グローオブマジック ー魔女の騎士ー

珀花 繕志

3.因縁

「それまで!」
 凜とした声にざわめく闘技場が水を打ったように静かになった。
 声の主が闘技場におりてくると憧れと畏敬の念がこもった視線で迎えられる。
「フィート隊長」
「いらっしゃっていたのですか?」
 隊員たちの視線の先には不敵な笑みを浮かべた長身の男が立っていた。
「これだけ大騒ぎされればね。ボウト副隊長、訓練はほどほどにと言ったはずだよ?」
 その男フィート・スクライアは微笑みを崩さず、まったく責める気のない優しげな口調で言った。
 サラサラに流れる金髪と切れ長な瞳、端正で整った顔立ちは男女を問わず魅了してしまうほどだ。背もボウトと同じくらい高く、理想的な八頭身を誇っている。その雰囲気にはどこか高貴さがあり、新品のように整った制服につけられた勲章と腰に下げた細かい銀細工のレイピアは輝いていた。
「は、申し訳ございません」
 ボウトはハルバードを引っ込め、最敬礼でフィートを迎える。
「ルードも……」
「俺に検査なんて関係ないだろう。それどころか一日訓練を怠れば三日の遅れが生じる」
「やれやれ、君は相変わらずだね」
 フィートはふぅ、とため息をつく。
「まぁ、丁度いい。ほとんどの隊員が集まっているみたいだしね。全員集まってくれ!」
 突然の号令に戸惑いながらも集まる隊員。
「訓練は休みって言ってたのに、何かな?」
「知らないわよ、そんなこと。行くわよ」
 ラクトとリイルも指示に従って整列する。
「お疲れ様。今日の魔力測定検査は滞りなく終わったようだね。魔力の採取や測定で疲れただろうから訓練なしで解散にしたいと思っていたんだけど……」
 フィートは隊員の顔を見渡すと爽やかに笑う。
「みんな集まっちゃったみたいだからね。明日伝える予定だった連絡事項を先に話しておこう」
 隊員たちはざわめき、困惑気味にフィートの言葉を待った。
「本日付けでこのイクサスに新たな魔術治療士が配属されることになった。スティア、出ておいで」
 フィートに紹介されて、柱の影からおずおずと少女が現れた。
 ふわふわと広がるウェーブのかかった栗色の髪と光を通してしまいそうなほど白い肌。長いまつげの下には子供のように大きな瞳。シスターのような清楚な雰囲気と女性らしい身体つき。女性用の騎士団服と純白のローブがあつらえたように似合っていた。
 目が覚めるような美しい少女の登場に隊員たちが感嘆の声を上げた。
「は、初めまして。今日からお世話になることになりましたスティア・シーモアです。ふつつか者ですが、よろしくお願いいたします」
 スティアは緊張しているのか、頬を若干紅潮させていた。
 男性隊員が一瞬にして沸き上がる。
「おいおい、マジかよ? メチャクチャ可愛いぞ!」
「今朝は良い予感がしてたんだよ! あんな可愛い娘がウチの部隊に来るなんてラッキーだぜ!」
 ざわめく隊員を尻目に、数少ない女性隊員の一人であるリイルはため息をついた。
「相変わらずウチの隊の男どもは馬鹿ばっかりね」
「いいじゃないか。リイルだって女性隊員が増えて嬉しいだろ?」
 ラクトも他の男性隊員と同じようにウキウキした様子で言う。
「そりゃあ、フォロー要員が増えてくれるのは助かるけどさ」
「ルードもそう思うだろ? なあ?」
 ラクトが声をかけると、ルードは彼女を見て驚愕し、わなわなと体を震わせていた。
「……っ!」
 なぜそこに彼女がいるのか? 頭が混乱して理解ができなかった。
 今でも鮮明に覚えている。自然を狂わせるほどの凄まじい魔術、対峙したときの身震いするような圧迫感。
 仲間を殺され、古く苦い思い出に憎しみを駆り立てられた。憎しみだけで恐怖を押し殺し、命令を無視して彼女と対峙した。
 体を切り裂いた強力な魔術と心を切り裂く彼女の悲鳴。
 魔術討伐部隊すら手におえなかった魔女をたった一人で討伐した。そして、強力な呪いで体中の細胞を変化させられた。
 数年経った今でもその悪夢にうなされた。その夢を見たときは決まって起きるといつも全身びっしょりと汗をかいていた。
(なぜ、彼女がここにいる?)
