月に水まんじゅう

萩原 歓

30 静乃を偲んで

 梅雨明けの爽やかな風を感じるころ、中学時代の茶道部の顧問だった岸谷京香から訃報の知らせが届く。池波静乃、享年百二だった。


 中学時代の茶道部員一同で彼女を偲び泣いた。星奈は今まで生きてきて一番悲しい気持ちで泣いた。美優も同様だった。


 静乃の希望で簡素な葬儀が行われた後、再び岸谷京香から連絡があり、静乃からの形見分けがあるから京香の自宅まで取りに来るようにと言われ美優と一緒に訪れることにした。


 京香の自宅は池波静乃の家から車で十五分の少し山深い標高の高い位置にあった。京香はすでに定年退職をしており、今は夫と二人で家庭菜園を楽しみながらのんびりと暮らしているらしい。


「せんせー、素敵なところに住んでますねえ」
「ありがと。中古であちこちガタが来てたんだけど夫と直しながらここまでいい感じにしたのよ」
「なんかゆっくりできるとこですね」
京香は教員だったころの真黒なストレートボブから白髪交じりのベリーショートになっていて、理知的な厳しさから健康的で温和な雰囲気になっている。


 いろんな花が混じったハーブ園を眺めながら、美優は背伸びをしてあくびをした。
「現役時代はこんなにゆっくり何かを眺めることなんてなかったわ。いつも走っていて。唯一、静乃先生とのお茶の時間が休む時だった気がするわねえ」
 京香は懐かしむ様に目を細める。
 京香のいれた香り高い自家製のミントティーを口に含むと清涼感を感じスッキリする。ミントの香りを吐き出すとなんだか青い中学時代に帰ったような気が一瞬だけした。


「さてと。これ、あなたたちに。静乃先生は生徒みんなにお道具やら器やらを残してくださったようでね。亡くなる前の年から用意なさってたみたい」
 しんみりとした空気が風に乗って漂う。三人で少し鼻を鳴らしながらミントティーを啜る。


 それぞれ手渡された小さな紙包みを開けると、星奈には志野焼の小鉢、美優には総織部の銘々皿が入っていた。
「まあ、二人によく似合ってるわねえ」
「かわいい」
「きれいー」


 志野焼はぽってりと白い厚みのある釉薬があたたかな雰囲気を醸し出している。側面を見ると小さなウサギとススキが鉄絵で描かれていた。(なんて可愛いウサギ)


「新田さんの銘々皿はきっと綺麗な色の和菓子が似合うでしょうね」
 きらめく深い緑色の四角い小さな皿は、美優の美しいネリキリを待ち望んでいるように見えた。


「先生もいただいたんですか?」
 星奈が尋ねると京香は頷いて、そっと黒っぽい筒形の二〇センチばかりの花瓶を出してきた。
「どこのですか?この花瓶」
 美濃焼き以外には疎くどこの産地のものかは分からない。


「これはね。岡山県の備前焼。渋いでしょ」
「うん。しぶい」
「ワビサビってやつですか?」
「そうね。私にも今一つワビサビはわからないんだけど、適当に摘んで投げ入れた花がとても素敵なのよ、この花瓶」
「先生もお茶、教えたら?」
「うーん。茶の湯を教えるのはきついなあ」
 京香も茶道歴は長く、一応人に教えることが出来る資格は持っている。しかし彼女にとって教師という職業で長年教え続けてきていても『茶道の精神』を教える自信がないらしく資格を持っているだけになっている。
「まだまだ教わりたい事があったのになあ」
 一番付き合いの長かった京香はまだまだ悲しみが深く、ことあるごとに涙ぐんでいる。星奈と美優もそのたびに目が潤んだ。


 丸い木のテーブルに並んだ三種類の陶器を眺めると、生き方も感性も三人三様なのだと星奈は感じる。美優は真摯に銘々皿を貫かれそうな強い視線で見つめている。想いも三人三様なのだ。
「よし!」
美優は気合を入れた声を発した。
「ん?」
「なに?美優」
「今ね、勤め先で新商品の開発を考えてるん。社内でコンクールがあってさ。けっこー怖い先輩たちも出品するからやめとこうかいなって思ったんだけど、頑張って出すことにした」
「へー。そんなのあるんだ」
「新田さんチャンスじゃない」
「この皿に載せながら色々試作してみるて」
「いいのできたら食べさせてね」
「きっと素敵なお菓子が出来るわよ」
「ん。やるよ、あたし」
燃えてきた美優の熱気に当てられて星奈もとにかく頑張ろうと思った。そして小鉢のウサギの可愛らしさに和まされていた。

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