いえいえ。私は元の世界に帰るから結婚は却下しますっ!

月宮明理

保護者のお迎え

 ゆら、ゆら、ゆら、と心地よく揺れる感覚。夢なのか現実なのか、はっきりしない。
 重いまぶたを開くと目の端で動く茶色のなにか。なんだろう、と手を伸ばしたら、短くてやわらかい毛だった。それになんだか温かい。
 不規則な動きを感じ取って、ようやくそれが生き物なのだと理解できた。

「気がつきましたか?」

 突如として降ってきた声にびっくりして、振り向こうとすると、

「わ、わ、わ……」

 バランスを崩してひっくり返りそうになる。

「……っと、暴れないで下さい。落ちますよ」

 声の主に支えられ、なんとか持ち堪えた。
 落ちそうになってようやく、自分の今の状況が分かった。私は誰かに後ろから抱えられる様にして、馬に乗っていたのだ。
 そしてその『誰か』の声には、すごく聞き覚えがあった。

「おはようございます、ヒメカ様。もう朝ですよ」
「おはよう……シグルド」

 クルリと振り向いた先には、笑顔のシグルドがいた。しかし、いつもの笑顔とは違い、どこかぎこちない。

「馬上のお目覚めはいかがですか?」

 温かみのかけらもない言い方。明らかに皮肉だ。
 けれど、それよりも気になることがある。

「何でここにいるの?」

 私は誰にも告げずに城を出てきたのだ。なのになぜ今、こうしてシグルドと一緒に馬に乗っているのか……不思議でしょうがない。

「ヒメカ様を追って来たに決まっているでしょう。お城に着くまで、もう少し寝ていてかましませんよ。昨夜はさぞ疲れたでしょうから」
「な、なんか……ごめんね、シグルド」

 さっきから一言一言に険がある彼に、とりあえず謝罪の言葉を述べた。

「おやおや、なぜ謝るのですか? ヒメカ様は何か悪いことでもしたのですか?」
「だって、シグルド怒ってるし……」

 それに怒られることに心当たりがありすぎる。勝手に騎士服と地図を持ち出したこととか、城を抜け出したこととか……。私が安らぎ草を持っているのが見えてるはずだから、隣の国のお城に行ったことだってバレてるだろうし……。

「怒ってなんていませんよ。たとえ、守るべき姫君が勝手に城を抜け出して、無謀にも他国の城に侵入しようとも、男装した状態で傷だらけになって倒れていようとも……怒る理由には値しません」
「怒ってるじゃん」
「違います、心配したんです!」

 言われてハッと気がついた、さっきから見え隠れしていた違和感の正体。笑顔がいつもと違って見えたのは、眉間に寄ったシワと少し腫れたまぶたのせい。
 そのままシグルドは馬の歩みを止め、私を優しく抱きしめた。

「ヒメカ様にはきっと分かりませんよね、僕がどれほど心配したのかなんて……」

 シグルドは気持ちを抑えるかのように淡々と語り出した。

「日が傾いてきてもヒメカ様が部屋に帰ってくることはなく、城で最後にヒメカ様の姿を見たメイド長の話によると、安らぎ草の育成場所を聞かれたとか」
「ごめん」

 謝る私をよそに、シグルドは話を続ける。

「さらには洗濯した騎士服の数が合わないという報告も受けて、まさかとは思ったものの、一応確認のために、馬に乗ってここまで来たんです……」

 静かに聞いていると、シグルドの抱きしめる力が強くなった。

「そ、そしたら……」

 声が震えていた。
 シグルドの顔を見上げると、うっすらと涙をにじませている。
 見るな、と言わんばかりに強く胸に抱き寄せられて、シグルドの心音がすぐそばで聞こえるようになった。

「人が、木の根元で倒れていて……。着ているものは、よく見憶えのある服。騎士服の報告のことと強く結び付いて、すぐにヒメカ様だと分かり……その瞬間、冗談ではなく、息が止まりました」

 昨夜城から脱出した後、私の体力はすでに限界に達していた。痛みと疲れから立ったまま眠ってしまいそうになったくらいだ。
 そこで仕方なく、ちょうどいい木を見つけて休んでいたら……いつの間にか眠ってしまったようだ。

「ぐったりとした様子でしたので、一目見たときには……」
ごくり、と唾を呑み下す音がする。
「し、死んでいるのかと思いました。――その後、呼吸を確認できた時の脱力感は……今後味わえないくらいのものでしたし、味わいたくもありません」

 シグルドは弱々しい声でそこまで言い終えると、再び馬を動かした。

「ごめんね、シグルド……心配させて。それと……迎えに来てくれて、ありがとう」

 安心したせいか、起きたばかりにも拘わらず強烈な睡魔に襲われた。
 夢うつつの中で、こんなにもシグルドに大事にされている『ヒメカ』をうらやましく思った。私も……私としてシグルドに心配されたい。『ヒメカ』としてではなく『姫香』として。
 もしも、桜庭姫香としてシグルドと出会っていたら、シグルドは私のことをどう思ったのだろう。同じように心配してくれただろうか。

「いえ、いいんです。けれど――」

 連れてこなければよかった、と言う彼の声を聞きながら、私はもう一度眠りについた。

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