私が見た人たち

増田朋美

付き合いを制限する人たち

みなさんも、人付き合いというのは、すると思います。人付き合いは、どうしてもしなければなりませんし、それによって、人生というモノができていると言っても過言ではないでしょう。ですが、おかしなことに、これを制限したりする人もいるのです。
例えば、スマートフォンで誰かほかの人と話していないか、確認する人もいます。それだけではありません。別の人、例えば親戚や仕事関係で用事があったりすると、なぜか、その理由をいちいち説明しろと言ってきたり、いつどこで誰といつ帰るなどを説明しなければならなかったり、そういう人もいました。そういう私の生活を、全部監視するようなものが恋愛と言えるのでしょうか?
中には、スマートフォンにはラインというアプリがありますよね。その返信をすぐしないと怒り出したりとか、返信をすぐするのは常識だと怒る人も。確かに、三日近くたっても返信がないとか、そういう時であれば心配になりますが、返信がどうしてもできないときもあるでしょう。そういう理由も聞かないでいきなり怒り出したり。これも、恋愛しているから構わないというのです。つまり、先ほども言いましたが、相手に監視されることが、恋愛となるのでしょうか。自分の生活を、いちいち相手に報告しなければならないでしょうか?
それでは、おかしいですよね。
そうなるとちょっと怖いなという気にもなります。
返信はすぐにすること、どこかへ出かけたことをいちいちすべて報告すること、そういう事は付き合っていればしなければならないのか、と思うと、まるで私が相手の人の者にされてしまっているようです。そうなると、少なからず恐怖を感じてしまいます。
それに、誰よりも、好きなんだから、気になっちゃうという理由で何回もしつこくラインをよこしたり、仕事しているんだから、もう少し後でと言っても、そんなの後にしてと言ったり。そういう人もいました。
そういう人に限って、断ると、変に起こる人が多く、そうなると私は、恋愛ではないと思って、お別れしました。お別れした時、ストーカーのようにならなかったことが、救いだったかも知れません。
私にも都合はあるんだと言ってもそれを無視したり、相手にいちいち行動を報告したり、それは、恋愛というより、監視だと思います。
時々勘違いされるんですけど、恋愛しているからと言って、私は相手の所有物ではありません。ただの人間なんです。だから、それぞれの付き合いはあるし、それぞれの、事情もあるでしょう。それを全部捨てて、相手の者になれというのはおかしな話です。


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