グローオブマジック ー魔女の騎士ー

珀花 繕志

13.仇敵


「償い、か。よくわかっているようだな。ルード・アドミラル」
 訓練場の中に低い、よく通る声が響いた。
「誰だ!?」
 ルードはすぐ様立ち上がり振り返る。
 夕闇の中、一人の男が立っていた。
 隊の人間ではないのはすぐにわかった。
 それはゆっくりと近づいてくる。沈みかけた夕日に照らされて、ようやくその姿が見えた。真っ黒いローブを羽織った魔術師だ。鈍い銀色の髪に痩せこけた顔に彫りの深い目鼻立ち、あごには無精ひげが所々覗いている。手にはこれまでの出撃で何度も撃退したドルイドが握っていた樫の木の杖があった。
「ようやく会えたな、ルード・アドミラル。そして、我が愛しい娘スティア」
 夜闇よりも黒いローブを翻し、男は革靴の底を鳴らして二人に近づいてくる。
「誰だ、貴様? どうやってここに入ってきた」
 ルードは剣を抜き放った。
 魔術的な防壁を張り巡らせた魔女討伐部隊の本部に、国立祭で手薄になっているとはいえ一介の魔術師が入ってくるなどと考えられない。
「私はアーバン・シーモア。穴だらけの防壁しかないここに侵入するなど造作もない」
 ありえないことを易々とやってのける魔術師。敵であるならば間違いなく破格の強敵といえるだろう。
「……娘と言ったな。どういうことだ?」
「言葉の通り、スティアは我の娘だ。お前が殺した我が妻との最愛の娘だ」
「えっ!?」
 スティアが悲鳴に似た声を上げて、息を飲んだ。
「落ち着け、スティア。お前の記憶の中にアイツの記憶はあるのか?」
「え、あ、あれ……? ありません……。でも、その人は……。それにお母さん?」
「そうだ。私はお前の父親だ。そして、そこにいる男は私たちの最愛の人を殺した非道な敵だ!!」
 その言葉にスティアはよろめいてルードの側を離れる。
「デタラメだ。信じるな」
「嘘なものか。お前の記憶をよく捜してみろ。エリスを殺すこいつの姿が残っているだろう?」
「え……? あ、う……」
 スティアは頭を押さえてその場にしゃがみこんでしまう。
「スティア! しっかりしろ!」
「あ、頭が痛い。割れてしまうそうです……!」
 スティアは地面にうつぶせになり、体を丸めるように頭を抱え込んで苦しんでいた。
「さあ、思い出せ! 憎い敵のことを! 奴らに消された記憶を蘇らせるのだ!!」
「黙れっ!!」
 ルードは魔術師・アーバンを一括し、地面を蹴って襲いかかった。
「はっ。魔術が使えない貴様など……」
 アーバンは杖をルードに向け、そこから無数の氷の槍を放った。
「魔術が使えないからと言って舐めすぎだ!」
 ルードは素早く剣を振るい、氷の槍を打ち落とした。
 アーバンが驚いた一瞬の隙を点いて自分の間合いに飛び込むと、ルードは剣を振り下ろした。
 アーバンはその一撃をかわすこともなく、自分の体に剣が食い込むのを黙ってみていた。
「っ!? かわしもせず、一体どういうつもりだ?」
 いぶかしんでいると、剣の先から泥の固まりを潰すような感触が伝わってきた。
「なっ!? これは!」
 ルードはとっさに地面を蹴って距離を取り、油断なく目を凝らした。
「なかなかに鋭いな」
 肩から腰までをバッサリと切り裂かれ、なおも平然と歩いている。
「ゴーレムか……」
「少し違う。これはネクロマンスだ!」
 彼が叫んだ瞬間、闘技場の砂埃が巻き上がり、人の形を成した。さらに宙に漂う魂をその砂のゴーレムに定着させ、それらが人間のように動き出す。
「死者の組成は王国で禁じられている。貴様、禁呪に手を出したのか!?」
「お前たちのやっていることと変わらん。私は最愛の妻を奪われた怨みを晴らせるならなんだってする。まずは娘を返してもらうぞ!!」
 アーバンが手を振り下ろすと、意志を持った砂の人形たちが一斉にスティアに向かって襲いかかった。
「スティア!!」
 完全に油断していた。
 狙いは自分だとばかり思っていたが違った。彼の目的はスティアを取り戻すことだったのだ。
「ううぅ……」
 スティアはうずくまったまま、動かない。
「スティアッ!」
 砂の人形の手がスティアの肩にかかろうかという直前、ルードは剣を投擲した。
 真っ直ぐに飛んでいった死者の魂がこもった泥の肉体を打ち抜き、行動不能にしたものの、そのまま剣は砂に飲み込まれてしまう。
「スティアッ! 顔を上げろ! 目を覚ませ!」
 声を張り上げるが、彼女にそれは届かない。
「くっ!」
 彼女を守る、それが約束であり、命令だ。
 そのためになら、命を落としても構わない。
(え?)
 そう思った瞬間、急に体に羽が生えたようだった。地面を蹴る足が異様に軽くなり、一歩の幅が倍以上に長くなった気がした。
(そうかよ。守っていいんだな?)
