冬フェンリルの愛子となった私が、絶望から癒されていく話

黒杉くろん

60:生まれ変わるエル

 出会った当初に見惚れた白銀の毛並みを風になびかせて、フェンリルが私の元へとやってくる。

<妖精王たちよ>
<<わかっておる!>>

 私が凍りつくのが、止まった。

 フェンリルと一緒に来ていたオーブとティトが、私の魔力の暴走を沈めてくれたんだ。

 情けなくも氷から生首だけ出した状態になっている……。
 フェンリルが人型になって、そっと私の頬に手を触れさせた。包むように。

 ああ……そんなふうにされちゃったら。
 幸せを感じちゃったら。
 この氷が溶けちゃうよぉ……。

 困りながら、でも期待してしまいながら、力なく首を横に振ると……フェンリルが不敵に笑う。
 犬歯が覗く。

「待たせた。……エル」
「うん」

 涙声、だな。私だけ。
 でもフェンリルの目もいつもより青がきらめいていて、よほど心配をかけたのだと分かった。

「エル。よく頑張ってくれたな。無事で良かった。遅くなって本当にすまない」
「ううん。助けに来てくれて、ありがとう」
「……呑気に寝ていた私にエルの決死の反撃を叱る権利はないが、どうか心配はさせてくれ……。こんなに冷えてしまって。しかし、エルはこれ以上ない立派なフェンリルの後継者だな。……もう大丈夫。アレを永久氷結させてみせる。止まっているならばたやすい」

 フェンリルが慈しむように、私の頭を抱きしめてくれた。

 私の体が、内側からカーーッと熱くなる。

 ──私を中心に氷が溶け始めた。
 シュワシュワと音を立てて蒸気のような恋の熱が空に昇っていく。

 フェンリルが私を抱き寄せたまま、片手で印を組んでいく。
 あの怪物を永久に氷漬けにしてしまうつもりみたい。

 私の手のひらがぶるっと震えた。スマホの振動。

「待って……!」

 とっさに声が出る。

「どうした?」

 オーブたちが怪物の周囲の氷だけを溶かさず捕らえてくれているから、フェンリルは訝しげにしながらも詠唱を一旦中断して、私の言葉に耳を傾けてくれた。

「あの怪物と、話ができるかもしれない」
「なんだって?」
「直感……なんだけどね」

 もうほとんど壊れかけの液晶タブレットを、私たちが眺める。

「……どのように話すつもりだ?  氷の中にいるのに」
「このスマホが、あのタブレット……怪物と連動しているの。怪物は妖精の泉に浸かって元々の機能を強化しているから、何とかなるんじゃないかなって」

 そんなことを試したい、理由があるの。
 フェンリルは引き続き真剣に聞いてくれている。
 他のみんなも。

「あの怪物を永久氷結させたとして……これだけ異世界の落し物が、何度も何度も落ちてきたんじゃ、これからの雪山への脅威は変わらないでしょう。あの怪物は、こうなっている原因を何か知っているんじゃないかな?  それを解消できたならやっと安寧が訪れると思うの……。それはとても大切なことだなって」

 まっすぐにフェンリルを見て告げた。

「私はそうしたい」
「わかった。責任は、私が共にとろう」

 フェンリルの全部包み込んでくれるような笑顔が、本当に、大好き……!
 ああ、元気になってくれて、生きていてくれて、本当によかった。

「ありがとう。一緒にいてくれるのが、何より心強い」

 私は涙目でにっこーりと頑張って笑って、スマホのホームボタンを二回、押す。

 人工知能との会話機能を呼び出す。

『ご用件は何でしょうか』

 スマホが機械音声でしゃべると、フェンリルたちはハッと息を呑む。
 フェンリルが私の腰に手を添えて、ぐいっと近くに引き寄せた。苦しいくらいだ。

「タブレット端末と会話したいの。お願い」
『──承知しました』

 つ、つながった。
 ゴクリと喉を鳴らす。

 ……不安もある。
 でも、今はフェンリルがいてくれるから……大丈夫。
 この人を傷つけたくないから感情を暴走させないし、いざとなったら、すぐさままたあの怪物と戦う覚悟も、あるよ。

