グローオブマジック ー魔女の騎士ー

珀花 繕志

16.疾走


「愛の力と言うのは強いな」
 アーバンは穏やかな表情で二人に近寄った。
「お父さん……」
「まさか魔女となった人間を元に戻してしまうとは、感謝する。ルード・アドミラル」
 ルードは差し出されたアーバンの手を握る。
「もう一度同じことができる気はしないな」
「二度も奇跡を起こして、それ以上は贅沢と言うものだ。……妻を助け出すのか?」
 アーバンはわずかながら期待を込めた目でルードを見た。
「人体実験をしていることを考えればまともな形で生きていることは保証できない。しかし、俺の封印が都合よく解けたりすることを考えれば確認してみる価値はある」
 危険な賭けだが、とルードはつぶやく。
「ルード・アドミラル。君に娘と歩む覚悟はあるか? 娘といることはそれだけで危険が伴う。母親のしたことに怨みを持つ人間、王国の追っ手、全てに気を使う必要がある。犯罪者の娘と共の歩む覚悟が君にはあるか?」
 真剣な表情でアーバンがその真意を確かめようと見つめてきた。
 ルードはその瞳から目をそらすことなく、それに答える。
「あぁ。もう決めた。俺はスティアの騎士になる。スティアが生きたいと望むなら俺もそれに付き合う」
「……既に覚悟は出来ていたということか。君に全てを托そう。エリスがそうしたようにな」
 遠くを見るような目で立ち上がると、アーバンはローブをひるがえした。
「お父さん? 一緒に来てくれないの?」
「私は外で騒ぎを起こして、スティア達が動きやすいようにしよう。スティアはお母さんを助けてくれ。……お前が大変な時に側にいれなくて済まなかった」
 アーバンはローブのフードを頭から被ると再び転移の魔術の呪文を唱え始めた。
「アーバン!」
 ルードは彼に呼びかけた。
「君は妻と娘の大事を助けてくれた恩人だ。悪い虫、と言いたいところだが、認めよう。君がスティアを守ってくれ」
「……わかった。死ぬなよ。これ以上スティアとエリスを悲しませるな」
「婿殿の頼みだ。可能な限り努力しよう」
 短くそれだけ答えるとアーバンは転移魔術の呪文を唱え、その場から姿を消した。
 この辺り一帯の使い魔が活動を止め、代わりに他の隊が行っている地域の活動が活発になった様子ことが他の隊の通信からわかった。
「よし、俺達も行こう。アーバンが騒ぎを起こしている間がチャンスだ」
「本当にいいの? ルードも騎士を辞めることになるよ?」
 スティアは心配そうな顔で尋ねる。
「元々宮仕えの騎士なんて向いてなかった。今はそれよりも大切なものがある」
 ルードはそう言ってぎこちなく笑う。
「ちょ、ちょっと、待ちなさいよ!」
 立ち上がる二人の前にリイルが立ち塞がった。
「アンタたち、一体何をするつもりなの?」
 息を荒くして、裏切りにあったような憎しみと悲しみの入り混じったような複雑な表情をしていた。
「スティアの母親が騎士団の研究所に捕われている。助けに行く」
「助けて、どうするつもりなんだい?」
 リイルだけでなく、ラクトまでもが行く手を阻んだ。
 その表情は悲しみと苛立ちの混じった複雑なものだった。
「そのまま国を出る。どこか関わりのない国に移り住んで、静かに暮らすつもりだ」
 ルードの隣でスティアもそれに頷いた。
「この国をメチャクチャにして? いい度胸してるわね、アンタたち」
 リイルは眉間にしわを寄せて、苛立ちを隠そうともせず言い放った。
「お母さんを捕らえて実験動物にして、私の記憶を奪って、良いように働かせていたのは王国です」
「それは魔女化して犯罪を犯したからでしょ!? 王国が悪いとは言えないわ!」
 リイルの物言いにスティアは反論できずに押し黙ってしまう。
 すっ、とアリエルが間に入って口を開いた。
「でも、スティアを捕らえて魔女化させる実験までしたのはやりすぎだと思う」
「うっ……。で、でも、それは……」
 今度はリイルが黙ってしまう。
「これ以上、話をしても平行線を辿るだけだ。俺は、俺達は立ち止まるつもりはない。黙ってそこを通してもらえないか?」
「裏切るつもりかい? 僕は少なくとも君を友達だと思っていたんだけれどね」
「ラクト……。お前にも、リイルにも感謝している。魔力をなくした俺に本当に良くしてくれた。だが、この国の魔力がない者に対する扱いはあまりに酷い。犯罪者を実験動物にするシステムもだ。前々から愛想をつかしていた。俺はもうこれ以上この国にはいられない」
「本気なのね。わかった、じゃあおもう好きにしなさいよ。私達は邪魔も手助けもしない」
「リイルがそう言うんじゃ仕方がないね。僕もだよ。祝福もしないけど怨んだりもしない」
 二人は武器を収め、道を開けた。
「済まない。感謝する」
 ルードは頭を下げた。
 残りは一人。アリエルだけがルードたちの前に立っていた。
「アリエルちゃん……?」
「スティアのお母さんは研究所の地下にいる。人間として形は残ってた」
「アリエルもこの国に残るのか?」
「私は、人間じゃないからこの国から出れない」
「っ!? 今なんて……?」
 全員が驚愕して思わずアリエルの方を見た。
「ホムンクルス。人に作られた人。魔女の因子を持った人間の細胞から培養されたスティアのお母さんのコピー」
 衝撃の告白がアリエルの口からあっさりと告げられた。
「な、な……」
ルードたちは言葉が出なかった。研究所がまさかそんなことまでやっているとは思わなかった。
「私にはずっと苦しんでいる声が聞こえてた。お母さんを助けて、スティア。今、ルードの封印を解放してあげる」
 アリエルはルードにロッドを向けると、その呪詛を解く魔術を発した。
 ルードを縛っていた見えない鎖が崩れ落ち、その魔力が全て解放された。
「アリエル、お前が俺の封印を解いてくれていたのか?」
 アリエルはその問いに黙って頷いた。
「アリエルちゃん、私達と一緒に行こう!? 置いて行けないよ!」
 その呼びかけに対しては首を横に振る。
「行っても仕方ない。エリスは言ってた。研究にいいように利用されるのは自分のせめてもの罪滅ぼしだって」
「だからって……」
 アリエルという個人がエリスの罪を被る必要はない。そう言いたかった。
 しかし、アリエルはぎこちない笑顔を浮かべて言う。
「もう行って。エリスを、お母さんを、助けてあげて。もう充分に苦しんだはずだから」
「アリエルちゃん」
 下手な作り笑いだった。感情のこもらない空っぽな、表情だけの笑顔だった。
(そんな顔されたら、何も言えなくなるだろ)
 ルードはポケットの中のペンダントを握ると、それを剣に変えた。
「スティア、行くぞ」
「えっ? で、でも」
「今から反逆の罪を犯す俺達に、みんなができる最大限の譲歩なんだ。お母さんを助けるんだろ? それともコイツらと戦いたいか?」
 ルードの冷たい選択に、スティアはぐっと唇を噛み締める。
「……わかりました。ラクトさん、リイルさん、アリエルちゃん、短い間だったけどありがとう。楽しかった」
「僕らもだよ、スティアちゃん」
 ラクトは彼女の別れの言葉に困ったような顔で応えた。
「ルードを頼むね。コイツ、不器用で無愛想で頑固だけど、君と会ってから今までずっと想いつづけるくらい、すごく一途で純情な奴なんだ」
 知っています、とスティアは困った顔で笑う。
「ルード、スティアのこと大事にしなさいよ? こんないい娘もう一生会えないわよ?」
 言われなくてもな、とルードは背中を向けた。
「じゃあな。ありがとう」
 ルードはスティアの手を引いて、魔術研究所に向かって駆けて行った。
 その姿はすぐに見えなくなった。
「あーあ、行っちゃったわね」
「リイル、君、本当はルードが好きだったんだろう?」
「だ、誰があんな奴!」
 そう言った瞬間、リイルの目から涙がポロポロッ、とこぼれ落ちた。
 ラクトはそれを見てしまったが、目を逸らして何も言わなかった。
「しかし、驚きの連続だったね。アリエルちゃんがホムンクルスかぁ」
 ラクトは頭の上で腕を組み、その重大な事実をまったく気にした様子もなく言った。
「誰にも内緒」
「はいはい。言ったって信じてもらえないよ。……ルードたち、上手くいくといいけどね。本部にはあのフィート隊長が残ってる。そう簡単にはいかないよ」
 ラクトは見えなくなった後ろ姿を思い浮かべて、心配そうにそう呟いた。

