吉屋信子と杉山平助の紙上バトル

江戸川ばた散歩

8.論争に関する吉屋の態度~もう一つの論争を通して 

2.論争に関する吉屋の態度~もう一つの論争を通して

さてこの昭和十五年の『改造』誌上の論争に関しては、私は杉山に軍配を上げたいと思う。
と言うのも、吉屋は自分の文章の最後で、自ら杉山に突っかかっていきながら、最後には逃げていくという姿勢を見せるのである。発言すれば杉山が反論してくることは目に見えている、だがそれは拒否したい。それは論争においては“逃げ”だろう。

同様のことが、ペン部隊派遣前の『婦人公論』昭和十二年における「夫の貞操座談会」においても起こっている。
出席者はこの二人の他に、太田医学士、宇野千代、丹羽文雄、今井邦子という顔ぶれであった。
司会としての婦人公論側の編集者が居ない状況下では、評論家たる杉山が自然、司会的な立場となっている。彼と、話の発端である『良人の貞操』の作者である吉屋がやはり座談会の中心となっている。
ここで果たしている参加者の役割としては、女性関係で何かと当時世間を騒がせていた丹羽、恋愛沙汰が多い宇野、そして歌人で賢夫人として知られる今井、医者という性に対する専門的な立場の太田、であろう。
そこでも両者のスタンスは浮き彫りになる。
杉山は恋愛に関して自分の意見をはっきりさせ、吉屋にもそれを要求する。
だが会話という流れやすいものの中で、吉屋はそれをかわし、杉山も、そしておそらくは読者も知りたいであろう彼女の本音をのぞかせることはない。
オブザーバー的な三人もスタンスは一貫し、あくまで自分の言葉で語っている。だが吉屋に関しては、人の意見の引用という形と、回答拒否、逃げに終始している傾向が強い。
杉山にしろ婦人公論編集部にせよ、実際には彼女が秘書の門馬千代と同居/同棲していることはよく分かっているはずである。その辺りを彼女の口から引き出したかったのだろうと思われる。だが決してそこには触れさせまいという意識が感じられる。
杉山はそんな吉屋の一般論に徹し、自分をあくまで隠す吉屋の態度に不快感を感じていたと思われる。



『改造』誌上の件は「大根一束三文」が単行本に収録されていないこと、杉山が戦後すぐに亡くなったこともあり、おそらくは見出しがたい文壇事件の一つだろう。
ちょうど同時期に花形であった二人がこうも悪罵をぶつけ合い、小林の場合と違い活字に残る証拠が残されているというのは興味深い。
ただ現在において、自分自身が杉山>吉屋というバイアスをかけて見ている自覚があるので、現在これを論文の様な形で外に出すことは難しい。
また、殆ど同世代でありながら、まるで正反対とも言える吉屋と杉山の家庭事情、人間関係についても考察したかったがそれはまた次の課題とする。

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