公爵令嬢のため息

青架

祝福されない婚約の話

 
「アレクサンダー王子殿下。例の件、伺いましたぞ。一体どういうことかご説明願おう」

 回廊でエピドート公爵に声を掛けられ、足を止める。

「何の件かな」
「無論、婚約の件です」

 とぼけて見せたところで、ぴしゃりと跳ねのけられ取り付く島もなかった。
 別に説明することもない、と肩をすくめる。

「好ましいと思った令嬢を選んだまでだ。若気の至りでね、時が来るまで待てなかった」
「何を白々しい。勝手なことをされて、周囲の努力を無駄にするおつもりか」
「努力とは何を指して? まさか王家の子供を取り込んで権力争いに執心することではないだろう」

 この宰相とは反りが合わない。やる事為す事すべてにやかましく文句を垂れる老害は早く世代交代するべきだ、と最近とみに感じることが増えた。
 知らず自身の口調も強くなり、またくだらない応酬を重ねなければならないのか、とうんざりする。

「殿下、お口が過ぎますよ」

 突然かけられた澄んだ声によって、通りすがりの女官を軒並み怯えさせる前に衝突は終息した。
 声の主は「まあまあ宰相様も、王子も多感なお年頃ですし」と場を収めにかかる。エピドート宰相は鋭い一瞥と共に「次はありませんぞ」と言い残し、矛を収めて歩き去った。

「礼は言わんぞ、ケネス」
「別に恩を売りに来たわけじゃないよ」

 借りをつくると面倒なこいつは、名をケネス・ジェミニ・フォン・オルゴナイトという、俺の1つ年上の幼なじみだ。この国で代々大神官を務めるオルゴナイト公爵家の一人息子だが、長めの金糸を後ろで束ねた風貌といい、高く澄んだ声といい、神官特有のひらひらした着物と相まって初見では女のように見える。
 ケネスはライトブルーの瞳をぱちくりさせて、俺を下からのぞき込んだ。

「婚約者の話でしょう? もう宮中の重鎮たちは知ってるみたいだよ。騒がれるだろうなあ」

 にやりと笑う。
 予定とはいえ、仮にも国教である神に仕えし大神官となる身のくせに、天使のような見た目とは裏腹にこいつは非常に性格が悪い。気まぐれと言おうか、興味の赴くままに動く節があり正直扱いづらい人間だ。私欲に走るタイプではないため買収すらできず、敵に回すと面倒な存在。しかしその分裏表がなく、気心の知れていることもあって、俺にとっては付き合いやすい相手だった。

「やかましい。用がそれだけなら帰れ」
「ひどいなあ。それだけじゃないよ」

 わざとらしくむくれて見せたあと、花が咲いたように笑う。

「今夜、ぼくも参加するよ」
「夜会に? 神職見習いが何しに来るんだ」
「父上の名代。面白いものは特等席で見たいからね」

 にこにこと袖を振る悪魔に白い目を向ける。

「性格ねじ曲がりのアレックスの心を射止めた子だもん、結婚式まで会えないなんてそりゃないよ」
「お前にだけは言われたくなかったよ」

 まあ大神官の名代としての参加ならおとなしくしているだろう。こいつの参加自体は心底どうでもいい。そう考えかけて思い直す。
 いや、せっかくだ。ちょうどいい、せいぜい効果的に使ってやるか。

 ◆

 初夏の香りがする宵の口、私たちは馬車に揺られて王宮へ向かっていた。
 乗っているのは私と両親のみ。エドガーはまだ年齢が達していないためお留守番。下の兄はエドガーの面倒を見ており、上の兄は「騒ぎが大きくなりそうだから」と不寝番を買って出て王城のほうへ詰めている。
 王城は執務等を行うような、現世でいう行政機関などが置かれている建物で、王宮は王族の居住や今回のように催事の会場となる施設が供えられた場所だ。普段聞くのは王城の話ばかりで、王宮のことはあまり耳にすることがない。初めて見る場所は、御伽噺のように華やかだった。

