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公爵令嬢のため息

青架

疑惑を抱いた侯爵令息の話

 
 ある朝。
 起きてソフィアに髪を整えてもらい向かった朝食の席で、母が私に告げた。

 「さて、エリザベート。あなたもそろそろ、社交界デビューを考えなければね」

 この国では、貴族が5、6歳になれば社交に出る歳とされる。
 社交界。大人たちの思惑渦巻く戦場。少しの失態も許されない世界。聞いただけで背筋が伸びる思いだ。
 そんな私を見て、母は表情を緩める。

 「そんなに気負わなくても大丈夫よ。わたくしとユリアナがきっちり仕込んであげるわ」

 母はもともと侯爵家の出だが、社交界の華と謳われる貴婦人だった。
 身内の贔屓目を抜いてもその美貌は凄まじく、当時は求婚も絶えず、誰が華を射止めるかともっぱらの噂だったらしい。そんな母を手に入れたのは16歳離れた強面の父だった。
 鉄の次期法相と呼ばれていた父はその人相ゆえに令嬢が寄り付かなかったそうだが、珍しくパーティに顔を出した父に母が一目惚れをしたのだと言う。
 母は王立学校に在学中の未成年だったにも関わらず、父と家を口説き落として結婚にこぎつけた。
 クォーツァイト侯ユリアナ夫人は当時を思い出してこう語る。

 『あの時はすごかったですわ。カタリナ様との恋に破れた殿方が死屍累々と積み重なる横で、当のご本人は幸せそうに、近々子供も産まれるのよ、なんて――』

 当時の王妃様からも年の近い王子がいたならばと惜しまれた母は、社交界の酸いも甘いも知り尽くしている。
 彼女のレッスンについて行けさえすれば、パーティで醜態を晒すこともないだろう。

 「お相手にはアルフレッドをお願いしようと思っているのよ。ユリアナの長男とリジーが同い年でよかったわ」

 その言葉に浮足立つ。
 社交界では、同時にデビューする男女がペアを組み、エスコートを行う慣習があるのだが、その相手は初ダンスのパートナーにもなる。当然どちらかに落ち度があれば両者のデビューに傷がつく。そのためパートナー選びはどの親も頭を悩ませるところであるし、子供たちにとっても緊張の瞬間だ。

 その点、アルフレッドは生まれた時からの幼なじみで、気心も知れている。
 彼と一緒なら極度に緊張しないで済みそうだ。

 「母上様、僕はまだ皆様の前には上がれないのでしょうか」

 エドガーも社交界デビューしたいのだろうか。
 私にべったりな弟だから、置いて行かれるようで寂しいのかな。

 「あなたはまだ4つじゃない。少し早いわね。来年のお楽しみよ」

 朗らかに母が笑う。それに対し拗ねたような表情で返事をするエドガーは、ここへ来た時期とはまるで別人だ。それを映す父の目も暖かい。
 すっかり公爵家に馴染めたようで良かった。

 朝食の席を辞して自室へ戻り、再度着替えをソフィアに手伝って貰いながら、いつものようにドレスを選ぶ。

 「今日は何色がいいと思う?」
 「お嬢様、本日は特別でございますよ」

 ソフィアに差し出されたドレスは、いつもの簡単なものではなく盛装に近いものだった。

 「本日から社交に出るレッスンを、と奥様より伺っております。お支度の上がる頃には、クォーツァイト侯爵夫人とご子息のアルフレッド様がいらっしゃるようです」
 「アルフレッドも来るの!」

 彼はこの歳から知性を感じさせる落ち着きを持っており、まるで同い年のような気がしない。
 私がエリザベートになってからも何度か会っているが、勉強を教えてもらったりダンスの相手を務めてもらったりと、何かとお世話になっている。

 華やかな菫色のドレスを着せてもらい、迷いなく髪を結いなおすソフィアの手つきに身を委ねる。

 「いつもと違う髪型なのね?」
 「ドレスに合わせておりますから。髪飾りも付けますし、いつもよりドレスも髪も重うございますよ。大丈夫でしょうか」
 「頑張るわ」

 鏡越しにソフィアに微笑みかける。
 笑みを返してくれる彼女はまだ14歳。一代貴族の娘で、爵位の継承が望めないため我が家にメイドとして仕えている。彼女も貴族の一員として社交界のデビューはしたはずだが、それ以降は一度も顔を出していない。

