ドラゴン トランスフォーマー

フッフール

第4章 あふれる愛と最期の審判

 (10)裏切りと「なれの果て」


 ミウが翼を傾ける夕焼け空の飛行中。目的地、もとい敵地といえる再建された超粒子加速器施設へ近づくなか、竜貴はミウの背で強い風を受けながら、自然に言葉を投げた。さすがに疲れたようで、うるさいローガは居眠りしているから、ちょうどいい。
「いろいろとありがとう。ミウ」と頭を垂らす竜貴。
「なに? いきなりなの。リュウキ、まるでお別れか、お葬式みたいだぞ」
 ミウの言葉は遠からず当たっている。時間をかけすぎた施設への訪問は絶望感しか、ただよわせてこないし、太陽の磁極反転で地球は凍りついた球体になる運命だ。自分も人類も、ここでいったん歴史線上から幕引きになる公算が大きい。
「だって、これまでお礼のひとつも、ミウに言えてなかったから」
「そうかな」
 考え深げにささやいたミウ自身も、頭を悩ませていることだけはわかった。
 太陽活動の未来予測が楽観視させてくれるとは限らない。そのうえアイナの子孫にあたる創設者は、すでに敵に傀儡されていると思う。どう考えても竜貴の口からは、ため息しか漏れ出てこない。
 それに最初から願っている自分の責任を果たすということは、ミウを未来世界へ送り返すということ――。つまりそれは永久のお別れであって……。
「リュウキ、未来は悲観するためにあるんじゃないの」
「悲観?」
 いよいよ目的地が近いのか、ミウが飛行高度を下げ、とうとつに言った。竜貴はハッと気持ちを戻し、ミウの言葉に耳をかたむける。
「希望をもたらすためにあるんだぞ。呼び水との言葉どおり明るい未来を“呼ぶ”には、明るいふるまいが必要で――」
「僕は、ええっと、その。哲学的な話は苦手なんだ!」
 またも駄々っ子さながら、竜貴はミウの言葉を突っぱねた。ミウに割りこませる間を与えず、竜貴は両腕を振りかざし一気にまくし立てる。
「施設の具合はおかしくなってきた。太陽は長期間、活動停止して人類滅亡かもしれない。そして……未来の日々にミウの姿はもうない!」
 今の竜貴には最後の部分が一番重く、のしかかっているし、もはや暗黒の底なし沼に、はまった未来しか想像できなかった。整った竜顔をちょっとだけ向けてきたミウは、冗談のベールでおおいつつ深刻な内容を伝えてくる。
「わたしが地球へ連れられたのは、事故だったのだろう? リュウキはまた同じ事故を起こそうとしているのかな?」
「あのとき使った理論方程式には、じゃっかん手を加えて改良してるから、もう事故にはならない。成功するよ」
「そうか。ならやはり未来は、わたしへも希望をもたらすものではないぞ」と小さく首を振って、ささやくミウの真意は、まだよみとれない。ただ沈み切ってしまったこの場に突然、クモの糸ほどの希望と呼べる光明が、射しこんできた。何か?
 竜貴の、きずなのスマートフォンが「オンライン」に変わったことをホログラム投影が知らせてきたのだ。マザー・コンピュータ、そう、こんな身の母さんの脳髄液、全交換が終わって、きっと目覚めたのだ。しかし竜貴がいくら呼びかけても、応えはない。
「お願い、答えてよ!」
 ヒステリックな竜貴の大声で、寝相の悪い竜人ローガが目を覚ましてしまった。ところがローガは憑依でもされたかのように機械的なぎこちない動きをし、下方の輝かしい都市へ向け、飛び立ってしまう。本気のローガの飛行はとても速い。
 だがドラゴンたるミウの速さにはおよばない。奴は寝ぼけているのか?
 と、ここで不意にミウが強烈な重圧感をおしつつ、空へ急ターンした。たずねるまでもない。夕暮れの都市からは人々の悲鳴が飛びかい、都市の自衛人工飛行艇が、ようするに機械化ポリスが追撃してきたからだ。


「リュウキ、だめだぞ。これじゃ都市に近寄れないぞ!」
「ローガの姿も見失った。あいつ、加速器の施設がどこに再建されたか知らないはずなのに――」


 ミウはすばらしい先読みで翼も体も、めまぐるしく動かし自衛人工飛行艇のレーザ攻撃をかわしている。追いすがる相手をとめるには、都市管理コンピュータへアクセスして、自分たちを「異物」ではないと登録させねば、機械連中は人間でいう白血球のようにしつこい。
 竜貴は必死にミウの背すじから、首すじに体ごとぎゅっとしがみつき、ミウはそれを確認すると、さらに飛ぶスピードをアップさせた。ときに急上昇や明るい高層建造物の間をぬって急下降し、機械のかく乱体勢に入っている。
 しかし自衛人工飛行艇の数はかなり多い。
「リュウキ、ローガくんは夢をみていたぞ。夢も深層意識という立派な意識だ。そこにおそらく接触、違うな、相手からのハッキングだったかな? それをされ、こうなったんだぞ」
「深層意識……か。ローガは夢をコントロールされているわけだ」
 つぶやく竜貴は、人類は入口に立っただけの意識の世界、その奥深さに驚いた。同時にミウの説明はしっかり記憶し、最後に怒ったふりをする。当のローガにも当てはまるのだが、どうしてミウは奴を「くん」付けで呼ぶ?
「またまたリュウキは狭量な。わたしも出会った当初に言ったぞ? ミウだなんて、おいしさをそそられる名前だな、と」
「おいおい」
「だってぇ~~。わたしたちの素の体は、ほんとは、ねぇ」
 そう口にして、ぺろりと舌をやるミウこと小型なドラゴンに、竜貴の背中がピクっと反応した。ドラゴンは何でも食べられるとか、そういうのはやめてほしい。このサイズでもミウは、こちらを丸呑みできるだろう。そして、その間にも――。
 ババンッ、ドム!
 忘れず長い尾を、ムチのごとく振るうミウ。これで自衛人工飛行艇のひとつを、行動不能においやった。宙空で転回したミウは、野性味をあらわに相手へ挑む姿勢をとり、竜貴は護りのスマートフォンを握りしめた。ご丁寧に機械連中と遊んでいるヒマはない。
 都市のコンピュータ・ハッキングはとても自分の手ではできない。だが竜貴は最愛なる“ひと”から、さきほど聞かされた希望という言葉を信じ、未来へかけていた――。




 その頃、ライトがまばゆい白カベの部屋で、ローガは我に返っていた。天井へ向けて大の字に寝かされ、手足は金属質なロックが固定しミュータントの能力、竜人のパワーをもってしても、ビクともしない。動かせる目でとなりにいる自由な状態のアイナさんを見つけ、ぎりぎり動かせる口を使い、話しかけた。
 妙な機材類も見え隠れしており、ローガはここが実験室か、リュウキの言っていた施設内部だとの考えにいきつく。さぁ力が封じられているなら、言葉で戦うぞ!


「アイナ、いつから……、裏切ってたんだ?」


 そのとおり、アイナは拘束されておらず、自由なそぶりで歩み寄ってきたのだ。ローガは竜人たる、ぎらつく瞳で裏切り者アイナをにらんでやると、彼女は静かに事の次第を語りだした。
「あたしが裏切ったのは……、“彼”もミウさんも過去へ戻るのに、絶対反対だとわかったから。それにねぇ、あたしもこのまま眠りつづけていたら死んでしまうからよ」
「なんちゃら変換だっけ? それ、タイムリミットがあるのか?」
「ある意味そうね。ミウさんは太陽の、ええっと、活動停止が長くて仲間たちも地球を支え切れないとき、彼女がリュウキさんと行動を同じくすることもわかったから」
 つまりミウさんはリュウキといっしょに凍てつく地球上で、ともに眠りにつく覚悟を決めていたんだ。ミウさんが死んでしまえば、ひきつれている情報、意識の両方とも道連れになる。むろんアイナ自身の情報も……!
「アイナにとって、ここ。未来世界で死から逃れる治療を受けておきながら、よく言えるもんだな」
「死を生に変えることの、どこが悪いの?」
「手段を選ばない点がな!」
 ローガは吐き捨てたけれど、わずかな希望がみえてきた。ウロコの手足が案の定、金属製のロックを浸食し始めたのだ。たぶんミウさんみたいなドラゴン型の生き物は、みんな似た点を持っているはず。
 常時、ウロコという鎧をまとってアクティブに動きまわるには、それなりのパワーがいる。パワーの源は飯だ。浸食できるものなら、マズイと思っても食らえる。ぶっちゃけると口以外のあらゆる場所からも、ま、あれこれ食える。たとえ金属でさえ酸化させ、体へパワー源として取りこめるのだ。
 それらを糧にし、重い体でも派手に動きまわれるのが特技(?)だった。すでにひとつのロックは、カタカタとゆれ動く状態にまで腕から食いつくしてやった。それを見たのか、アイナは驚いた様相で縮こまり、やおらその肩へ別人の手がそっと置かれた。竜人のマズルを割り、ローガは猛然と、どなりかかる。
「お前だな! ニセ・ドラゴンを使って情報を盗みアイナを、かどわかしたのは!」
 途端、鉄パイプを持つ……、こいつは太古の肉食恐竜・ラプトルの一種か? そいつがこちらへ殴りかかってきた。ガツンガツンガツン! 鉄パイプで殴打されるなか、ローガはこいつら恐竜に道具をあつかうほどの知性なんてなかったと、いぶかしんで息をひそめた。
「……くっ」
「ぐふふ。声ももらさんか。これは使えそうな意識だな。わしは、お前たちが探し求めていた創設者であるぞよ」
「っせーよ! ウソつきジジイ。悪だくみもこれまでだぜ!」
 だがヒゲを整えた創設者の「なれの果て」は、まったく動じない。脅すよう、ローガの今後について話しだしたが、逆にローガにとっては時間を作れて好都合だった。情報の手土産まで、持ちかえれそうだ! 
 ジジイは得意げにうっとり話しつづけている。


「キミは意識と実体との変換をになう触媒なのだ。変換のために使われても、状態変換が完了すれば再生し、同じ存在として見えるモノ。意識と実体のどちら側の存在でもあり、スムーズな変換とワームホール通過に役立つ存在なのだ」
「オレが触媒だと!」


