月に水まんじゅう

萩原 歓

36 星奈の独立・1

 何年も変わらなかった生活に変化が訪れる。
新しい窓に新しい水色のカーテンを取り付けてから、星奈は窓を開き、晴れた青い空を見た。
「ふー」
 そよ風が、星奈の頬に挨拶するようにくすぐり、入ってくる。
 そう。
星奈は家を出て一人暮らしをすることにした。
修一の結婚を機に決めたことだ。




――二か月前、真琴の訪問の後、家で片桐家と岩瀬家の顔合わせをした。


「子供ができるまで看護師として働きたいと思ってます」
「そうなの?それってすごく大変なことじゃないの?」
「いえ、今までの様にフルではないですので」
「修一はそれでいいの?」
「うん。真琴さんがいいならいいんだ」


 星奈には二人の仕事に対する責任感と熱意には頭が下がる思いだったが、
二人とも働きづくめで生活はちゃんとできるのだろうかと懸念した。
奈保子も同じように思うらしく心配そうな顔つきをする。


 真琴の母親の貴代はずっと働いてきた人なので、娘が専業主婦になるという発想はないようだ。
もちろん伸二も、のほほんと座って茶を啜っている。


 今まで修一も真琴も、それぞれの家族の協力があり、勤め続けてこれたのだと星奈は思う。
それがなくなるのだ。
協力し合って二人で、やっていくつもりなのだろうが、客観的に見て無謀な気が
していた。


 今まで修一は星奈の中で特別な存在であり、優秀で、努力家で、何でも知っている、ある意味神格化された存在だった。
しかし、今回このやり取りを眺めると彼も自分と同じ人間なのだと実感する。


 彼らは『生活』には目が行ってないのだ。
安全で愛情のこもった食事、清潔な衣服や寝具、居心地の良い空間は
一朝一夕にできたものではない。
奈保子がコツコツと考え、試行錯誤し、積み上げたものなのだ。
そしてその恩寵により修一も星奈も学校生活や仕事に集中してこられている。


 保育園で共働きの大変さを良く見ている星奈には、二人の若い夫婦は『木を見て森を見ず』だ、と映る。


 そこで星奈は、ずっと考えてきたことを、この場を借りて発表することにした。
「あの、わたしね。家を出ようと思うんだ。それでお兄ちゃんたちは
結婚したらうちに住めばいいんじゃないのかなあ」
「えっ!?」
「いきなりなんだ」
 奈保子と伸二が動揺する。
修一も呆気にとられたように「いきなりどうしたんだ」と言ってきた。


「ずっと一人暮らししようと思ってたの。貯金もけっこうあるし、ちゃんとやれるよ?」
「星奈。あなた、また……」
 奈保子は、星奈が自己犠牲を発揮しようとしていると、思ったらしく慌てて止めようとする。
「もう、住みたいところもあるの。美優がいつまでもそんなんじゃいい人できないよって言うし」
「星奈……」
 自分のために独立したいのだと星奈は主張する。
この修一の結婚はいいきっかけだ。


 伸二も唸る。
「女の子が一人で暮らすのか……」
「お父さん、わたしのこと何歳だと思ってるの?美優なんか二十から一人暮らしだよ?」


 真琴が口を挟む。
「あの、星奈さん、私たちに気遣ってくれてるんなら、大丈夫だから」
「そうだよ。星奈」
 修一も心配そうに言う。


 貴代も「うちのこが妹さんを追い出すことになるような真似は……」と言い出す。


 話がややこしくなりそうな雰囲気に、覚悟を決めた星奈は月姫のことを話す。
「あ、あの。違うの、ほんとに。黙ってたけどわたし付き合ってる人がいるの」
「ええっ!どこの誰だ!」
 今まで何の影響力も与えなかったような伸二がエキサイトし始めた。
「ちょ、ちょっとお父さん!」
 立ち上がり始める伸二を、奈保子が取り押さえようと足にしがみつく。
「え、あ、中学校の先生してるの。数学の。ちゃんとしてる人だよ」
 月姫の職業を告げると、少しだけ伸二が落ち着いて「そうなのか」と言い座った。
「まあ、星奈のことはまた後にしましょう」
 奈保子がなだめるように言うと伸二は「うむ。そうだな」と威厳を保ち始める。


 星奈はほっと胸をなでおろし、奈保子を見ると目配せをし、「真琴さん、よかったら、うちに入ることも考えてみてね」と一言言った。
 貴代もこの一連の様子を見ながら、考えていたらしく「そうね。それもいいかもしれないわねぇ」と小首をかしげながら呟いていた。


 一応の挙式と披露宴の時期を話し合い、顔合わせは終了した。
一番疲れたのは星奈かもしれない。
後で両親からの追及があるんだろうと思いながら、月姫のことを上手く話せるように、データを頭の中で整理することにした。

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