 彼女が許したのだ。父親からスティアを守ることを。
「承知した。全力で行くぞ!!」
 ルードはその感覚を思い出すように魔力を操った。
 指で輪を作り、視界から彼女だけを覆うように切り取る。そして、魔力を開放する。
「アイギス・シールド!!」
 ルードが叫ぶと、彼女を包み込むように光の防壁が生まれた。
 光の壁は襲いかかる砂人形を弾き飛ばし、彼女を守る。
「っ、どういうことだ!? 貴様、魔術を使えたのか!」
「生憎だな。スティアの母親はお前からスティアを守れと言っている」
 ルードは更に魔力を練り込み、今度はポケットに手を突っ込むと剣型のペンダントに魔力を込め、それを剣に変化させた。
 もう使うことはないと思っていたが、手放すことができず持ち歩いていた、かつて使っていた魔術の恩恵を受けた剣だった。
 刀身は今扱っているものよりも短く、ルードの半身ほどの長さ。しかし、それには様々な魔術的機能が備えられており、柄の部分には魔力の弾丸を打ち出す銃口を備え、剣の刃の部分に高密度の魔力を回転させ凄まじい切れ味を生み出すことができる。
 この剣が魔女討伐部隊設立当時のルードを支えていたと言っても過言ではない。
「さぁ、どこからでもかかって来い! 相手をしてやる」
「魔術が戻った程度でいきがるな!!」
 アーバンが手を振り下ろすと再び砂が集まり、また無数の砂の兵隊が現れた。
(相棒、また頼むぜ!)
 ルードは強く剣を握りしめると、剣はそれに呼応するかのように刃に魔力が回転し始めた。
「行くぞっ!!」
 地面を蹴り出そうとしたその瞬間、何かに足を捕まれた。
「っ!? 泥の手!?」
「砂と魂はどこにでもある! 気付かなかったか?」
 足元を見ると、砂が手の形となってルードの足首をがっちりと捕まえていた。
「窒息させてしまえ!!」
 足の止まったルードを砂の人形が襲いかかった。
 ルードは咄嗟に剣を振るったが、斬られた人形は砂に戻ってそのままルードに降りかかってきた。
「くっ! 何だ、こんなもの!」
 それを手で払いのけたが、それは意志を持っているかのようにルードの体から離れない。そうしている間にも次々と砂の人形が飛びかかってきて、ルードの体が徐々に砂でまみれていく。
「ぐ、ぐっ!」
 とうとう鼻や口の周りにまで砂が纏わり付いて、呼吸が困難になってきた。
(アイギス・シールドは使えない。スティアの防御を解くことになる。それなら!)
 ルードは剣をアーバンに向け構えた。
「ステークバースト!!」
 全身のバネを使い、その剣でようやく真価を発揮できるその必殺技を、アーバンに向けて解き放った。
 瞬間、剣に備えられた銃口から凄まじい速度で光の弾丸を放ち、アーバンの腹部を貫き、吹き飛ばしていた。
 アーバンはそのまま壁に叩き付けられた。
「がふっ……。馬鹿な、それは近距離に限る技だろう……」
「使い魔を使って俺の技もリサーチ済みって訳か? 残念だったな。砲撃機能を備えたこの剣なら弾丸を放つこともできる」
 直接当てるよりは威力は落ちるけどな、とルードは剣を下ろした。
 魔力の供給を失いただの砂に戻ったものを払い、アーバンに近付いていく。
「その怪我で動けば命の保証はしない。大人しく投降してもらおう」
「くっ、くくく、ははははは! 魔女なら殺し、人ならば助けるのか? 魔女殺しの騎士よ」
 その笑い声はルードの神経を逆なでしたが、ソフィアを助けられるなら安いものだ。
「何とでも言え。これ以上の犠牲は御免だ」
「貴様の実力はよくわかった。この程度ならば私の敵ではないだろう」
「何!?」
 見るとアーバンの体が砂に変わり、崩れ落ちていく。
「使い魔だと……?」
「その通りだ。貴様の相手などこれで充分だと思ったが、少し甘く見ていたな。娘は預けておいてやる。だが、すぐに取り戻す。そして貴様らを必ず根絶やしにしてやる! それまでせいぜい悲劇の英雄でいるがいいさ」
 砂は完全に崩れ去り、そこからアーバンの気配はなくなった。
 おそらくアーバンは魔女討伐部隊の本部に直接侵入したわけではなく、壁の外で身を隠し、敷地内にネクロマンスを発動させたのだろう。魂と土を混ぜ合わせて本部内に自分そっくりの使い魔を作り出したのだ。その方法でなら見張りの兵士たちが気づかせずにできるかもしれない。とんでもない芸当であるのは違いないが……。
「父親、生きていたのか……」
 ルードは体から急激に力が抜けていくのを感じた。再び魔力の使えない体に戻ったのだと実感した。
「……スティア」
 ルードの魔力が封印されると同時に、光の防壁も消え去り、彼女の姿が現れた。
「ルード、さん」
 スティアは大きな瞳からポロポロと涙をこぼし、悔しそうに歯噛していた。
「なんで、なんでなんですか? 私、あの人のこと、知らないのに、懐かしくて、悲しくて涙が出ます」
「スティア……」
「あの人の言うことが本当なら、あの人は私のお父さんで、ルードさんは私のお母さんを殺した敵なんですか?」
「……」
 ルードは喉の奥まで出てきた言葉をぐっと飲み込み、胸元をきつく掴んだ。
「なんで私にはお父さんの記憶もお母さんの記憶もないんですか? おかしいです、こんなに涙が出るのに、おかしいです!」
「……」
「なんで何も言ってくれないんですか? 答えて、答えてください。ルードさん!」
「俺は……」
 もはや黙っていることはできない。そう思った瞬間だった。
「ルード! スティア! 無事かい?」
 フィートを先頭に闘技場を見慣れぬ黒い甲冑の騎士たちが包囲していた。フィートの指示で周辺の索敵を行うと同時に騎士たちはルードたちにも武器を向けていた。
(なんだ、この騎士たちは? 魔女討伐部隊の騎士じゃない。なんで俺たちにまで武器を向ける?)
