週末自炊酒

飯炊きおじさん

第十一話 鎌倉からのお裾分け

「…へ?お裾分けですか…?」

男は気の抜けた声を出した。
5月中頃の木曜の朝、この日の課内のメンバーは在宅勤務だ。
男を含めた課員はオンライン会議で画面の向こうの課長と話している。

課長が男の反応に続ける。
「そう、実家から今年も沢山野菜が取れたって届いたんだけどね、量が多いんだよ。ウチも子供も独り立ちしちゃって今や妻と2人暮らし、とてもじゃないけど食べ切れないからさ、貰ってくれない?」
とのことだ。

同僚が、
「いやぁ、自炊しないんで、俺も持て余しちゃいますよ」
と続ける。

課長が、そうか…とシュンとする。
男は、
「ちなみにどちらからですか?」
と聞き返した。

課長は、
「鎌倉だよ。野菜以外にソーセージやビールが沢山入ってる。野菜貰ってくれるならこれもあげる」
と返した。

男は内心、
「ほう…鎌倉野菜か…ソーセージやビールは地場のものだな。これは良い晩酌になる」
と考え、課長のお願いを聞き入れることにした。


翌金曜日、この日出社していた男は、お裾分けの受取りがあるからと早めに帰るよう促された。
帰る際に、男はどんな野菜が届くか課長に聞いた。

課長は、
「えーと、まず、そら豆だね。あと、からし菜。あ、もちろんソーセージとビールも入れといたよ」
と返す。

「そら豆とからし菜…」
男は呟いた。

課長が続ける。
「鎌倉野菜って、京野菜みたいに"これが鎌倉野菜"って言う品種は無いんだ。まあ、中にはそんなのもあるだろうけどね。それよりも肥沃な土壌を持つ鎌倉で育った野菜全般をそう呼ぶんだ。だからそこらで売ってる野菜よりも味が濃くて美味しいよ」

なるほど、と男は頷く。
しかし、そら豆はともかく、からし菜は扱ったことがない。
男はその調理方法について少し調べつつ家路についた。

「からし菜は…ふむ、サラダから炒め物まで…何にでも使えそうだ。なら、今日はシンプルに行くか」

途中、男はいつものスーパーに寄って、粒マスタードだけ購入した。

いつものレジ打ちの女性が少し驚いた顔で、
「今日はこれだけなんですね」
と聞くので男も驚いた。
お互い面識はあるものの、ほとんど言葉を交わしたことがなかったからだ。
男はこの女性を、淡々としていて無口な人だろうと思っていたので余計にびっくりしたらしい。

とは言え、男は彼女に、
「ええ、上司からソーセージをお裾分けで貰いまして。今日の晩酌はそれにしよう、と」
と返す。

女性は、
「それは良かったですね。ソーセージってお酒に合いますよね」
と男に合わせた。

男は今日の晩酌に思いを馳せつつ、「ええ」と答えて会計を済ませ、家路についた。

家に着き、食材が届くのを待つ間に諸々の家事を済ましてしまう。

その内に件の届き物が来た。2箱ある。
片方は食材で、片方はビールのようだ。
それらを台所に持っていってビールのみ、冷蔵庫に入れて準備を始める。

「さて、3点ほど、ささっと作りますか」
男が楽しそうに言いながら、食材を並べていく。
【そら豆のグリル】
・そら豆
【粗挽きソーセージ焼き】
・粗挽きソーセージ
・マスタード
【からし菜のお浸し】
・からし菜
・醤油
・鰹節

まず、そら豆の素焼きからだ。
と言ってもさやごと魚焼きグリルに入れて焼くだけだ。
予熱無しの強火で6〜7分焼く。

次にソーセージ。
こちらも難しいことは何もなく、弱火から中火程度で5分ほど焼くだけだ。
たまにひっくり返す。

そら豆とソーセージを焼いている間にからし菜のお浸しを作る。
沸かしたお湯にからし菜を入れ、少ししんなりするまで茹でる。
茹でたらザルに上げ、水で冷やし、水気を絞る。
それを3〜4cmの長さに切り、器に盛り付けてかつを節をかぶせて醤油を垂らして完成だ。

からし菜をお浸しにしている間にそら豆とソーセージも焼き上がった。
それらを皿に盛り付けて、晩酌の準備完了だ。

男は冷蔵庫から鎌倉の地ビールを取り出す。
3種類のビールがあるが、男はこの中のペールエールのものを選んだ。
席に付き、一言、

「何か今日は豪勢だな」

調理を始めてから10分程度しか経っていないが、3品も並んでいる。
普段多くても2品しか作らない男にしては珍しい。
男はそれらを眺めながら早速ビールを飲む。

「んぐ…んぐ…くはぁ…あー旨いなこのビール!」

ほのかな苦味としっかりした味わいがありながら、柑橘系の香りで飲みやすく仕上がっている。
一般的に出回っているビールには無い味わいだ。

「どれ…」
と、男はそら豆に手を伸ばす。
焼き立てのそら豆を熱く感じながらさやを剥く。
中からさやの中のエキスを纏って照り照りとなった豆が出てくる。
それを一つ箸でつまみ、口に入れる。

「んむ!これは確かに!」

男は驚いた。
課長の言うとおり、味が濃いのだ。
軽く塩を振って食べようかと思っていたが、それも不要である。
むしろここまで味わいが深いとビールが進む。

「んぐ…んぐ…くはぁっ。次は一旦箸休めの味をば…」
と、男はからし菜のお浸しも食べた。

「むぐむぐ…うん、サッパリとしつつこれもこれで…」

醤油と鰹節の豊かな風味があるものの、菜っ葉の心地よい青臭さと辛子のようなピリッとした風味がある。
そこにペールエールのビールを流し込むとまた格別だ。

「んぐ…んぐ…はーっ。これは大当たりだな。さて、では最後に…」
と、男は、粗挽きのソーセージにマスタードをしっかり付けて頬張った。

「パリッジュゥ…んぐ…むぐ…あー、これはビール!」

すかさずビールを飲む、
「んぐ…んぐ…くはぁっ。いやぁ、今日は格段に良い晩酌だな!」

ソーセージはちょうど良い焼き加減でパリッと小気味良い音を鳴らし、中からは肉汁が溢れ出てくる。
肉自体も噛めば噛むほど旨味が広がる。
良いチップで燻製もしているのだろう、香りも心地よい。
そこにビールを一気に流し込み、油感を流しつつも、燻製の香りと柑橘系の香り、そしてほのかな苦味が口の中に残り、幸福感が増していく。

「あー、このトライアングルは止まらないな」

と、男は思いつつも、止める気など無く今宵も飲みすすめるのであった。

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