冬フェンリルの愛子となった私が、絶望から癒されていく話

黒杉くろん

春編10:あたたかい煮麺と桃まん

(フェンリル視点)


 フェンリルの耳は風に混ざった音をよく拾う。
 エルの魔力を分けてもらってからというもの、人間の声も大変聞き分けやすくなった。
 扉の向こうからは家族の声が聞こえる。

「あんりゃあ!冬の大精霊様だってぇ……」

「確かにこりゃあ氷の魔力だなあ。においが違う、硬質でキンと冷えた水のようなにおいが混ざってる」

「そんなん扱ったことあんの?父ちゃん」

「昔外交官をやっていてな。北国の民のにおいは覚えてんだい」

 なるほど、この平民街の一番手前に店を構えているだけある。
 それにしても話し合いが長いな……。

「じゃあ本物かー。ねえあたし大精霊様見てみたい、開けようよ」
「ラオメイの公務員も来てるんだぞ、よくねえよ」

 これが聞こえていたらまたハオラウは落ち込んでしまうだろうな。
 平民だったエルはともかく、国に立つものとしてあまりに弱い。そのように育てたものがいるはずだ。大臣格が汚職に染まっているのなら、教育も道を踏み外されていたに違いない。

 環境が人を作ることはよくある。
 この王子が自立するために、輝かしい舞台に招待してしまえばいいのだ。

「頼む、開けてくれないか?」
「うっフェンリルの声がよすぎる」

 エル、真っ先に反応するのはオマエなのか。ふふっ。
 俯いて、真っ赤な顔を押さえて可愛らしいことだ。


 おそるおそるというように扉が開いた。




 中は木造りの狭い一室。ここは店の裏方として商品の箱が置かれている。
 それから奥に石壁の一室があり、こちらはそれなりに広い。端には厚手の布が重ねられていてここで寝たりもするのだろう。

 四人家族が鍋を囲んでいる。煮られているのは白い麺と春野菜だ。それから……緑の桃? 野菜の代わりにもなるとは、いろいろな品種があるのだな。

 天井から吊り下げるようにして大鍋があり、その上にはカゴが二つ。
 蒸気で何かを蒸しているようだ。雪山のレヴィの温泉でたしかエルが蒸しパンを作っていたことがあったと思い出す。

 私たちはともに鍋を囲ませてもらい、半分ほどのスペースを取っている。

 みんなに器が配られる。

 真っ青な顔をした家長であろう男が、ぶっきらぼうにハオラウにも器を渡した。

「ん」
「ん」

 こらこら、返事をそのまま返すな。
 私が器を受け取った時に「ありがとう」と言ったのをハオラウは凝視していた。これでいいんだよ。なにも損なわれるのもはないのだから。

「ほいよ」
「ん!」

 影、お前もなのか。
 口布をずらすと、やたらと口が大きい。そして口の端にあるあの印はなんだ?

「あんたが食べるところ初めて見るぜ」

 クガイと同類ということで平民にも認知されているらしい。

屍妖精クアンシーはもう死んでいるから食べる必要はないんだ。しかし冬の大精霊様と食卓を共にするというのは、なんというか大変光栄であると感じているからな」
「そんなもんか」
「もっと量は少なくていい。ひとくち分あれば目的が達成できる」
「水だけにしていいか?」
「こらっあんた!」
「冗談だってえ」

 妻から男にバシンと一撃。うーむ、愛情がこもっているなあ。こうして緊張をほぐしてやったか。さっきまでは器を持つ手も震えていたのだから。

 屍妖精クアンシー
 知らない種族だ。
 フェルスノゥの雪山にずうっとこもっていたフェンリルが知らないことが世界中にあるのだろう。興味深いな。知らぬ間に微笑んでいたらしくエルがごほっと噎せていた。