 うすぼんやりと、水素と酸素の「触媒」は銅だと習った記憶がある。銅を使えば、より早くスムーズに水への化学反応が進み、かつ銅自身は変換後も変わらず存在する……と。この自分がそんな肉体と意識の触媒だとしたら、遺伝子を調べたところで何もわからないだろう。
「そりゃどうも。わざわざオレを鑑定してくれて、あ、ありがとよ!」
 直後にローガは両手足にありったけの力をこめ、一斉に突き放った。爆音を放ち、身動きを封じるロックすべてはぶっ飛んだ。同時に両手足から、衝撃波の刃が吹き出、自称・創設者の顔面を直撃、のち、こっぱみじんの肉片を宙へ乱舞させる。
「ガッ、ガァァァッ!」
 ズドン、ズズズズ……。
 花火のごとく白カベに、相手の体液がこびりつく。緑色の体液がどろどろ垂れ落ち、そこに肉片から脳みその一部が混じって、おぞましい死の文様を描いた。アイナは顔を伏せ、ローガは呆気ない展開に気をゆるめた。ところが――。
 ずるり、ぬちゃ。ぬるぬるぬる。
「う、うそだろう!」
 荒く息をつく間に、吹き飛んだ「なれの果て」の血管網からせき髄、そしてゆがんだ模様の脳みそが現れ始めた。その後、頭蓋骨と皮膚が粘っこい音を立てて再生されていき、整った人間の肉体を形作る。最後にヒゲと帽子まで元に戻った。
「ぐふふ。期待外れだな。我々は元から形をトランスフォームさせられる生き物なのだよ。本当のこっぱみじんがどういうものか、わしがお前に教えてやろう。どのみち触媒ごときに生の肉体など不必要なのだ」
「世界の半分をオレにくれるとか、悪への誘い文句はないのかよ?」
「半分だと? そうだな。今のこの宇宙と意識空間はゴチャゴチャしたカオス状態だが、そんな生ぬるい未来は、わしが帰還すれば気泡さながらに消えてなくなる。闇色の秩序がもたらされるのだ。一部はすでに始まっておる!」
 力強く声を張った「なれの果て」は狂っても、狂わされているのでもない。自らの意志をもって、腐敗した意識だけの世界に、この宇宙全域をまきこみ、創り変えようとしている――。
 カミのテストがどうのこうのと、そんな話はあったけれど、こいつはあらゆるタブーをあえて侵し、自分が「悪」だという考えすら微塵もない、悪神。そう、純粋なる負の意識そのものだ。ミウさんたちは、こんな意識を危険視してたんだ!
 現在の宇宙は恒星が光輝き、生命をいつくしむほど明るい。しかし、こいつが過去へのタイムトラベルを強行して、自身の腐れた負の意識を空間へ感染させていったら……、ブラックホールだらけの闇の宇宙になり変わるに違いない!
「オレがこの事態を見過ごすとでも?」
 ドス!
 言い切った直後、ローガはラプトル似の恐竜へウロコの足でキックをみまう。相手がよろけたところで、今度は握ったこぶしを相手の頭へ叩きこんだ。にぶい音が部屋に響き、ラプトルは前のめりに崩れ落ちる。この調子で大暴れしてやろう。
「お、おやめなさい!」
 叫んだアイナの行動に、ローガは目をみはった。「なれの果て」をかばうよう、自分の身を盾にしたからだ。部屋の自動ドアもスライドし、この都市に住まうのだろう虚ろな目つきの雑多な「人間たち」がすき間を作らず、人間の盾となった。「なれの果て」は勝ち誇ったよう、せせら笑う。
「さぁて、キミ。どうするかね?」
 迷うローガの心に悪神が、とどめとなる言葉を浴びせてきた。犠牲者を出さず「なれの果て」と戦うなんて、自分の手ではできそうにない。
「若き竜人よ。お前は大量殺人を犯せるのか?」
「くっ、くそったれ!」
 ここにいる人間はすでに奴に吸収された存在なのか、それとも自分自身が食らったようなチャーム(魅了)の魔法を受けているのか? 「なれの果て」もドラゴンの素体を持つエイリアンの仲間だと盗み聞いていた。
 竜貴がもしミウさんのチャームの魔法で、ああなっているんだとしたら、地球はもう相手の術中に落ちたといっていい。ミウさんも裏切って自分の世界へ戻るだろうから。あの「彼」を竜貴が受け入れたのも、チャームのせいか?
 仮にエイリアン連中が殺人や殺生を嫌うのなら、地球が太陽の磁極反転で自滅して、大量の「食い物」が、まさしく「エサ」が勝手にできるまで、あたり触らず、もてあそんでいるだけだ。
「ミウ」も肉親ごっこをして竜貴をもてあそび、「なれの果て」に、きちんと事件を起こさせようと、たくらんでいるのかもしれない。たとえば竜貴をカミに仕立て上げて心を悪く増長させ、そこをスタート地点に、意識を腐らせていくとか? 連中のエサは腐肉か? 
 悪魔は、人間の腐れた心を食らいに来るとよくいうけれど――。
「……さ、最初から全部、茶番だったのかよぉ」と、ローガの目に涙がたまる。
「ふふ、ふははは」
 久々、ローガの体に「恐怖」の感情からくる震えが走った。
アイナを治療した研究所の一部、お偉いさんたちは生き残るための交渉を先遣隊と進めていた。だから、自分みたいな一般人には知られないよう懸命に事件や出来事を、うやむやにしていたんだと思う。どうしよう! あ、悪神を、自分ひとりじゃ、と、とめられない――。ローガはその場にへたりこんでしまった。
「よーし、粒子加速器を起動させよ。意識と触媒の“質”も反応に影響するからな」と悪神の声が飛ぶ。
 すぐさま機械的なノイズが耳を突き、ローガは激しいめまいに襲われた。いいや、これはめまいと違う。うねる波そっくりに重力のうねりが起こっているみたいだ。重力がどうのこうのと、やたら関係深いのがワームホールやブラックホールで、竜貴も口にしていたから。
 そんななか、ずっと以前に聞いた声の叫びを、ローガの耳は聞き分ける。見まわすと汚れた黒いスーツをまとうヨコヤマさん(!)、その人が脱兎のごとく駆けだしてきた。


「それか。見たぞ! そ、それがオーバーライドされた機器のコントロール・キーだったんだな! それさえわかれば――」
「貴様! なぜ、わしの下で自由に動けるのだ?」
「ふ、ふふ……」


 わずかに笑んだヨコヤマさんは、黒いスーツの端を手で破った。そこから金属の網のごとき物が見える。ヨコヤマさんは必死にバランスをとりながら、レーザ・ガンで威嚇射撃を繰り返す。
「ムダに長生きしてもクズは、いっそうクズになるだけだな。知らんのか? 銀ってモノは昔っから退魔や浄霊的な効果があるのさ」
「バ、バカな。それごときでわしの術が――」
 ヨコヤマさんは、スーツに銀メッシュをぬいこんでいたから「なれの果て」のチャーム効果がうすれていたんだ! レーザ射撃でときに、施設の所員と入れ替わったバケモノを打ち倒し、ヨコヤマさんは角を走って曲がり、姿を消した。
 ますますこの場の重力が不安定になり、吸いつけられるような加速感が高ぶっていく。
 どうやら「なれの果て」は、この身にヨコヤマさんの後を追わせることなく、設備の完全起動を急ぎ、ことを済ませてしまうつもりらしい。だがこの現場は突然、大ゆれにみまわれ、耳を焼くほどに甲高くなっていた機械のノイズ音がトーンダウンしていった。
「い、いかん! この際、決着をつけてやるわ。このわし自らおもむく! 作業をつづけろ!」
 顔をしかめた「なれの果て」は、ややあわてた口ぶりで「正と負の対消滅反応から意識を隔離せよ」とも命令している。確かプラスとマイナスがショートしてヤバクなる反応だったと思うけれど、ひとつだけいえる。
「……リュウキ。ミウさんが……いよいよ、来た! ふたりの愛は本物でプラスの存在だったんだ!」
 屈伸した「なれの果て」がすさまじい勢いのジャンプを披露し、真新しい天井を大きくつらぬき、地上へ向かっていった。ほこりとともに、辺りに瓦礫がガラガラ落ちてくる。




 もう間違いない! 見過ごせない! 竜貴は横山さんの情報から、確信していた。ミウが告げてきていたとおり、大昔からこの社会へもぐりこむ、第二のエイリアンが動きだしたのだ。タブーとされる過去、その故郷へ戻り、意識の空間から根こそぎ未来を腐らせてしまおうと、たくらむ悪――。
 ミウによれば腐れた空間、夢のない空間、希望のない空間、どれをとってもそこは闇色で塗り固められ、意識は「空間を創りし存在」の意のままに、あやつれるようになるという。まさしく悪いカミがすべてを支配する地獄の宇宙だ。


「そんなこと、させないんだぞ!」


 吠えたミウがふたたび、地面へのタックルをかける。地下深くに再建された施設を狙うためだ。途端、爆音が響きわたる。
 現在、地上の重力変動はひどく、迎撃してきていた自衛人工飛行艇は、対応できずに落下していった感じだ。でももしかしたら、きずなのスマートフォン越しにつながるこの身の……、いや、違うかな? 
 行きかう人々も強い重力で、身動きがとれない状態だ。都市の建物やパイプウェイすら、異常な重力に長くは耐えられないだろう。
 こんな重圧に、竜貴自身が正気でいられる限界も近い――。
「苦しいか、リュウキ? やわらげてあげるには……、わたし、あの姿へトランスフォームしないと、できないの」
「あの姿? あぁ、そ、そうなのか」
 まさしくあの姿とは竜貴の予想どおり「彼」のことだった。大型のドラゴンになればなるほど、自分の体重で自分自身がつぶれないよう、重力のコントロール能力が備わってくるとのこと。
 地球上最大最長のマッコウクジラは陸にあげると、自分自身の重さでつぶれ、死ぬ。だから大型のドラゴンは、クジラさながら浮力の代わりに、重力をあやつるんだろう。
「姿がどうであれ、僕は……なんとも思っちゃいないよ」
「そうなのかな? ほんとにほんとに、だぞ?」
「もちろん」
 竜貴の答えを受けてミウは、建物群の間にある都市部公園へ着地する。そのまま、より大型で強大な力をふるえそうな「彼」への変化を始めた。輪郭をぼやかし、重なるウロコはきしみ音を立てている。ボコボコとウロコをふくむ筋肉が隆起してきて、雄々しく猛々しくトランスフォームをつづけた。
「早く……早く!」と焦れる竜貴。
 しかし、ここで地面を乱暴に突き破り、明るい夜空へ何者かが飛び出てきた。ふたつの影、うちひとつは途中でゴミさながらに投げ捨てられる。骨が砕ける死の音と、血のりを地面へ広めたのは、横山さんその人だった!
 公園内で横山さんの体がバウンドする。ぐったりした体のまま、横山さんは大きく震える手をもたげ竜貴へ、小型電子メモを渡そうとし、直後。
「りゅ、竜貴さん、こ、これが――」
「よ、横山さん?」
 入道雲のごとく膨らみ、形を変えていくもうひとつの影から、何かが放たれた。そのまま崩れ伏す横山さんの脳天へ、最期の一撃を食らわせられる。飛来物は「彼」のものより巨大かもしれない鋭利なドラゴンのウロコであり、顔面から頭へ深く刺さった。肉片を引き連れ、横山さんの鮮血が方々へ吹き出る。


「こ……これ、が……し、施設、の、コ、コントロール・キーだぁぁぁぁ!」


 血だまりを作る横山さんの断末魔を、竜貴はしかと受けとめた。すでに死んでいたはずなのに、勇者たる気迫がわずかな間だけ、横山さんから死のカベを遠ざけた。このコントロール・キーを探り出すのに、どれだけ調べ、探しまわり、多くの危険をおかしたことか……。
 そしてこんな自分も、死に近い究極の判断をくださねばならない。コントロール・キーを使えば、施設の機材を遠隔操作できる。今すぐにでも遠隔操作を行い、稼働を強制停止してやればいいのだ。
 それを予期しているらしく「うっ、ぐぐぐ」と夜空の大きな影がうなった。
 施設が最大稼働率をオーバーしだしたか、重力の刃も猛烈になってくる。このままなら人間を丸ごとふくみ、都市は圧壊する。もはや地面には、いく筋もの亀裂が走り始めていた。
 だけど強制停止させたら、再稼働の準備をするのに一カ月近くかかる。太陽はもはや、いつ磁極反転を起こし、活動停止してもおかしくない。なによりやろうとしていることがバレて警察沙汰になり、この身もろともミウも拘束され、……極秘裏に実験台にされるだろう。


「リュウキよ! さぁ、急ぎわたしに乗るのだ!」
「わ……、わかった」


 タイミングを見計らい、とうとう「彼」が竜貴を連れに一瞬、近寄ってきた。竜貴は、とまどいつつも息すら苦しい重力から逃れようと、大きくたくましい「彼」の背へ身を転がす。するとミウが教えてくれていたとおり、体が軽くなり、身動きが自由自在になった。
 動く手で竜貴はスマートフォンとコントロール・キーを使い、形成されつつあるワームホールを未来の時間軸へ、そう、「ミウ」が暮らしていた時空間への再設定を試みた。ずっとずっと、寝言で口に出るほど悩み抜いた末の理論方程式だ。


(よし。これで……いい。ミウは未来の故郷へ帰れるはずだ)