 私付きのメイドでなければ、貴族の娘としてもっと華やかな暮らしができたのかもしれないと一度彼女に謝罪したことがあった。
 ソフィアは驚いた顔をした後、笑って優しく否定した。
 お嬢様付きでなければもっと大変な暮らしをしておりますわ、恐れ多いですがわたくしを思って下さるのであれば、どうぞお傍においてくださいと答えられて何も言えなくなった私に、ソフィアは姉のように寄り添ってきらびやかな社交界の話をしてくれた。

 幼いエリザベートが寝物語に聞いて憧れた、私にとっては戦場となる社交界。そのデビューがすぐそこまで来ているのだ。
 改めて身の引き締まる思いで、アルフレッド来訪の知らせを待った。



 メイドに呼ばれてホールを訪れた私に、アルフレッドが紳士の礼をとる。
 綺麗な所作にうっとりしそうになったが、思いとどまってカーテシーで応える。
 ゆったりと、優雅さを忘れずに。

 午前中いっぱいかかった私達の所作やダンスのチェックは、夫人たちから「おおむねよろしい」の評価をもらった。

 「休憩を挟んだあと、もう一度ダンスをしましょう。アルフレッドが誘うところからね」

 母がそう言ってクォーツァイト侯爵夫人と退出していく。やっと自由時間だ。
 大きく息をついてアルフレッドと長椅子に座り込む。メイドに注いでもらった水は極上の甘露だった。

 「ドレスも苦しいんじゃないか。窓をあけようか」

 アルフレッドがそう言って窓を開け放って初めて、私は自分が息苦しさを感じていたことに気づいた。
 ソフィアに聞いてはいたものの、髪やドレスの重さ、苦しさは想像以上だったのである。
 この上で主人公をいじめようなどと思う令嬢たちの胆力はどうなっているのだろうか。私なら壁際でにこにこする以上の元気はない。

 「ありがとう。よく気付いてくれたわね。私、そんな苦しそうな顔してたかしら?」
 「いや、姉上がよくこぼしていたからね」

 彼には3つ離れた姉がいる。先んじて社交界に上がっている彼女の話を、彼はよく聞かされているのだろう。
 貴族の厳しい教育を受けているためか、この世界の子供は前世の同年代よりはるかに大人びている。とは言っても、アルフレッドはさらに別格だが。

 「デビューはひと月後ね。それまでに出来るようになるかしら」
 「エリザベートは上手だよ。俺も負けないようにしないと」

 優しく微笑んでアルフレッドがフォローを入れてくれる。
 頭の切れる彼は、世の男性が悩む女心など造作もないようだ。
 ふと好奇心が沸いて、少し意地悪なセリフを投げる。

 「ありがとう。つくづくアルがパートナーで良かったわ。パーティーでもきっと大人気ね。私なんて、もう近づく隙もないかしら?」

 面倒くさい彼女のようなセリフには、さすがの秀才様も返事に困るだろう。今まで一度も見たことのない困り顔を拝んでみたいという些細な意地悪。
 さあ、何と返してくるのだろうか。

 「なに、寂しいの? リズ」

 カウンターどころではなかった。
 知性を感じさせる端正な顔立ちの、青鈍の瞳が細められる。
 薄く笑って首を傾げられると、目と同じ色をした髪がさらりと顔に流れた。その上、久しく呼ばれていない愛称をここぞとばかりに添えられたものだから、私の脈は人生最速を刻む。

 「……それ、他の子にしない方がいいわよ」
 「もちろん。エリザベートこそ、俺にそんな駆け引きは100年早いよ」

 してやったりと顔に書いてある。
 柄にもない悪戯心など起こすからこうなるのだ。反省しました。もうしません。

 既に会った攻略対象たちは軒並み、そうあるに納得の容貌をしている。しかし、弟をはじめ、年齢のせいかまだ自身の外見を理解していない者が多かった。
 対してこいつはどうだ。完全な故意犯。自分の外見に価値があることをしっかり理解している。
 アルフレッド・アリエス・フォン・クォーツァイト。
 末恐ろしい男だ。彼がその気になれば、ハーレムの1つや2つ、難なく形成できるだろう。

 「そういえば、王子殿下の婚約者選びの儀に参加するんだって?」

 アルフレッドから珍しい話題を振られた。
 普段は惚れた腫れたどころか、政略結婚にだって興味のない素振りを見せているのに、どういう風の吹き回しだろう。

 「ええ、そうみたい。また日を決めて家にいらっしゃると聞いたわ」
 「そう。がんばってね」

 一瞬、目に何か感情を覗かせた気がしたのだが、瞬く間に普段の飄々ひょうひょうとした態度に戻っていた。好奇心かはたまた興味か、その正体が気になりはしたけれど、さっきの今で再び火傷を負うのはごめんだったので追及はやめておいた。

