ある日世界がタイムループしてることに気づいて歓喜したのだが、なんか思ってたのと違う

ジェロニモ

ここは我が家……じゃない?

 あれからいくら探しても自転車は見つからず、僕はとぼとぼとアパートの階段を登っていた。家の鍵を開け、ただいまも言わずに玄関に上がると、


「みおちゃんおかえりー」


と台所で包丁を握って野菜を切っている女性が、こちらを見ずに声をかけてきたことに、僕の足と思考が止まった。


 帰ってきた子供に声をかける母親。これ自体はなんの違和感もない一般家庭でよく見られる光景だろう。それは問題ない。声をかけられたくらいで驚くほど僕の家庭環境は冷え切っていない。


 ならば僕が何に驚いたのか。それは彼女が母親でもなんでもない全くの赤の他人ということと、藤崎仁という名前である僕は『みおちゃん』などと呼ばれる要素は皆無だからだ。
 現在の状況を単調に言うならば、家の中に知らない美人さんが居た。


 もしかしたら部屋番号間違えたかなと思って外に出て確認するが、合っている。まぁ鍵が開いたし。
 じゃああれだ。あの女性は、美人の母親が欲しいという僕の強すぎる願望が見せた幻覚だったかもしれないと思い、もう一度台所の女性を見た。美人がいた。いややっぱり誰だ。


 ふむ、確かに美人が母親だったらと思った回数は両手両足を使っても数えきれない。けれどこうやって実際に母が美人に置き換わると話が違った。
 ちょっとぽっちゃりとしていて、絶妙に不細工な顔をしているのが僕の母なのだ。いくら美人とはいえ、この人が母親と言われてもなんだかしっくりこない。僕の母を返せ。一体どこにやった。


「ちょっとー、寒いから早くドア閉めてよーって、えっ!だ、だれ?」


 あまりにわけのわからない状況に放心している間に、女性に姿を見られてしまった。
 赤の他人が家に入ってきた時のような驚いた反応からして、彼女は僕を息子とは認識していないようだった。彼女が僕の母親に成り代わった偽物というわけじゃあないらしいとちょっとだけ安心……できなかった。なんだこの状況は。母はどこに行ったのか。


「ご、ごめんなさい私ったら娘と間違えてしまって」


 女性は少し顔を赤らめて、慌てた様子で何度も頭を下げてきた。
 こちらとしては家に勝手に入ってごめんなさいと謝って欲しかったところなのだが、ここにきて娘という更なるちんぷんかんなキーワードが出てきた。


ぼくはむすめというキーワードにこんらんした!


ぼくはわけもわからずじぶんをこうげきした!


「ひゃっ! ど、どうなさいましたか?」


 唐突に自分の頰をぶっ叩くという僕の奇行に、女性(子持ち)は悲鳴をあげ、ワタワタと台所から玄関前まで駆け寄ってきた。頼むから包丁は持ってこないで欲しかった。刺されそう。


「すいませんちょっと蚊が頰に」


 僕はとっさに神がかった超自然すぎる嘘をついて奇行を誤魔化す。
 引っ叩いた頰のジンジンした痛みが、この状況が夢ではないことを僕に教えていた。


「そ、そうですか。あの、どうもわたしったら鍵をかけ忘れちゃってたみたいで。娘と勘違いして変な事を言ってしまい申し訳ありません」
「い、いやーノックはしたんですけどねぇ。きき、気にしなくて良いですよお」


 もちろん鍵は閉まっていたのだが、彼女が都合良く勘違いしてくれているみたいなので、しらばっくれることにした。


……これは一体どういうことか、改めて情報を整理してみた。
 母と僕が今日の朝まで住んでいたはずのこのアパートの一室では、現在別の家庭が生活しているらしい。今一度みてみれば、テーブルや椅子といった家具全般もガラリと変わっている。


 普通に考えてあり得ないだろう。何かの間違い。そう決めつけようとしたが、しかし僕は以前その普通に考えて有り得ない現象に巻き込まれたことがあった。  
だからもしかすると今回もそうなんじゃないかとつい疑ってしまう。世界の物理法則なんて案外信用ならないという事を僕は知っているから。
 例えば、藤崎仁という人間が存在しないパラレルワールドにでも迷い込んでしまったとかさ。なんだそれ凄く面白そう。


「それでご用は何ですか?」


 女性は混沌とした僕の心の内など知るわけもなく、ほんわかとした笑顔を浮かべて首を傾げた。
 本心を大っぴらにさらけ出して良いのなら「僕の家返してもらえます?」と言いたいが、どうもこの場合不法侵入者は僕のように思えてならない。


「さっきそこの公園で自転車が無くなってしまって。何か知りませんかね」


 同じ日に2度も通報に怯えたくはないので、適当な話題を振って無難にやり過ごすことにした。


「自転車ですか?……んー。心当たりはありませんね。力になれないようでごめんなさい」


「あ、いえ。夜分遅くにありがとうございました。あと、変なこと聴きますけどいつからこのアパートにお住みなんですか?」


 彼女はどうしてそんな事を聴くのかという戸惑いを顔ににじみ出しながらも、口を開いた。


「え? んー。かれこれ10年は住んでるかしら」


 彼女は平然とそう僕に答えた。


 僕の家だったはずの場所に住んでいた彼女は、笑いながらも最後まで包丁を握り続けたままだった。天然もここまでいくとホラーである。




……そうかぁ。10年かぁ。


こうして僕は母と、帰る家を失った。


「さむっ」


 外に出ると、吹き抜ける風に体がぶるりと震えた。同時に、冬、夜、宿無し、凍死という不穏なキーワード達が連想ゲームのように脳裏をよぎる。


……あれ? これ死んだか? 







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