ラヴ・パンデミック

ロドリゲス

しかし、政府はこの混乱を短期間のうちに鎮圧してしまった。
先ず、国民出生安定法を制定し、すぐさま施行した。
こうしてセックスを法的に禁じ、セックスをした者を片っ端から逮捕した。
そして留置期間、逮捕者には局部マッサージ器を与え、高まった性欲を徹底的に吐き出させてから解放した。
また、女性の逮捕者の場合、定期的な医師の検診を義務付け、妊娠が発覚したら強制的に流産させた。
そして、この法律により逮捕された者は永久に卵子バンクや精子バンクへの登録資格を剥奪され、社会の出世コースからは完全に外れることとなった。
このようにして、俺たちの起こした革命(と言っていいと思う)は瞬く間に沈静化してしまった。

俺は恋愛という感情が広まらなかったことを、日に日に失望の色を濃くしていった由記とは逆に、どこか冷静な気分で見ていた。
もちろん俺も残念だったし、失望もしたが、やはり、という気持ちの方が強かった。
しかし、肉欲的無政府状態があっという間に鎮静化してしまったのには驚いた。
最初の爆発的な広がりを思い出すと、余計にそう感じる。
政府が動いた時、これは暴動が起こるのではないかと思った。
下手をすれば内戦が起きてしまうかも、と。
それくらい性欲に対する、快楽に対する人々の反応は速く、大きく、強く見えた。
ところが、政府が法律を定め、違反者の逮捕に乗り出し、卵子精子両バンクからの永久追放という権威からの締め出しをちらつかせると、抵抗する者はほとんどなく、皆力無く捕まっていったのだ。
まるで虫を駆除するようだった。
いや、食物連鎖と言った方が正しいか。
捕食するものと、されるもの。
そこには絶対に越える事の出来ない階級の段差がある。
遺伝子操作が人々をこのようにしてしまったのだろうか。
それとも元々日本人はこういう気質を持っていたのだろうか。

とにかく作戦は失敗した。
恋愛も広まらず、快楽を知っても民衆は蜂起せず、政府の人口抑制少数精鋭政策を壊すことはできず、革命は起きなかった。
今や俺たちは反逆者だ。
鎮静化したとはいえ、政府はなぜセックスがこれほど急速に広まったのか調べているはずだ。
誰かが意図的に起こしたことだとわかるだろうか。
そしてやったのは俺たちだと特定されるだろうか。
しかし、下手に動かない方がいいかもしれない。
由記は政府の人間だ。
おまけに飛び級で十八歳にして大学を卒業しているほど優秀な人材である上、何人もの『突然変異』を「回収」してきた実績もある。
疑われる可能性は低いと見ていいだろう。
俺と丸崎は由記の家に来てから一歩も外へ出ていない。
聞けば丸崎も由記の家に来たのは真夜中だったらしい。
しかも周囲に人が住んでいる気配はない。
この家に入るところを誰かに見られてはいないと思う。
どれほど潜伏していられるかはわからないが、ここよりも安全な場所はないだろう。


その日は朝からどんよりとしたブ厚い雲が覆う辛気臭い日だった。
夕方頃、由記は自室から出てくるなり、居間のソファに座っていた丸崎の胸倉を両手で掴み、乱暴に立ち上がらせた。
いきなりのことに目を白黒させている丸崎には構わず、由記が問い詰めた。

「わたしのパソコン使ってあんたン家のパソコンにアクセスした?」

多分、丸崎が俺に見せてくれたセックスの教材映画のことを言ってるのだ。

「いや……、はい」

丸崎は一瞬否定しようとしたのだろうが、由記が怖くてすぐに本当のことを答えた。
由記の胸倉を掴む手に更に力が込められ、丸崎を睨む眼光が鋭さを増したが、すぐに投げ捨てるように離した。
丸崎はソファに一度バウンドし、床に倒れこんだ。
さすがに自分の家であんなもの再生させられてたら、そりゃあ怒るわなぁ、と思いつつ、でもセックスなんかしたことないんだから、むしろ感謝してもらわなくては困る、とも思った。
なんせセックスしてくれと要求したのは由記の方なのだから。

