冬フェンリルの愛子となった私が、絶望から癒されていく話
春編9:腹ごしらえの屋台裏
(フェンリル視点)
エルがものすごく鼻を働かせている。
ひくひくと上下しているほどだ。まさか獣型じゃなくてもこんなにわかりやすいとは。わ、笑ってしまいそうだ。
それくらいお腹が空いているんだろう。
フェルスノゥではここまで我慢させたことはなかったが、ゴンドラに乗ってからこの坂の下までろくに食べていなかったからな。
しっかり休んで食べること。これはさっきエルが言ったことだが、元はエルもそれが苦手で、過去に私が勧めたようなものだ。しっかり吸収してくれていて、とても嬉しいと思う。
教育した手前もあるし、エルにはしっかり元気になってもらおうか。
今は、匂いにつられて早足になっているもののふらふらとしているから。
ふらついた時に支えたら、ありがとうと可愛らしくいうけれどすぐに耳も視線も匂いの元のほうを向いてしまう。
ちょっと妬けてしまうな……。
「あそこだ!」
「あんなに遠くまで見えるんですか? 影の目でも難しいのに」
「執念っていうのかな……」
「大精霊様は執念で魔力や探知力が増す?」
「うーん。そ、そこは軽率に肯定していいものでもないような……フェンリル〜」
頼ってもらえるのは嬉しいよ。
「さっき春を呼ぶために魔力を拡散しただろう? その時にこの緑の国の全域が探知しやすくなったんだよ」
「あ! なるほど、冬を呼んだ時には魔法陣が広がっていくのと同じスピードで国全域のことを感じたもんね。春だからちょっと効果は弱いけど、似てるってこと?」
「えらい」
エルの頭を撫でると、へにゃりと微笑んだ。
可愛い。
「では、もはや春龍様のところまで最短ルートも把握しているとなっても過言ではないのでは!?」
「過言だよ。私たちはうっすらと感じられるだけ。歩きやすい道を直に知っている影たちのほうが有益なんだ」
だからライバル心を燃やさないように。春龍をよく慕っているのはわかったから。
「ではほとんどラオメイの実権を握っ」
「過言だよ。この土地は春の加護を受けているけれど、お前たち人間が築いてきたものがラオメイだろう? 大精霊への感謝はけっこうだが、同一視してショックを受けなくてもいい」
実権を握っているようなもの、ではない。この緑の国の王子はどうにもあれだ、自分に自信がなさすぎるんだろう。
昔のエルに似ているからと放ってはおけないところが、彼にとって得な縁だったなあ。
そろそろ平民街に着きそうだ。
私たちは大きなスカーフを頭にかるく巻いて、くるりと首の周りに巻きつけた。
影もそのようにしているので、浮くことはないだろう。
外部からやってきた者向けに推奨されている格好らしく、植物のにおいの濃さに酔わないようになるらしい。
スカーフの端の魔法陣の刺繍の複雑さを見ると、この国の工夫と伝統の奥深さが感じられた。
「キターーー!!」
エルが真っ先に行ったのは、屋台。
平民街を観光に来た者向けなのか、一番手前のほうに店を構えている。
木の扉は閉められているので、客を歓迎している時間帯ではないらしい。しかし奥からはなんとも人型の食欲をそそる肉の脂のにおいがする。
「真っ先に飛び出していかれないように……!」
ハオラウが慌ててエルの後を追っている。
速度に追いつけるのか、見ものだな。ん、春の魔力をまとって足腰はよく鍛えらえているようだ。
「「フェンリル様? 追う役割を男子に譲ってもいいのですか?」」
「エルに触れたりしなければいいよ。私の愛子で恋人なのは変わりないから」
「「オトナの余裕ですね!」」
「長く生きているからな。これでもエルに会って嫉妬深くなったほうだ」
昔のことを思えば、季節を巡らせて動植物皆がすこやかに生きられるように、とそれだけが生きがいだった。
それだけして消えていくのが、大精霊というものの定めなのだと。
だからそれ以内の物しか生めなかったのだ。
雪山はゆるやかに衰退してしまった。
エルはもっと感情豊かにフェルスノゥの回復を願った。
そして新種の雪植物を生やして、実りを動物たちに分け与え、死にかけだった私の体調まで全て治した。
ゆったりと貧しくなっていた世界にやり直しの機会を与えたのだ。
清らかさが全てを解決するわけじゃない。
大事に想うことを目的にするのっていいんじゃない? と、エルが先ほど話したことを思い出す。
おそらく嫉妬もそのうちだろう。
奪おうとするのではなくて、それくらい大事に想うなら豊かに与えたらいい。矛先は間違えない。
さて、与えて振り向いてもらうとしよう。
「んんーー! 開けてもらえない……そんな……こんなにいい匂いがしてるのにいいぃ! もう、どうして『国の者だ、開けろ』とか言っちゃったんですか! ばか!」
「ばっ……!?」
腹が減りすぎるとつい攻撃的になる、生き物のただしい習性だな。
「それはっ、ぜえっ、はあ、国外の者が徘徊する時間をとうに過ぎているため、”普通”の訪問者など怪しくて入れないのがわかっているからです。北国、影、国家と比較して最も可能性が高いところを攻めました。これで開けないとなると国務妨害となるだけです」
「そういうとこですよー! 目的は! ごはんであって! 入ることじゃないの!」
すぐに息を整えたあたりハオラウの身体能力はそこそこか。そしてエルの喉が「ぐるるる」と獣らしく鳴ったのは狼型の成長が感じられて良かったな。
がっしりと閉じられた扉の隙間に、涼やかな風をすべりこませた。
この集落が魔力感知を使うなら、氷の魔力と気付くだろうから。そしてすかさず声を通す。やわらかに。
「夜分に申し訳ない。冬の大精霊フェンリルが訪ねてまいった。みなの食卓に誘っていただけないだろうか?」
──扉の中から、ドンっがしゃんドシン、バタバタ……と慌てるような音が聞こえてくる。
エルとハオラウが目を丸くしてこちらを眺めている。
妙に似ていて、ちょっと面白い。
「普通じゃなければ入れてもらえそうだろう?」
「「毒味はボク・私がいますしね!」」
さて、扉が開いた。
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