吉屋信子と杉山平助の紙上バトル

江戸川ばた散歩

1. 何故に対・杉山平助なのか

吉屋信子(明治29年~昭和48年)は明治から昭和の長い間にかけて、“女性向けエンタテイメント小説”を書き続けてきた。
ただし彼女のその道のりは決して平坦ではなかった。時代、周囲の理解不足、女性ということ、そして彼女の性格が火種となって周囲との衝突をしたこともあった。
その最も有名な例は、小林秀雄が『文學界』において、吉屋の「女の友情」を感情的に攻撃したことだろう。

>資料1 小林秀雄「女の友情」批評 『文學界』昭和十一年十二月

この本はほんの少し許り讀んで止めた。
他の事情もあつたがいかにも面白くないので到底我慢が續かなかつたのだ。
無論面白いであらうと思つて讀みはじめたのではない。興味ははじめからこれが非常によく賣れた小說だという點にあつたので、そこのところが納得出来れば何か言ふ事があるだらう、といふ氣持であつた。當人まことに冷靜な氣分であつたが讀み出したらどうにも向つ腹が立つて來て任を果たす事が出來なくなつて了つた。
作者に對して申し譯ないなぞと少しも思はぬが、讀者並びに編輯當番には濟まぬと思ふ。
だが、向つ腹も評家の見識だと信ずるから何故向つ腹が立つたか簡單に述べて置く。
子供に讀ませる本に必ずしも作者は人生の眞相を描いてみせる必要はない。
だがあんまり本當の事は遠慮する、或は甘つたれた話し方をしてやるといふ事と子供を侮る事とは違ふ。恐らく作者は無意識にであらうが、これをごちやごちやにしてゐる。
まるで子供の弱點を摑まへてひっかけるといふ文體である。子供がひつかけられるから本がよくよまれる、などといふと作者はおこるかも知れないが、僕の言ひ方は作者の文體より上品である。
例へば何とかいふ令孃が番頭と無理な結婚をさせられて、初夜を明かす温泉宿の描寫なぞは殆ど挑發的だ。あゝいふ筆致は言はば狡猾な筆致だ。子供を引つ掛けるにはこんないゝ餌はないといふ感じだ。どうせ通俗小說だ、そろ盤を彈いて書いてゐるといふ様なさつぱりした感じではない。何かしら厭な感じだ。人の眼につかない處で子供たちと馴れ合つてゐる、といふ感じだ。
この作者の文體には極く尋常な美しさすらない。尤もこの尋常の美しさなるものこそ一般通俗作家に一番缺けてゐるものかも知れないが。確かな事は「女の友情」を愛讀する子供達の裡には、「女の友情」より遙かに美しい健康なものがある、といふ事だ。

(以下は漢字のみ現代/下線は引用者)

この事件については、吉武輝子『女人吉屋信子』(文藝春秋社 1982.12)、 田辺聖子『ゆめはるか吉屋信子』(朝日新聞社 1999.9)といった評伝、駒尺喜美の評論『吉屋信子――隠れフェミニスト』(リブロポート 1994.12)にも取りあげられている。最近の研究では黒澤亜里子が「大正期少女小説から通俗小説への一系譜 : 吉屋信子「女の友情」をめぐって」でこの件を言及している。
この件については、上記評伝において、吉屋が東京日日新聞のパーティの席上で小林をやりこめたことで集束されている。
では他には何も無かったのだろうか。
それがここで挙げる昭和十五年末における『改造』誌上の吉屋と杉山平助とのやりとりである。

杉山平助(明治27年~昭和21年)は昭和三年?~十七年に渡ってマス・ジャーナリズム上で活躍した評論家である。
大正十四年に小説『一日本人』を出版したのが彼の文筆人生の始まりだが、そこから昭和十七年までが彼の短い活動期間である。十八年から終戦までの足取りは掴み辛いに加え、彼自身の生命が二十一年、五十二歳で尽きてしまったことが何と言っても大きい。
だがその短い期間に、雑誌・新聞に書かれた評論・随筆・紀行文をまとめたもの、書き下ろし小説といったものを、二十四冊出しているというのは、非常に旺盛な仕事ぶりだったと言えよう。
近年の研究としては、都築久義「杉山平助論」、山口功二「マス・ジャーナリズムとしての批評――杉山平助と昭和期ジャーナリズム」、森洋介「ジャーナリズム論の一九三〇年代」、作品論では『文芸五十年史』を吉田栄治が分析している。
しかし現代においては“忘れ去られた”批評家である。