 ルードたちは魔女討伐隊の本部に戻った。
 ここから騎士団本部を経由しなければ、魔術研究所には行けない仕組みになっている。
 討伐隊本部は水を打ったように静まり返っていた。
 全ての隊員が出払い、誰もいない状態だった。
「これならすんなり研究所に辿り着けそうですね」
 スティアは沈黙が支配する討伐部隊の本部を見てふぅ、と胸を撫で下ろした。
(いや、おかしい。俺達はともかくフィートやボウトさんは本部に残っているはずだぞ?)
「油断するな。多分どこかで待ち構えている」
 スティアを自分達のところへ送って、魔女化の実験を行っていたのだ。どこかで監視していないわけがない。
「ルード、スティア!?」
 討伐隊の本部から歩いてきたのは、ボウトだった。
「なぜ、こんなところにいる? 隊はどうした?」
 ボウトの手には武器はない。
(ボウト隊長はフィートの手のものか? いや、どちらにしても説明をしている暇はない)
 ルードはペンダントを剣に変えた。
「ボウトさん、黙ってそこを通してください」
「ルード、お前魔力が戻ったのか?」
「魔女は既に収まりつつあります。俺達は理由があって騎士団から抜けます。そこをどいてください」
「ふむ。理由も聞かず黙って通す訳にはいかんな。どうしてもというなら……」
 ボウトもブレスレットをハルバードに変えた。
「俺を倒してからにしてもらおう」
「理由を話せば通してもらえるんですか?」
「馬鹿な。魔力が戻ったお前の力も試さず、俺がすんなり通すと思うか?」
 ボウトはハルバードを肩に担ぎ、にやっと笑った。
(バトルマニアの血が騒ぐってことか)
 ルードも剣を構える。
 剣の刃を魔力の光が回転し、強く輝いた。
「スティアは下がっていろ。ボウトさん、押し通らせてもらいます!」
「来い、ルード! 俺はこういう状況を待っていたぞ」
 ボウトはハルバードを振り上げた。
「っ!」
 ルードは地を蹴って床を滑るように駆けていた。
「ぬおおぉぉぉぉぉ!」
 渾身の力を込めた一撃が迫る。
「はぁぁあぁぁぁ!!」
 ルードも結界での防御という無粋な手段は選ばない。
 ただ剣をボウト目掛けて抜き放つ。
 ハルバードの斧の刃と魔術剣がぶつかった瞬間、勝負は決まった。
「っ!?」
 ハルバードの刃先が真っ二つに切られ、ルードの体がボウトの横をすり抜けていた。
「ククッ、お前とは何度かやり合ったが、初めての負けたな。真正面からぶつかってくるとはな」
「守るためなら俺は負けません」
 ルードは剣をペンダントに戻した。
「ここは通してやる。事情は知らんが、上手くやれ」
「ありがとう、ございます」
「初めて、お前が本気になるのを見た気がするな」
 ボウトは、がはっ、と血を吐いて石畳に倒れこんだ。
 石畳から盛大に砂埃が舞った。
「す、凄いです! ルードさん! あのボウト副隊長を一撃で! でも、ボウトさんは……」
「深くは切ってない。数時間もすれば意識が戻るだろう。……ボウトさんが負けてくれたんだ。はなむけってやつかもな。先を急ぐぞ、次はそうはいかない」
「はい。次は私も戦いますから」
「あぁ、頼む」
 ルードはスティアの手を引き、魔術研究所へと駆けた。

