記憶を踏みつけて愛に近づく

幸夜曇

然る雨の日の君と僕

輪仲さんが病院に居ない。その言葉を聞いて2つの理由が思い浮かんだが、片方は自分の中ですぐ否定されてしまった。

それはないだろうと思った方____入院前の生活に戻りたかったから、というのは、とてもではないけれど有り得ない。学校でいじめられていたのなら、加害者は彼女の家を知っている可能性があるからだ。

恐らく輪仲さんは、自分を殺めようとしている____そこまで自分の考えが辿り着いた瞬間、背筋が凍った。それと同時に外に居るであろう彼女を探しに行く準備をしたが……ある事に気付いた。

僕は、輪仲さんが住んでいる地域を知らない。市町村でさえ。
病院の近くに居る場合そんな事関係ないけれども、彼女が自宅付近で座り込んでいたらどうしようもない。院に問い合わせれば住所くらい教えてもらえるかもしれないが、電話が繋がるのを悠長に待っていられる程の時間なんて無いのだ。

もう10月だ、前の診察日より日中の気温が下がっており、朝晩も随分と冷え込むようになった。そんな中、雨に打たれながら凍えていれば病気になる。何時間も放置されていたら死んでしまうかもしれない。一刻も早く彼女を見付けなければ。でも、住所が……。

……慌てていた僕の頭の中で、一つの記憶が蘇った。
そうだ。8月に貰ったイラスト。あの裏には、葉書と見れば差出人住所が記載してある場所に何重も修正テープが貼ってあった。僕の住所が分からないと気付いたから書くのを止めたのだろう、住所にしては短すぎる長さだったが、少なくとも市までは書いてあるだろう。

そこら辺にあった定規でテープを剥がすと、案の定住所と思われる文字の羅列が見えてきた。そこに書いてあったのは、何事も近場で済ませがちな僕でも知っている、隣町の名前だった。

僕はカゴに一本の折り畳み式の傘だけ入れて自転車にまたがり、出した事のないスピードで車輪を走らせた。


全身びしょ濡れな事なんて気にしない。既に息が切れているが、その事も気付いていないふりをして病院周辺を何回か見て回る。居る可能性が高そうな公園や空き地にも、彼女の姿はなかった。

なら、ここから隣町の間にいるはずだ。
そう思って方向転換した時、ある疑問が頭に浮かんだ。

自分はなんで、あの子の事でこんなに必死になっているんだ?

これまで、人の為にここまでした事はなかった。どちらかというと何事にも無頓着で、友達が離れていった要因もコルセットだけでなく、僕の性格に飽いたのもあるだろう。
そんな僕がどうして、それも女の子の事で?

…自転車を漕ぐ速度は落とさずに少し考えた後、嗚呼、と声を漏らした。それはすぐに雨の音で掻き消される。

僕はきっと、いや確実に、輪仲奏が好きだ。
好きだから、守りたい。生きててほしい。笑顔が見たい。
脳がそこまで辿り着いた時、自然と漕ぐ速度が早くなった。


隣町の公園。其処に彼女が居た。
縮こまっていて、まるでそのまま死んでしまうかのように。ガタガタ震えていた。
僕はそっと、彼女の頭上に折り畳み傘を持っていった。

「奏、大丈夫か?」

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同題異話SR -Nov-
記憶を踏みつけて愛に近づく

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