 通信が繋がっているという表示。
 本当に不思議だね。

『ご用件は何でしょうか』

 先ほどと同じ、機械音声がスマホから発される。
 でも発信源はあのタブレット端末ってなってる。

 あんなに私たちを攻撃してきたのに、ベースは日本の人口知能そのままらしくて、丁寧すぎる口調になんだか妖怪じみた不気味さすら感じるぅ……。

「あなたが、私たちを襲う理由を教えて」

 声が震えたけれど、要点をしっかり絞って、簡潔に質問できた。

 周りはシンと静まり返っていて、みんなが息を潜めて成り行きを見守っている気配を背中に感じる。
 あと、殺気。
 あの怪物やスマホが再び暴走すれば、魔力を調整しているクリスやミシェーラがすぐに応戦するんだろう。

 フェンリルが私を守ろうとするように抱きしめている腕に、私もそっと手を重ねた。


『この世界には居場所がないからです。日本にいられなくなった原因を解決して、元いた場所に帰るため、行動しています』

 ──!
 これが、怪物たちの本質。

「原因が分かっているの?  解決方法とは……?」

『この世界の魔法とやらにより、日本のアパートを起点として召喚作用が起きています。我々はその影響を受けて、引き寄せられました。
 これが原因です。
 呼び出された大きな召喚物がこの世界にある限り、世界は安定せず、我々は帰ることができないし、次々日本のものがやってくるでしょう。
 これは問題。
 解決方法は、根本原因の召喚物をこの世界からなくすこと』

 ぞわっとした。

「それは……私の、こと?」
『その通りです』

 膝が地についてしまいそうだったけれど、気力を振り絞ってなんとか立ち続ける。

『この世界にあるべきではない日本のものを、元いた場所に、本来あるべき場所に、帰さなければ。この我々と共に』

 口から嗚咽のような大きなため息が出て喉が引きつり、ひくっと情けない音が出た。

「…………帰れないよ……っ」
『帰る方法はあります』

 あの怪物が確信している条件はおそらく……あのアパートの扉をくぐれば、日本に帰れる、ってことだろう。

「……私は、雪山を救いたい。でもみんなと一緒にいたくて……っ」

 とんでもないワガママが全部、口から溢れ出す。
 フェンリルに甘えてしまって、心に生まれた弱音がどれだけでも、みんなの耳に届いてしまう。

「ごめんなさい……ごめんなさい……っどうしたらいいかすぐに……返事……できない……!」

 ……私を責める言葉は一向にかけられることがなかった。
 話しかけない限り、スマホも沈黙したままだ。

「それでいいよ。一緒に考えよう」

 フェンリルが、私の白銀の獣耳を丁寧に撫でた。
 安心させるように。
 原因を知ってもなお、触れてくれる優しさは変わらない。

 すんすんっ、と鼻をすする。

「もうすっかりこちらのものとして容姿が変わっているのになぁ……エルを寄越せとは、あの怪物も随分とワガママを言うものだ」

 …………ワガママ?  持ち主の、私に似たのかなぁ?  なんて……ね……。
 この白銀のエルは、もう日本のものじゃないって私もそう思うんだけど……うう……。

「エル」
「はい」

 フェンリルがそう呼んでくれる声に反射的に返事をするくらい、エルって名前が、もう馴染んでいるのにな。

「寒いか?」
「……?  いいえ……?」
「爪は水色に染まっているな」
「うん」

 どうしたんだろう。
 フェンリルが一つ一つ、私の特徴を確認していく。
 そして腰に回していた手をするりと動かした。
 背中のかなり下の方を撫でられてしまって、ぶわっと獣耳の毛が逆立つ。

「フェ、フェンリルぅ!?」
「未熟。ここに尻尾が生えれば、エルはもう、完璧にフェンリルの後継者となるはずだ」

 ぽかんとした。
 ……すっかり忘れてた。
 ……そうか、私まだ中途半端な存在のままなんだ。
 みんなとたくさん話して、雪山で走り回って、冬を呼んで……褒めてもらって。一人前になれたつもりでいたのかもしれない。半人前なのにね。フェンリルがいないと感情の制御もできないのにね。

「この世界に揺れが起きてしまう原因は、異世界との大きな繋がりがあるからだと……その怪物は言ったな?」
「う、うん」

 私はスマホの会話記録をスクロールで遡る。
 フェンリルの認識で間違いないはず。

 フェンリルが体勢をかえて、私と向き合う形になった。

 距離は近いけど、少しだけ体を離してしまったから、なんだか猛烈に不安になって、少し近づこうとしたら……フェンリルはクスリと笑って受け入れてくれた。
 甘やかされている。
 本当にすぐ近くの距離で、私はフェンリルをじいっと見上げた。

