恋する天然酵母

萩原 歓

3 パン屋『パインデ』

 ハンガーにかけたコットンのワンピースを見て「いってきます」とつぶやき家を出た。
フミは自転車で一五分のスーパー内にあるパン屋に勤務していた。仕事は製造で朝が早い。静岡は天気が良く残暑も厳しいが早朝五時出の彼女に今朝は肌寒く感じられた。昨日の雨のせいだろうか。隣の家の青い朝顔もしぼんでいる。「夏も終わりか」心の中で言い自転車をこいだ。


「おはようございます」元気よく声をかけロッカーに荷物を置き白いユニフォームに着替えた。きっちり一つにまとめた髪をさらに白い作業帽子に押し込み、マスクをかける。タイムカードを押していると店長が声をかけてきた。


「おはよう」
「おはようございます」
「今日は食パンのあとバターロール多めに頼むよ」
「はい」


 血色の良い丸顔の店長は最近、腰を痛めてしまい製造をフミに任せることが多くなった。
フミは昨日の仕込みと今日の作業をチェックした後、倉庫へ材料を取りに行った。二十五キロの小麦粉を台車にのせているとパートの芝崎良美が「一人で持てる?」と心配してきて一緒に乗せるのを手伝った。


「良美さん、ありがとうございます。」
「いいのよ。フミちゃん。女の子なんだからあんまり無理しちゃダメ。店長だって腰やっちゃたんだからね」


 もうじき還暦を迎える良美は、フミと同い年の息子がいるらしく自分の子供と同じような感覚で接してくる。彼女もやはり丸顔で気立ての良い雰囲気だ。フミはどちらかというと肉付きが悪くスレンダーだった。顔立ちは目が丸く八の字眉とへの字口のおかげで、美人の類ではないが年配者に好かれやすかった。
店長は店先に出る販売担当者にはふっくらした人間を選ぶそうだ。彼曰く可愛い子や美人より、パンのような雰囲気をもった人間が店に出ていると売り上げが伸びるらしい。なるほど売り子にも適材適所と言うものがあるらしい。フミは製造を希望したので容姿は面接にあまり関係がなかったようだが。


「さて、こねるかな」


 気合を入れて別れた男のことを思い出す前にバタバタと仕事を開始した。忙しくしていればなんとか乗り越えられるだろう。そして今度の休みにパンを持ってあの店にお礼に行こうと考えていた。

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