冬フェンリルの愛子となった私が、絶望から癒されていく話

黒杉くろん

14:着信



<それはなんだ?  エル>

 フェンリルの声にビクッと身体が跳ねる。

「……っスマホって機械。えーと、いろいろできるの。写真を撮ったり、音楽を聴いたり、便利だよ」

<さっきの音は?>

「…………電話が、きたの……」

 そう、だよね。
 あんなにあからさまに反応してたら、気になるはず。

<電話、とは?>

「……通信かな。遠くの人とも話せるっていう……」

<どこから?  誰から?>

 ひゅっと喉がなって、言葉が詰まった。
 一気に綺麗な夢から覚めてしまった気分だ。
 詰まった言葉は、私の身体の中で暴れているみたい。みるみる体調が悪くなる。う、うえ。気持ち悪い……

<グレア>

「かしこまりました」

 …………。
 フェンリルに呼ばれたグレアが、私の隣に座る。

「手を」

 訳がわからないまま手を繋ぐと、グレアの額に導かれた。あ、ユニコーンの角の部分?
 じんわりと清らかな魔力が流れてくる感覚。
 悪いものを浄化してもらってるみたい……すごく心地いいなぁ……。
 凄いねグレア。

「顔色が戻りましたね」

「ありがとう」

 グレアが小さく息を吐いて、額から手を離した。
 でも、手を繋いだまま。引き続き、少しずつ清められてる。
 心配をかけているみたい。

「…………あのねっ。電話、会社から、だったの……」

 言わなきゃ、と思って絞り出した声はとても小さい。
 ああもう!  こんなはずじゃないのに……
 でも、二人は獣耳をひくひくさせていて、ちゃんと聞いてくれたようだ。
 あ、会社の説明をしなくちゃ。…………っ。

<エルを苦しめていた地獄か>

 あれ、知ってる?
 ていうかフェンリルの声こそ、地獄の門から聞こえてきたみたいにおどろおどろしいよ!?
 こんなに低い声のフェンリルは初めて……。
 ぶわっと私の獣耳の毛が逆立ったのを見て、フェンリルは<おっと>と咳払いした。

<そのアイテムを貸してごらん?>

「フェンリル……爪が……すんごい出て……ギラギラしてるんだけどぉ……?」

 あ、舌打ちした。
 確実にスマホを潰すつもりだったみたいだな。荒ぶっていらっしゃる。

 私は…………手の中にあるスマホを眺めながら、迷う。どうしてだろう。
 ここでの生活にはもう必要ないものなのに。渡せない。
 嫌な、ところと、繋がっているのに……っ。

 ピコン、と電子音。

「あ」

 メールだ。
 …………っお父さんから?
 指が震える。もしかして会社から連絡があったんじゃ……!?

 でもフェンリルとグレアの視線に背中を押される。
 嫌なことほど早く対処すべきなんだ。
 社会人になって学んだ、数少ない有益なこと。
 ーー画面をタップする。

【最近の生活はどうだ?  忙しいか。あまり連絡をしてこないから心配している。
 短大を出て、就職して2年が経ったな。社会人として3年は頑張りなさい】

「うううううう……!」

 唸りながら膝に突っ伏した。
 今の私は見事な体育座り落ち込み姿勢である。

<何事だ!?  またカイシャか!>

 フェンリルの声がビリビリ響くぅ。
 グレアが近くなって、あー、スマホの画面を覗き込んでいるみたい。
 でも私、変な表情をしてるから、顔を上げられないよ。

「何が書いてあるのかは読めませんね……」

<エル、教えてくれないか>

 フェンリルの尻尾が私の頬を撫でていく。
 慰めるみたいに。

<私の愛娘。親にも言えないことか……?>

 ……あああこれもう複雑だなああああ……!?
 そう、親のことなんだよね。
 じわ、じわ、と少しずつ顔を上げると、耳がぺしょんとしたフェンリルとグレア。
 ああ、本当に困らせちゃってる。
 ダメだ、私。
 ダメダメなのに、性格面でも不安にさせちゃってる。

