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萩原 歓

11 恋人

 出社すると会社の受付に里佳子が座っている。
休日にやってくると言っていたまつ毛のエクステは、整った凛とした顔立ちに華やかさをプラスしていた。


「おはようございます」
「おはようございます」
 お互いに他人行儀なあいさつを交わす。
里佳子と付き合っていることは会社の人間には誰にも言っていなかった。
社内恋愛禁止ではないのだが里佳子が秘密にしていたいようだ。


 素っ気なく通り過ぎると、後ろで飯田が彼女に明るく声をかけていた。
「おはよ。西原さんは今日もかわいいね」
「あら。飯田さんもダンディーですよ」
 軽く肩をすくめながら直樹は自分のデスクに向かった。


 席に着くと携帯電話にメールが入った。
里佳子からだ。
『気にしないでね。今夜会える?』
直樹はさっきの飯田と里佳子のやり取りを、席に着く前にすっかり忘れていたのに思い出させるような内容のメールに鼻で笑った。
全く気にしていなかったので『七時には家にいると思う』と返信した。
すぐに携帯電話がブルブル振動し『七時半にいくね』と返事がきた。


 その後、直樹はいつも通りのパターン化された仕事をこなし六時過ぎに退社した。
メールしたとおりに七時前には帰宅でき軽くシャワーを浴びてパソコンを起動した。


 里佳子が来るまでネットゲームに接続し仲の良い中学生の男の子と話をした。
そろそろ高校受験らしい。
しかし彼は器用なのだろう。
受験は余裕そうだし中学生にありがちな日々への妙な葛藤もないようだ。


 先日、飯田に話した転職のことを彼にも言ってみた。
『転職するかも』
『なにすんの?』
『たぶんキコリ』
『えー。なんでまた』
『んー。自分探し的なw』
 シンプルな中学生の彼と話していると自分もシンプルになってくる。
中学生相手に自分の事を話すなんて現実ではありえるのだろうか。


 ネットゲームでは様々な年齢と職業の人々がいるが、現実世界よりも人として平等感がある気がする。
現実では年齢、性別、外見、学歴、環境など色々な要因がその人物を知る以前に判断が下されるが、ここでは言葉とゲームの操作性、プレイスキルというもの、つまり強さにかかっている。
 敵を倒す時の技術、周囲への気配り、言動。
それらがその個人の評価につながっており、それ以外の情報は必要にない気がした。


 彼を『中学生』としてではなく一個人の友人として直樹は接していた。
気が付くと七時二十分でそろそろ里佳子が来る時間だ。
直樹はゲームをログアウトしお湯を沸かしに台所へ立った。




 チャイムが短く鳴り、時計を見ると七時三十五分だった。
いつも通り約束の時間の五分後に里佳子はやってきた。
「どうぞ」
「お邪魔しまーす」
 一度帰宅したらしい彼女はスーツを着替えて柔らかい小花模様のついたワンピースを着ている。


「ご飯、まだでしょ。これ、差し入れ」
「うん。ありがと」
 タッパーに詰められた煮込みハンバーグを受け取った。
「ご飯ある?」
「ううん。ない」
「冷凍もないの?なんかの時のために保存しとかなきゃだめよ」
「今から炊くよ。里佳子も食べる?」
「食べてきたから」


 先月、公園デートで里佳子の母親の弁当を食べてから週一くらいの頻度でタッパーに詰めた料理が届けられた。
「美味しいよ」
 食べている直樹の前で里佳子は紅茶を飲んで「母が喜ぶわ」とまつ毛をしばしばさせて言う。


「なんか、こんなにしょっちゅういいのかなあ」
「いいのよ。一人分増えるくらい」
「ふーん」
 よく煮詰められたこってりしたソースに彼女の母親の思いが詰まっている気がして、少し胃のあたりが重くなる。


「ところでさあ。有給とったでしょ。五日も。いきなりなに?」
 直樹の情報は同じ会社の里佳子には筒抜けなので、すぐにわかるだろうと思い、特に話していなかった。
「ん。ちょっと林業体験してこようと思って」
「なに?林業?まさかあのポスターのやつ?」
「うん」
「なんで内緒にしてるのよ」
「内緒にしてたわけじゃないよ。ちょっと体験してくるだけだからさ」
「それでも話してくれなきゃさあ。直樹が何考えてるのかわからないじゃない」
「いや、まだ過程で結果でもないし」
「だーかーらー過程でいいから話してって言ってるのよ」


 林業体験をして合わないようなら、二人の間には全く話題にしないだろうと思っていたのだが、彼女はそれが気に入らないらしい。
「今度話すよ」
「今度じゃなくて今よ、今。どうすんのよ。林業なんかやって」
「体験だって。別にちょっとやってみたいなって思っただけ」
「やりたくなったらどうするのよ。転職するの?」
「まだなんとも言えないよ」


 里佳子は直樹の行動を恐れているように牽制しながら続けた。
「将来のことよく考えてよね」
「ん」
 直樹は立ち上がってタッパーを洗いにシンクへ向かった。
「そのままでいいわよ」
 さっと手から奪って花柄のナイロン製のエコバッグに入れ、里佳子も立ち上がり
「そろそろ帰るね」
 と、言った。


「下まで送るよ」
 来客用の駐車場に淡いピンク色のラパンが停まっている。
なんとなく無言で歩き、里佳子は車に乗り込んだ。
 そして
「じゃ、また週末にね」
 と、言い発車した。
 ダッシュボードの上に置いてある黄色いクマのぬいぐるみと目が合った。
クマは「オツカレサマ」と言った目で直樹を見ていた。

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