 上昇途中に大型なドラゴン姿の「彼」が抜群の視力でこの行為を見たらしく、太く気高い首を頑固に、真横へ大振りしていた。
「場所や時間、空間は関係ない。わたしは、しあわせの中で暮らしていくのだ!」
「今の人類はまだ異星人慣れしていない。キミに、この世界は早すぎる!」
「重要なのは世界ではない。しあわせかどうかだ。リュウキはこれまで、しあわせではなかった、というのか?」
 否定しかけた、そのとき! 施設と連動させたスマートフォンから、警告のビープ音が連続して鳴り響いた。表示を見、竜貴はみるみる手足を冷たくしていく。
「は、裸の特異点発生のアラームだ! 僕の理論方程式が間違っていたのか?」
「リュウキ……特異点だと?」
「そっ、そんな……。あっ、ありえないはずなんだ!」
 特異点は、ブラックホールの中心部にあるとされる存在だ。重力が重力を上塗りし、特異点ではその値が「無限大」となっているらしい。宇宙の落とし穴のように思えるけれど、回転するブラックホールの場合は特異点が裸、そう、「点」ではなく、リング状に分布する。そのためちょうど、ちくわ状態の分布となり、中にトンネルができるのだ。
 このトンネルを一般にワームホールと呼び、リング状の特異点以外の場(内外)は、一般的な理論が通じるとわかってきていた。ちくわのトンネルを通過し、瞬間移動ワープが可能なようなので施設はその再現実験を、極秘裏のうちに行っていた。
 なににせよ、あらゆる「常識」や、冷静にいえば「物理学」が破たんする場所こそ特異点であるから、そんな場所は「ナンセンス」だと、この世に存在しないことにされている。算数で言えば、ゼロの割り算みたいなものだ。
「で、でも、どうして特異点がリング状にならない? 特異点が現れるなんてことに……!」
 直後に、あいさつ代わりとばかり、衝突音がアラームにまじった。この「彼」よりひと回り大きくトゲや突起が凶暴性や、凶悪さをかもしだし、ドラゴンの素体をさらす第二のエイリアンが高笑いしている。満月の明るい夜空にうかぶ、うす雲が散り散りになった。
「ぐふふ。なぜ特異点ができているのか、無知な貴様に教えてやろう。わしの意識と……相反する意識とが、ぶつかっておるからだ」
「つまりお前を……、改心させればいいってことだな?」と挑発するよう、うなる竜貴。
 考えた矢先に、大型の「彼」が口火を切った。厳ついトゲのガードがある翼を振るい、決して合い入れない相手へ挑みかかる。相手と「戦う」ということは、やはり「彼」やミウのしあわせは、……未来の故郷にあるんだな。施設を停めずに戻りたいってことなんだな……。
「彼」は無事、トンネルを作って帰りつきたい。こんな単純な想い。それこそがまぁ常識というものだろう――。
「ぐふふ、おもしろい。さあ来い! わしも、貴様らにワームホールを対消滅させられたら、たまらんからな。コントロール・キーとお前らの命を奪う!」
「グガァァァァ!」




 都市の地中深くにある施設でローガは、肉食恐竜から四足の生き物、人に似たビースト、そんな連中に身動きを封じられていた。竜人の能力を用い、重力の束縛こそ、ぎりぎり留められるが肝心のアイナの歩みは、とめられない。彼女は吸われるように進む。
 超粒子加速器の中へ直結するパイプ状の「マド」へ向けて……。
「おいよアイナさん、目を覚ませって! お前、騙されてんだぜ!」
「……」
 アイナはスパイそっくりに行動したけれど、それはまだ内輪の話であり、人として踏み越えてはいけないラインの手前にいる。残念なのは竜人の声量でノドをからしても、アイナへ言葉はもう届いていないこと。
 ローガも初めて目の当たりにする「純粋に黒い輝き」としか表現できない、闇の光輝、その一点をみつめ、アイナ当人はほほ笑みさえ、うかべていた。彼女の桃色のくちびるが小さくゆれる。


「パパ、ママ、ただいま。あたし、……アイナよ」


 騒々しい機械の動作音のなか、ローガははっきりこう聞きとった。そして涙ぐむアイナが故郷へ帰りつけるのなら、それは正しい行いだとも錯覚した。元々、本物の「創設者」は先祖が遭ったという「神隠し」の謎を解明するため、この施設のスポンサーになったのだから。
 だけどアイナが帰郷すれば、「神隠し」の謎を解明しようなんて運びにならず、この施設は造られないだろう。歴史が書き換えられる。未来もそれによって変わるのか? もし自分自身が存在しない未来世界へと、変わってしまったのなら――。
「アイナさん、待ってーーーー!」
 アイナの体が砂時計のごとく粒と化していき、パイプ状の「マド」内部へ吸いこまれていく。不快な音とともに……。闇色の輝き内へ消えたアイナのその後は……、わかる!
「く、うっとおしい!」
 ローガは爆発するよう手足を振るい、衝撃波を放ち、辺りのビーストどもの手や体をなぎはらった。そのまま竜人というミュータント固有の能力を使う。
 バーチャルネットワーク網への直接アクセスだ。ローガはこの姿のとき、機材も何も用いず、頭から直接ネットワークへアクセスできるため、スマートフォンなどの端末類は要らない。すぐさま「アイナ」について検索を行い、微妙な気持ちとなった。
「神隠し騒動は……、解決していないことになってる」
 つまりアイナの帰郷は失敗し、今度こそ彼女のすべてが失われたということだ。ローガはしばし目をつむり、哀悼の念を「マド」へ向けて送った。歴史のなかで安らかに眠ってほしい……。
 だが闇色の輝きへ魅入られるよう、別の人間がひとり、近づき始める。その成人男性はアイナと異なり、欲望に呑まれた感じのまなざしで「金塊、金塊」とつぶやいていた。やおら男性は駆けだし「マド」のかたわらでバラバラと粒子化していき、こつ然と消え失せた。
 闇色の輝きが一段と、どす黒さと強さを増した気がする。リュウキには悪いが、このまま「なれの果て」の思いどおりには、させられない! 覚悟したローガは、放てる衝撃波の向きを自分自身へ、そう、この体の内部へ定めた。


(こんな体でも、エネルギーに変えてやれば相当なものだろ)


 周囲をにらむローガは「自爆」を決意し、体へエネルギーを蓄積しだしたのだ。再生されたのだろうオオカミ似の生命体が、牙をむいて飛びかかってくる。
「ガァァァ!」
「おっと」
 間一髪! ローガは横っ跳びで避けた。不必要に衝撃波を放ち、エネルギーを消耗させられない。
 いったい「なれの果て」は、どれだけ異星人の情報をコレクションしてたんだ? ローガがダイブした冷やかな床へ、大柄な肉食恐竜似の生命体が踏みつぶさんとばかり、太い足を叩きおろしてくる。直後、床に恐竜の足型をした、ひび割れができた。
(リュ、リュウキ! 頼むから――!)
 この間に、少しふくよかな姿の女性が、不気味な半笑いをしながら「美、美」と口にし、またも「マド」に誘惑され、粉々にされ消滅していった。首を振り、ローガが悔しげに見やると、そのすぐそばに、とあるタッチパネルのボタンがあった。あ、あれは――!
(なんだよ。施設の自爆ボタンがあるじゃないか。オレはそれを押しに行けばいいんだな)
 ローガも裸の特異点が作り出すマドの幻惑にとりつかれ、淡々と歩みゆく。


 (11)奇跡のトランスフォーム


 満月が照る都市上空の星空で「彼」は、からくもドラゴンの素体の牙から逃れていた。いいや、見た目こそ同じ素体の「ドラゴン」だけど、第二のエイリアンは心底、腐れはてている。これで何度目だろう。
 強力な「彼」唯一のウィークポイントとなってしまうこの身、人間の竜貴がつかまる背中を、狙いうちしてくるのだ。第二のエイリアン内部に残るはずの、創設者の情報を探るどころではない。
「ラチがあかないな!」と大型な「彼」がしなれる尾の不意打ちを食らわせても、相手はびくともしない。第二のエイリアンには自身の体力以外に、どこか外部からエネルギーを得ている感じだ。それは腐れた意識の人間の、心かもしれない。悪魔のエサは腐れはてた心だから。
 横山さんの遺品となったレーザ・ガンで、竜貴は射撃を繰り返しているが、相手にダメージを与えられていない。相手は巨躯のドラゴンなのにクルリと身をひるがえして避け、時間とレーザ・ガンのエネルギーだけが消耗していく。


「正攻法でいっても、キミの体力が消耗してしまうだけだ! それに僕のせいでキミは能力を活かしきれていない」


 声を大に竜貴は叫ぶ。大きなマズルを振ってうなずく「彼」も同意見だった。つづけざま「彼」は考えも追加してくる。
「わたしは奴へのカギ爪による接触をこころみていたが、どうやら狙いは先読みされているようだ。リュウキ、実は能力――」
「ん?」
 唐突に「彼」がなにか言いかけて口をつぐんだ。たぶん能力を使ったアイディアがひらめいたんだと思う。だけどこの身が案の定、障害になるのかもしれない。竜貴は提案してみる。
「僕とキミ、別行動に出よう」
「なにーー?」
 そうだ。別れて行動すること。どのみち未来と現代、地球と他の惑星とでは世界が違いすぎ、そうなる運命だったんだから。包み隠す必要のない「彼」へ、竜貴は明るさを演じて告げたものの、むしろ逆だと言われ、ジッと瞳をみつめられる。
「リュウキは、わたしを信じてくれるか?」
「うたぐっていると思ってたの?」
 少し腹を立ててムッとする竜貴だったが、すぐ「彼」にいさめられる。そして威風堂々としたままの「彼」が、真摯な態度で問いかけてきた。
「リュウキはあのとき、わたしの唾液を飲んでいるな?」
「う、うん」
 竜貴には、ほおが赤らむのが手に取るようにわかったけれど「彼」は態度をまるで変えず、本気の唾液には、ある効能が眠っていると話し始めた。その効能とは飲んだ相手を一定期間、自分自身の色に染めること。
 もっと簡単に言えば相手を、まったく同じ姿にトランスフォームさせられる力があるという。つまりは……この身が「彼」と同じドラゴンに、なり変われると告げられた。一方で「彼」の方は竜貴の情報を吸っているから、人間姿へトランスフォーム可能だと伝えられる。
「そうすれば奴は勝手にリュウキを狙い、そのときわたしは情報を探れる。だがお互いに“本気”ではなかった場合は……」とペナルティーでもあるのか、ややうつむき、「彼」は言葉をにごしていった。
 単なるお遊びや、その場のノリで口づけをしていたら、副作用があると言いたいんだと思う。黙ってうなずき返した竜貴は、肉体という素材を吸い取らず、情報だけを得た場合のトランスフォームには、時間がかかる点を思い出した。
 大型ドラゴンの「彼」は、すでに身を置ける都市部公園へ降り立っていたが、竜貴はレーザ・ガンをオーバーロードモードにし、第二のエイリアンへフルパワーで投げつけた。
 腐れた相手がせせら笑った直後、レーザ・ガンは自爆し、光の刃で目つぶしを食らわせる。夜の都市全体を鮮明に見てとれるほどの、獰猛な光の一撃だ。
「ウグッ、ガァァァ!」
 トランスフォームでの「入れ替わり」は、このタイミングでしかあり得ない!
 輪郭が急速に縮む「彼」とは逆に、竜貴の体には筋肉が隆起しだして、膨れあがる。限界まで伸びた作業着は引き千切れ、巨大化していく肉体があらわになった。皮膚には、もようができ始め、それは人間の柔肌と違う堅固なウロコへ変貌をとげていく。