 自分が倒した魔女の娘。
 事件後、彼女は騎士団に保護され、あまりのショックによりその記憶一切を無くしていた。そのため身寄りのない彼女は養護施設に行くことになったのではなかったのか?
 何度も謝罪したいと思い、彼女が復讐を望むのなら討たれてもいいとまで思っていた。
「君と会うことで記憶を取り戻されて、もし万が一にも魔女化されては困る」
 魔術医療士にはそんな風に言われて、今まで会うことも許されなかった。
(なんで今頃こんなところに彼女がいる? 贖罪でもしろというのか?)
 理由はわからない。だが、黒幕は分かった。
「おい、ルード?」
 ラクトは声をかけておいて、怒りに震えるルードを見て言葉を止めた。
「そうか、アイツかよ」
 ルードは突き刺さりそうな鋭い視線でフィートを睨みつける。
 フィートは意に介した様子もなく、ニコニコと笑っている。
「連絡は以上だよ。彼女に声をかけたいのはやまやまだろうけど、今日はまだ事務処理が残っていて彼女も多忙だ。明日から一緒に訓練に参加するからそれまでお預けだ。さ、皆は明日に疲れを残さないように宿舎に帰って休んでくれ。解散!」
「ありがとうございました」
 隊員たちは敬礼をして、思い思いに去っていく。
 ただルードとラクトたちだけは残っていた。
「おい、帰ろうぜ。ルード」
「先に帰れ。俺はフィート隊長に聞きたいことがある」
「ルード。隊長は多忙だって言ってるでしょ?」
「うるさいっ!!」
 ルードは大声で二人を怒鳴りつけ、腰からその大剣を抜いた。
「待ってください! フィート隊長!!」
 殺気をはらんだ怒気がフィートたちの足を止める。
「なんだい? ルード。訓練じゃないんだ。その剣をしまいなさい」
「俺に何の説明もなしですか? 説明の次第によればあんたを斬る」
「物騒だね。何のことだかわからないよ」
 ひょうひょうと答えるフィート。
 ルードはぎりっ、と歯を食いしばる。
「とぼけるな。そいつは俺が……」
 しゃべりかけたところで頬に激痛が走り、ルードがそれ以上喋れなくなった。
 その一瞬の隙にフィートはルードのすぐそばにまで近づいていた。
「……彼女の前でそれをしゃべっちゃいけない」
 フィートはルードにだけ聞こえるような小声で話す。
「なら、こんなところに連れてこなければいいだろう」
「上層部の命令だ。君の呪いを解きたいと思っているのは、君だけじゃないんだよ? 彼女にその鍵があるかもしれない。君の側に彼女を置くことによって何かわかるかもしれないだろう?」
「ふん、眉唾だ。そんなことをするより先にやるべきことがあるだろう」
 ルードの呻くような声を聞いて、フィートはにやり、と笑う。
「君の言いたいことはわかるけど、まずはその前段階からさ。国家のために従順に働いてくれている君の呪いを解くことが第一さ。……彼女の側にいてその変化や何かあればすぐに報告するんだ。いいかい? 命令だ」
「俺といることがきっかけで、彼女が何か思い出して『魔女化』したとしてもか?」
「その兆候があったら、僕に知らせるんだ」
 背筋を凍えさせるような冷たい瞳だった。
 ルードはごくり、とつばを飲み込む。
「……あんたの手の平の上で転がれってことかよ」
「人はみんなそうさ。与えられたフィールドの中で足掻くしかない」
何かを諦めたかのような渇いた笑顔。それを悟っている者にしかできない表情だった。
 ルードはそんな気持ちを理解したいとは思わなかった。
「話はそれだけだね? もう行くよ?」
 彼はルードから離れ、爽やかな笑顔を浮かべる。
「……」
 ルードは歯を食いしばり、憎らしげにフィートを睨み付ける。
 それをじっと見つめていたスティアが意を決したように声を上げた。
「あ、あの……!」
 彼女はフィートの横をすり抜けて、ルードのところに近づいてきた。
 ルードはその行動に驚いて何もできなかった。
 彼女はルードの顔を覗き込むように見つめてくる。
