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公爵令嬢のため息

青架

不安に惑った公爵令嬢の話

 
 アレクサンダーの来訪から一夜明けて。
 ベッドに起き上がった私は現実を噛みしめていた。
 衝撃が大きすぎて、あの後のことはあまり記憶にない。緊張がほどけた瞬間、朝からほとんどなにも食べていないお腹が鳴いて、食事を摂ったあとは昨夜の寝不足も手伝い、ことんと眠りに落ちていた。

 朝食の席に着くと、兄2人は既に出仕と学園へ出かけている。父ももう家を出ており、大きな食卓についているのは母とエドガー、アルフレッドの3人だけだった。

「おはよう。よく眠れたかしら?」

 母がにこやかに声を掛けてくる。それに笑顔で肯定を返し、スプーンを手に取った。
 ちらと様子をうかがったが、3人とも普段と変わりない様子だ。まあそうか。
 貴族として生きていれば婚約など何度も目にする。珍しくもない以上、私が適齢期に少し早かったところで気に留める要素がない。公表も先だと言っていたし、当面私のやることは変わらずデビューに向けて練習を重ねる事。自分ばかり気にしていてもしょうがないし、本番まではもう1週間しかない。
 さて、今日も励むか――とカトラリーを置くと、母が私に目を向ける。

「エリザベート。デビューの事なのだけど、婚約の公表はそこで行われるそうよ」

 無意識に息を吸い込んでうっかり咽そうになった。食後で良かった。
 王子の婚約なんて一大事を、ただでさえ手順をすっ飛ばした簡略決定だというのにそんなすぐ公表していいのだろうか。もっと準備とか根回しなんかが必要なのだと思っていた。

「だからね、あなたの初ダンスのお相手は王子殿下になるわ」

 告げられた事実に口が開く。
 どの夜会でも初ダンスはパートナーと踊ることになっている。私の母のように、パートナーがあまりパーティーに顔を出さない場合を除いて、それは未婚でも既婚でも原則変わらない。
 すぐに気が付かなかったが、デビューの場でパートナーがいる私は当然アレクサンダーと踊ることになるのだ。

「アルフレッドにはさっき話したわ。発表前のエスコートはもちろんアルフレッドにお願いするけれど」

 目が合ったアルフレッドは表情を変えないまま小さくうなずく。
 それだけのために私の相手を務めてもらうのは申し訳ないな、と思ったところで、母の声が少し低くなった。

「当初予想していなかった婚約披露パーティーだから、主催はネフライト公爵家から王家に変更よ。招待客も多い割に、事前に知らされている家はそう多くない。あなたはその日一番の注目を浴びることになるわ」

 眩暈がする。いくらエリザベートの経験があっても中身は私。衆目に晒されることに慣れてはいないのだ。
 倒れ込みそうになるのを椅子の背もたれでぐっとこらえて、少し歪んだ笑みを浮かべた。

「――がんばりますわ、お母様」



 それからは怒涛の一週間だった。
 今までも準備をしていなかったわけではないが、想定が変わったことで指導内容も変更を余儀なくされたらしい。凄みを増した母親たちの扱きに疲弊して泥のように眠る毎日だった。
 しかし、疲れで寝落ちる毎日は、一人で悶々と考えこまずに済むため、ある意味助かっている。

 何せ、私は元が特別な人間ではない。精神年齢が通算で25歳近いことによってエリザベートのこの年齢にしては出来る方だとの評価をもらっているだけで、特別要領がいいとか頭が回るとか、そんなことは一切ないのである。
 そもそも一生のほとんどを病院のベッドで過ごした小娘の前世の知識と、貴族として英才教育を受ける少女の身につける教養など1ミクロンも被っておらず、何の役にも立たない。学びに飢えていたから座学は何とかなったものの、実践となると全くの別問題だ。今後への不安は考え始めると留まるところをしらない。

