きだ」

僕がそう言うと、カヨちゃんの頬は少し紅潮した。


僕は、この先、何度だってカヨちゃんとこんな風に遊泳したい。
そのために、カヨちゃんのキャミソールの肩紐は、掴まなくちゃいけないライフライン。

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