風の歌

萩原 歓

9 兄弟・2

 月も出ない暗い夜。ニシキギが渡ってくると聞いたので、ミズキは香を焚き静かに待っていた。
 いつもより大きな足音と衣擦れの音が近づいてくる。御簾が上がったと同時に、灯が風に揺れ消えてしまう。


「ああ、灯りが。今、女房に……」
「そのままでよい」


 扇で顔を隠しすっと近づいてきたニシキギに、ミズキは何かしらの違和感を覚える。


「と、殿?」


 何も言わずにミズキを引き寄せ、肩を抱こうとするが、ミズキはこの男がニシキギではないことに気づく。


「どなたですか? 離してください!」
「おや、もうわかってしまったか」


 ミズキは恐ろしさに、部屋の隅に下がり身体を小さく縮めて震える。


「ああ、可愛い人。そんなに震えないで。悪さをしようというのではありません」


 優しく言われるがミズキは身を守ることで精一杯で答えることは出来なかった。そこへまた別の足音が聞こえ、御簾が上がる。


「何をしておる」
「ああ、兄上」


 灯りを持ったニシキギが渡ってきたのがわかり、ミズキはやっと安堵を得る。


「ミズキ、大丈夫か?」


 弟のヤマブキをそっちのけにし、ニシキギは震えるミズキを抱き寄せ、髪を撫でる。


「ヤマブキ、どういうつもりだ。このような無体、弟とは言え許さぬぞ」
「いえ、あの、すみません。本当に悪さをするつもりはありません。兄君が最近私を構ってくれません故、ついついどのような女人に夢中なのかと……」
「戯れもいい加減にせよ。ミズキをこのようにおびえさせて」


 珍しく声を荒げるニシキギにヤマブキは怯み、恐れただただ謝罪をするのみであった。


「申し訳ありません。もう、二度と二度といたしません故」


 身分の高い親王であるヤマブキが平謝りに謝る姿に、ミズキは少し落ち着きを取り戻し「殿、もう大丈夫ですから、お許しになってください」とニシキギに告げた。


「そなたが良いなら、許してもよい」
「兄君、ありがとうございます!」


 はあっと大きく息をはき出し、ニシキギは、ヤマブキからあまり見えないように、自分の側へミズキを引き寄せ座り、女房を呼んだ。


「酒を持って参れ」
「は、はいっ」


 女房はヤマブキに気づきぎょっとした様子で、しかし無駄な口を叩かず主人へ頭を下げ酒の用意をしに行く。ヤマブキをニシキギと間違えて通したことへの叱咤が自分へ振るかかることを想定し、指先を震わせて恐る恐る瓶子を持つ。物静かな年老いた女房が珍しくカチカチを器を鳴らしやってくるのでミズキは気の毒に思い、再度、許しを請う。


「良い。女房の責ではない故。まったく迷惑なやつだ」


 ちらりとヤマブキを見やり、ニシキギは盃を傾ける。反省している様子のヤマブキに軽く笑んで「そなたも飲むがよい」と促すと、やっとヤマブキは本来の明るさを取り戻した。


「しかし、口で言えばよいものを、このような大げさなことにして」


 納得のいかないヤマブキの行動を言及すると、彼は言い訳のような、もどかしい自分の感情のようなものを吐露し始める。


「兄君……。私も、そういう方に巡り合いたいのですよ。何と言いますか、周りの女人はいつも私を値踏みして媚びてくる者ばかりです」
「そのようなことはないであろう……。皆、お前を心から好いておるのだろう」
「いいえいいえ。私の身分でしょう。誰も私の中身などいらないのでしょう。兄君はそのお方と心から通じ合ってるではないですか。最近は公務にも勤しんでいるのはその方がいるからでしょう」
「ふむ。確かにこのものを得るまでは私には何もなかった気がするな」


 兄弟の話を聞きながら、ミズキは自分の存在がそのように大きいのもであると知り驚愕した。また、改めてニシキギの側に居、彼の内側にもそっと忍び込み一体化していく様を感じていた。


「どうしたら、私にも目合う人が出てくるでしょうかね」


 ため息をつきながら盃を傾けるニシキギによく似た弟のヤマブキを見つめていると、ふっとクチナシの事を思い出した。


「ヤマブキは一体どのような女人なら満足するのだ」
「んん? 好みですか? 正直な人ですね。気持ちがわかりやすくて、都の女人は皆思っていることと言葉と表情が違うのですよ」


 ヤマブキの返答を聞きますます、クチナシが浮かびあがり、ミズキは思わず「クチナシ様のことみたいです」と口に出してしまう。
「クチナシ?」


 ハッとしてミズキは口を押さえ「お許しください。戯言にございます」とさっと扇で顔を隠した。


「そのような姫がいるのか?」


 ニシキギを興味をそそられたようで聞きたそうなそぶりを見せ、更にヤマブキが真剣な眼差しでクチナシの事を知りたがる様子にミズキは自分の失態を悔やむ。しかし話さねば、帰らないといった勢いに重い口を開く。


「クチナシ様は私の従姉です。ただ、あの……」
「はっきり申せ」


 急かすヤマブキに、ためらいながらも入れ替わっていることは話さず、クチナシがどのような娘か告げることにした。


「クチナシ様は一対の番になれぬのであれば、生涯お一人で過ごされるといわれる方なのです。ですから身分の高い人では他に奥方もおられましょうから……」
「なるほどなあ」


 ニシキギは目を細め、クチナシの信念に感じ入っているようだ。話しながらミズキも自分がニシキギとそうであればどんなに良いかと今更ながらに思ってしまう自分の気持ちに戸惑う。ニシキギの正室や側室の事を今改めて意識させられている。


「そのようなことを思う姫がいるのか」


 ヤマブキはまるで雷に出も打たれたかのような顔をし、ハッと何かを思い出したかのように「なんだかすっきりいたしました。これで帰ります」と爽やかな笑顔を見せた。


 その笑顔にミズキは一抹の不安を覚えたが、そっと添えられたニシキギの手に安らぎを得る。


「もう夜も更けている。闇夜故、気を付けるのだぞ」
「ええ、では、失礼します」


 軽やかな足取りで帰るヤマブキを二人で静かに見守った。ヤマブキが去ってなお、俯き加減のミズキにニシキギは声を掛ける。


「どうした?」
「いえ、少し不安で」
「従姉殿に対してか? それともヤマブキか」
「……。わかりませぬ」
「ヤマブキはああ見えて生真面目であるからな今宵の事は別として……うかつな真似はすまい」
「ええ。殿に似てらして誠実そうです」
「誠実……か。そうでありたいとは願っている。さあ、もう懸念はよせ」
「はい……」


 闇夜で二人きりのこの時間がミズキにとって一番安堵する時間であった。



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