「わ、わぁぁぁ。ガァァァァ……!」


 口を開けば、鼻先がグンと突き出てマズルとなり、歯はドラゴンにふさわしい鋭い牙へ変化し、夜の空気をつらぬいた。大地をとらえる足はより太く、筋肉の塊となって生えたカギ爪とともに、公園の土にめりこんだ。
 大木の幹を超えた、しなれる尾からは厳ついトゲが突き出て、同じ突起は体のいたるところから現れる。背すじには、人間流に言えばリュックサックを背負うような感触ができ、それは、自由自在な飛行をできるようにするワイドな翼の感触だと気づいた。
 竜貴の視線はぐんぐん高くなり、街路樹を余裕で見おろす高さにまで、変化しつづけた。しかし圧倒的な血肉を感じる足からボディー、そしてウロコの鎧をまといつつ、凶悪にも器用にも、愛し合うのにも使える前足、さらに流線形となった顔――。
 これらが力強い「彼」へ、……大切なドラゴンへのトランスフォームする恐怖心から、安心感をもたらすものへと変えてくれていた。たまらないほどの力がみなぎる、この姿こそ「彼」であり「ドラゴン」なのだ。
 対し人間の「竜貴」姿へトランスフォームしていた「彼」は、うっかりすれば吹き飛ばしてしまいそうなほどに小さく、ちっぽけな存在に見えた。人間である自分が生卵をあつかうとき、こんなような気をまわしていた。
 ミウや「彼」は、本来のこの身、人間と接するとき、いかに気を使いデリケートにあつかってくれていたかが、自分がドラゴンになってみて理解できた。そして大きいから、力があるからと人間を見下すそぶりすら、見せなかった点には、精神と意識、さらに心が卓越していると、うかがい知れた。
 もし予告なくこんなパワーを手に入れていたら、自分はおごり高ぶり、世界の覇王になろうと、周囲へ力勝負を吹っかけていたかもしれない。ともあれ素体がドラゴンだってことだけど、圧倒的に非力な人間と、ごく自然にまた、対等にやりあえる「彼」やミウたちこそ、知性の知性たる証だと言える。
「さあ、行こう」
 足元の小さな小さな存在たる「竜貴」姿に変わった「彼」へ声をそっとかけた。声の具合もうまく加減しないと、人間の耳の鼓膜は耐えられない。トランスフォームした「竜貴」は器用に、この体へよじ登りだした。ほら、どうした? 自分は「彼」へ身をかがめてあげることすら、できていない。
 つづけて「飛ぼう」と思った途端、不安定に大ゆれしながらも体がまさに、自動的に昇り始めた。人間が走るとき、足をどう動かしていくのか、あれこれ考えないで走れるのと、ドラゴンが空を飛ぶ理屈は同じなんだ!
 そんな都市部の明るい夜空で待ち受けていたのは、ドラゴンの巨躯をさらす第二のエイリアンだった。まだ、余裕たっぷりの笑みをうかべ、ウロコをゆるめている。
「ぐふふ。愚か者なりに、なにか策でも、ろうしたか?」
「ああ、ろうしたとも。どうした? 僕らが怖いのか?」
 背中の「彼」こと「竜貴」がどなる。聞きなじんだ自分の声は、録音した自分自身の声そっくりに、違ったものに聞こえた。さらに自分はここにいるのに「竜貴」を乗せてわずかな接触感を知り、その声を耳にするのは、不思議のひと言でしかない。
 ところが野生の直感が危ないと、うなっているのか、相手が襲い来る気配をみせない。ドラゴンのすさまじい視力では、第二のエイリアンがとがった鼻先を動かし、しきりに匂いをかいでいるのが見てとれた。わずかなお互いの体臭が、のりうつってしまったのか?
 しかも自身のドラゴンたる五感が、地下の施設内で起きているエネルギーの移り変わりをも、とらえてくる。これは特異点の力場とはまるで違う!
「まさかローガの身になにかが……!」
「リュウキ、大丈夫だ。僕がスマートフォンで連絡してみるから」と片手をふところへ入れた「彼」がハッと息を呑んだ。今、「リュウキ」はキミの方だ。ややこしいけれど、これで入れ替わりが見抜かれてしまったら、すべて水の泡になる。ドラゴン姿の竜貴は腹をくくった。
「頼むぞ、りゅ、竜貴! そ、そう、今すぐコントロール・キーを使うんだ!」
 あえて相手へ聞こえるよう、ドラゴンの声量でハッタリをかけた。宙で対峙する第二のエイリアンだって、地下の施設が連続稼働に耐えられないのは知っているはずだ。予想どおり、眼光を滾らせた相手が、この背に乗る「竜貴」へ蹴りこむよう突撃してくる。


「い、いかん! コントロール・キーを使ってはならんのだ!」


 空気を切り裂く音が響く。竜貴はドラゴンの身でかばおうと、反射的によじりかけたけれど、背中の「竜貴」に手で合図された。だからたいしたアクションを起こさず、バレない程度に演技をしつづける。これでいい。
 そのときドラゴン姿の竜貴はこう考えていた。まさに自分たちの策が的中したのだから――。
 ズプリ。
 背中側へ顔を向けると「竜貴」は体をよじり、第二のエイリアンが伸ばしたカギ爪を自ら抱きこむ体勢となっていた。作業着には鮮血の輪が花火のように広がり、カギ爪が人間の柔肌をつらぬいたことまでわかる。そして人間の「彼」の、渾身の雄たけびが聞こえてきた。
「採った! 奴の情報を探り採れたぞ!」
「ガァァァァ!」
 ポーズをキメて竜貴が応じた気迫の声は、ドラゴンの咆哮に置きかわる。しかしこれこそが竜貴、最大最悪の自分勝手で利己的なふるまいだと、気づくのに、そう長い時間はかからなかった。
 悪の権化、悪い神、第二のエイリアン、呼び方は何でもいい。そいつはこちらの策に勘付いたが、汚い大声であざ笑う。
「そんな情報、もはやわしにとって必要ない。むしろわざわざ弱体化してくれて戦う手間がはぶけたわい。ほら、もう体の浸食が始まったぞ」
「な、に」
 背中では「竜貴」が体を冷たくして崩れ伏したまま、手足をケイレンさせていた。それよりも相手が指摘してきているのは、意識の腐敗についてだろう。悪い神にとって「彼」のように強大な力の意識を腐らせるより、人間「竜貴」のような、ちっぽけな意識を侵す方が、はるかに楽だということ。
 プールに汚水を混ぜても拡散し、あまり問題にならないが、コップの水へ垂らせば最悪、命にかかわる。未来予測をしたいがため、人類側へ肩入れし「彼」やミウの行為が愛の産物であると、ドラゴン姿の竜貴は見失っていた。自分の責務はいったい何だったのか?
「くっくく……、うぉぉぉぉぉ!」
 怒りまかせにドラゴンの瞳へ力をこめた途端、都市部地下の施設が透けて見えだした。そこではローガが確実な死をもたらす、裸の特異点へ向け、ふらふらと歩いている。超ミクロサイズな点であろうとも、潮汐力の魔手にとらわれたら体は千切れるように伸び、分解しだして、とめられない。
「……うっ。……うっ」と、この自分の声が大きくなってくる。グルリと視線を変えると、気丈にも血まみれの体で這いつくばり「竜貴」姿の「彼」が、長い首元近くへ寄ってきていた。
 竜貴にはドラゴンの大きく筋肉質すぎる腕を、ぎりぎり彼の背面へまわし、支えてあげることしかできない。悪い神は高みの見物とばかりに翼を広げ、せせら笑ったままだ。
「ぐふふ。まもなく正となる強い意識は浸食されつくし、触媒のローガはわしのワームホールをより安定させるのに役立つ。ふははっ、ふふっ」
「……く、くく、そっ!」
 首元まで這ってきた「竜貴」は目が見えていないのか、掴むような格好の震える手をもたげ、あらぬ方を向いていた。自分はこのドラゴンの体を、まったく使いこなせていない。せめて……できること。
 それは、その小さき人の手をウロコの手で、ぎゅっと包みこみ、ただただ温もりを伝えてあげるだけ。夜空をぎこちなく見まわす「竜貴」は、弱々しく息を吸った。ドラゴン姿のこの目には涙がたまったけれど、肝心の「竜貴」は決して敗者の顔つきをうかべない。
「……ち、地球は今後、こ、今後――」
 ノドがただれたのか、焼けつくようなひどい声だ。人間と入れ替わった「彼」は、まだ未来予測をしようとし、ふらつく。ドラゴン姿の竜貴は、声量を加減し、いたわりの言葉をかけた。


「今後もずっと僕といっしょ、キミもいっしょ、未来は明るいんだ」
「……ふっ、ふ。や、やさしいな。リュウキは」


 この現状で人と入れ替わった「彼」は、夢のような虹色の笑みをたやさぬ、紳士だった。自分が死んでも自動的に元の姿に戻ると、役立たずなこんな身を安心させてくるのだから。でも人間になった「彼」は死の恐怖を察してか、ウロコ越しに感じとれるほど、震えだした。
「ぐふふ、ふはは。愚か者め。貴様にはこの寒さすら、わからんとはな。ぐふふふふ」
「寒さだと? ウソつくな!」
ドラゴン姿の竜貴が声を張りあげたところで、都市の建物外観やパイプウェイに霜が降りているのに気づいた。太陽の磁極反転と活動が次第に弱まり、地球は明けない極寒の夜に突入していく。これが、ミニ氷河期の始まりだ。
「ふはは、ぐふふ。あきらめよ。わしが帰還して生きとし生ける者すべて、こんな闇を好む生命体に変えてやるわい」
「くっ!」
 相手は正真正銘の神隠しエイリアンなのだが、同情の念は一切なくなった。自分はあきらめないし、闇好みの生命体などに、なり下がるつもりはない! そんな高飛車な悪い神はせせら笑い、哄笑、あざけり、あらゆる見下し行為をやめない。
「なにがそんなにおかしい! お前、うぬぼれるな!」
「違うな。ぐふふ、貴様があまりに無能で非力すぎ、笑わずにはおれん。偉大な体の使い方もわかっておらぬ。間抜けよのう、リュウキ殿」
「……使い方だと?」
 まさに、せっかく大型なドラゴン形体にトランスフォームしているのに現状、どうにか飛ぶのがやっとだ。元から不得意なバトルなんて、できっこない。もしこの中身が「彼」だったのなら、大きな体をもっともっと有効に活かし、相手へ挑めただろう。
 その点は正直……くやしい! なさけない! なんとかしたい!
 首元の「彼」こと「竜貴」はどんどん冷たくなり、身動きひとつしない。地下のローガはすでに裸の特異点の影響を受けだし、輪郭がぼんやりしてきている。地球は長く明けない夜、そう、文明最期の夜に呑まれた。そして最悪な神が過去へ帰りつき、今の宇宙空間と意識の空間、両方が侵されていくのだ。
 竜貴の気持ちだけが、から回りしだした。悲憤が入り乱れ、感情が暴走し始めたとき、戦いは苦手で好まない竜貴の心に「本当の怒り」が芽生えてくる。
 最悪な神へ挑むべく、竜貴のウロコの太い指が自然と握られていき、もうれつな圧力を持つ、こぶしとなった。こ、この体ごと――。


(リュウキ、……あせらないんだぞ! あなたはお姫様を護るナイトになれるんだぞ)


 竜貴の脳裏には最愛なる“ひと”、ミウの声が、美しい肉体の色とともに広がる。ミウとも口づけを交わしていた。味も匂いも感触も、まるごと受け入れていた。だからこの体は「彼」のものであり、また、ミウのものでもあるはずだ。
(ミウ、……なのか?)
(そうだぞ。わたしはいつだってリュウキのそばにいるんだぞ)
 ミウの幻の笑みが見えた気がし、グッと下アゴを噛みしめた竜貴は、最悪な神へ向けた怒りの握りこぶしを、ますますきつく強く堅固にしていく。争いごとは嫌いだ。だけど場合によっては、こんな感情が重要視されるもの。
 さいわい、今はまだきっと生きている「彼」や、意識のつながりの先にはミウも挑む気心で支えてくれていた。これなら最悪な神のような腐れた意識に浸食され、狂わされることも従者にされることも、ないはずだ。
「ぐふぅ、ふはは、はは。愚か者は、ふはは」
「グゴォッ、グガァァァァァーーー!」
「彼」にそなわるドラゴンの本能的な野性味が、宙空すら切り裂く咆哮と化した。ドラゴンの身を借りる竜貴のなかで極限の意識が大爆発する。それはドラゴンの体へも伝わり、筋力をつかさどる部分のリミッターが消えた。
 大型なドラゴンの素体が持つ、最大級の力が全解放されたのだ。ありえないパワーで怒りのこぶし作っていたが、その圧力が物理的な臨界点を突破していく。こぶしのウロコを形成する分子構造が果てしない圧力でつぶされ、自由電子も次々に飛び出した。結晶構造の再配列が、握るこぶしの超圧力でスタートする。