 魔女討伐部隊の本部を抜け、床が石畳から大理石にものに変わり、魔術研究所に入った。
 魔術研究所は壁も床も白一色で統一された清潔な印象の病院のような建物だった。
 しかし、薬草や獣のような臭いがいたるところから漂っており、まともな空間でないことがはっきりとわかった。
「スティア、母親がどこにいるのかわかるか?」
 ルードは走りながらスティアを見た。
「え、と。正確な場所はわかりません。けど、何となくの感覚でこの先の一番奥の部屋にいる感じがします」
 ここまでほぼ走り抜けてきたが息が切れたり、疲れている様子はない。魔女化したことによって身体能力も上がっているようだった。
「気をつけろよ。おそらくこの先にフィートもいる。魔力を取り戻した俺でも勝てるかどうかわからない」
「大丈夫です。ルードさんは負けません」
「簡単に言いきってくれるな。何故そう思う?」
「だって、ルードさんは守るためなら負けないって言っていました」
 ボウトにだけ聞こえるように言ったつもりだったが、どうやらスティアにまで聞こえてしまっていたらしい。
「守るって、私のことですよね?」
 スティアは頬を赤くして上目遣いにルードを見上げる。
「そうだ。お前のことだ」
 今更気持ちに嘘をついても仕方ない。スティアを真っ直ぐに見つめて告白する。
「あぁ、嬉しいです。ルードさん」
 嬉しさがこぼれだしていきそうなほどの満面の笑顔だった。
「さんはいらない。ルードでいい」
「はい。ルード。私もあなたが好きです。ずっとこれからあなたの側にいたいです。だから負けないでください」
「あぁ。わかった」
 頬を赤く染めた彼女の手を強く握って、その約束を守ると誓った。

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