「逃げる準備して」

言うなり、由記は自室に飛び込んだかと思うと、レザースーツに着替え、リュックサックを片手に出てきた。

「逃げるって、どこへ? なんで?」

俺が問うと、由記は簡潔に答えた。

「政府にバレた。ここは危険だから」
「え、え? なんで?」
「ウチのパソコンにクラッキング仕掛けられた痕があったから色々調べてたんだけど、ウチのパソコンからオデブチャンの家のパソコンへアクセスしたログがあったの。真島くんが眠らされていたカプセルにアクセスしたのはオデブチャン家の回線からだから、そこから辿ってウチに来たんだと思う」

そういうことか。

「何見てたんだか知らないけど、そういうことやる時は一言声かけてよ!」
「ごめんなさい……」

丸崎はソファの下に倒れたまま、泣きそうな顔になってる。

「え? じゃ、じゃあ、丸崎はもう政府には……」
「とっくに特定されてるよ」

そう言い捨てると、由記は居間を出ていった。
俺は丸崎に歩み寄り、

「あの……、ごめん」

と謝った。
俺を助けたために、こんなことになってしまった。
だが丸崎は、

「いや、それはいいんだ。それは始めからわかっていたことだし、それは、どうでもいいんだ」

なんて大きい男なんだ丸崎! やはりこの男は底が知れない。そんな男がポツリと言った。

「でも、女って何であんなに怖いんだろう?」


準備と言われても、特にこれといったものはなかった。
持てるだけの水と食料、くらいか。
由記に言われた通り車庫に行くと、俺を助けてくれた時のバイクにサイドカーが付いていた。
廃車は免れたようだ。なんとなくホッとした。

「一応ね、準備だけはしといたの」

俺たちの目線で察したのか、由記が言った。
一番危機感を抱いていたのは由記だったようだ。

「どこに行くんだ?」
「東京」

かつて日本の首都だった東京は、今は廃墟になっている。
関東大震災と富士山の爆発が重なって、多くの死傷者を出し、おまけに関東近郊の原発も地震により破壊され、放射性物質が飛散し、首都としての機能はおろか、都市としての機能も失われ、到底人が住める場所ではなくなったそうだ。
それから七十年経ったが、放射能汚染の影響もあって復興にはなかなか手がつけられず、棚上げされたまま、いつしか捨てられた都市となって現在に至る。

「東京か……」

はっきり言って僻地だ。噂では飛んでいた鳥が東京の上空に差し掛かると落ちるそうである。
それがホントなら食うものには困らなそうだ。
もっとも、毎日フライドチキンか焼き鳥になるだろうが。

「今は残留放射能はほとんどないし、地下鉄や地下街の跡がまだかろうじて残ってるらしいから、そこなら身を隠すのにも便利でしょ」

確かに逃げるにはうってつけの場所だ。
そしてそこ以外には逃げる場所はないだろう。

「あのさ、」

丸崎が、おずおずと切り出した。

「サイドカーには誰が乗るの?」


「うわっ!」

サイドカーから丸崎が声を上げた。

「何だよ、どうしたんだよ」

俺は由記の腰にしがみつきながら聞いた。
相変わらず由記の運転は荒い。
なるべく早く東京に着きたいというのもあるが、そもそも由記はスピード狂なのではないかという気がしてきた。
丸崎はヘルメットの下にメタワールド用のゴーグルをかけている。
キツくないのだろうか。

「ニュースに白石さんの顔が出てる」
「えっ! ……何て書いてある?」
「政府に対して重大なテロ行為をしたおそれがある、って。情報を求めているってさ」

由記の言った通りになった。
早めにあの家を出て正解だったわけだ。
グズグズしていたら由記の家の回りを政府関係者、警察やら機動隊に囲まれていたかもしれない。
そうなっていたら逃げ場はなかっただろう。
それにしても、大学も出て、政府の人間として働いてもいるが、由記はまだ未成年だ。
その由記の顔までマスコミに流すというのは普通は考えられない。
それだけ、俺たちがやろうとしたことは政府にとっては危険なことだったのかもしれない。

「でも……僕らの顔は出ていない」
「そりゃそうだろ」
「何で?」
「死んだことになってんだから」
「あぁ、まぁ、そりゃそうか……」

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