 今、ドラゴンの握るこぶしから電子の稲光とともにエネルギーが放たれ、炭素似の物質をベースとした核融合に近い反応が起きているのだ。


 ウロコを形作る分子は変化していき、質量のほんの一部がエネルギーとし放出されている。だがそれは、あふれんばかりの灼熱の業火と化し、最悪な神へ襲いかかった。目がくらむ聖なる輝きと、ひとときの間、都市部を熱する第二の太陽となる。
(ほら。わたしの言ったとおりかな? 強い意識さえあれば、なんだってできるんだぞ)
 こんなミウの声にも、初めて心が暴走し真剣に怒れる竜貴には、がんばっても、うなずく程度しか応じられなかった。そのとおり、ケタ外れな圧力と、ウロコの特性が相まって、ドラゴンの握りこぶしは「ダイアモンド」へと、なり変わったのだ。
(悪神気取りの小悪魔め。みんなの意識を受けてみろ! 物理学も示す本物の地獄の底で後悔しやがれ!)との思いは、吠え声に代わっていた。
「グッ、ガガガァァァァァァーーーー!」
 核融合の業火で焼かれた悪神めがけ、竜貴は軽々とドラゴンの翼をあおぐ。二、三度つづけて最接近した直後。リミッターのないフルパワーで、ダイアモンドのこぶしを奴へ大きく叩きつけた。
 うろたえる最悪な神の忌まわしい頭部に、すべての力を集中させ――。
 ドッ、ドゴォォォン、ベキリ!
「ヌアァァ~~、ゲェェェェェ!」
 ドラゴンの姿をかたる、醜い最悪な神が狂い声を荒げた。ダイアモンドのこぶしを食らった頭の一部を酷く陥没させ、何もできずに地上へ吹っ飛ばされる。自分自身が飛び出てきた大穴へ向けて……。さらに自然界も天誅を下したのだろう。
「ア、アアアアアァァ!」
 姿が分裂するほどの速さで最悪な神が落ちた先は、裸の特異点の真上だったからだ。そこへ直撃した最悪な神は、潮汐力の洗礼を受ける。頭部にかかる超重力と、尾にかかる重力との差で、ドラゴンの巨体がゆがんで粘土そっくりに引き伸ばされ……、音もなくぶち切れた。ドバッと汚い体液が飛び散る。
 そのまま最悪な神は、粒に分解し裸の特異点に呑まれた。おそらく内部で素粒子以下の未発見な存在にまで、バラバラに解体されて野望ごとつぶされたに違いない。
 そしてかつて、車いすの宇宙物理学者が予言していたとおり、裸の特異点はこつ然と「蒸発」してしまった。大きな質量を食い、消えてしまった。特異点は、二次元か一次元か、そんな世界へ転移したとされるが現代科学では、ほとんどわかっていない。
 ようやく安全装置が働きだしたみたいで施設の稼働音が、竜貴の怒りも引き連れてみるみる小さくなっていく。呆然と立ち尽くすローガはもとより、最悪な神のたくらみから宇宙や意識も護れた。ただ自分自身の責務としていた約束は、とうとう果たせなくなった。そのうえ――。
「竜貴? 竜貴!」
 呼びかけても、入れ換わった「彼」の反応がまったくない。頑丈な構造物が増えたとはいえ、破壊の跡が残る都市部大通りへ、ドラゴン姿の竜貴は腕の痛みを抑えて着地した。リミッター(加減)なしだったから、筋肉のすじにダメージを負ったのだろう。
 しかも現実とは無情であり、入れかわった「竜貴」を大地へそっと寝かせたところ、ドラゴンの視界がみる間に低く低く変わっていく。「彼」が教えてくれていた言葉が悪夢として、竜貴の脳裏をよぎった。


(死んでも自動的に元の姿に戻る――)


 この言葉は真実だった。自分の大きさは縮んでいく。あの恐るべきウロコの鎧は、単なる柔肌でしかない人間のそれへトランスフォームし、とまらない。
 反対に、横たえた「彼」も入れかわる前の元の姿に……、えっ、ええっ? 戻っていかない!
 青白い肌をさら人間の「竜貴」姿のまま、一切どこも変わらない。カギ爪を受けた部分の作業着はズタボロになり、そこから深手の患部が見えた。わずかに血が流れ出ている。ということは「彼」の心臓は、生きようと懸命に動き、死から、あがらっているんだ!
「どう、なったんだよ? まだ元気な方のリュウキさん?」
「ローガか。元気で悪かったな!」
 自分自身でもびっくりするほど、きつい応答になった。事情を知らないローガにイライラをぶつけても、大人げないだけだ。
 一度、凍りつき始めた空気を深呼吸すると、竜貴は手短に状況を話した。うなずくローガへ、自慢の衝撃波を使い、燃やせる物で焚火を作ってほしいと頼みこんだ。都市部の気温はどんどん下がっている。現状は、ダメ元で悪あがきが必要なときだ。
「ミウさんも……“彼”といっしょなのか?」と腕を張りながらローガ。
「いいや、あっ。そういえば……」
 竜人姿で瓦礫に火をともしていくローガの、なにげない問いかけで思い出した。さっきは怒り狂っていたけれど、ミウの声や意識を、自分は確かに感じていた。少し緊張をゆるめ、頭に意識を集めてみる。
(そうだぞ。わたしはこれから「彼」の強い能力を借り、指示を出すぞ。そして)
(そして?)
(リュウキの責務も成就させるんだぞ。肉体は朽ちても意識は消えず、わたしはプランクのトンネルを抜けて未来世界へと、たどり着けるから)
 得意の科学用語が出てきたが、竜貴はそれを使ってミウを説得しようと思わなかった。おそらく「死ねば」意識は、未来の故郷でいずれ再生されるということを意味していたから。ミウは「輪廻転生」を、竜貴好みに伝えてきたのだ。
(それはこの僕が許さない! 繰り返しになるけど僕はこれから――)
 言葉をきつく頭に並べたものの、ミウは竜貴がきっと押しとどめるだろうと予期していたらしく、心のどこを探っても、彼女の意識と存在はくみとれなかった。横たえた「彼」の身がかすかに動いたところを見ると、ミウも最期の役目を遂げようとしている!
「ロ、ローガ! すまない。瞑想の仕方を今すぐ教えてくれ! ミウが“竜貴”のところへ行ってしまったんだ」
「は? あぁ、あっちのリュウキさんか。ま、まぁオレさ、神殿が住まいだったからさ、修養としてよくやらされてたな」
「ちょうどいい! 手っとり早い方法を、頼めるか?」
「手っ取り早い……ねぇ」
 何度かうなずいたローガは手っ取り早い方法について、かなりしつこく念を押してくる。「彼」もミウも元の状態へ戻せられれば、人類はともかく、ふたりは凍てつく地球から脱出できるかもしれない。今後、生き延びていけるかもしれない。大きくうなずいてみせる竜貴。
「早く頼む、ローガ!」
「そうか。後悔なしだぜ!」とあっさり言うや否や、ローガは至近距離から衝撃波を、竜貴の腹へ打ちつけてきた。うめいた竜貴は、すぐさま天地がひっくり返るめまいに襲われ、そのまま地面へ倒れこんだ。気絶と瞑想はぜんぜん違うだろう……。
 抗議の意識はローガへ届かずじまい。竜貴の、にぶる意識は現実世界から切りとられ、……遠くに離され気を失った。ミウ、決して独りでは逝かせないよ――。




 地下の施設に幽閉されて生け贄になりかけた人間、さらに、都市のシェルターに入りきれなかった人間たち。そんな面々がローガのこしらえた焚火へ群がってくる。「瞑想中」のリュウキと、大ケガをして横たわる「リュウキさん」には、誰かが寒さを覚悟したそぶりで、ジャケットなどを毛布代わりにかけてくれた。
 大乱戦を覗き見していた人も多いようで、ローガの竜と人の混じった姿をどうこう言い、べっ視するような相手はいなかった。いまや、それどころではないし、まぁ一部は怖がっているみたいな雰囲気だけど、物事に〇%か一〇〇%なんてありえない。
「いろいろなデザインをしたAI搭載の人工生命体が造られてから、“竜人”への風向きも変わってきてるんだな、きっとさ」とは、焚火を作っていくローガの独り言。そうじゃなきゃ、「ドラゴン」だけで世界中は大混乱だったはずだ。
 やがて、大ケガをした「リュウキさん」側から、通信が放たれているのを能力で察したローガ。少年たる素の感情と好奇心には勝てず、ちょっとだけ通信内容を盗み聞きしてしまう。さっそくミウさんの声が聞こえてきた。
《洋上のタワーを最大稼働させてください。地球を氷塊にしてはなりません。支援部隊はあらゆる地点へ護りの展開をしなさい。未解明要素が指摘された「H/D」変換以外の手で、カミの子供たちを――》と先遣隊(?)への送信が感じとれ、ローガはミウさんの力の入れようが心配になった。「リュウキさん」は大ケガなのに体力、気力ともに消耗してしまわないか?
 あくまでポジティブなローガは、ミウさんのあきらめない気迫が宇宙規模の災害さえも乗り超え、彼女の言葉どおり希望にみちた未来を導いてくると信じていた。
 現にひとつ、宇宙と意識空間の腐敗という難問はクリアされている。
「ミウさんは心が強いねぇ。で、でも未解明要素ってオレのことかな? まぁ帽子のクソジジイには触媒、呼ばわりされたけどさ」
 独り不満げにつぶやいたローガは、バーチャルネットワーク網への直接アクセスも、やってみることにした。これで大まかに、地球や人類の現状を垣間見られる。旧世紀にはよくあったそうだが、騒乱に乗じて略奪、混乱を使うテロや戦争行為などが繰り広げられていたという。これも、ネガティブに考え出したらきりがない。
 実際に、この世の終わりを嘆く「ヤケクソ」組も少なからず現れているもよう。これは残念だ。
「だけど……、さっきも考えたっけ。物事にパーフェクトはないってさ」
 ならば、まだこの世界はまともな方だろう。かつての地球、この星は国境線が明確に定められ、国が個々に存在していたと習った。ところが現在は「地球連合」としてさまざまな分野の統一や共通化が進み、とくに宇宙分野の開発がめざましい。
 自身が殺されかけたワームホールの研究も、その一環だとリュウキは推察していた。どのみち、国境線は残ってはいるものの今回の件が公になれば、いよいよ「惑星・地球」という組織、国、連合(?)いずれかの「誕生日」が近づくのは間違いない。
「ん? お偉いさんはさ、今ごろなに騒ぎ出してんだ?」
 正式な接触になる異星からのファースト・コンタクトを、素体が大小のドラゴンそっくりな知的生命体が行ったらしい。対し、各国の大使や外交官がバラバラに応じだしたとの報道だ。太陽活動の件は展開が早すぎ、お偉いさんたちも、もはや救援を求めざるを得なくなった感じだ。
 極寒の地になりつつある地球へ、それも世界中へ素の姿がドラゴン似の「異星の知的生命体」が順々に舞い下りているのがローガには、ネットワークからわかった。一様に大小そして、わずかに体表の色に違いのあるドラゴンたちは、現場を温めようと躍起になってくれている。


「みなさん、さがって。今、火をつけるからね」
「大丈夫、大丈夫、我らが来たからには!」


 ドラゴン似の姿をとる「友達」たちは、翼を広げて整備された街中を飛び、街路樹を根こそぎかき集めると、それを燃やしだした。大きな焚火の近くには「恐れを知らない」と言っていい人間たちが集まり、暖を取っている。
「あ、ありがたい……」
「うちの衣服も燃料にしておくれ」
 人間たちは、凍死するよりかマシと考えているのかもしれないけれど、大柄なドラゴン相手でも忌避する態度はあまり見られない。
 異星の知的生命体とはいえ、その個性はバラけているもよう。炎をコントロールするすべを持ち合せているためか、水素スタンドの燃料、そう、ズバリ水素を使って爆発に近い焚火(?)を作っている大胆な「友達」もいた。
「ヤバ~~イことするなぁ」
 しかし周囲の冷気は吹っ飛ばされた。多少の被害は出ても、物品から生き物まですべてが凍りつき、死の惑星・地球になるよりは、ずっといい。
 個性といえば予想どおり、お国柄というものがバーチャルネットワーク網から、はっきり見てとれる。
 大国はイメージを重要視しているためか、単に派手好みなのか、大きな公園や都市部の広間に、異星からの助っ人たちを導いていた。映画よろしくスーパーヒーロー・ヒロインの登場みたいに、現状も忘れて住民は狂喜乱舞。
 取り仕切る警察や軍関係者もたいへんそうだった。異星の「友達」たちの多くは郊外の自然公園へ誘導されている。辺ぴな場所だけど人だかりができ、このクソ寒いのにビールでの祝福を受けていた。「友達」たちは、なんでも食べられる体らしいけど、酔っ払いすぎないことを願う。
「おぉっと」
 報道映像がアラブ諸国のものへと切り替わった。こちらは神の遣いと、もてはやされ、住民に崇め称えられる光景でいっぱいだ。石油王(?)と思しきフード姿の代表者が凍えながら宝飾品を授与している。それはあとでもいいのでは? ともあれ、燃やすものには事欠かない国々だ。
 しぶしぶといったムードのところも見受けられるけど、龍文化が根付く国では「ドラゴン」も神の遣いなので嫌ったり、攻撃されたりすることはないはずだ。なにより世界中が公式にファースト・コンタクトしたと認めているのが、すげー歴史的大事件そのもの。
 今度は、洋上にある異質すぎる巨大タワーの画像についてだ。さすがにミウさんたちも、生身で宇宙空間は飛べないはずだから、あれは巨大宇宙船を改造したのだろう。上空で花びら状にパイプが広がり、そこから蒸気といっしょに猛烈な熱気が、ミウさんの指示どおりフルパワーで吹き出る様相をおびていた。
 最初に天の川銀河オリオン腕から電波発信があり(地球のある宙域だ)、宇宙探査と文明の保護を、になう先遣隊がおとずれてきたと、ミウさんは話していた。カミの技術と同じ、遺伝子操作による知性や自我を誕生させられる文明へのコンタクトと、文明が自滅しないための保護が任務だとのこと。
 しかしこの自分の存在が「H/D」変換(?)だっけ、とにかく遺伝子と意識空間の保存だけでは、いわば生き物のデータ化は完ぺきじゃないかもしれないって、現在は力ワザを使いこの星・地球の文明を護ってくれている。見ず知らずで出会ったばかりの文明を、本気で護ろうとしてくれている――。
 こんな好意に対して、世界中の人類がなにも感じないとしたら、あのジジイ、……悪神だったか、そいつの言うとおり文明は腐れ果てていて、未来へ残すと危険な存在になる。ここいらで「グッバイ」するのが、ちょうどいいんだ。でも、もし人類がそこまで腐っていないのなら、ローガ自身の願いはひとつ。


