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キュライナの栞

流手

Lv.1 忘れ物

 終業のチャイムが鳴り、教室に潜んでいた魔物達が堰を切ったようにどこかへと流れていく。たった一つの音が響くだけで、ほんの数秒前とは雰囲気がガラリと変わるものだから不思議な話である。

「んー……」

 凝った体をストレッチするように机に突っ伏せて伸びをすると、微かに背中からポキポキッと何かが弾けるような音が鳴る。それを感じる度に、今日もよく頑張ったなと一人で自分に労いの言葉を掛けてしまうのは、僕が自分に甘いせいだろうか。
 否、それだけでささやかな達成感を得られるのだから、恥じる必要はないのかもしれない。むしろ、上手くやっているのだろう。

 顔だけを持ち上げるように前を見ると、なんとか授業を切り上げた先生がそそくさとプリントの配布を始めていた。

 おっ、今日もあるんだ。

 宿題、といっても簡単な復習のような内容であり、時間もさほど必要としない。何より、これをこなしておくと成績に加点してくれるという噂を聞いたことがあるので、むしろ若干の魅力に感じることさえある。
 プリントが回ってくるまでの間、しばらく机に突っ伏したままで目を閉じておく。これが多少のリフレッシュだ。

 ちなみに、僕、由里真砂の席は一番左の端の後ろから二番目に位置している。さらに詳しくいえば、教室のドアから離れた窓際で前から数えれば三番目となる。
 気持ち的には教卓からも離れており不満はない。少なくとも、僕にとっては“当たり”席だ。

 そのままの姿勢から首を横に転がすと、視線には丁度反対側の席、つまりはドア側の席が映るのだが、そこでも同じような光景が行われているようだ。狭い机の上で行われる行為など、そうパターンもないのかもしかない。

 それにしても、まさか見られているとは思っていないのだろう。んんっ……と、少しだけ力んだ顔がこちらからでもはっきりと見てとれ、不覚にも可愛らしいなぁ、と思わず目が止まる。
 そっと、ズレた眼鏡を直す仕草がまた妙に気になった。……やっぱり、良い。

「起立」

 日直の号令により授業が終わり、資料をまとめた教師が教室から出ていくのを見計うと、真砂は再び反対側の席へと目を戻す。既に彼女は御機嫌な様子でなにやら友達と談笑を始めているようだった。

 ……なんていう子だったかな。

 クラス替え直後の為、クラスメイトの名前は半分も覚えていない。そのうち嫌でも覚えるだろうし、わざわざ覚える努力をするつもりは更々ないと割り切っている。

「おい、真砂。今日も少し寄り道をして帰らないか?」

 眠そうな声と共に、前の席からプリントが回ってくる。
 こいつ、寝ていたな、と心の中で呟く。半分ほど意識が逸れていたとはいえ、なかなか回ってこないなとは感じでいた。

「いいよ。どこでも、何でも」

 それを受け取ると、一枚取り分け無造作に後ろに回す。ちょっとした解放感からか、ひっそりと欠伸がこみあげてきたのでついでにそれも吐き出しておくことにする。

「なんだ? 泣いているのか?」

 振り向いた少年がこちらを見て驚いている。
 彼の名前は八雲という。名前の順番が近いということから席が近く、よく話すようになったのだった。縁があったということなのだろう。

「ヒント、欠伸」
「そのまんまじゃないか」

 笑いながら丸めたプリントで小突かれる。

「そっちも寝てたの、知ってる」

 二人してニヤリと笑う。
 彼とは波長が合う、というのだろうか。話が弾むのですぐに仲良くなり、今では大体二人で行動を共にするようになっている。

「レント、この席の反対側の……」
「待て! その名で呼ぶな」

 知っているか聞いてみようと思ったのだが、すぐに八雲に制止され、険しい目で牽制される。

「別に誰も気にしないけどね」
「俺が気にする。それで十分だ」

 そう、八雲は名前にコンプレックスを持っているようで、この手の話になると一切話が進まなくなってしまう。
 忘れていたわけではないが、下の名前で呼び合う仲というのも悪くはないのではないかと僕は思う。

「君だって僕のことは名前で呼んでるように思うけど」
「真砂よ、今一度考える時間を与えよう。そんなに難しい話ではないと思うのだが?」

 目立たないように小声で凄む八雲に、降参だとばかりに両手を上げて首を降る。まぁ、嫌なら仕方ないか。

「分かればいいんだ。頼むぜ」
「はいはい。僕が悪かったよ。それで……」

 話が途切れてしまったので、仕切り直そうと口を開いたタイミングで再び教室のドアが開く。

「はーいはい。席に着くよー! はいはいー! はーい! はい! こっち向いて、そこ! こ・い・び・と・君もぉ!」

  まるでブルドーザーが突っ込んできたのかと思うくらいの強引さで、担任が終わりのホームルームの始まりを告げる。

「……先生。八雲、です。そう呼んでもらいたいんですが」

 八雲がピクリと眉を吊り上げると、挑むようにマッチョの担任、“松永松韻”に向き直る。
 このガッチリとした体型に角刈り、そして少し暗めのレンズの入った縁の大きな茶色い眼鏡を着けた担任は、担当科目が体育だという。

