冬フェンリルの愛子となった私が、絶望から癒されていく話

黒杉くろん

55:夜更けのメール

 フェンリルの白銀の毛並みを背もたれにしながら、私は深呼吸をすると、スマホを取り出して画面をタップした。
 メールボックスを開く。
 新規メールは来ていない。

 お父さん、返信を待っててくれたんだな。
 ……誠実な両親に自分の本心を伝えるべく、どのような文章を打とうか……しっかり考え始める。

「うまく行きますように」

 そう声をかけてくれたのは、お皿の後片付けをしてくれていたクリストファー王子だ。
 私の悩みを彼に詳細に話した事は無いんだけど、王子様は本当に察しが良いから、全部知られている気がする。
 はいっ、と頷いて、また画面を見つめた。

 少し操作していなかったから画面が黒くなっていて、白銀髪に獣耳の”冬姫エル”を映し出している。
 …………。

 私が伝えたいことは……現状をありのままに。
 幸せに暮らせているってこと。
 ……帰れないということ。


『お父さんへ。
 私の現状について書くね。
 夢物語みたいだけど、本当のことなの。

 私は今、日本にいないんだ。
 ほんの一瞬で、異世界に来てしまった。
 フェルスノゥ王国という雪国の領地で暮らしているよ。

 私の今の仕事は、冬の気候の管理、それから雪山の動物たちの調査、困っている人たちへの対応など……。
 指導者のフェンリルと共に頑張っているところ。

 異世界には魔法があって、私は召喚に巻き込まれたらしいの。
 雪国の人々にとっても不測の事態で、帰り方は、わからないんだって。
 だから私はお見舞いに行くこともできない 。
 ごめんなさい──』


 ここで少し指が震えたけれど、続きを書く。


『とても心配をかけてると思うことを、二つ回答するね。

 仕事先は解雇になったの。だから迷惑をかけてはいないはず。

 今、私はとても優しい人たちに囲まれている。こちらでの暮らしは満たされているよ』


 ……う、うーん。
 幸せ、最高、楽しい、満たされている、そんなポジティブな言葉を、落ち込んでいるであろう父にぶつけていいものか悩んで、何度も直した。

 幸せで満たされているのは本当だし伝えたいんだけど、今は、言葉を選んで『優しい人たちにサポートしてもらっているよ』とだけ記載することにした。
 まずは、お父さんの反応を窺ってからだ。

 ──仕事の件もごめん。しんどい時にしんどい報告をしてしまって、本当にごめんね。
 ぐすっと鼻をすすった。
 でも、やっと、書くことができた。

 もっともっと詳細に語りたいことがあるけど、いきなり情報を押し付けても、お父さんは大混乱すると思うから……まずはこれだけ、送信。

 思い切ってタップして、一息つくと、手にも額にもじっとりと汗をかいていた。

<エル。頑張ったな>
「フェンリル〜」

 ふうっとフェンリルが息を吐いて、冷風が私を包んで汗を心地よく乾かしてくれる。

「ありがとう」

 なんとなく、みんながそわそわしながら黙っていると、すぐに返事が来た。
 軽快な音が洞窟に響く。

 獣耳がぴん!  と立った。
 王子様もびくっとしたから、犬耳が立ったように錯覚したよ。

 心臓がバクバクしている。
 新規メールを、タップ。

『すまない。一言で言えば、信じられない』

 ガクッッと脱力して、前のめりに前屈してしまった。

「そぉだよねぇ〜!?」

 すぐに良い結果とはいかなかったらしい、と、みんなに伝わり、心配そうな視線が投げかけられる。

 ……そうだよ。お父さんももちろん私のことを心配してくれているけど、こちらの世界にも、私のことを心配してくれている人たちがいる。
 どちらもとてもありがたくて、尊いもの。
 私は丁寧に感謝し、応えるべきだ。

「まだまだ……!  信じてもらえるまで、これからも説明、頑張るよ!」

 気力をもらうために、立ち上がってフェンリルの首に抱きついて、頭をぐりぐり擦りつける。

<ああ。きっと大丈夫だ>

 頼もしい声がかけられた。ありがとう。

 よし!  と気合を入れて、次の一手!
 ……その前に、さっきの説明では聞けなかったことを。

『さっきの話が私の全て。お父さんたちにこそ信じてもらいたいから、詳細をまだまだ話させてね。
 その前に……お母さんの容体は、どう?』

 さっきよりもこっちの方がさらに一段階緊張する。
 返事は、すぐに帰ってきた。

『母さんは、悪化する一方だな。今朝から意識が戻らない』
「…………ッ」

 どうしたらいいんだろう。
 会いに……いけない……何もできない……。

『とても心配。どうか良くなってほしい』

 アテのないただの願望だ。
 そんなこと聞かされても、お父さんだってどうしたらいいかと困るだろう。

 でも伝えずにいられなくて。
 会いに行きたくないわけじゃないの、お父さんとお母さんのこと、好きだよ……!

 スマホめがけてひとしずく涙がこぼれ落ちて、真珠になり、カツンと硬質な音を立てた。


 その時、地面が大きく揺れた。


「──えっ!?」
<エル!>

 獣のフェンリルがモフン!  と私に覆いかぶさる。
 唖然としている間に、揺れは収まった。

 もふもふ白銀視界から解放されると、王子様が結界でグレアを守ってくれている。
 そこは一安心。

 洞窟の壁が崩れたりすることはなかったけど、入り口には雪がこんもり積もっていて、入り口上部から落ちて来たことがわかった。
 これ、また雪崩が起きるんじゃない!?

<嫌な予感がする>

 フェンリルが瞳を閉じて、瞑想。

<……異世界の落し物だ。今度は、下から出現した!>

 すぐにピンとこなかった。
 し、下?
 地中ってこと?  

 …………!

「「「妖精の泉!」」」

 私、グレア、王子様の声が被る。

 その時、魔力がたっぷりこもった氷の魔法陣が洞窟内に出現した。

<妖精王オヴェロンである!>
<妖精女王ティターニアじゃ!>
<<大変だ冬姫様!  我々が暮らしていた一番大きな妖精の泉から、怪物が這い出て来たぞ!?>>

「!!」

 恐ろしい報告にざっと顔から血の気が引く。

<なんとか我々が足止めしている、しかし……小さいのになんたる剛力!>
<ちょこまか動いて小賢しい!  きいぃ!>

<しばらく止めていられるか?>

 フェンリルが尋ねた。

<フン。我は妖精王ぞ!>
<妾は妖精女王ぞ!>
<<まかせよ!>>

<では頼む。二人が対応している怪物が一番手強いようだ。しかし他の妖精の泉でも、数体の怪物が生まれている……。急いで皆で対応しなくてはならない>

 大急ぎで魔物フクロウをフェルスノゥ王国に飛ばし、私たちは夜目をこらして、暗い雪原を駆けた。

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