「た、頼む、リュウキ、ミウさん、本物の神さん、誰でもいい。生まれたての文明の芽をつみとらないでくれ!」


 だって、人類が初めてひとつの目標、ひとつの目的を成し遂げようと団結できた気がするから。竜人ローガは祈りをこめて闇色の空を見上げ、凍える人々の輪にまぎれこんでいった。
 この世界、この文明は必死になって未来を導こうと、踏みとどまり、がんばっている――。


 (12)黄泉の国への「手」


 そのとき竜貴は、むせ返る湿気と暗く重苦しい空、無限に広がるうす暗い泥土の一端でミウの太くやさしい腕を掴み、懸命に引いていた。今、自分がどこにいるのかわからない。
 だけど粗雑なローガのおかげでふたたび意識が主となる空間へ来られたもようだ。そして想像上の存在とされていたドラゴンのように、死に神もまた、この世に実在しているのかもしれないと思っていた。
「ミウ! このままじゃ泥土の沼へ沈んでしまうよ!」
「ええ、わたしの意識はプランクのトンネルから抜け出せないの」
「ダメだ! 僕は認めるもんか! あきらめちゃダメだ!」
 さっきもミウは似たようなことを告げていた。トンネルを抜けて「輪廻転生」の対象者になれるんだと。当のミウは、こちらと握り合う手をぎゅっぎゅとし、これは論理的な死なんだと、最期まで竜貴の好きそうな話題をふってくる。
 竜貴は重苦しい意識の空間でガンと首を真横に振った。死は論理的じゃない。涙が出てくる論理的な理由なんてもの――! これは定めだと沼の中で上向けた鼻先を振るミウが、竜貴へ諭すよう語りかけてくる。
「聞いて、リュウキ。わたしは、やることはやれたぞ。おぼろげな未来予測では、あなたが研究施設の所長となっている姿を見た。リュウキは一生安泰であり、わたしはリュウキ、……あなたを護ったことになるのだぞ」
「詭弁だな。あんなにダメージのひどい状態で決行した未来予測なんて、あてにならない! それにわかったよ。未来は決してひとつじゃない。いくつもの可能性の重なりだ。それをむりやり、ひとつに絞ろうとしたこの僕が、死に神をまねいてしまった。だから……」
「だから?」と、長い首まで泥土の沼に沈んでいるミウが、いつもどおり愛らしく小首をかしげ、問いかけてきた。うなずく竜貴は確固たる念を、ありあまる愛情に乗せて口にする。
「うん。僕はこれから別の未来を創る! 僕なんかでも、あきらめなければ開拓者にだって、何者だってなれるんだ! これは誰のどんな意識でも、保障された心の権利だろう?」
 まさに、かつて存在した独裁国家であろうとも、人民の“真心”までは支配できなかった。誰かを愛する心こそ、心がそなえている本能に違いない。


「心の……権利ね。ふふ、リュウキ、ありがとなんだぞ」
「あぁ、ミウ……」


 とうとうミウは、首元まで泥土の沼に沈んでしまった。それでもきっとミウは、この身が悲しまないようにと、笑みをたやさない。そんな想いが痛いほど見抜けてしまう!
 竜貴の腕もドロドロの沼地につかるが気にならない。掴んだミウの手は絶対、離さないし、最悪な神へ挑んだ「彼」さながら、ふたたび無限大のパワーでミウを死に神から遠ざけ、追い払ってやる!
 それこそが真に論理的な行為っていうものだから――。
 しっかり考え、竜貴が心に誓ったそのときだった。暗雲が深く垂れこめた湿気と泥沼地獄に、少し変質こそしているけれど、まぎれもない「母」の声が響きわたった。忘れようのないこの自分の「母」の声が……!
 渦巻く暗雲の外れからは、火球と思しき物が回転しながら近づいてくる。しかし温かく余韻を残す声は、気持ちが高ぶる竜貴に厳しい現実を教えてきた。
「死とは……誰にでも、どんなものにでも、平等におとずれます。何者も逃れられません」
「えっ、母さん、それって。そんな……」
 つぶやく竜貴のすぐとなりに火球がうかび、そのまま詳細までは、わからないものの、まばゆい光のなか、みるみる腕と手が伸び、開拓者に必要な気高き足がカタチとなる。最終的にスレンダーな黄金の光としか比ゆできない、頭と顔立ちができあがった。これがこの身の母さん……。
「ようやく竜貴へ、直接触れられた。自衛人工飛行艇もポリスのジャマもなく、この手で竜貴の頭を、なでてあげることができたわね」
「か、母さん……。都市の自衛システムは、やっぱり母さんがハッキングして――」
 真の慈愛にみちた母を、マザー・コンピュータ呼ばわりしていた自分が情けない。れっきとした、そう、決して恥じることのない、こんなにも優しい“僕”の母さん。今、ここでこの身を大いなる母性的な情愛で温め、丸ごと抱きしめてくれている。柔らかい羽毛のように、頭をなでてくれている。
「母さん! ど、どうしよう? 僕のミウが、た、たいへんなんだよ!」
「そしてようやく、……竜貴が、かりそめの母へ甘えてくれた」と、人型をした強い光のなかに、竜貴は母のいたずらっぽい笑みを、しかと見た。小刻みに首を振るい、半身を光の人型にあずけて抱かれる竜貴。
 グイグイ身を押しつけ、意識だけのはずなのに、とびっきりな母のぬくぬくとした感触を味わった。興奮のあまり竜貴の声も大きくなってくる。


「かりそめなんかじゃない! 母さんが来てくれたから、百人力だ!」
「……竜貴、最愛のわたくしの息子。ごめんね、本当に」


 ゆるり体をゆらしてくれる母が泥沼色よりも、もっと忌まわしい色合いと言える声でささやきかけてきた。どうして母はあやまるのだろう? 竜貴の疑問をよそに、母は体を使った甘やかしも、とある行為もつづける。
 いわく、こんな泥土だらけの景色は、ミウたち異星の意識が映されていると言う。母は竜貴の半身をやわらかく抱いたまま、輝く片方の腕をワイドに振るった。
「あぁっ!」と竜貴は、驚いて目をみはる。
 目の前の光景が塗り返るように、様変わりしたからだ。泥土の沼は消えてなくなり、明るい空の下に清らかな水の大河が現れ、ミウは流れの速い深みに、うまる格好となっていた。これで竜貴はすべてを理解し、誰もいない夜の墓場を独り歩きする冷やかさと、恐怖心に襲われる。
 この大河こそ「三途の川」そのものだ! 母もまた死すべき定めにより、ここへ意識がおとずれることになった――。
「母さん……ふたりとも……、ふたりともダ、ダメだ!」
「竜貴、わたくしの竜貴。いつまでも開拓者の心構えを忘れないでね」
 泣きわめく竜貴は、ミウへの片手こそ離さないが、できる限り母へ身を寄せてまかせ、ふっと、これこそが選択肢なんだと理解できてくる。片手をミウへやり、逆の手は光のシルエットであっても母たる存在にゆだねていた。そんな母が来てから、激しかったミウの沈降は一時的にとまっている。
「くそバカめ。神ってこんなに陰湿、陰険で腐れているのはむしろ――」
「だめですよ、竜貴! あなたの取り柄は、論理的考察でしょう。感情まるだしじゃ、わたくしは不安感でうまく輪廻転生できません」
 最期が近い母から叱咤されたが、わずかに間をあけ「しあわせになりなさい」と母は付け加えてきた。最初から母は、ミウの「身代わり」になる気で、ここまでやって来ていたのだ。


 いいや未来は、ひとつでもふたつでもない!


 自分がつなぐウロコの手を離せば、ミウが三途の川に流され、死ぬ未来になる。逆に、半身を寄せる母をこのまま行かせてしまえば、脳髄液全交換の影響で人格が変わり、それは死と同じだということ。
 だったら第三の選択をするのみだ。今後の地球がどうなろうと知らない。どうせ凍って滅亡するんだ。ならミウや母といっしょに、この身も逝ってしまっても同じこと――。
「い、痛たた!」
 やおら輝く光の母から、頭をコツンとやられ、手を握り合うミウはチクリとカギ爪を立てて押しとどめてきた。ふたりとも、口で言えばいいだろう! ゆれ動く心を静め、竜貴は考えていく。
 ずっとずっと母の庇護の下で暮らすのは、甘ちゃんだ。だけどミウもかなり勝気だから、この先きっと、尻にしかれる生活となるはずだ。やはり未来なんてものは、荒波の中へ突き進むくらいの意気ごみがないと、導けない厳しい仕組みだ。それが切磋琢磨ということ?
「こ、こほん」
 小さく咳払いした母が、別の話を切り出してきた。半ば覚悟し、竜貴は黙ってくちびるを結ぶ。母の言葉をひとつも聞きもらすまいと、耳をそばだてた。そんな母の言葉はオブラートに包まれているけれど、彼女自身の願いなのだとわかってくる。
「これからの地球には、開拓者スピリットが多く必要なのですよ。文明のブレイクスルーが待っています。そんな絶好機を逃すのは愚か者で、わたくしの竜貴は愚か者とは違う。みすみす、しあわせを逃す意気地なしとも違う。でしょう?」
「ですが、お義母さま……!」とミウも、ようやく察したもようだ。呼びかける声はおだやかでも微妙に震え、水流の音にかき消されていく。転じて母が苦しげにちょっとうめき、選択までの時間が残り少ないと思い知らされた。


 どうしたらいいんだ、自分には、どちらかなんて選べっこない――! 