「いただきますっ」

 全員の器が配られたところで、エルが大急ぎで手を合わせて言う。
 ぐうーーーと腹の音が鳴ったのをごまかそうとしたんだな。可愛い。


 煮込みの汁は思いのほかピリリとしていて、スパイスが使われてきるようだ。

「「山椒ですね!」」

 ジェニ・メロが言って、ごくんと大きくひとくち飲んだので毒ではないらしい。

 さまざまな野菜が混ざった汁はあたたかく、飲んでしばらくすると体がポカポカとしてくる。
 野菜はとろりと崩れるくらい煮込まれて、それはまあ私たちが途中で押しかけてしまったので煮すぎたのだろう。肉はない、か……フェンリルは肉食だからちょっとだけ口寂しいな。

 麺がつるりと喉を通っていった。うん、美味い。

「おいひい……」

 エルがうっとりとしている。
 初めて出された二本の棒を「箸」だといって上手に使い、麺を食べている。

 私は持ってきていたフォークを使っているのだが。

 そのことでエルが注目されて、照れながら故郷の風習について話していた。


 食べ終わるまで、いったん身分だのの話はあとで、というのは全員の腹事情の一致だった。

 とくにこの四人家族にとってなかなか高価な食事だったらしくて、血走った目で「そろそろ麺が煮えます」と言われたものだから。



 そして、食べ終わった。


「ごちそうさまでしたぁ……!」

 とろけた声で言って満足げにお腹を撫でて、四人家族を拝むようにしたエルが可愛い。
 あっちは「ひえっめっそうもない!?」と喉から悲鳴が漏れたが。私も同じように礼を述べたらまたハオラウがものすごい目を見開いていた。

「私が、冬の大精霊フェンリルだ。リン家の方々よ、このたびの食事の席への招待に感謝する」
「ひえええええ本当に……?」
「この通り」

 スカーフを外して獣耳を露出する。
 エルも同じようにした。

 そして手のひらを上にして小さな球体の竜巻を作ってみせる。その中に氷の粒を混ぜると、キラキラと光って壁にまでその光が反射した。薄暗かった室内が、鏡の間のように輝いている。

「うわあああ」
「すごい」
「このかけらは君たちに差し上げよう。ここは屋台だから、食事の礼だと思ってくれていい」

 氷の粒を[永久氷結]したものだ。
 価値としては小粒水晶くらいだろうが、魔法の心得のあるものに売ればきちんと評価されるかもしれないな。それはこの現場を見たハオラウが判断してくれるだろう。してくれるといいな。な?


「ありがとうフェンリル様。ねえフェンリル様って、春の精霊様みたい」
「こらっなんてこというんだ」
「でもお。お姉さんもまるで春姫様みたいだよ?」

 エルが桜色の髪をつまむ。

「春毛っていうんだよー。フェンリルって季節によって毛並みの色や質が変わるの。冬は白銀モッフモフなんだよ」
「触ってみたーい!」
「こっっっら!」

 妹が言って、兄がごちんと拳を落とした。妹が泣き出す。

「ほら笑って。フェンリルちょっとこれ借りるね」

 エルが、小さな山になった氷の一粒をつまんだ。

 魔力を注ぎ込んで氷の花を咲かせる。春の季節なのに見事な魔法を使うものだ。

「ほーらキレイでしょー。花飾りにしてもいいよ」
「ぐすっぐすっ」

 妹は花飾りを受け取って、手のひらで弄び始めた。泣き止むのもすぐだろうな。

 そのあとは蒸気で蒸していた生地が完成したというので、蒸しパンをちぎって食べた。

 もう一つはまだ生成途中の生地だったため、エルが形を整えて「桃まん」なるものを完成させた。さらに缶詰の一つを開けて「餡子」を包んだため、子どもたちが取り合うようなデザートとなった。


「この周辺で大きな花の蕾がありませんか?  例えば昔から大切にされている伝統花のようなもの。枯れかけていたりしませんか?  教えて下さい」



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