ある日世界がタイムループしてることに気づいて歓喜したのだが、なんか思ってたのと違う

ジェロニモ

ループはもうお腹いっぱい

 僕はあるものを求めて化学室へと来ていた。僕が探し求めていたものは、温もりである。現在はようやく夏が終わり秋に入った頃、まだストーブやエアコンの暖房設備は機能していない為、暖を求めてここへとたどり着いた。


「よっこらせ。えーっと。まずはガスの元栓を開けて……」


 僕は実験に使うガスバーナーを弄っていた。空気の調整とか色々あった気がするが、適当に絞ってたらオレンジファイアーがいい感じのブルーファイアーに変わった。僕はそこに手のひらを向けて暖をとる。


「あー、あったかー。」


というか、むしろ若干暑かった。


 さっき言った通り現在は夏がようやく終わった頃であり、間違ってもまだ寒い時期ではない。
 ならば何故僕がこんなアホなやり方をしてまで暖を取っているかというと、人は心の暖かさと単純な温度的な暖かさを勘違いするらしいという知識を先ほどネットで仕入れたからである。
 こんなことを言うと、僕が人の温もりに飢えすぎたあまり、ガスバーナーの火で代替補給を試みる可哀想なヤツみたいになるが、実際その通りである。気づいたら「人の温もり 代替 方法」で検索かけてたし。




 違和感はループが10000回を超えたあたりから生じた。これまでどれだけぼっち生活を送っても感じたことのなかったはずの孤独を感じるようになったのだ。


 よくよく考えたら今まで彼女欲しいと黒い感情を燃やしまくったことはあったけれど、あれは孤独感からではなく、エロいことがしたいという性欲からの願望だった。
 なので僕がエロ目的以外で単純に人恋しさを感じたのは生まれて初めてだったのである。


 頭の中を占めているのはいつだってエロ、娯楽、エロ、金、エロ、娯楽、金、といった具合だったのに今やそれら全てが寂しいで埋め尽くされている有様だ。
 初対面を繰り返すことによる精神負担に理由があるかと考え他者と関わりを最小限に保って来たにも関わらず、温もりを求めてガスバーナーの火に当たりに来ているような始末だ。症状に改善は観られず、むしろ悪化しているように感じる。


 現在ループ回数は13560回目だ。日数変換すれば大体100日ぐらいだろうか。ループ当初、まぁ十年くらいなら余裕で楽しめるっていうかむしろ十年でも足りないかも、お願いだからループ終わらないで欲しいなぁなんてお花畑な脳内でイキッたことを考えていた自分をぶん殴ってけちょんけちょんにしてやりたい。


 思ったより精神的限界が早かった理由に二つほど思い至る事がある。


 まず、眠気が存在しないこと。僕は大体毎日7時間ほど寝る。同じ24時間でも眠気がない分、通常の生活をしている時よりも24時間が異様に長く感じるのだ。そして眠気がないということの悪影響はそれだけではなかった。ループを繰り返して気づいたのだが、睡眠という行為には精神的疲労を回復する効果も含まれていたように思えてならない。
 なぜなら肉体的疲労はリセットされても、24時間不眠で動いているという意識からくる精神的疲労がループの度に僕の中に蓄積されていったからだ。


 眠くならないという事がこれほどまでにキツイものだとは思わなかった。
 あの目を開こうとしても重たい瞼が徐々に視界を暗くしていく感覚が懐かしくてたまらない。
 寝起きに太陽の光を浴びた時の一日が始まったという実感が欲しい。
 今すぐに柔らかなベットにダイブして、あの眠りに落ちる前のなんとも心地よい夢うつつな感覚に浸りたい。
 今なら一日中寝続けたいなんてアホなことを言っているアホの気持ちがわかる。
 そんなことばかり考えて、床に寝転んで目を閉じたりしてみたのだが、やはり目を閉じることと睡眠は大違いである。疲弊した心は癒えなかった。


 そして散々認めてこなかった二つ目の理由。もう認めざるを得ないだろう。それはいつかのループでの教訓から他者と関わることを避け誰とも話さなくなった結果、逆に孤独感が増したということだ。
 しかしだからと言ってクラスメイトと談笑に勤しもうものなら築き上げた関係は10分後に崩壊し、まるで穴を掘っては埋めてを繰り返しているかのような言い知れない虚無感に襲われることとなる。


 自称鋼のぼっち精神を持つはずの僕の心は、心の中で小馬鹿にしていたはずの他者との関係に飢えていたのである。


 僕は現在やりたい事がもうほとんど無く、動くことすら辛くなっていわゆる無気力状態になりつつある。このままではいずれ思考すら放棄しだして廃人コース一直線だ。すでにループを楽しめるような余裕は僕の心には無くなっていた。


……友達が欲しい、10分経っても僕の名前を呼んで欲しい、家でゲームやってテレビ見て無意味な日常を噛み締めたい。じっとしていても出てくるのは弱音ばかり。そして募っていく危機感。しかしそんな極限状態に陥った時、ようやっと僕のやる気スイッチはオンになったのだった。


 僕のやる気スイッチは少なくとも一年に数回オンになるか否か。どうにも多いのか少ないのかよく分からん数字ではある。人によってはこのスイッチを死ぬまでオンに出来ない人間もいるのだから、きっと多いほうだろうと前向きに考えることにした。


 たとえば宿題に少しも手をつけずにまっさらなまま迎えた夏休み最終日とか、テスト期間中に全く勉強してこなかった科目のテストが始まってからとか。そういう限界ギリギリな状態、むしろ若干の手遅れ感が否めない状態にならないと僕は頑張ろうと思えない人間なのだ。


 そしてこれ以上ループを重ね続ければ自分が廃人になるという危機感を抱いた今、僕はやっと自らのやる気スイッチをオンにしたのだった。
やる気スイッチが入った僕は内から全能感がドバドバ溢れ出て、そこそこ頑張れる。やる気スイッチは入れるまでが大変なのである。
 なにを頑張るかはもう決まってる。決まり切ってる。


 「ループ終わらせよう。」


 楽しんだ。もう十分楽しんだ。でももううんざりなのだ。非日常ってやつは新鮮みがあるから楽しめる。日常を通り越してもはや退屈過ぎて苦痛でしかないループ世界に身を置き続けるなんて、ただのドM野郎でしかない。
 そして僕はドMじゃなく軽めのMである。よって非日常はもうお腹いっぱいなので、僕はこのループ世界を抜け出させてもらうことにした。

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