 ぐっと目をつむり、竜貴は顔をしかめていく。とにかくそんな意識が竜貴の中で生まれた。すると母は迷う竜貴を感じとったのか、黄金の光だった輝きがどろどろと純粋に黒い人型のシルエットに変貌していった。次の瞬間!
 グバァ、ガシリ!
「うっ!」
「……これはしあわせを逃す失敗作だ。いっしょに破棄して造り直すしかない」
 訥々と言葉を並べ、闇色に変わった母はこちらの体をむりやり抱きこみ、腕をがんじがらめに絡めようとする。そのうえ、もう片方の腕、ミウとつないだ手をワシ掴みにし、引きはがそうとしてきた。
 もしやこれまで隠れていた意識、たとえば「彼」が食らった腐れた意識が、ここで具現化したというのか? つなぎ合った手と手同士から、最悪な神の意識の浸食がスタートしたというのか? たぶん、まったく違う。竜貴自身の、ありったけの論理的思考では――!
 あの最悪な神そっくりに高笑いしてくる母に加え、一時的にとまっていたミウの水没もふたたび始まってしまう。もはや猶予はなくなった。こんな自分にも、遅い遅い巣立ちのときが、おとずれてきたのだから。未来へのたすきは、しっかり受け取ったよ、母さん。


「文明は滅ばず、僕はミウとともに未来へ歩んでいく」
「ほほう、なぜそう言い切れる?」と闇色の人型。
「なぜなら僕の母さんは、僕にウソをつかないからだ!」


 まさしく、今さっき母は、この身とミウ、そして地球の未来予測をきっぱり口にしたのだ。焦れた母、将来のしあわせを願う母がミウと「彼」が受けた腐れた部分を自らの意識へ、移しこんでくれたのだろう。
 凶暴そうにふるまっているけれど、この身の母であり、マザー・コンピュータでもあるので、安っぽい機械だって行える「未来予測」は、より高精度にできるはず。その結果があの言葉だと自分は信じている!
(さよなら、僕のちょっと変わった母さん。これまでありがとう。最期に直に触れあえて、ほんと、うれしかった――)
 大きく息を吸い、泣き叫びつつも、竜貴は迷いをふっ切ってミウの手を、猛る意識いっぱいに引いた。輪廻転生が真実なら「育児」を終えた母は、今後は自分自身のしあわせをみつけに旅立てる。こんなポジティブな考えをイメージし、悲しむのは後で……。自分は……母のしあわせを信じて、……泣かない!
 ここ、意識の空間では、信じる心さえあれば、誰もが超人になれる。間もなく水柱を高らかに、ミウのドラゴン似の全身が大河から飛び抜けた。
「よーし!」
 ミウへ合図するよう、竜貴はうなずいたが反動は大きく、作用・反作用の物理法則がこんな空間にも適応された。反対に位置していた母の人型をした黒きシルエットが大河こと「三途の川」の上まで吹っ飛んだのだ。竜貴もそのまま腕を引かれ、道連れになりかける。
「わぁぁ、ミウゥゥゥ!」
「はいよっ、だぞ!」
 手はすべって完全に離されていた。しかしそんな竜貴の手首を再度、雄々しいウロコの指で掴みなおしてくれたのは、目覚めの雰囲気をただよわすミウだった。ミウはあのときの母をまね、頭をコツンとやってくる。
「なっ、なんだよ、いきなり!」
「リュウキがわたしのこと、ミウって呼んでおきながら、雄々しいなんて考えたからかな。わたしはこれでも乙女なのだぞ」
「ミウが、お、乙女だって?」
 どうやらこの白昼夢さながらの意識の空間では、心の中まで透けてみえるらしい。ならばミウへの竜貴の本心だって、彼女はわかるはずだ。未来をいっしょに歩むと決めた生涯の伴侶がミウだという、この裏表のない心を――。
 ただ、人間の方がどんなに若返り技術を駆使しても、脳の寿命は短い。いつの日かミウとお別れするときがやって来る。ミウはそれでもかまわないのか?
「気にするなリュウキ。そのときは亡き者として浮気するぞ」
「浮気?」
 こんな言葉に、今度はこちらが頑丈そのものなドラゴンの頭を、コツンとやる番だった。それが冗談ではなく本気だと読めるので、さらにもう一発、コツンとやる。まぁミウは地球流の言葉のあつかい方を、間違えた。これもわかったけれど親愛の情をこめた、げんこつだ。
「ミウさんよ。それ、浮気じゃない。未亡人となって再婚するって意味だろ」
「わかってるなら、なぜ叩くのかな? も~う蚊がとまってたとは言わせないぞ?」
「好きだから」
 竜貴はあいまいな返事をし、ミウと並んで上昇を始めた。わからないことをたずねるのは、恥じることじゃない。よく言われる格言だが、顔を横向けたミウもそれにならう。
「誰が“好き”なのかな?」
「誰って言ってる時点で、答えはわかってるクセに」
 ストレートな答えをミウは求め、竜貴は、はにかんで別のことを口にした。景色はどんどん暗くなり、どうしてか体が震え始める。
「勇ましかった“彼”のことに決まってるじゃないか」
 ギョッと驚くような面持ちと首振りを、ミウがあらわにした。ミウもこれから「冗談」に慣れていかないと、現代世界ではやっていけない。しばらく、うろたえるミウの様子を楽しんだものの、いろいろなことがありすぎた。
 竜貴の頭に血がのぼっているためか、ぼんやりしてきて、うまく働かなくなった。
 さらに体を震わす寒さは厳しくなり、竜貴は胸に切り裂けるような痛みを感じとる。その近くでは降りしきるアラレやヒョウ、もっと大きい氷塊が焚火の勢いに負け、ジュッと音を立てて溶けていた。痛みをこらえ、竜貴はささやく。


「ここは……、そうか。現実の世界か……。生きて……戻ってきたのか」


 燃料を運んでいたらしいローガがこちらを見、群がる人々の間から駆け出てくる。この場に「竜人」はおろか、体を起こした小型なドラゴン・ミウをも毛嫌う雰囲気はない。せっかく文明はここまで昇華したのに、太陽の活動一時停止は解決されていない。
「リュウキ、動くなってばさ。まだ寝てろよ。大ケガしてんだぞ!」
 あわてた調子、丸出しなローガの言葉だった。確かに全身が痛い。だけどこれで「彼」と入れかわりしたトランスフォームは終わったのだ。自分は元の体に戻り、ミウは……、亡き母に救われたと察した。最愛のミウが元気なら、なにも問題ない……。いざというときは、先遣隊とともに地球から脱出してミウは生きて、生き延びていって――。
「ね、リュウキ? いっそ、わたしが楽にしてあげるぞ!」
「い、いっそ?」
 極寒の夜空の下、ミウのやや荒っぽい調子の声が響きわたった。加えてミウは「お義母さまに会いたいかな?」とも問いかけてくる。ミウの言う「楽にする」
とは、つまりそう。そういうことだ。
「手がいいかな?」
 ウロコを引き締めた真顔のミウが、選択肢を与えてきた。かつての「おいしそう」発言からして「お口で」という選択肢もあるのだろう。どのみちこの身は、このおぞましい激痛から逃れられる。
「好きにしてくれ」
「そうか」と単調に応じてきたミウは「お口」を選んだらしく長く太い舌で、生えそろう牙をペロリと濡らした。そのまま、仰向けに寝かされた竜貴が負った裂傷の前で大口を開き……れろれろとキズをなめあげる。途端、傷口にはかさぶたよろしく、小ぶりなドラゴンのウロコが現れ、キズも痛みも封じてしまった。
「ミ、ミウは魔法使い? た、確かに楽になったけど、……どうして?」
「リュウキも早く冗談に慣れないと、やっていけないぞ」
「あー、心の想いを盗み聞きしてたんだな!」
 ミウへの恥じらいと怒りで竜貴は、いつの間にか身を起していた。そのままの勢いで竜貴は食ってかかったが、ごく自然に、とびきり素敵なミウの鼻先を力いっぱい抱き締めていた。ミウも迷わず竜貴の細身な体を、熱く抱擁してくる。
 ため息をついたローガは、苦虫をかみつぶしたかのような表情をうかべ、ひたいを手でパチンとやった。
「はぁっ。あのな。ケンカするのかさ、ノロケるのかさ、はっきりしてくれよ。現状は最悪なんだぜ」
「そうだ。現状……か」
 まさしく地面や建物の一群は霜におおわれ、焚火でも溶かし切れない氷塊が甲高い音を放ち、都市部へ積もっていく。ローガの「探知力」を使っても、異質なるタワーは最大限に稼働していること、そして世界中に大小問わず、異星のドラゴンたちが散らばって護りの火炎を作っていること。それくらいしかわからない。渋面の竜人ローガは長くなった首を垂らして、うなだれる。
「ちくしょう、リュウキ。ミウさん! みんながんばってるよ。出会ったばかりのちっぽけな人類を助けてくれてるよ! なのに! な……、なのに、さ!」
「待て待て。ローガ、大丈夫だ大丈夫!」
 強がっていてもローガはまだ少年に違いなかった。とうとうローガの感情のせきが決壊した。こんなときは人肌の温もりが恋しくなるもの。ミウは今、重機なみのパワーを活かし、燃料をかき集めているから、代わりに竜貴がそっとローガの、……竜人の立派で厳つい体を引き寄せ、感謝の気持ちいっぱいに、なでてあげた。
 だが現状は変わらず、最悪な方向へと進んでいく。
 こんな状態がちょっと長くつづくだけでも、農産物は温度不足と光合成不能で壊滅するし、地球温度の変化で海流も乱れ、海産物は致命的なダメージを受ける。
「げっ、ごほごほ」
 思わず竜貴はむせ返ったが、これはたぶん「最期のとき」が近いからだ。
 地球の温度が下がれば、息をするときの湿度、そう、水分すら凍りつき、人間など生きたまま窒息するか、粘っても凍死がせいぜいだ。地球上のあらゆる水が凍りつく。いずれ長い長い死の夜が明けたとき、この星はバクテリア類の進化からやり直しだ。
 惑星・地球もあがいているのか、もだえているのかイナズマが一瞬の光をもたらし、遅れて心の動揺を誘う激しい雷鳴をとどろかした。禍々しい雷鳴はよりひどく乱暴になり、生き物から希望を抜きとろうと「画策」する。


(結局、未来予測は、あくまで予測にすぎないのか? 未来世界のひとつの可能性を覗き見するのに過ぎなかったのか? これなら占いの方がまだマシだ!)


 生死の体験をも、くぐった竜貴であろうと、だんだん体と心のバランスを保つのが難しくなってきた。惑星緊急避難警報とやらも発令されていると、泣きべそ顔のローガは言うが、この星には、もはや逃げ場はない。ただ惑星規模の避難指示は、竜貴に仕事を与えてくれる。
「ここまでありがとう、ミウ。さぁ仲間たちを連れて地球から脱出するんだ。すべてが凍てついてしまう前に……!」
「ここまで案じてもらえるなんて初めてかな。わたしはとっても、しあわせだぞ」
「だから、ミ、ミウ……」
 ふっと竜貴は、ミウが場違いによろこぶ姿を見、そこに幻想の母の姿を重ね合わせていた。心底よろこびをよろこびとし、現してくれるのは「肉親」だけだからだ。次に思い知らされたのは負の連鎖があるように、正の連鎖もまた、確かに存在することだった。
「うっ、うわっ!」
 突然、もうれつな光に一帯が包まれたため、現場は騒然となった。ヒステリックな悲鳴が飛びかい、あわてて駆けだす者もいる。竜貴はイナズマの一撃だと思ったが見当違いだった。一部、ダメージの跡を見せつつ、この都市はあふれんばかりの陽光に照らされていた!
 辺りの温度はどんどん暖かくなっていき、なんとも呆気ない幕引きとなった。ここの一同はみな、おだやかな青空へいっぱいに顔をあげ、さらに熱気と希望と未来を伝えてくる日差しのとりことなっていく。震えてしゃがみ、縮こまっていた者たちも、明るい天空を仰ぎ見た。
「……お、終わった、のか?」
「おおお、おおぉぉぉ!」
「い、生きてる……私はまだ、生きてるぞぉーーー!」
 寒さに震え、おびえていた群衆が一斉に雄たけびをあげた。ポーズをキメたり、合唱したり、ときにハグし合ったり、あらゆる形でうれしさをカタチとして爆発させている。みんなは「生」を感じ、手を取り合い、振るいあげて叫び、そんな怒涛の声や歓喜の連続爆発で建造物がすべて壊れかねないくらいだ!
 結局、命がけで探った未来のひとつが予測と合致し、今ここに確定した。
「……どうなったんだろう?」
 急ぎ、ふところをあさった竜貴がスマートフォンのGPS機能を動かすと、その表示は逆さまに近い状態になっている。地球の地磁気も太陽といっしょに反転したのだ。つまり北と南が反転し、太陽活動の一時停止も同時に終わった。
 地磁気が反転する現象は、過去にも多々あったが原因は諸説が飛び交い、未だ定かではない。
 さすが命をいつくしむ太陽だけあって、生命体へ致命傷は与えず、苦い教訓だけを与えたのに違いない。地磁気が反転した日、人類がひとつに団結できた日、そして異星の知性とファースト・コンタクトした記念日となろう。
 口の悪いローガも今回ばかりは竜貴へ、シンプルに祝う言葉を投げてきた。竜貴はそんな言葉を受けとめつつも、陰では大きな犠牲があったことを忘れていない。
「ローガ? 僕らだけでやったんじゃない。もっと精鋭が挑んでいたら、アイナさんも、横山さんも……」
「かもな! でもオレはリュウキでよかったんだと思うぜ」
「そ……そうか?」と理由はあえて尋ねない。
 うなずくローガは、しばし遠い目つきをした。故郷の村に想いをはせたのだろう。たぶん村の現状保護と「再生」はされているはずだけど、完ぺきだとは言い切れない部分もあるから……。
 と竜貴はこの場がしんみりしてしまう前に、今限りでもいいから、太陽の強い日差しに「化けよう」と陽気にふるまった。喪に服すことは重要だけど、まだなんだか、役目が残されてそうだったから。総仕上げってやつだ。
「ね♪ ミウ?」
「んんっ?」
 近くでまだ、あくせくしていたミウへ身を寄せ、とりあえずその体をパンパン叩きまくった。ミウは瞬時、鋭く牙をむきかけ、そこでそのまま全身のウロコをゆるめてニンマリとした顔つきになる。
「また叩いているぞ。そうかそうか、リュウキ。そんなにわたしのことが好きなのだな?」
「うん、ま、そうかもね」
 やっぱり正直に認められない竜貴は問いかけを、はぐらかした。もちろんローガの頭もパチンとやって、みんなでうれしさの輪を作っていたとき。勇ましい咆哮が一発、響く!
 ミウは純粋に美麗な首すじを曲げ、「乗ってくれるかな」と合図してきた。大いなる神を乗せて飛ぶとの伝承があるドラゴン、いいやあれは「龍」だったか? どちらでもいい。
 まさしくふたつの文明を知り、さらには導ける使者として、ミウはうってつけだろう。
 虹色のごとく明るくほほ笑んだミウが「ここからが第二の試練、審判のときだぞ」とさざめくウロコの両腕を振り上げ、脅かすよう告げてきた。その言葉どおりに事件が起こる。


