雲の惑星のものがたり。

良雪

はじまりは雲の上。①

    一隻の大きな軍艦が護衛の装甲巡航艦を一隻従えて、白雲を蹴立てて夜空を突っ切っていく。

 大きな船の種別は戦列装甲艦。と、この世界では云う。

 通称名は【戦艦】。艦名は【石蕗つわぶき

 艦前方に30.5cm連装砲を二基四門。後方に同じく30.5cm連装砲を一基装備し、上部甲板の舷側砲郭内には多数の副砲、速射砲を触角のように伸ばしたその姿はまさに浮かぶ城、製造した国では国産初の多主砲搭搭載艦であった。

 世界の海軍においても、もちろん【石蕗つわぶき】を始めとした、みやびな植物の名を冠した戦艦群を運用する芙蓉皇国においても、近代海軍の象徴である主力艦は百三十年ぶりに回遊してきたとある島国家に敬意と友好を示すための親善使節を乗せるに値するの船として相応しく、まるで海上でフンすと胸を張り、艦首には軍の紋章である“序に先なかなか散らない”とされる【梅花】を誇らしげに掲げながら走っていた。


「不思議なものですねぇ~。こんな重たい鋼鉄の塊が雲の海に浮いているんですからねぇ~」

 戦艦の後部艦橋、その左右の雲海の上まで出っ張っている〝ウイング〟のへりに両腕をぶっきらぼうに置いた、見た目が二十代前半の青年は、しまりのない呆けた顔と纏まりの悪い髪を海風になびかせて、被っているのは今にも風で飛んでいきそうなヨレヨレ瑠璃色るりいろの中折れハット帽にちぢれ綿製の芙蓉皇国では貧乏書生がよく着ている薄い紺色の和服という出で立ちである。

 そんな青年はボンヤリした表情で中折れハットのツバをクイって上げて、眼下を勢いよく続々と流れていく雲の波を眺めている。

    ついで彼は夜の闇を照らす衝突防止の艦上灯と、その明るい光に照らし出された艦の後部には、臨時に設置された簡易な飛行船搭に係留中の小型の艦上飛行船の楕円形の船型を、後方の、同じく楕円形ながら満月である月とともにかたちを比べながら見詰めた。

「雲の気を寄せて集めて風船に詰めた空飛ぶ乗り物と聞きましたが、見た感じ骨が入った皮だけの太った長芋みたいに縦に長い風船ですね。こんなのでちゃんとあたしをオーベルトのおかまで運んでくれるんですかねぇ」

 秘密の仕事を皇国海軍上層部から依頼された青年は、不安そうに一人ごちて、おもむろに和服の襟元を掴んでキュッとなんども引き締め調ととのえはじめた。

 なにかしら体を動かしていないと、どうにも気分が落ち着かなかったからである。





 さて、この青年が住む惑星では陸地を包む〝雲〟を〝海〟と呼んでいる。


 より正確には、地上を優雅に見下ろす〝雲〟は一応存在しているのだが、それよりも水蒸気の圧力が濃く、尚且、普通に船は水の満ちた川や湖を行き来する浮力を持った船形でなければ雲には浮かず、その質量と浮力を伴った物体を一定の高さで浮かせてくれ、海で言えば波打ち際までしか自然に存在できない摩訶不思議な気体成分を含むミルク色の〝雲の海〟が存在していた。

 〝雲海〟は底知れぬ程にブ厚く、そして他の惑星同様に“海”となって漂う水蒸気は塩辛く、大きなヒレを翼のように進化させたたくさんの魚が浮き沈みしながら泳ぎ、波打ち際や陸地が雲海の下に潜り込んでいる陸の棚状の場所では、貝似た生き物や塩気には強いが雲海の外だと自立出来ない植物が生きる可笑おかしなな世界が広がっていた。

 この変わった雲の〝海〟が、人々や動植物が住まう大陸や島々をグルリと取り巻きつつ一定のリズムで惑星表面を一巡し、季節の移り変わりや降雨降雪、さらには惑星表面の温度調節にも貢献していた。

 つまり雲はこの惑星にはなくてはならない、まさに〝海〟のような存在であったのだ。

 だから古来人々は、この最果てすらわからない、陸地から望めば真っ平らに見える〝大雲〟を〝海〟と呼びならわし、自分達が生活を営む惑星が丸いことを理解してもなお、そう人々に呼ばれ慣れ親しまれ今日こんにちに至っている。


 だが、惑星の表面を一巡しているのは〝雲海〟ばかりではない。

 実は七つある大陸や無数の島々もユルユルと惑星の上を回遊している。

 この惑星の陸地は自由気ままに雲の上にプカプカ浮かんでおり、惑星の地殻に直接繋がっていない陸地が取り巻く雲とともに、ゆっくりゆったりと移動しながら漂いつつ惑星を巡っている〝浮遊する大陸〟であり〝浮遊する島〟なのである。

 その所為せいなのかどうなのか、〝地上〟と呼ぶ陸地に住む人々は、自分たちが〝海〟と呼称する雲の下にどのような世界が広がっているのか、また自分たちが生活するこの陸地の底がごんな形をしているのか、この惑星がどういった構造をした星なのかを全くと云っていいほど何も知らずに生きており、なぜ、大陸や島々が惑星表面を不規則に周回しているのかもよくわからぬまま、どころか“雲海”の底がどうなっているのかも知らないまま、人々は時が来れば産まれ、やがては死んでいくのが常であった。



 この物語は、この不思議な構造を持った惑星の一隅、いまは七つあるうちのひとつである【エウローペ大陸】にほど近い雲海を回遊する、七つの大きな諸島からなる島国をのぞむ海上から始まる。

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