 硬直したまま何もできないルードの頬に彼女は手を伸ばした。あの時の泣き顔が、脳裏に浮かぶ。
「っ!!」
「あの、痛いですよね? 私、治療の魔術が使えるんです。よかったら治療させてもらってもいいですか?」
 彼女の指先が優しく傷に触れる。指先から淹れたばかりの紅茶の香りがした。
 あの時の涙が、憎しみのこもった瞳が嘘のように、心優しい普通の少女がルードを心配そうに見つめていた。
「……触るな。放っておいていい」
「放っておいたら跡が残ります。すぐに治療をしたほうが良いです」
 彼女はその指先に治癒の魔術を宿した。温かい光をまとった指がルードの頬に触れる。
 こんなときを迎えられると思わなかった。
 どれだけこの日を望んだことかわからない。魔術による記憶操作なのか、あるいは記憶の喪失なのか。
 だが、それは彼女が忘れているだけのこと。自分が憎むべき敵だと知れば、すぐに態度を一変させるだろう。ならば……。
「もう少し、待ってくださいね」
「やめろ、余計なお世話だ」
 彼女の手を握り、ルードはその顔から離した。
 彼女は驚いて治癒の魔術を止める。
「必要ないと言っただろう。そんなにしたいんなら、さっきお前を見て歓声を上げていた奴にでもしてやれ」
 ルードはゆっくり彼女の手を放した。
 彼女は傷ついた様子で自分の手を握る。
「……ごめんなさい」
 吐き捨てるように言った言葉に、彼女は済まなそうに謝った。
「この隊にいるつもりなら今後俺と関わるな。俺に関わっても孤立するだけだ。わかったな。わかったら、さっさとフィートのところに戻れ」
 ふい、とそっぽを向いて彼女から視線を反らす。
(やりすぎか? だが、俺はコイツとその母親に害をなした人間だ。完全に魔女になっていたとはいえ、それは許せる罪じゃない。優しくされるなど間違っている。例えその記憶が彼女になかったとしてもな)
「いくよ、スティア」
 戸惑う彼女にフィートが優しく声をかけた。
「あ、は、はい」
 フィートに呼ばれ、彼女は去っていく。
(これでいい。これからも、俺と彼女は関わらないほうがいいだろう)
「ごめんなさい。あなたのことよく知りもしないのに、勝手なことして」
 去り際に再度頭を下げて、スティアは後を追って去って行った。
「……」
 ルードは無言で立ち尽くす。
 彼女の消えていく背中が寂しげに見えて、ルードは少し後悔した。
「何やってんだよ。女の子には優しくしなきゃ駄目だろ! せっかく向こうから話しかけてくれたのに!」
 今までまったく会話に入ることができなかったラクトが、ルードに肩を組んでくる。その上、全力で首を締め付けてきた。
「フィート隊長と何を話してたの?」
 同じく状況に圧倒されていたリイルもずいと詰め寄ってくる。
 どうやら二人にはフィートとの会話は聞こえなかったらしい。
(そういうところが、アイツの上手いところだ)
 他の誰にもあの冷たい顔を見せないのに、なぜかルードにだけは別だった。
(嫌いな奴には容赦ない上官か。あんな奴が上官だと思うとウンザリするな)
 だが、上からも下からも評価は高い。彼らがその本性を見たらどう思うのか……。
(まぁ、勝手にやっていればいい。俺は魔女を狩るだけだ)
 彼女とその娘のために、殺されてしまった者のために、もう二度とあんな事件は起こさせない。それが一年前の事件をきっかけにルードが決意したことだ。
「あーあー、わかった。悪かった。それより帰るぞ? 今日はもう疲れた」
「あ、適当にあしらって、いいのかなー、そんなことしても」
「宿舎に戻ったらキッチリ聞かせてもらうわよ」
 詰め寄る二人。魔力をなくしても変わることなく接してくれているのは、彼らくらいのものだ。二人には感謝をしている。こんな無愛想で自分の考えだけを貫こうとする人間にかまってくれるのだ。
 ルードはリイルたちに聞かせる適当な作り話を考えながら、三人で宿舎に戻っていった。


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