「あっ、あれは……!」
「なんだなんだ?」


 命がけの願いに応じ、戻ってきてくれたばかりの、まばゆい陽光が突如なくなり、雑多な都市部が暗がりになった。現場はふたたび騒然となる。そして破滅的に巨大で細長く、不思議な金属を堂々と輝かす「護りのタワー」兼「母船」らしき、先遣隊の飛行体が上空に現れた。
 地球を護る助っ人たちに違いないけれど、カミのテストについては何も反応を表していない「母船」の登場だ。おそらくミウの居所を、間髪入れずに探知したのだろう。
「リュウキ。ローガくん。大丈夫かな? 心配するなだぞ」
「おいよ、どうしてローガだけ“くん”をつけて呼ぶんだ!」と竜貴は腕を上げて、怒るフリをしたものの……。
 今回の件で竜貴は、生き物たちが多く犠牲となった点には悲嘆していた。しかもミウの仲間たちが長年行ってきたという「H/D」、「D/H」変換のような文明の保存作業を、この異文明はまた選ぶかもしれないと考えていた。ただ……。
「僕が話しあってみるよ。地球文明を保存して、どうこうするっていうのなら、頭をコツンとしてやるから。僕がやられて変われたように――」
「だなだな、リュウキ。オレがふたりを“しあわせな未来”へ連れていってやるからさ」とは、いつだって前向きなローガの若々しい声。
「まかせてくれるかな、リュウキ! わたしはもうリュウキの肉親なのだぞ! それにお姫様なんだぞ」
 これはそのとおり。実はミウの遺伝子情報を過去へたどると、本来の故郷となる星の文明では、上位者の身分であることがわかっていた。だけどミウは未来から「神隠し」のワームホールで過去へやって来ているため、この世界で「お姫様」と呼べるのかどうか、疑問の余地は残る。
「リュウキは王子様になったんだぞぉ」
 かけ声を放ったやさしいドラゴン・ミウ姫が、輝かしい陽光にいざなわれ、代表者として異質なる母船のなかへ突き進んでいった。母船の中央部より、この世界とはまったく異端な場所の中枢部へ入るのに、不思議と恐怖心は起こらない
 自分には、頼もしい仲間がいるから。母船内部へ導かれた竜貴は、一三〇億光年先の宇宙の最果てまで見わたせるような、圧倒的で膨大すぎる幻惑とも呼べる知識と、記録のおとずれに胸打たれ、眠るようにミウの首すじへ体をあずけた。
 異星の文明は発展しており到底、人智のおよぶところではない。このちっぽけな“僕”は、ふたつの文明をとりもつ地球側の使者となって、また、ミウの言う「王子様」となり、果たしてうまく、ふるまえるのだろうか。もはや逆戻りはできない。
 そのまま頭が大混乱する程の、みやびな光景に心から呑まれ、竜貴は偉大なる「万物の母」に包まれるような摩訶不思議でいて、不変なるやわらかな居心地を感じとる。つづけざま意識がだんだんと、夢うつつとなっていく――。


 エピローグ


 西暦という表記が形式上のものとなり、代わりに宇宙暦元年がスタートした。識者がさんざん議論したあげ句、結局この呼び方に決まった。まぁ呼び方を気にするようでは、文明はブレイクスルーを遂げたと言えない。そんな、とある昼下がり――。
「びっくりよねぇ。あたしぃ、“西暦”生まれになっちゃったわぁ、いやね。年増と思われるわぁ」
 こう言う、長髪に白系のワンピースが好みだった若い女性「幽霊さん」は街中の公園で、はしゃぐ子供たちからキツイ一撃を受けていた。


「ねぇねぇ。幽霊さんの生まれた時代に、ええっと、セイレキ、だっけ? 本物のマンモスって生きてたの?」
「まぁ、失礼な子ねぇ。ミウさん、答えてあげて」


 ご近所さん同士の輪に、そしてこの街に一瞬にして溶けこみ、なじんでしまったミウが、とまどった苦笑いをうかべている。人間に比べればかなりの大柄となるので、ミウの表情は遠くからでも丸見えだ。
「ごめんだぞ。わたし、未来生まれだから、わからないんだぞ」
「いやだぁ、ミウちゃん、ちょっとは否定して怒ってちょうだい」とは、口をとがらせる幽霊さん。
 一方のミウは、ホログラムゲームの「ドラゴン」そっくりだと、子供たちからは人気者あつかいされていた。おそらくこんな日常風景が、世界のいたる所で繰り広げられているんだろう。
「ねぇねぇミウさんって、どれくらい強い? となり街に来たドラゴンより強いの? あっちの方が大きくて……、かっこよかったなぁ」
「かっこよかった? そ、そう……なの」
 子供は実に正直者だ。悪意は、さらさらないはずだけどミウは引きつった笑みをうかべ、いきなり公園の砂地へ、小型でもドラゴンたる、こぶしを打ちつけた。にぶい地響きとともに大穴ができ、そこへ問いかけた子供ひとりがコケて落っこちる。
「うわっ、ぎええええ!」
「ほら。わたしもこのくらい強くて美しいかしら。子供たちよ、わかったかな?」
「は、はーぃ……」
 ミウはまだまだ気も、ふるまいも若そうだ。あっさり子供たちを「こらしめて」しまう。たぶん「かっこよかった」との言葉が気に入らなかったんだ。こんな具合では、やれやれだな。
 先遣隊は、あの最悪な神の浄化が本来の目的だったらしく、ワームホールもワープ技術も持たない彼・彼女たちは、つかの間の補充と称し、地球に残っている。かなりの長旅だったから「つかの間のとき」も相応に長いものだと思う。


 まぁゆっくり人類と、さまざまな分野の「共同研究」を進めてほしい。


 研究のひとつはローガの存在で、ごく丁寧にサンプルが採取され、現在は分析の真っ最中らしい。「触媒」とされるローガについての謎を解き明かすとのこと。
 当のローガは「オレ様の時代が来たぜ!」と勝手に決めつけ、いったん帰郷した。故郷の村にも貢献すると息巻いていたものの、今頃はなにをやっているだろう? 竜貴はローガが自分自身をヒーローの出前とし「商売」しているとは、つつゆほども想像できていない――。


「リュウキ、お待たせだぞ~~!」


 砂汚れをパンパンやりながら、ミウが乙女ちっくに手を振り、ウロコの重そうな足音は高らかに駆け寄ってきた。ミウとも研究と称し、ふたりで街をねり歩いたり、ホログラム映画を観たり、ファミレスで食事したり(ときにミウは手料理の勉強もするけれど)、お互い学び合って、それなりにやっている。
 竜貴は異・生命体や「ドラゴン」についての勉強、ミウお姫様は人間の生態と告げ、毎日すべてを、この身から学んでいた。ミウは生々しく「生態」の知識を増やし、今も以前にはなかった文句を言ってくる。
「やだなリュウキ。キミは汗まみれじゃないかな。わたしの背に乗せてピッタリ触れたくないぞ」
「ドラゴンのウロコは防水加工じゃないの? それより今日はどこへ行く?」
 ミウはドラゴンの長いアゴに手を当てて考えこむと、ひと言「混浴温泉」と艶めかしく伝えてきた。どこで「混浴」の概念(?)を学んだのか知らないが、「リュウキの汗を流し、ピカピカにしてあげるぞ」といっしょに入る気まんまんだった。
 こんな竜貴たちは裸の特異点やら、「彼」が命がけで最悪な神から抜き取った情報を元に、ドラゴンの能力、今回は飛行力についての研究分析も遊び半分、研究半分で行っていた。しかし竜貴は職場へ現役復帰しているから「遊び」なんて思ったら、研究助成金を打ち切られるかもしれない。
「リュウキが超汗臭いから、今日は飛ばすぞぉ」
「イヤミなミウお姫様め」とつぶやいた瞬間、白い湯けむりがただよう幻想的な岩場の温泉地帯へ景色が変わっていた。あれれれ、瞬間移動したのか? ところが、ある歴史的事実に気づかず、竜貴はしかめっ面で文句を垂れる。


「そんなに僕の汗と臭いがイヤなのかよ! ミウの体だってバラの香りとは言いがたいのに」
「リュウキの臭いはドラゴンの身だと、おいしそうな匂いになってしまうのだぞ。この意味、わかるかな?」


 おそらくミウの言葉は本当に違いない、雑食のドラゴンらしい感覚を告げたミウを連れ、平日昼間のお客がいない露天温泉へ進む。わずかに硫化水素のようなツンとした臭いが温泉には、ただよっていた。この鼻を突く臭い、記憶にあるような、ないような……。
 しっかりと竜貴が腰に布を巻き、ふたりで湯へ入った途端、ミウがけげんそうな顔つきをした。
「リュウキ、服は全部、脱ぐんだぞ!」
「ひぃっ!」
 やはり気の強いミウに、むりやり腰布をはがされ、竜貴は素っ裸になってしまった。焦った竜貴が手を前へまわし、顔を熱くしたところ、露天温泉のフチにかがむ銀色のスーツを着た芸人さながらの若い女性に、声をかけられる。まるでロボットみたいな雰囲気だ。
「突然失礼いたします。あなた方は――」
「あの、ちょ、ちょっと、その」
 しどろもどろに竜貴がうろたえると、滾らせた鋭い眼光でこちらを見下ろすミウが大きな手のひらを使い、裸の身を掴んでゆさぶってくる。竜貴の気持ちの高ぶりは、とまらない。
「こらーリュウキ、う、浮気までもするのか! ひ、ひどいんだぞ!」
「あのな」
 よく見れば耳の先がとがった銀色姿の若い女性は、規則的にまばたきしながら話を進めてきた。


「あなた方は瞬間移動こと、つまり“カミ”の技術であるワープ技術を獲得した新たな文明です。我々は正式なコンタクトを求め、あなた方には、天の川銀河連合への加盟をお勧めいたします」


 ワープだって? 勢いあまったミウが、まさかの行為をしてしまったのかもしれない。だが竜貴には当面の急務があった。
「カ、カミですか? あの、それより布は持ってませんか?」
「ヌ・ノ?」
 まさしく宇宙暦元年の幕開けにふさわしい出来事がつづくけれど、この先の「ふたり」については、未来世界の次のときに、またお話を――。




 〈了〉


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