 「さて、レッスンを再開しましょうか。二人共、準備はいい?」

 母親たちが入って来て、再開を告げる。立ち上がって向かいあった時には、もう私の頭の中はダンス一色だった。

 ◆

 その日は日暮れになってようやくレッスンが終わった。母親たちの指導は厳しく、その後も毎日練習が行われる。

 4日目になって、アルフレッドはうちに泊まるようになった。私はドレスの重さに慣れた。私たちは時折、お互いの部屋を行き来して兄妹のように過ごしていた。

 「姉上、最近は全然遊んでくれないのですね」

 寂しがるエドガーはこんなにも可愛い。
 抱きしめて思う存分かわいがる。私だって弟と遊べないのは寂しいのだ。

 「ごめんなさいね、今は予定が詰まってて」
 「前はダンスのお相手も僕だったのに」
 「悪いね。姫様は俺がお借りしてるよ」

 アルフレッドが横から水を差すと、エドガーの顔がさらに険しくなった。
 さながら、幼稚園児に取り合いをされるお気に入りのおもちゃの気分である。
 大人びているといえども、彼らもまだ4、5歳。こういった面もあってこその子供だろう。

 10日目からは、夫人たちからアルフレッドに指導することは何もなくなった。私はまだ何かと注意されることが多い。というより、私にだけ軽食のつまみ方や内緒話の仕方など、+αが多くないだろうか。

 「これだけ続くと疲れるわ……」

 21日目、ぐったりと長椅子に座る私をアルフレッドが苦笑で扇いでくれる。ああ涼しい。

 「アルフレッドが私より何倍も覚えが早いのは仕方ないけど、私ばっかり指摘されると落ち込んじゃいそうだわ」
 「レディは男よりも気を付けることが多いからね。大変だろう」

 今度は水を手渡される。至れり尽くせりだ。

 「何もかもありがとう。アルフレッドと結婚できる女性は幸せね」
 「誰にでもこんなことはしない」

 思いがけない返答に、アルフレッドの顔を見る。
 目はわずかに細められ、いつになく真剣な顔つきをしていた。

 「エリザベートにしかしないよ。ねえ、リズ。最近少し変わったんじゃない?それとも――」

 ――俺みたいな子供には話せないのかな。

 心臓が跳ねる。
 聡い彼には、エリザベートに不純物わたしが混じっていることを気づかれてしまったのだろうか。
 何を考えているのだろう。無表情な彼の目からは何も読み取れない。ただ私の返答を待つばかり。
 子供と思って、エリザベート唯一の生まれた時からの付き合いに気を抜きすぎたか。
 だが、どこまでを気づかれているのかもわからない状態では、迂闊なことは言えない。
 ここは――。

 「あら、じゃあ幼なじみの特権ね。ありがたく独占しておくわ」

 にっこりと笑って見当はずれなことを言う。

 「これだけお母様たちに詰め込まれていて、少しも中身が変わらないようじゃ私、まるで馬鹿ではないの。アルのお墨付きを頂いたということでいいのかしら?」

 アルフレッドは毒気を抜かれたような顔で固まっている。
 これは成功したと見ていいだろう。うっかり墓穴を掘るよりも、確定的な証拠を突き付けられない限りはとぼけ切る方が得策だ。

 「ねえ、どうなの?」

 勢いのままに押し切る。
 アルフレッドに「もちろん」と言わせて、私の完全勝利である。ああ、危なかった。

 「敵わないな」

 小さく独りごちる彼の声が聞こえた。
 エリザベートが初めて彼を上回った瞬間だ。通算で彼の5倍近く生きている年の功を舐めないでほしい。


 その後は何事もなかったかのように談笑し、続く午後のレッスンも恙なく熟して夜を迎えた。
 事件はその日、夕食の席で起こる。

 「エリザベート」

 父の呼びかけに顔を上げる。
 今夜は久しぶりに兄2人も揃い、アルフレッドも合わせて大人数の食卓だ。その中で、特に父が私を名指しで呼ぶことは珍しい。

 「なんでしょう、お父様」

 愛称でない呼びかけに、背筋も伸びる。
 兄弟たちも、いつにない空気に食事の手を止めていた。

 「明日、アレクサンダー王子殿下がいらっしゃる。婚約者選びの件だ。カタリナと用意を整えておくように」

 息をのむ。
 王子の婚約者が私になるかどうかは、この世界で大きな分岐点となる。
 国にとっても大きな決定であるし、通常は前日夜に通達などしない。何か事情があるのだろうか。

 「承知致しました」

 忙しない鼓動を押さえつけ、私は静かに返事を返したのだった。

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