 こうなったら最悪、どうにもならない時はエリザベートの顔面を駆使して微笑みで誤魔化そう。前世の病院でも、いつも笑顔で自信に満ちあふれ、短期患者から人気の高かった先生がいた。裏で看護師たちからポンコツだと囁かれていようとも、ハリボテは大いに通用するのである。

「――大丈夫? エリザベート」

 顔色が悪い、とアルフレッドが声を掛けてくれる。
 王族だけが使えるステップもマスターせよ、との母の仰せにも律義に相手役を務めてくれるアルフレッド。
 私のせいで負担が増えているにも関わらず人のことを気にかけてくれるいい子だ。

 この国は特権階級の中にも大きくカーストが存在し、ドレスに使える色や馬車のサイズなど生活のさまざまな点が影響される。最高爵位の公爵家に生まれて、今まで意識したことはなかったが、王家に上がればもっと選択肢が広がるらしい。服の色や飾り、馬車が何頭立てかを見て、相手が誰なのかおおよそ見当をつけられるのは実用的だが、王家限定のステップなんかは定める必要があったのだろうか。

 大丈夫よ、と返して微笑む。
 実際、筋肉と脳を酷使したことによる疲労と気疲れはあるものの、5歳も半ばをすぎた健やかな身体はダメージのほとんどを睡眠で回復する。健康ってすごいなあと改めて実感する瞬間だ。
 笑い返した私に、アルフレッドはならいいけど、と答えて同じ長椅子に腰かけた。

「本当に王子と婚約するとは思わなかったよ」

 世間話でもするようなトーンでアルフレッドが言う。
 ゲームの流れに従うのなら婚約自体は8割の確率、と覚悟していた私も、想定と時期がずれて正直同じ気持ちだ。

「何の準備も出来ていなかったもの。まだ少し現実味がないというか」
「準備って、心の? それともお妃教育の?」
「両方だけど、どっちかというと心かしら。お妃教育なんて知らないうちに始まっていたんだもの。お母様に騙された気分だわ」

 婚約を結んだ翌日のレッスンで、母に開口一番「いままでよりもしっかりとしたお妃教育を始めるわ」と宣言されて仰天したのを覚えている。日常の所作や言葉遣いと合わせて重箱の隅をつつかれまくっていたのはそれだったのだ。単純に母のいびりかと思っていた。

「母上たちだってエリザベートがちゃんとできてたから敢えて言わなかったんだよ。まさか当の本人が気づいてないなんて思わなかっただろうに」

 「普通気付くだろう」と、くっと喉を鳴らしてアルフレッドが笑う。なんだろう、珍しいものを見ているのだが、そこはかとなく馬鹿にされている気がする。まあよしとしよう。私が頭の回転でアルフレッドに劣っていることなど自明の理。凡人は目の前の事で精一杯なのだから。

「じゃあ、そんなに王子との婚約を意識してたわけでもなかったんだな。てっきり嫁ぐ気満々で準備してるのかと思ってたよ」

 ゲームのエリザベートは意志の強い子供だ。当然意識していただろうし、アレクサンダーが主人公に語って曰く、婚約者を決める際エリザベートから王子に自身の有用性を説いたらしい。ゲーム開始時の王子ならともかく、視線で令嬢の心を折りそうな幼少期アレクサンダーに自分をプレゼンとは、メンタルが大樹のごとく太い。あの母にしてこの娘なのだからまあ当然か。
 私はメンタルも凡人並み、人より強いところと言えば痛みや手術への耐性くらいだろうか。そんな大胆なことは考えもしない。それよりも自由になる身体をいろいろ試してみたり弟と遊んだりと他に夢中になっていたし、時期も先だと思っていたし……。
 誰に責められているわけでもないのに気持ちが萎縮していく。正直、こんな意識の低さでは公爵令嬢としてやっていけないことは理解している。予想もしていなかったタイミングで自分の将来が決まって、遊びではないことを改めて突き付けられてしまったのだ。

