吉屋信子について書いたあれこれ

江戸川ばた散歩

戦前戦後の文章書き換え比較①「相寄る影」戦後再版時に「支那」は消えた。

さて。
ワタシは社会人入試で大学院に2年居たんですが。
​ 研究対象は吉屋信子。少女小説のほうでは有名ですが、そっちじゃなく、大人向け長編中心で。​

まあその中で一番燃えたのが​「テキスト書き換え問題」​なんですな。
これだけは一応査読あり論文が某誌に載ったざんす。



まずはは昭和13年に発行された「相寄る影」。
「義理の父親にレイプ未遂、抵抗したとき殺しちゃった?と慌てて逃げた女性」と「会社の金を出来心で持ち逃げした青年」が上海に逃亡してしばらく一緒に暮らしていくうちに、近くに見える日本軍の様子とか、ラッパとか、いろーんなことで望郷の念増して、結局「罰は受ける、一緒に帰ろう」となる話。
……女性のほうは死んだという勘違い、青年のほうは父に恩を受けた人が会社の上司ということで、二人結婚してハッピーエンドなんですが……
まあともかく上海にずーっといるわけで。
すると描写が。

だけどそれが、戦後になると記述が思いっきり置換されたり削られたりする。
ツイッタにも出したけど、こういう書き換えはともかく22年~24年に甚だしくて。
以下例。
……はカクヨムでは具体的に「どう」変わったのか、をつけられませんので、ブログを参照。
https://plaza.rakuten.co.jp/edogawab/diary/201805230006/

​その1。
主に「支那→中国」。徹底してる。それと「支那人」に対する偏見・差別箇所と「思われる」ととこがカット。​

その2。
「支那人」が当時どういう風に見られていたのか、という部分がオールカット。

その3。
陸戦隊を見ながら自分の行動を反省したり、郷愁の思いにかられてる部分。カット。
ここは話の流れ的に凄く異質だった。

その4。
「君が代」がきっかけで帰国の意思を示す場所。オールカット。
ハッピーになったあとも、「支那に企業拡大」の部分もカット。



GHQ焚書~関係のほうと通じるんですが、ワタシが問題にしたかったのは、「いわゆる『戦前の通俗小説』が戦後に再版されたときにテキストが書き換えられてしまって、しかもそれを誰も問題にしていない」という状態だったんですね。

ともかくこの「通俗小説」と呼ばれてた分野は日が当たらなかったのですよ。
「探偵小説」はカテゴリの中でも異色なんで、研究が昔からされていたんですが、家庭小説、メロドラマなんて、最も日の目を見てなかったですわー。

そういうとこも何か腹が立ったし、そもそも吉屋信子という人を扱う場合も「文学者の戦争責任」とかで取り上げられることが多かったのですね。
しかも​そこで持ってくるテキストって戦後の書き換えたものだろ、​証拠にならねえぜ​​、という腹立ちもありやして。

あ、ちなみにこのひと、

吉田首相との対談→朝日の天声人語で責められ→和歌山で不買運動→その後和解→「徳川の夫人たち」とか出す→没後「全集」も朝日新聞出版から出てる

という流れがあるし、行動はぶれぶれとかそういう面もあるのは事実どす。ただし、それはそれとして、テキストの書き換えがあったことを見ない、もしくは知らない、更には「どうでもいい」扱いするもんじゃねえと思ったの。

という話をちょっと続けます。

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