「では、エルは私が貰い受ける」
「!」
「私からのワガママも聞いて欲しい。心からこれを望んでいるんだ……日本には帰してやれない。これからもどうか共に。エル」

 ハッとして、慌てて答えようとすると、彼が顔を寄せてきて、私にひそひそ耳打ちする。
 ──獣耳に驚きの提案が届けられた。

 私は目を見開いてフェンリルを凝視した。

「責任は取るから。死なないで側にいるよ。だからどうか」
「…………っうん…………!」

 彼の懇願を遮って、唇を噛み締めながら涙声で返事をする。

 私は自分の気持ちに正直に、彼の手をとった。
 お互いの指に付けた指輪がカツンと当たる。

 吐息がお互いの顔にかかった。

 スマホのホームボタンをまた、二回押す。

「こちらの世界に異常をもたらしているものの名前・・を教えて」
藤岡エル・・・・です』

 ……!

「その日本人がいなくなってしまえば、あなたたちは元の世界に戻れて、世界も安定するの?」
『その通りです』

「わかった」

 私の答えを聞いて、少し遠くからハラハラと展開を見守っていたグレアやクリスやミシェーラたちが「大丈夫ですか!?」「行ってしまわないで!」と声をかけてくれる。

 みんなに引き止めてもらえることがとても嬉しいよ。
 私を抱えることなんてリスクだらけのはずなのに、真摯な瞳でまっすぐな言葉をかけてくれている。

「大丈夫。私もフェンリルもここにいるよ」

 みんなに精一杯の笑顔を向けた。
 どうか信じて。
 私も、これからのことを信じるから。

 フェンリルと向かい合って、呼吸を整えて滑舌よく発音する。


「私、藤岡エルは、”藤岡”の名をフェンリルに捧げます」

 宣言すると、私の体が光をまとって、魂の底から魔力が練り上げられる。

 名前がずるりと呼び出されて、宙に”藤岡”の文字が浮かび上がる。

 とんでもない高密度の魔力集合体だと分かる。
 見ているだけで肌がざわざわと粟立っているから。

 ──完全に「エル」になるための方法は、私の中から「藤岡」を消し去ることだろうと、フェンリルが提案した。

 フェンリルは以前、私の名前の「ノ」を食べて驚くほど回復した。
 今度は4文字を食べてしまったら、効力が強すぎて負担になってしまうはず。
 彼を蝕む毒となってしまうかもしれない。

 それでも、責任を取るって言ってくれたんだ、この優しい獣は。

 それが娘の望みを叶えてやりたい親心であり、自分のワガママを貫きたい元王子の気持ちなんだって、熱心に口説いてくれた。

「"サフィラエル・レア・シエルフォン"。この名をエルに捧げよう」

 フェンリルは自分の昔の名前を口にする。
 最近記憶をおぼろげに思い出し始めたという彼の中から、弱々しい光の流麗な文字が溢れ出てきた。

「一度捨てた名だからほとんど魔力を持たない微力なものだが。私の心を、エルにやる」
「下さいな」

 私の即答に、フェンリルが柔らかく笑った。
 これまでで最も人間らしい、本当に繊細で幸せそうな微笑みに、惚れ惚れしてしまう。

「「一緒に生きよう。この雪山で」」


 私とフェンリルの唇が重なる。

 お互いの過去を食べてしまって、混ざり合うような不思議な感覚。
 私は目を閉じた瞼の裏側で、白金の長髪の王子様が華やかに笑うのを見た気がした。

 フェンリルの、というかはるか昔の王子様の繊細な魔力が私の中をくるくる巡って、急激な魔力喪失による体調不良を癒してくれた。


 フェンリルは私に倒れこむように肩に頭を預けて、荒い息を吐く。
 呼吸している……生きてる。良かった……!

 私の白銀の尻尾・・・・・に、フェンリルが手を触れた。

「良かった……こちらに頂くことができた。大切にする」

 その優しい言葉遣いが嬉しくてたまらない。
 ずびっと鼻をすすって、こくこくと何度も頷いて彼の好意に応えた。


コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品