「準備なんか全くできていなかったわ。しておかなくちゃいけなかったのに」

 ため息をつく。憂鬱な気分になってきた。アレクサンダーと結婚したい令嬢など掃いて捨てるほどいるだろうに、覚悟もない自分がその立場に収まってしまって情けない気持ちがこみあげてくる。

「嫌ならやめてしまえばいい」

 予想外の言葉に横を向くと、アルフレッドは前を見つめたまま、同じ調子でつづける。

「リズが嫌なら何とでもなるよ。結婚じゃあるまいし婚約の撤回くらいなら傷は浅い。王子にしたって相手は腐るほどいるし、逃げたくなったら俺が生活の面倒くらいみてやる」
「アル」

 心臓が跳ねる。ここにきてゲームの本筋から逸脱する可能性が現れるなんて思ってもみなかった。
 誰とどう結ばれようと、誰の肩を持とうとハッピーエンドになれないのなら、ストーリーにない選択肢を選び取れば道は開けるのだろうか。所詮6歳に満たないエリザベートとしての価値観よりも20年弱の小市民としての価値観の方が私の中で多くを占めている現状、貴族としての学習を重ねるほどに、民の命に責任を負う事への重圧が増しているのも確かだ。
 知らず知らずのうちに生唾を飲み込む。この誘惑に乗ってしまえば、私の人生は――。
 口を開きかけた時、後ろから声を掛けられて肩が跳ねた。

「弱っている女性に付け込むのはどうかと思いますよ、アルフレッド様」

 水と軽食を持って来たエドガーだった。

「いろいろ悩んでいるところを冗談で惑わそうとしないでください。姉上は決まったことに背を向けるような無責任な方じゃないですよ」
「別に付け込んだわけじゃないが冗談でもない。もし本当にそうしたいと思うことがあればって話だ」
「え?」

 2人の言葉に振り向く。

「ほら、そんな風に思われたら姉上でなくたって気分を害しますよ」
「悪い、エリザベートがそうだって意味じゃなくてな。どうなっても死ぬことはないから、気負わずがんばれってことだ。俺もエドガーも、味方する」

 アルフレッドの言葉にエドガーがうなずく。
 いつの間にか仲良くなっていた風の2人と、一瞬でも甘い言葉に乗りそうになっていた自分に色々な感情が入り混じって視界が水を含んだ。

 泣かせたと言わんばかりの視線をアルフレッドに向けるエドガーと、少し焦った様子のアルフレッドに、目元を拭って笑顔を向ける。

「ありがとう、2人のおかげで元気が出たわ。こんな弟と幼なじみに出会えて私は幸せ者ね」

 自分で思うよりも参っていたようだ。
 2人の励ましを受けた今、先ほどのように無責任に逃げ出したいと思う気持ちは雲散霧消していた。想定外の出来事が連続したことや、捉えどころのないアレクサンダーの様子に疲れや不安が募り、まるでアレクサンダーを魔王かのように恐れていたけれど、彼も弱冠6歳の少年だ。それに、後々ゲームのような性格に変化していくのなら、関わり方のコツさえ弁えれば付き合いやすい人物だろう。
 うん、何も問題ない。
 気持ちが明るくなって、2人をぎゅっと抱きしめる。エドガーとアルフレッドが居なければずっとふさぎ込んで思い詰めていたことだろう。

 エドガーは母親たちからの伝言も預かって来ていた。今日は午後のレッスンはなし。ゆっくりと体を休めること。私たちは久しぶりに夕方まで3人で遊び、夜闇に梢が飲み込まれ始めた頃、アルフレッドは夫人とクォーツァイト邸に帰って行った。エドガーと玄関で手を振って見送る。しばらく家に滞在しているのが当たり前だったから、いざ帰ってしまうと寂しいものだ。

 デビューは、いよいよ明日に控えていた。

 

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