フォレスター
3 実家
何か月かぶりに実家に帰ってきた。
駐車場には兄の磨かれた赤い車が停まっている。
ガラッと引き戸を開け声をかけた。
「ただいま」
居間のほうから
「おかえりー」
と、お気楽そうな兄の颯介の声が聞こえた。
「冬物取りに来たよ」
直樹は顔をのぞかせて颯介に言った。
「そうか。泊まってくか?」
「うーん。どうすっかな」
「もうすぐ母さんも帰るしさ、泊まってけよ」
「親父は?」
「相変わらず出張中」
「ふうん」
(また女と遊んでるのか)
手広く商売をやっている父の輝彦は、景気が低迷し始めたこの時代でもよく遊び歩いていた。
快活な輝彦と寡黙なたちの母の慶子は油と水のようだ。
大きな喧嘩も言い争いも目にしたことがないが、直樹にも颯介にも仲の良い夫婦だとは思えたことがなかった。
大学は家から通ったが就職をきっかけに一人暮らしを始めた。
職場への通勤が便利だという理由もあったが、一人で静かに暮らしたかった。
いつも外野は騒がしい。
何をそんなに騒ぐことがあるのかと思いながら、子供のころから周囲を冷ややかに見ていた。
しかし一人暮らしをしても、結局騒がしさは直樹の生活や心に侵食してくる。
独立すれば変わるかと思ったが、何も変わらないことを大人になって悟った。
颯介の勧めで直樹は実家に泊まることにした。
久しぶりの慶子の料理は、やはり舌になじんだもので懐かしく安心感があった。
「うまい。このひじきの煮物」
慶子は微笑して、
「直樹は煮物が好きねえ」
と、目を細めた。
久しぶりに見る母のすっきりしたまなじりに、またしわが増えているようだ。
こめかみに白いものがちらっと見える。
「煮物ってさ。手間がかかってる気がするじゃん」
「この鯵のタタキだって手がかかってんだぞ」
「美味いよ。兄貴が作ったんだろ」
自慢げな颯介は弟に褒められ満足げだ。
いつからだろう。
こうやって三人で食卓を囲むようになったのは。
父の輝彦は直樹が中学に上がる前までは夕飯をともにしていたと思う。
しかし颯介と慶子と直樹の三人で過ごすほうが、記憶に新しく長い気がする。
一人でする食事。
里佳子との食事。
母と兄との……。
どのパターンもどこかしら空虚感あるものだなと、ぼんやり頭の片隅で認知していた。
「お前が帰ってきて、母さん嬉しそうだな」
入浴を終えて、くつろいでいると颯介がブラブラしながら焼酎の入ったグラスを持て来て寄こした。
「ありがと。いつもと変わらないんじゃないの」
「いや、やっぱ嬉しそうだよ」
今夜も輝彦は午前様なのだろうか。
「また帰ってくるよ」
「おう。そうしてやれ。で、なんかあったのか?」
颯介は子供のころから些細な感情の流れや変化に敏感だ。
(相変わらず気が利くというか鼻が利くというか……)
くすっと笑いながら直樹は
「別に。何もないよ」
と、言った。
「そうかあ?なんか考え事してるだろ。目の下にクマできてるのは女のせいじゃないだろ?」
苦笑しながら直樹は咳払いをして焼酎を飲んだ。
「寝不足はネトゲ」
「ネトゲ?ネットゲームか?そんなのよせよ。引きこもりになるぞ」
「大丈夫だよ。そこまでやり込まないって」
「ふぅん。そんならいいけどよ」
「あのさ。兄貴、仕事面白い?」
「なんだよ。いきなり。面白いから続けてんじゃんよ」
爽やかな笑い声を立てて颯介は屈託なく言った。
きっと心の底からそう思っているのだろう。
直樹と違い輝彦に似て目尻の下がった優しい目を輝かせている。
「俺、魚好きだし、忙しいのも賑やかなのも好きだからな」
颯介は色々なことを広く浅くやるのが好きで女性関係も同じく長続きしなかった。
魚市場で働き始めてからは、飽きっぽい性格が返上されたかのように生真面目に働き続けている。
魚も人も釣るのが好きで、常に新鮮さを求めていた彼には一番合った職場かもしれない。
「適材適所か」
つぶやく直樹に颯介は
「お前って営業なんかよく続いてるな」
感心するように言う。
「慣れだよ。うちはありがたいことに大手だから、新規の人に胡散臭がられることもないしさ。普通に話したら、だいたいいけるんだよ」
「そんなもんか。人相手より物とか相手のほうが合ってそうなのにな」
目を伏せた直樹は林業のことを思い出した。
「林業ってさ。なんか知ってる?」
「んん?さあ。キコリか?マタギ?」
「俺もよく知らないけど」
片づけを終えた慶子が、きちんとアイロンのかかったエ白いエプロンで手を拭きながらやってきて
「木を育てて売る仕事よ
と、ため息混じりに言い、風呂場のほうへ去って行った。
「だってさ」
「なるほど」
二人は顔を見合わせて焼酎を飲みほしそれぞれ寝室に向かった。
駐車場には兄の磨かれた赤い車が停まっている。