「フィート隊長! これはどういうことですか!?」
 それにどこかで見張っていたかのようなタイミングの良さだ。スティアに情報を与えるのを阻止するような動きだった。
 索敵を終えた黒い甲冑の騎士が闘技場に戻ってきてフィートに報告をする。
「魔力の反応はありません。完全に撤退した様子です。周辺にも敵の気配はありません」
 フィート直属の騎士なのか、見たことのない者たちばかりだった。その騎士たちが次々と報告を上げていく。
「わかった。引き続き警戒に当たってくれ」
「はっ!」
 騎士たちはそう返事をすると、ルード達からも武器を引き、あっという間に姿を消してしまった。
(噂で聞いたことがある。騎士団内部の魔女化を調査・阻止、場合によっては暗殺を目的とする部隊があると。フィート隊長はそこの隊長も兼任してるのか?)
 訓練中に姿を見せなかったりするのもそのため、と考えればつじつまが合った。
「無事だね。ルード、スティア」
 フィートはゆっくりとルードのところ歩いてくる。
「フィート隊長、最初から我々を監視していたのですか?」
 ルードはフィートに詰め寄った。
「悪趣味な真似だったよ。許してほしい」
「それならば何故途中で支援してくださらなかったのですか?」
「……スティアに直接の危機が及んだ場合、どう動くか確かめたくてね」
 フィートは胸を指で叩いた。おそらくルードの中にある魔女の呪いのことを指したのだろう。
「そして、彼女の動向もね」
 フィートは流し目でスティアを見る。
(そっちが本命か。助けなかったのは、スティアが魔女にならないか確認するためだな)
 彼女はフィートを睨むように見ていたが、意を決したように近付いてきた。
「フィート隊長!」
「危ないところだったね、スティア。無事で良かった」
「ごまかさないで下さい! 知っているんでしょう? 私の記憶は何故ないんですか!?」
「スティア、君は疲れている。疑心暗鬼になっている今の君に何を話しても信じないだろう」
「そんなことありません! 真実を教えてください!」
 叫ぶ彼女の目にフィートはゆっくりと手をかざした。
「な、何を……」
 スティアはよろめき、足元をふらつかせた。
「おっと」
 フィートはその体を抱きとめ、そのまま抱き抱えた。
「彼女には調整が必要だね」
「記憶を操作するつもりですか?」
「そんな非人道的な言葉を使わないでほしいね。魔術による精神の安定を施すだけだよ」
「また父親が来れば思い出しますよ?」
「そうはならないように念入りにやってもらうさ」
「……」
 ルードはぐっと拳を握りしめる。手の平の中には魔力を失い、ペンダントに戻ったかつての剣を見つめる。
(今はその時じゃないってことかよ。くそっ、なんでだ?)
 解けない封印にやり切れない気持ちを噛み殺す。
「フィート隊長、彼女を解放することはできませんか?」
「彼女に同情しているのかい? それならそれは大きな過ちだ。君は騎士だ。騎士は何のためにいる? 誰を守らなければならない?」
「国家を守るため、国王と国民を守るために存在します」
「そう。そして、魔女討伐舞台は魔女の脅威からそれを守るために存在する。魔女に同情してその刃を鈍らせてしまって良いわけがない」
 フィートはそう断言した。
「今度会う時にはもしかしたら君の記憶を失っているかもしれないけどね、また仲良くしてやってくれ」
 軽やかな笑いが妙にルードを苛立たせた。
 ぎりっと奥歯を食いしばって、ルードはペンダントをポケットにしまった。
「……承知しました」
「いい返事だ。その調子なら君が本当の意味で騎士になる日も近いだろう」
「そうだと良いですね」
 フィートは予言めいた言葉をつぶやいて闘技場から去って行った。
 それに続いて騎士たちも姿を消す。
「……くそっ。なんで俺は……」
 一人取り残されたルードは悔しそうにポケットの中のペンダントを握りしめた。
 闘技場の柱の影で銀色の短い髪が、きびすを返していなくなったことにも気づかぬまま。


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