風の歌
14 隠れ里
ミズキがマサキの屋敷に戻るとすでに彼は亡くなっており、クチナシも行方知れずであった。ミズキは共だった従者に路銀を渡し、故郷でも好きなところへでも行くがよいと皆を自由にさせ、牛車を引いていた牛を伴い、隠れ里――ミズキの母、ユズルハの生まれ故郷へと向かう。
子供の頃にユズルハと何度かこの里へ訪れていたので迷うことなくたどり着く。この里は隠れ里であるため、ぼんやりしていてはたどり着けない。道すがら目印になる岩や意図的に植えられた樹木を見落とすと迷ってしまう。旅人の往来で案外道は拓けているがたどり着けない桃源郷のような場所なのだ。
うっそうと茂るススキの中に緑ががった黒い岩が転がっている。ミズキはその岩を左手に見、反対の右に曲がり、椎の木の群生の中に一本のシバグリの木を見つけ、村の入り口にたどり着いた。
村に入ると時間が止まったように子供のころと変わらぬ――ユズルハが少女時代を過ごしたときと同じような――光景が目に入った。腰をまげ杖を突きながらゆるゆると見回っている老人がミズキに気づき近づいてくる。
「おお、お前は――ミズキか!」
村長であった。
「長……。お達者で何よりです」
ユズルハの親代わりでもあった村長は、腰が曲がってしまったとはいえまだまだ元気な様子で赤ら顔を見せる。
「どうしたんだ。ユズルハはどうしたのだ」
ユズルハが死んだことを知らせる間もなくミズキは屋敷に拘束され都へ向かったため、村長にはこの国の大事がどうなっているかなど勿論知る由もなかった。どこから伝えようかと考えていると、連れていた牛がウモゥと鳴いたので村長はまず牛をつなぎ、自分の屋鋪へ来るようにと勧めた。
朧げに記憶のある土間を上がり、村長の座敷――板張りになっただけの床――にミズキはやっと腰を下ろしため息をついた。
老いてはいるが優しげな目を向ける村長にミズキはユズルハが死に自分が今までどのような経緯でこの里へ戻ったかを話す。
「なんと! また戦乱が来ると申すのか」
村長は先の戦乱の首謀者の一の従者であった。ミズキの話を聞き、今回の乱の首謀者である大王の弟と自分が仕えていた主人を久方ぶりに偲びしばらく夢も見ているような呆けた顔つきで空を見ていた。
若かりし日の村長はこの国の民を平等に、喜びを分かち合いたいと望んでいた。彼は貧しい平民であったが、都の大通りで世の中を憂う世捨て人の講釈を聞き入り、釈然としない言い分に素朴な問いを投げかけているところを、主人となる貴族に拾われたのだ。
「旦那様はそりゃあ立派な方であったことよ」
昔を懐かしむ様に目を細め髭を撫で村長は静かに呟く。
「なぜ乱を起こしたのですか」
「うーん。乱を起こしたかったわけではないのだがなあ。旦那様は貧しい子供たちにも読み書きができ、考え、力強くなって欲しいと願っていた。しかし身分の高い方々はそれを良しとは思わなんだ」
平等を求めることが裕福層にとっては邪魔であり、脅威であるのはいつの時代も同じであるらしい。
ミズキはそれでも戦が起き、罪のない人々が戦渦に巻き込まれることに、理解を示すことは出来ない。
「男はなぜ戦うのです。どうして穏やかに太平の中で過ごせないのです」
「もっともっと高い世界があると思うのだ。太平よりももっと上の。ぬるいたまり水ではなくな」
「女は死なせるための子を産むのではありません」
「男は子を生かすために死ぬのだ」
討論は何も生み出さず、より大きな虚無感を得るばかりであった。
「さあ、もう休みなさい。お前はこの里の子だ。ここで暮らすがよい」
「はい」
もう白く濁りかけた村長の目は、再び始まった戦乱の世に慈愛をもった眼差しを投げかけていた。
子供の頃にユズルハと何度かこの里へ訪れていたので迷うことなくたどり着く。この里は隠れ里であるため、ぼんやりしていてはたどり着けない。道すがら目印になる岩や意図的に植えられた樹木を見落とすと迷ってしまう。旅人の往来で案外道は拓けているがたどり着けない桃源郷のような場所なのだ。
うっそうと茂るススキの中に緑ががった黒い岩が転がっている。ミズキはその岩を左手に見、反対の右に曲がり、椎の木の群生の中に一本のシバグリの木を見つけ、村の入り口にたどり着いた。
村に入ると時間が止まったように子供のころと変わらぬ――ユズルハが少女時代を過ごしたときと同じような――光景が目に入った。腰をまげ杖を突きながらゆるゆると見回っている老人がミズキに気づき近づいてくる。
「おお、お前は――ミズキか!」
村長であった。
「長……。お達者で何よりです」
ユズルハの親代わりでもあった村長は、腰が曲がってしまったとはいえまだまだ元気な様子で赤ら顔を見せる。
「どうしたんだ。ユズルハはどうしたのだ」
ユズルハが死んだことを知らせる間もなくミズキは屋敷に拘束され都へ向かったため、村長にはこの国の大事がどうなっているかなど勿論知る由もなかった。どこから伝えようかと考えていると、連れていた牛がウモゥと鳴いたので村長はまず牛をつなぎ、自分の屋鋪へ来るようにと勧めた。
朧げに記憶のある土間を上がり、村長の座敷――板張りになっただけの床――にミズキはやっと腰を下ろしため息をついた。
老いてはいるが優しげな目を向ける村長にミズキはユズルハが死に自分が今までどのような経緯でこの里へ戻ったかを話す。
「なんと! また戦乱が来ると申すのか」
村長は先の戦乱の首謀者の一の従者であった。ミズキの話を聞き、今回の乱の首謀者である大王の弟と自分が仕えていた主人を久方ぶりに偲びしばらく夢も見ているような呆けた顔つきで空を見ていた。
若かりし日の村長はこの国の民を平等に、喜びを分かち合いたいと望んでいた。彼は貧しい平民であったが、都の大通りで世の中を憂う世捨て人の講釈を聞き入り、釈然としない言い分に素朴な問いを投げかけているところを、主人となる貴族に拾われたのだ。
「旦那様はそりゃあ立派な方であったことよ」
昔を懐かしむ様に目を細め髭を撫で村長は静かに呟く。
「なぜ乱を起こしたのですか」
「うーん。乱を起こしたかったわけではないのだがなあ。旦那様は貧しい子供たちにも読み書きができ、考え、力強くなって欲しいと願っていた。しかし身分の高い方々はそれを良しとは思わなんだ」
平等を求めることが裕福層にとっては邪魔であり、脅威であるのはいつの時代も同じであるらしい。
ミズキはそれでも戦が起き、罪のない人々が戦渦に巻き込まれることに、理解を示すことは出来ない。
「男はなぜ戦うのです。どうして穏やかに太平の中で過ごせないのです」
「もっともっと高い世界があると思うのだ。太平よりももっと上の。ぬるいたまり水ではなくな」
「女は死なせるための子を産むのではありません」
「男は子を生かすために死ぬのだ」
討論は何も生み出さず、より大きな虚無感を得るばかりであった。
「さあ、もう休みなさい。お前はこの里の子だ。ここで暮らすがよい」
「はい」
もう白く濁りかけた村長の目は、再び始まった戦乱の世に慈愛をもった眼差しを投げかけていた。
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