流行りの異世界転生が出来ると思ったのにチートするにはポイントが高すぎる

萩原 歓

 無我夢中で走り、気が付くと少し乾燥しているが静かな人気のない森の中にたどり着いた。天様といた山とは違い紅葉した木々と、深く積もった枯葉がカサカサと鳴る。チョロチョロと水の流れる小さな小川を見つけ、水を飲み、転がっているどんぐりをかじった。いつも舐めていた蜜のような甘い水と香ばしい木の実ではなかったが、とりあえず腹を満たし、木の根元で丸くなって眠り続けた。


「天様……」


 夢の中で彼とゆるゆると山を散策する。優しく撫でられ、私はお返しに尻尾で彼の頬をくすぐる。そして「また会えますよね」と問いかけて返事を待っているうちに、眩しい日の光で目が覚めた。


「あ……。ここは……」


 天様はやはりいなかった。彼が消えたことが夢ではなかった。私はまた初めての感情を知る。寂しさだ。


「天様……天様……」


 母狐を失ったときは、空腹が辛いだけだった。今は違う。寂しくて悲しくて孤独だ。天様のいた山に戻ってももう彼はおらず、下卑た人間と荒地があるばかりだろう。
 ぼんやりと小川の淵で佇んでいると野鼠がやってきた。


「おや。あんたは精霊のみ使いかね。主はどうした?」
「天様は、消えたんだ」
「おやまあ! また異国の神に負けちまったのかい。情けないったら。お前もとっとと異国の神の使いでもした方がいいぞ。うまい思いもできるしな!」


 矢を放った人間のような下品な声を出して笑う野鼠に私はカッとなり飛びついた。


「うるさい! お前に何がわかる!」
「ひいっ! ぎっ、きぃ……」


 喉に牙を食い込ませ、野鼠を絶命させる。赤子の時にはまずくて飲めなかった血潮をごくりと飲みこみ、肉を貪っているうちに私は畜生となる。金陽と呼ばれた黄金色の毛皮は輝きを失い、怪しい赤黒い毛並みに変わった。


 天様と一緒に過ごし、精霊の使いであったためか私は普通の狐と違い殺生をすることなく生きてきた。また天様には遠く及ばないが人間が呼ぶ霊力というものもあり空を飛び姿を変えることもでき、命に限りがないように生きた。しかし最初に殺生をしてから私は精霊の使いである金狐から野狐へと堕ちていった。




 腹が減れば獣を捉え食らう他の動物と人間とも変わらぬ日々を送っていたが、私にはその獲物の血肉のみならず、そのものが持つ命の霊力をも食らうことが出来るおかげで、死ぬことも老いることも持っている能力を失くすこともなかった。しかしこの生き方は純粋な生き物としての生を全うすることでもなく、天様のように生きとし生けるものの信仰の対象ともならぬ、悪鬼としての姿だった。私は長い年月生き永らえ、『金陽』と名を呼ばれることもなくなり『野弧』と蔑まれ恐れられる存在となった。そのことがもはや私のとって矜持となりますます自分の存在を知らしめる行為へと繋がっていく。


「恐れるがいい。異国の神など信じたところでお前たちは私の糧になるだけだ」


 それでもまだ人間を食らったことはなかった。腹は減り獣を食べはするが、少しの肉と血潮で身体は満たされる。人間ほど大きなものを狩る必要はないのだ。そのため私の側には、食い余したものを下げ渡してもらうべく、血なまぐさい息を吐く獣が付いて回った。勿論私の腹が減っているときに近づけば己が餌食になると分かっているので一定の距離を保っている。鬱陶しい輩ではあったが、食い残しを朽ち果てさせることに比べたらましであろうと特に何も気にせずにいた。そしてその獣の命が今尽きようとしている。私と少し似た容貌のその犬ははあはあと荒い息をし、だらりと舌を伸ばし私を初めて呼んだ。


「金陽様、いままでありがとうございました」
「お前は私の名を知っていたのか」
「ええ。天様の使いのあなたのことは我が一族でも語られていました」
「お前の一族とな?」


 この犬は犬神の一族であり、故郷を離れ独り霊力を高めようとしていたところに私を見つけ、ついて来ていたようだ。


「あなたの残り物でも頂いたら、力が増すかと思いましたが、そうでもなかったですねえ」


 浅いため息をつき、虚ろになり始めた瞳は視点が定まらなくなっている。その様子を見ていると、珍しく情けをかけてやろうかという気になった。


「故郷へ戻してやろうか」
「へえ? 本当ですか? ああ、嬉しいなあ。故郷を離れたせいで力が半減してしまっていて」


 やせ細った彼を背負い運ぶのは造作もない事だった。遠くぼんやりと霞む陸地を鼻づらで指し、ふんふんと匂いを嗅ぎながら「あそこです」と言うので、私はふうっと大きく息を吸い込み、高く舞い上がり、一番近い陸地に降り立つ。


「うわあー、さすが金陽様だ。なんて高く飛ぶのだろう」


 何度か繰り返し、その土地に足を踏み入れると、背負っていた彼の毛並みに艶が戻り始めていた。


「ああ、この匂い。もう少しで故郷だ……」


 今までの土地と違い湿度が高く、霧に煙っている。険しい岩肌だらけの高い山を登り頂上に立つと何やら大きな影が現れた。


「ああ……。長老だ」
「……」


 静かに立ち止まり様子をうかがっていると、全身、真っ白な雪のような毛並みの大きな犬が現れる。背負っている犬の二倍、つまり私の三倍はあるであろう大型な犬である。


「ようこそ。金陽様。我らの一族のものをお連れくださいましてありがとうございます」
「いや……」
「わしは一族の長でございます」


 長老は恭しく頭を垂れる。


「長老……」


 私の背から、ずるりと滑り降りやせ細った犬が甘えたように鼻を鳴らす。


「やれやれ。わかったであろう。霊力をまず高めてから出て行かないと。これだから今どきの若者は身の程知らずで困る」
「すみません……」


 しょんぼりと身体を低くするが、土地の霊気を吸っているであろう、その犬は命の輝きを取り戻し始めている。


「どうぞ。金陽様。ご馳走させてくだされ」
「いや、私は別に……」
「そう言わずに、金陽様! どうぞ!」


 いつの間にかすっかり元に戻ったような若い犬に、苦笑しながら私は犬神の村へと入っていった。



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