 社交界は冬から夏にかけてがシーズンだが、シーズンが始まったばかりの頃の夜会には下位の貴族たちしか出席しない。公爵家や侯爵家になると春先にやっと町屋敷へ移動するなんてこともザラで、子息たちのデビュー時期も家に左右される。
 そろそろ最盛期に差し掛かるとあって、もとより公爵家が催す盛大な夜会の予定されていた今夜、おそらくほぼ全員のデビューが済むのだろう。両親と別れて入った子供たち専用の控室は、20人程度の令嬢や令息で埋まっていた。この時期までデビューを済ませていないのはだいたい伯爵家以上の子供に限られてくる。顔見知りも少なくなく、彼女たちとは簡単に挨拶を済ませた。

 夜会のプログラムは私たちの登場から始まる。
 お行儀よくパートナーと並んで会場の中央に立ち、一人ひとり名前を呼ばれて可愛らしくお辞儀をする。それが済めばダンスをして拍手をもらい、あとは親について回ってご挨拶をしていくのが仕事だ。
 詳細を知らされてはいないが、婚約の発表は十中八九ダンスの前後だろう。咄嗟に反応できるようにしておかなければ。
 緊張に上がる私の肩をぽんと叩いたのはアルフレッドだった。

「アル」

 パートナーの顔に緊張が僅かに緩む。アルフレッドはこういった場であがるような繊細さは持ち合わせていないらしく、いつもの顔で微笑んだ。

「大丈夫。エスコートは男がするんだから、エリザベートは俺に委ねていればいい」

 見回すと、確かに皆緊張した面持ちではいるものの、男の子の方が顕著だった。
 大きく息を吸って、吐く。

「よろしくね、パートナー様」
「仰せつかりました」

 差し出された手に右手を重ねたと同時に、控室の扉が開き準備を促される。
 いよいよだ。

 ◆

 プログラムは恙なく進行し、私の紹介の時には何も特別なことはなかった。
 ということは何の予告もないまま王子とダンスすることになる。いきなり相手が変わるのは傍から見てさぞ奇妙だろうなと思って気が遠くなりかけた。
 オーケストラの演奏が始まり、前列の女性陣が後ろを向く。アルフレッドがすっと身をかわして列を抜けたその後ろには、いつの間にかアレクサンダーが立っていた。
 驚きを顔に出さないよう努め、周囲に合わせて礼をする。アレクサンダーも口元だけで笑い、手を差し出した。
 列の最後尾に並びなおして別の令嬢と踊り始めたアルフレッドのおかげで、会場の視線は半分ほどがそちらに向いていたが、残りの半分はこちらに向いたまま。

「あれはアレクサンダー殿下じゃないか?」
「本当だ、なぜ殿下が?」
「相手はゴーシェナイト公爵の娘だったか」

 ざわめきが聞こえる。声は次第に大きくなり、会場のほぼ全員の視線が私とアレクサンダーに注がれる。
 そんな中で何も気が付いていないかのように笑い合って優雅にダンスするのは想定通りかなりの苦行だった。なにせ王子はどう見たって愛想笑い。さらにこの年頃の1歳差は大きく、身長や手足の長さはアルフレッドよりもある。加えてアレクサンダーはフォローよりリードタイプで、私は振り回されて見えないようについていくのが精一杯だった。

 永遠にも思えた一曲がようやく終わり、親たちから戸惑いがちな拍手をもらう。なんとか見られる程度にできただろうか。
 アレクサンダーが一歩前に進み出る。

「本日は我が主催の夜会に足を運んでいただいたこと、感謝する。急な変更に対応してもらったネフライト公爵殿にも」

 よく通る声で謝辞をのべると、会場はしんと静まり返った。事情を知っているネフライト公爵夫妻がゆったりと頭を下げるのが視界の端に移る。

「この場を借りて報告させて頂くことを皆様にはお許し願おう。私、アレクサンダー・シリウス・ディ・アクロアイトは、先だってこちらのゴーシェナイト公爵の娘エリザベートと婚約を結んだ」

 場が一気にどよめく。
 7歳にもなっていない王子が婚約を結んだというニュース。さらには候補の令嬢を集めた婚約の儀が開催されていたという話も聞かない。最早スキャンダルの如き扱いである。