 思わず、うわっ、こいつ、まじか、と心の中でホップ・ステップ・ジャンプを決める。
 僕なら絶対にこんな得体の知れないものに歯向かうことはしないだろう。それは、間違いない。

「センセ! 残念ですけど、“こいびと”君、ではなく、"れんと"君、でーす」

 どうしたものかと悩んでいるうちに、誰かが先に皆の注目を集めてくれたようだ。
 真砂は勝手ながらも、随分と気が利く子なのかもしれないと思ってしまう。

「あらぁ、ごめんなさいねー? 先生もそんな可愛い名前が良かったのになぁ。そっかぁ」

 松永先生は特に気にした様子もなく、少しクネッとした動きをして謝っている。一瞬で教室から何人かの生徒から吹き出す気配が漂い、場の空気が幾分か和やかになっていく。

「センセ! 気にしないでね! それに、松韻だって可愛いじゃないですか」

 その発言に、またもや周囲もつられて笑いが起こる。その後、そのままの流れで話題は先生へと移っていった。これなら八雲も引き下がるだろう。
 真砂は胸を撫で下ろした。

 ──そういえば、この子はさっきあの子と話をしていたような。

 ふと、その姿に思い当たる。ちらりとしか見ていなかったが、やはりなんとなく見覚えがある気がしていた。

 真砂は一旦教室の喧騒から目を逸らす。やはり人の名前くらいは覚えておいたほうがいい。

 八雲を見ると、不貞腐れたように外を見ていた。

 ◇

「ちっ、最悪な一日だったぜ」

 教室を出るや否や、八雲が舌打ちをする。その周囲を早々に帰宅する者や忙しなく部活に向かう者が慌ただしく通り過ぎていく。

「流石にどうかと思うよ。少しは相手を選びなよ」

 窘めるように慰めると足早に昇降口へと向かって歩き始める。更に問題が起きても面倒だ。

「相手なんか関係ないね。全く、許せねぇぜ」
「怒るとヤバいらしいよ。半殺しにされた先輩がいるらしい」

 教室で誰かが話していた噂を伝えてやる。

「まじかよ……勘弁してくれ」

 心底嫌そうな顔をしながら靴箱に手を伸ばすと、靴を取り出し履き替え始める。

「あ、ごめん、少し待って?」

 靴を手にした途端に、真砂はある忘れ物に気がついた。先の流れでプリントを鞄に仕舞い忘れている気がする。
 慌てて確認するも、やはり見当たらない。

「どうした?」
「ちょっとね。大事な紙を忘れたみたい」

 すぐ戻る、と言い残すと踵を返し、再び教室へと足を向ける。八雲の顔は見ずに来てしまったが、おそらく待っていてくれるだろう。

 二年の教室は二階にある為、こうして一人で歩いていると、以前より少し距離が増えたことを実感させられる。
 後ろのドアを開けると一直線に自分の席へと向かった。確かプリントは机に入れっぱなしだったはずだ。

 まだそんなに時間は経過していないはずだが、意外にも教室には誰もいなかった。

「よし……っと」

 そのまますぐに教室を出ようとするが、ふと教卓に違和感を覚える。確めるよう近付いてみると、黒い名簿が置き去りにされているのが目に止まった。
 届けるべきか? と内心で考える。

 ──そういえば……あの子の名前はなんだったかな。

 そんな時、ふと先程自分と同じく伸びをしていた女の子のことを思い出した。反射的に自分と反対側の席へと目を移すが、もちろんそこには誰もいない。

 数秒悩み、結論を出す。
 少しくらいなら見てもいいだろう。そう判断すると、真砂は教卓へと向かうことにした。

 名簿を開くと、座席と名前が記載されているページがすぐに見つかる。

「ふーん。宇喜多……棗ね」

 覚えておこう。そう思うとそっと名簿を閉じ、今度こそ教室を後にした。届けるかも少し悩んだが、今日は松韻先生に会うのは躊躇われたからだ。

 今は八雲を待たせている。真砂は再び廊下を急いだ。

 ◇

 真砂が教室を離れたその直後、再び後ろのドアが静かに開いた。

「……どうして私の名前を言ってたのかなぁ? 由里君」

 彼女もまた忘れ物を取りに来てみたところ、既に誰かがいるようだったのでつい隠れるようにしてしまったのだ。しかし、よもや自分の名前を聞くことになろうとは思ってもみなかった。

「由里……真砂君、か」

 同じように名簿を指でなぞると、不思議と微笑みが浮かんできた。確か、レン君といつも仲良さそうにしている男の子だ。

「明日は話、出来るかな」

 忘れていたプリントを手に握ると、彼女、宇喜多棗は名簿を取って教室を後にした。

 私はこれから行くところがあるのだ。

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