「ま、待ってね。ちゃんと、言うから」

<そうか。それなら、いつまででも待つさ>

 くるり、と猫のように身体を曲げて、フェンリルの白い毛並みが私たちを包む。
 ……安心する。深呼吸して、落ち着こう。

「お父さんがね……。……仕事、どんな感じだって。忙しいのかな、心配してるよって……」

 二人は静かに聞いてくれている。

「私っ……あんまり、家に連絡しなかったの。
 できる子のフリ、してたから。……会社で仕事任されすぎてパンクして、きっと要領悪くて、できてなくて、納期に間に合わずに怒られたこともたくさんある。毎日深夜に家に帰って、家に……連絡する暇もなくて……」

 ううん、絶対に失望されるから、会社のことなんて何も言いたくなかったの……。
 親は私のこと優秀だって言ってくれてたから。
 震える声で、言えるところだけ言う。

「だってね、前のメールで、忙しいからこそやりがいがある仕事なんだって見栄を張った。
 ……なのに、頑張っても頑張っても、結局クビになっちゃって。
 何も残らなかったよ」

 ズシンと自分自身の胸に響く。

「情けないよぉ……こ、こわい。失望されるの、辛い。うううう……!」

 握った手に、グレアが力を込めた。
 清らかな魔力が流れてくる。
 過呼吸みたいになってたのが、少し落ち着いた。

「……ごめんなさい。頭の中、ぐちゃぐちゃになってて。何がなんだか、私、どうしたらいいのか、どうなるのか……もう、分かんない……!」

 衝動は落ち着いたけど、説明は下手なままだ。
 だって私自身が、会社をクビになったことをまだ乗り越えられていないから。
 混乱してる。まくしたてられて、二人は困っている。
 ごめんなさい。

 22歳にもなって、こんな赤ん坊みたいな主張しかできない。
 自分の気持ちも伝えられない、うるさく泣いていてまるで無力。
 ごめんなさい、ごめんなさい。

「ふじおか  ノエルは  ダメな子です……」

<エルッ!>

 フェンリルの大声に、びくっと顔を上げた。
 ……あ!?

「こ、氷!?  えっ、なんで……!」

 フェンリルの柔らかな白銀の毛がパキパキと凍っている!?
 私を中心に、鋭い氷が生え始めていた。
 グレアの手も霜で白くなっている。

「溶けて……」

 氷に片手をあてて懇願すると、全て溶けた。
 片方の手はグレアが絶対に離してくれなかった。
 仕方なく、繋いだ手を頬に寄せると、霜は消えた。

<いいか、エル。私の毛皮を凍らせてしまうのは、まあいい。
 ただ、フェンリルが激情に囚われると冬が荒れるのだ。いつも穏やかに過ごすことを心がけてほしい>

「そうなんだ……ごめんなさい」

「そう謝るな。これから成長したらいいんだ。エルはまだ生まれ変わったばかりなのだから」

 う!  フェンリルに他意はないんだろうけど、私の内心がアレだからグサグサきたよ……

<私が教えるよ。生き方を>

「生き方……」

<エルは生き方を知らないように思う。呼吸の仕方、食べ方、話し方とかそういうのではなくて。毎日を心豊かに過ごす方法のことだ>

「……知らないかも、しれないなぁ……」

 また、なんとも言えない羞恥や自虐の衝動がこみ上げてきたけど、今度はフェンリルの毛皮が凍ることはない。
 フェンリルはそのことにホッとしたみたいだった。

<よく寝ること、よく食べること、よく笑うこと、よく遊ぶこと、愛されていること>

 ああ、耳に痛い……
 終電寝不足、ゼリー飲料ごはん、表情筋は死んでたし、20連勤余裕で週休二日制ってなんだっけってかんじ。サービス残業でお給料はスズメの涙。時給換算したらバイトより安い労働。

 愛……。親の愛情は知ってたから、かろうじて生きていたのかもしれないなぁ。
 ずしりと、膝の上のスマホが重くなったように感じた。

<胃は満たされているはずだな。次は、よくお眠り>

 寝すぎです、とか、グレアが嫌味を言うこともない。
 フェンリルの声はどこまでも優しく浸透してくる。

 私は泣き疲れていたみたいで、穏やかな空間に甘えながら、また眠ってしまった。

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