だが何故杉山なのか。
それは彼が、戦前戦中期において唯一まともに吉屋の新聞連載長編小説をきちんとした文章で批評しているからである。

>資料2 杉山平助『文藝春秋』昭和十三年九月号「新聞小説の社会性」

(……)吉屋信子の「家庭日記」は現代の都会生活において幾組かの男のいりくんだ感情生活を描いてゐるものである。それが、どんなモデルを要求してゐるのかは、私の読んだ範囲では、まだハッキリつかめなかつた。
その中に、妻に対して忠実な男が却つて妻から裏切られ、女を平気で裏切るやうな男が幸福な家庭生活を営んでゐられるという現実を、紀久枝という女性が嘆息してゐるところがある。
これは男の側から裏返して云ふと、良人に対して忠実な女性が、却つて男から捨てられ、男を幾人も裏切つてゐる女が、平気で安全な家庭生活を営み、社会的に高い位地に上ることがある、とふ逆の現象も成立し得るので、事実としても、さういふ例は、相当に多い。
かういふところから見て、人間を幸福にさせたり、不幸にさせたりするのは、何か別の法則があるのではないかといふ疑問が生ずるやうなことがある。この作者にはさういふことを執念深く追求し得る興味はないであらう。しかし、その現象に首をかしげて、世間に告げることは出来るので、その解決は、おそらく或る程度の通俗的な線にとゞまることであらう。
この作品にも、「虹の秘密」にも、時代の影はさしてゐない。もちろん際物的に、事変を取り入れる必要はないが、この二三年間の社会の感じてゐた圧迫は、どこか知らんに雰囲気としてにぢみ出てもらひたいものである。
但し「家庭日記」には、職業的に独立しようとする女性の生活が描いてあるのは、今日の全日本の若い女性に訴へるポイントをつかんだものである。今日の結婚前の女性と話しあつてゐて、この点にインテレストを感じないものはほとんどないやうにすら思はれる。
実にえらい大群が洋裁学校へ、或は美容学校へ、或は喫茶店経営の志願者へ「流れ込んで」行く。そして、需要はもちろんこの供給とバランスせず、その大多数が中途半端で挫折し或は堕落して行くのである。この真相を描破せず、ごく希な成功者だけを語つたりすると相当に女性を誤まることになることを、警戒せねばならぬ、さらに最近の各種の経営統制が此等の独立職業をもとめてゐる婦人たちに、どういふ影響を及ぼすであらうか、などゝいふことはこの作者なぞが忠実に見戌らばならない点であらう。
それから、この作者のものを読んで感心させられるもう一つは、女がもとめる愛情と男が与へたがる愛情には、何かくひちがいがあるのではないかといふ疑点である。たとへばこの作品中の或る男が旅行に出て行く時に、門口まで見送った妻と飼犬を見て自分の留守中に奥さんを大切に保護するやうに、といふやうな文句を、飼犬に云ふところがある。
こゝらあたりおそらく多くの女性読者及び一部の男子読者に最も魅力のある描写であらうと想像されるが、私などはちよつと鼻持ちがならないのである。もちろん、我々でも飼犬にむかつてさういふ言葉を云ふことがあるかもしれないが、それは別の感覚で云ふのである。私はそれのどつちが善い悪いのなどゝ云つてゐるのでは決してない。たゞ男女の間のかうした喰ひちがひにこの作者が興味をもつて眼を開くやうになれば、作風は進展しはせぬかと考へるのである。
(引用は『新しき日本人の道』第一出版社 1938.10 p289-291 )

杉山が関心を持った箇所はかなり最後の場面なので、この時点までに新聞掲載されていたものを全部読んだ様である。
興味深いのは、その捉え方である。
「家庭日記」は二組の夫婦、その友人、昔の恋人とその妹といった人物で廻っていく物語である。これを通常の吉屋の読者なら、まずヒロインを中心に読むだろう。だが杉山はこの夫達の方の動きを中心に据えている。確かにその様な読みをすれば、男達が女によって変化させられるプロセスを描いた話として、矛盾はないのだ。
この様に杉山は、仕事として真っ向からこの作品をきちんと読んで批評している。その辺りが小林の「女の友情」評と違うところである。

だがこの評の書かれた直後の「ペン部隊」の従軍で、屋吉屋と杉山は同じ場面を見たはずなのに、何故二年後にこの様な誌上論争を巻き起こさなくてはならなかったのか。
そこで杉山という人物を通して、吉屋の持つ性格の側面を引き出してみたいと思う。

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