「双方の合意あっての円満な婚約だ。本日はそれを公表するための会でもあった。幸い、大神官殿のご子息にもご出席頂いている。皆様には、私たちの婚約の証人となって頂きたい」

 それでは、どうぞ楽しんで。そう結んでアレクサンダーは王と王妃の座る上座へ歩を運んだ。
 神官の前、つまり神殿で証人を伴って行う宣誓など、婚姻をはじめとする神聖な固い誓いのみ。つまりアレクサンダーは、この婚約が結婚に相当するものだと暗に示したのだ。
 聞いてない、完全に合意じゃない。びしりと笑顔を張り付けたまま固まる私と裏腹に、水を打ったようだった会場はざわめきを取り戻す。戻ってきたアルフレッドのエスコートで私も家族の元へ逃げた。

「やるじゃない、情熱的ねえ殿下」

 はしゃいだ様子の母と、いつにも増して恐ろしい鬼の面を被ったような父。
 周囲を見渡すと、すでに知っていた少数を除いて、一面好奇の目とひそひそ囁く声。時期が早まったのは既に王子のお手つきだからじゃないかなんて下世話な声もある。中央上座に座る王と王子だけが表情を変えず、隣の王妃はうっすらと笑みを浮かべてこちらを見ているようだ。
 宰相と目が合った気がしたが、険しい表情ですぐに視線をそらされた。どうやら良い感情は抱かれていないらしい。

 ここに、多数に祝福されない婚約が、破れないものとして成立したのであった。

 ◆

 夜も更け、参加者が子供の眠気につられてほぼ散会した頃。
 明かりも少ない王宮の回廊を3つの影が歩く。

「あーあ、高見の見物を決める予定だったのに、いいように使ってくれちゃってさあ」
「見世物じゃないんだ。相応の対価は払って貰わないとな」
「別にいいけどさ。婚約者、かわいい子だねえ。汚い部分なんて何にも知りませんって顔してた」
「お前も女の趣味悪いのか……」

 軽口をたたき合うケネスとアレクサンダー、幻滅したように呟く護衛のルートヴィヒ。殆ど王宮で育った3人は、気軽に話せる幼なじみ関係である。

「にしてもよくやるよねえ。あっつい告白だったじゃん。そんなに惚れ込んでるの?」
「まさか」

 否定したのはルートヴィヒだった。
 いくらエリザベートが見目いいとはいえ、アレクサンダーが数十分話しただけの令嬢に特別な感情を抱くなど考えられない。

「適当な理由をつけて他の令嬢をあてがわれても困るからとかそんな理由だろ」
「まあそれもあるが……結婚するのに好ましい相手だからな」

 実用的な意味で使えそうだ、という解説は加えない。耳を疑うルートヴィヒをよそに、ケネスは声をあげて笑った。

「いいね、傑作だ! どうせ周りは全力で君の即位を邪魔してくるんだから、真実の愛くらいなくちゃ面白くないよね」
「どこでそんな言葉仕入れてくるんだ」
「え、大衆で流行ってる恋物語ってやつ?」

 どこまでも俗物的な神官見習いだ。ルートヴィヒはため息をつく。
 3人の中では、アレクサンダーが王位をとる未来が共有されている。目指す理由は三者三様だが、たどり着きたい場所は同じだ。

 横槍を入れてくる者たちも一枚岩ではない。兄や弟を王に推す人間や、自陣に取り込んで権力のおこぼれに与りたい者、恩を売っておいて利権を貪りたい連中など数えればきりがない。国外の勢力も加えれば四面楚歌どころではないだろう。
 それは婚約者となったエリザベートも同様だ。この地位に収まったことで彼女の存在自体に旨味を感じる者から引きずり下ろしたい者まで、それらの手はいつか当人に伸びる。今夜アレクサンダーが打った手は牽制。将来長きにわたって彼の役に立ってもらわなければならないのだから、保護はきちんとしておく必要がある。
 
 傍から見れば無邪気な少年たちの会話。その実、年に見合わぬ一物を腹に抱えた少年たちは、長い影を落として王宮の奥へ消えていった。

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