吉屋信子と杉山平助の紙上バトル

江戸川ばた散歩

2.問題の文章

杉山は『改造』昭和十五年十月号の「文藝時評」(単行本収録時は「闘争の時代」と副題がつけられる)中の「平和と文壇人」の中でまず前置き(資料3)した後、二年前の漢口従軍の際のことを記している(資料4)。

>資料3 杉山平助『改造』昭和十五年十月号における「文藝時評」中の「平和と文壇人」(1)

今後も被占領地帯における支那文人と日本文士との交歓はいよいよ頻繁になることにあらうと思ふし、それはそれより外はないことであらう。しかし私は、この際日本の文士に対して、さういふ場合の心構へを、根本から据ゑておいてもらひたいことを警告する。現在は戦争の最中で、平和は未だ来てゐないのである。(p219)

>資料4 杉山平助『改造』昭和十五年十月号における「文藝時評」中の「平和と文壇人」(2)

我々文学者が漢口従軍の時である。一行は、砲撃によつて破壊せられた或る小市街へはひつて行つた。それは見るもむざんな光景である。財産のあるものは全て逃亡し、最下級の支那人ばかりが逃げおくれ、ボロを着て、食に飢ゑて、よろぼふやうに、あつちこつちをさまよひ、また片隅にうづくまつてゐた。
やがて、我々は三四人の支那婦人に行きあつた。いづれもはだしで、垢にまみれ、眼のたゞれたやうな婆さんたちであつた。
その時、私と同行の女流通俗作家が、連中をつかまへ、通訳を介して、その汚い婆さんたちに、なるべく触れないやうに用心しながら、こんなことを云つてゐるのを、私は耳にした。
「わたしたち日本の婦人は、あなた方支那の婦人に大へん同情をいだいてをります。どうかそのことを、支那婦人の皆さんにおつたえ下さい」
相手の婆さんは、たゞニヤニヤして頭ばかりペコペコさげてゐた。
この愚劣な光景を見た私は、突磋に、ヘドのこみ上げて来るやうなものをおぼえた。もしも出来ることなら、その女流作家の横面を、張り倒してやりたいやうな、はげしい憤怒をすら感じたのである。
かの女は、たしかに正しい言葉を云つてゐるのではないか。それに私は、何故にさうした感情をいだいたのであらうか。
私は、こゝにそれを説明しようとは思はない。かういふことは、分る人には云はなくつても分るし、分らない者には、いくら云つて聞かせても、わかりつこないのである。
或る国が流血の惨事を敢行する時に、そこから生ずる一切の悲惨さの責任は、自分自身にあるといふことを、身をもつて感じ得ないやうな人間は、真の日本国民でもなければ、文学者でもないのである。
その責任感も、内部的苦悶もなく、あまりに安易に語られる「正しい言葉」は、実は邪悪な精神冷血な心情の異つた表現にすぎないのだ。
だから真に深く考へこむ人間は、次第に綺麗な言葉や、正しい言葉を、口にすることを慎むやうになる。それは常に、自らの責任を痛感し、自己の力の不足の悲嘆があるからである。
愛を口にするのは易々たることである。しかし、これを行ふのは、何と難いことであらう。
それ故に生の悲痛と責任の観念の深いものほとじ、次第に却つて冷酷な言葉を口にするやうな、逆作用すら生ずるのである。
日本の現在の文壇人には、前にのべた女流作家程度の人間が、あまりに多すぎはせぬだらうか。そんな浅々しいところから生命のあるどんな文学も、生れて来るわけはないのである。(p219-p221)

ここで取りあげているのは、昭和十三年に「ペン部隊」として文士達が大陸に派遣された時のことである。
この時ペン部隊に参加した女流は二人。陸軍班は林芙美子、海軍班が吉屋信子で、杉山が参加したのは海軍班である。当時「女流通俗作家」と言ったら、吉屋信子しか居なかった。女流作家と言われる女性は幾らか居たが“通俗”と専門性を持って呼ばれるのは彼女しか存在しなかったのである。
確かに他にも女流作家が“通俗的なもの”を書くことはあった。だが彼女達は、吉屋ほどのエンタテイメント長編に徹したものを書くまでの技量と想像力が無かった。またこの時代、優れた“フィクションの作り手”として堤千代も登場していたはずだが、彼女は基本病床にある作家だったので、除外していい。

杉山が挙げたこの二年前の事例は「文藝時評」の流れのある中の一つの章の更に一部分である。彼がこの号で語っていたのは、“支那事変”後の文壇と新体制のことである。
以下それはこの様な流れになる。

一、文化人は平和を愛する本能が濃厚である。彼らは平和の役割には適格である。
二、しかし彼らには、現在がまだ戦争の最中であることを自覚してほしい。
三、理解せずに善良さだけで動くのはまずい。むしろ有害である。
四、現在の文壇にはそういう態度の人間が多すぎないか。

この三、の段階における一つの典型的な例として、杉山は吉屋の行動を例として挙げたのである。

          

コメント

コメントを書く

「エッセイ」の人気作品

書籍化作品