ガラッと引き戸を開け声をかけた。
「ただいま」
居間のほうから
「おかえりー」
と、お気楽そうな兄の颯介の声が聞こえた。
「冬物取りに来たよ」
直樹は顔をのぞかせて颯介に言った。
「そうか。泊まってくか?」
「うーん。どうすっかな」
「もうすぐ母さんも帰るしさ、泊まってけよ」
「親父は?」
「相変わらず出張中」
「ふうん」
(また女と遊んでるのか)
手広く商売をやっている父の輝彦は、景気が低迷し始めたこの時代でもよく遊び歩いていた。
快活な輝彦と寡黙なたちの母の慶子は油と水のようだ。
大きな喧嘩も言い争いも目にしたことがないが、直樹にも颯介にも仲の良い夫婦だとは思えたことがなかった。
大学は家から通ったが就職をきっかけに一人暮らしを始めた。
職場への通勤が便利だという理由もあったが、一人で静かに暮らしたかった。
いつも外野は騒がしい。
何をそんなに騒ぐことがあるのかと思いながら、子供のころから周囲を冷ややかに見ていた。
しかし一人暮らしをしても、結局騒がしさは直樹の生活や心に侵食してくる。
独立すれば変わるかと思ったが、何も変わらないことを大人になって悟った。
颯介の勧めで直樹は実家に泊まることにした。
久しぶりの慶子の料理は、やはり舌になじんだもので懐かしく安心感があった。
「うまい。このひじきの煮物」
慶子は微笑して、
「直樹は煮物が好きねえ」
と、目を細めた。
久しぶりに見る母のすっきりしたまなじりに、またしわが増えているようだ。
こめかみに白いものがちらっと見える。
「煮物ってさ。手間がかかってる気がするじゃん」
「この鯵のタタキだって手がかかってんだぞ」
「美味いよ。兄貴が作ったんだろ」
自慢げな颯介は弟に褒められ満足げだ。
いつからだろう。
こうやって三人で食卓を囲むようになったのは。
父の輝彦は直樹が中学に上がる前までは夕飯をともにしていたと思う。
しかし颯介と慶子と直樹の三人で過ごすほうが、記憶に新しく長い気がする。
一人でする食事。
里佳子との食事。
母と兄との……。
どのパターンもどこかしら空虚感あるものだなと、ぼんやり頭の片隅で認知していた。
「お前が帰ってきて、母さん嬉しそうだな」
入浴を終えて、くつろいでいると颯介がブラブラしながら焼酎の入ったグラスを持て来て寄こした。
「ありがと。いつもと変わらないんじゃないの」
「いや、やっぱ嬉しそうだよ」
今夜も輝彦は午前様なのだろうか。
「また帰ってくるよ」
「おう。そうしてやれ。で、なんかあったのか?」
颯介は子供のころから些細な感情の流れや変化に敏感だ。
(相変わらず気が利くというか鼻が利くというか……)
くすっと笑いながら直樹は
「別に。何もないよ」
と、言った。
「そうかあ?なんか考え事してるだろ。目の下にクマできてるのは女のせいじゃないだろ?」
苦笑しながら直樹は咳払いをして焼酎を飲んだ。
「寝不足はネトゲ」
「ネトゲ?ネットゲームか?そんなのよせよ。引きこもりになるぞ」
「大丈夫だよ。そこまでやり込まないって」
「ふぅん。そんならいいけどよ」
「あのさ。兄貴、仕事面白い?」
「なんだよ。いきなり。面白いから続けてんじゃんよ」
爽やかな笑い声を立てて颯介は屈託なく言った。
きっと心の底からそう思っているのだろう。
直樹と違い輝彦に似て目尻の下がった優しい目を輝かせている。
「俺、魚好きだし、忙しいのも賑やかなのも好きだからな」
颯介は色々なことを広く浅くやるのが好きで女性関係も同じく長続きしなかった。
魚市場で働き始めてからは、飽きっぽい性格が返上されたかのように生真面目に働き続けている。
魚も人も釣るのが好きで、常に新鮮さを求めていた彼には一番合った職場かもしれない。
「適材適所か」
つぶやく直樹に颯介は
「お前って営業なんかよく続いてるな」
感心するように言う。
「慣れだよ。うちはありがたいことに大手だから、新規の人に胡散臭がられることもないしさ。普通に話したら、だいたいいけるんだよ」
「そんなもんか。人相手より物とか相手のほうが合ってそうなのにな」
目を伏せた直樹は林業のことを思い出した。
「林業ってさ。なんか知ってる?」
「んん?さあ。キコリか?マタギ?」
「俺もよく知らないけど」
片づけを終えた慶子が、きちんとアイロンのかかったエ白いエプロンで手を拭きながらやってきて
「木を育てて売る仕事よ
と、ため息混じりに言い、風呂場のほうへ去って行った。
「だってさ」
「なるほど」
二人は顔を見合わせて焼酎を飲みほしそれぞれ寝室に向かった。
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