月に水まんじゅう

萩原 歓

20 星奈の食卓

 夕飯に家族四人が揃った。そして今夜の食事は星奈がすべて用意した。
「うーん。流石だなあ。一流ホテルに勤めると違うものだなあ」
 父の伸二が機嫌よく、十種類の野菜が入ったミネストローネを口に入れる。
「美味しくできてるわ。綺麗だし、品がいいわね」
 目を見張る母の奈保子が、豆乳と豆腐で作ったほうれん草とサーモンのキッシュロレーヌを頬張る。
「ホテルってこんな料理が出るんだね」
 感心しながら兄の修一が、メインディッシュのオレンジソースのかかったハーブチキンにナイフを入れる。


三人とも満足そうに食べる様子を見て星奈はほっとした。デザートのブルーベリーヨーグルトムースを差し出してから、これからの事を話す。
「あのね。転職しようと思ってるんだ」
「えっ?」
 皆、驚いた顔をしたが、特に伸二がいぶかしげな表情を見せる。
「あ、あのね。ホテルやめて保育園でごはん作りたいの」
 温かい雰囲気の食卓に、スッと一筋の冷たい風が吹いたようだ。伸二が口火を切る。
「どうしたんだ。あんないいところやめて保育園だなんて」
 続いて奈保子も便乗した。
「あそこは誰でもお勤め出来るとこじゃないのよ?もったいない。もう少し考えなさい」


 初めて両親から反対を受ける星奈は、心臓がどきどきして手が震えた。ほんの数分が、永遠の苦行の時間のように感じる。(なんか胃が痛くなってきた)
 みぞおちをさすっていると、修一が静かに言葉を発した。
「いいじゃない」
 ハッと顔をあげ星奈は修一の顔を見た。
「この料理。ホテル用の料理じゃないだろ?こんなに優しい味の料理じゃホテルで出せないよ」
「おにいちゃん……」
 星奈は夕飯のコンセプトを理解してくれていたことに、驚きと嬉しさを感じた。
 そう。今夜のメニューは食育をテーマに作ったものだった。栄養のバランスと食べやすさ、見た目の可愛らしさを考えて作っている。
「はあ……。星奈がそれでいいなら」
「う、む」


 鶴の一声だった。
「ま、まあ。いつ嫁に行くかもしれないしな。ははっ」
「今度はすぐ転職しちゃだめよ」
「うん」
 星奈は修一に感謝して、席を立ちハーブティーを淹れた。カモミールとエルダーフラワーの香りが漂う。
「これは?」
 修一が尋ねた。
「ハーブティー。子供の喘息とかにもいいんだって」
「へー」
 奈保子がほっと溜息をつき、ゴクリと一口飲み、また息を吐き出した。
「まだまだ子供だと思ってたのに。もう自分たちで考えてやっていくのね」
「ふーむ」
 伸二はまだ、ホテルを辞めることを惜しむような顔つきだ。


 落ち着いた星奈は家族を見て気が付いた。父と母は少し老いた。伸二の髪は元々多くはないが、より薄くなり額にテカリが出ている。もう数年もすれば定年退職する歳なのだ。
奈保子はボブのまっすぐな黒い髪に、ちらほら白いものが見えている。手の甲は少しかさついているようだ。
修一はもう立派な青年だった。病弱だった幼年期から、線の細い少年期を終え、堂々と落ち着いていてゆるぎない意志が見える青年期を迎えている。
 星奈は自分自身がどのように成長できているか、成長しているのかわからないがやっと歩く道と道しるべが見えてきたと感じていた。

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