フォレスター

萩原 歓

14 林業体験

 一日の業務を終えて帰宅し、コンビニで買った弁当とビールをテーブルに置いた。
ネクタイを緩めジャケットをハンガーにかけ、スラックスも脱いで空いている椅子に掛けた。
腰かけて背伸びをし、ビニール袋にに手を伸ばした。
三五〇ミリリットルの缶ビールを半分ほど一気に飲み、ガサガサと弁当のビニールを剥ぎ、割り箸を綺麗に真っ二つに割った。
 食べていると林業体験を思い出す。




――タイミングよく林業体験は直樹の実家から車で三十分ほどの富士山の麓で行われた。
 見渡す限り杉林で埋め尽くされている。
山の斜面の下のほうに広い作業場があり、そこに材木運搬車とスイングヤーダと言う材木を収集、荷積みするための重機が置かれてあるのがキコリではなく林業と言う産業なんだと実感された。
 しかし森を見ず木を見ていたら山の一部になるような錯覚を起こしそうだ。
昨晩は珍しく興奮して寝付かれなかったが、こうして木々の間に立って深呼吸すると段々リラックスしてくるのを感じた。


 参加者は全部で十二名おり直樹と同じく二十代が二人、三十代が五人、五十代が四人で全員男性だ。
まずはオリエンテーションで林業についての説明が行われた。


 現在利用されている木材の国内生産割合と、日本が世界でも有数の森林王国であることに参加者は感嘆の声を上げていた。
一日目は現代林業の実態など学習要素が強かったが二日目に入りいよいよ実習となった。
ただし最初は見学だ。
チェーンソーで丸太を切るところや材木の運搬作業を見た。


 午後から実習で丸太を各自切ってみると言われ、参加者はチェーンソーを使えるものだと思っていたのだが、のこぎりを渡された。
少し不満げな空気が流れたがのこぎりの作業に男たちはムキになり始めた。


 のこぎりの歯が食い込んだり、手がしびれたり上手く切れるものは一人もいなかった。
ただ直樹だけはゆっくりだが静かに丸太を二つに切り分けていた。
指導員に褒められると直樹はたかが木を切って褒められたくらいなのに不思議ととても嬉しかった。


 木を切らせてはもらえなかったがチェーンソーのエンジンをかけ、持たせてもらいこの状態を何時間もキープすると言われた時には二十代の男が自信なさげな表情をした。
確かに三分持っただけで手から腕に緊張が走りぶるぶると振動が上って来、離してもその感覚が腕から離れない。
 この振動が曲者で慣れるのに時間がかかると指導員は話していた。


 道具の扱いや手入れ、各木材関係の施設など見学し最終日に参加者と指導員による生活や就職に関する相談の時間が設けられた。
 直樹は地元だったので住まいも生活も特に不自由に感じず、就職も林業組合にと考えていたので大した相談内容はなかった。


 ほかの参加者と話をしていると、ほぼ県外で五十代の男たちは既婚者で転職希望者だ。
五十代の大田伸寿と隣り合わせでコンビニ弁当を食べながら話した。
 彼は横浜でIT関係の仕事をしており、家族は妻と二人の娘がいるらしい。
今年、下の娘が大学を卒業し就職するのを機に太田は林業への転職を考えた。
それでも家族は大反対らしく、キコリをするなら一人でしてくださいと言われているらしい。


「単身もきついけどさ。でも同じコンビニ弁当食うなら山の中のほうが百倍うまいよ」
 そういわれてみると味気ないコンビニ弁当でも山の中で腹を空かせて食べるととても美味しく感じられている。
ロケーションによって同じものでも違うものに感じるんだな、と直樹は森の中の隙間から高い空を眺めた。
 トンビかタカかわからないがピーヒョローとのん気そうな鳴き声を響かせて大きな鳥が飛んでいる。


 二十代前半の水野雄一郎は大柄で気のよさそうな青年だが、引っ込み思案で口下手なため学生時代から人と接することが苦手らしい。
それでもできる仕事がないかと探していて林業にたどり着いたようだ。
過剰な社交は必要にないが危険度の高さゆえ、会話は荒くきつくなるし、怒られるというよりは怒鳴られると指導員の率直な物言いに、水野は少し生唾を飲んでいたが「心の中で何を思われてるかわからないより随分いいです」と答えていた。
なるほどと直樹も聞きながら納得していた。


 三十代の岸辺浩司は東北の出身で実家が土砂災害に合っており、手入れされた森林の重要性を話していた。
 四十代だけいないのも不思議だと、話すと太田が「四十の頃って子供に一番金がかかるからなあ。かみさんが許さないよ」と後ろで太田夫人が聞いているかのようにこっそり耳打ちした。


 参加者それぞれ様々な想いが有ってここにいるのだと思うと不思議に連帯感が沸いてくる。
指導員が木を植えても結果が出るのは何十年も先なので、せっかちな人にはつらいと言っていた。


 同じ第一産業の農業と漁業よりも、単調で長期的な展望と危険性が高いこの仕事に、今の流れのはやい時代の中で興味を示す人が少ないのも当たり前だとも言っていた。


「それでも、この林業に目を向けてくれた人は生活や人生に潤いが大事だと思ってくれている人が多いんです。
確かに収入面では仕事内容の割に低いので大声で『いい仕事』と言い難い部分もあるんですけどね。
僕自身ももうちょっとお金もらえたら最高の仕事だって言えるんですが。
でもね。一度、山で仕事すると離れがたくてね。とにかく生きてるなって毎日思います。」


 参加者たちは笑いながら指導員の話を聞き、締めの挨拶を聞いた後、熱い拍手をおくった。
直樹も手が痛くなるほど叩き、心の中で山仕事をしている自分を想像していた。


 バラバラと男たちはそれぞれの家路につく。
林業に就くかどうかはまだわからない。
 ここで吸った適度な湿度を持つ新鮮な空気は、町の乾いた空気にすぐかき消されてしまうだろう。
身体と心が忘れてしまう前に、頭がこの自然を否定する前にまた山へ戻って来たいと願いつつ山を下っていくのだった。

「現代ドラマ」の人気作品

コメント

コメントを書く